4-7 眠れぬ夜
カーテンの隙間から細く月明りが差しこんでいる。
静寂の中、ベッドの上で片膝を立てその脚を抱えるようにして座ったまま、ガルディアは床と壁に引かれた青白い線をぼうっと眺めた。
しばらくそれを辿っていた黒い瞳は、不意にくるりと動くと、今度は何もない部屋の壁を見つめだす。
隣の部屋のディルは、きっともう深い眠りの中にいるのだろう。
ディルは以前、緊張して眠れなかったことなどないと自慢げに話していた。実際彼は、何事にも切り替えが早く、何かをすると決めたら即時実行し徹底する。
はあ、とため息をひとつついてみる。
眠れない夜。こういうのも久しぶりだな、と思った。
原因はわかっている。ディルがあんなことをしたからだ。
フィオリトゥーラが見せた「剣」は凄まじかった。ラモン戦で一度見ているとはいえ、あの時よりも間近で見たそれは、圧倒的だった。
剣の振り、それだけで見ればAランク相当なのは間違いないだろう。
自分とはまるで違うスタイルとはいえ、正直軽い嫉妬を覚えるほどの迫力があった。
それを、リスクを負ってでも体験したい。しかも「明日のため」、と来た。
待ち伏せして、襲って、奪って、さっと逃げて、それでおしまい。
え? 違うわけ?
無駄に不安を煽られた気分だった。
ただ、ディルの勘は馬鹿にできない。単なる心配性で終わったことも少なくないが、逆に、信じられないほど少ない材料から正解に近い答えを導きだしてしまったことも、一度や二度ではなかった。
「あーあ」
不満を口に出してみるが、すぐに静寂が戻る。当たり前だが返ってくる言葉などはない。
だが、次の瞬間、ガルディアはかすかな物音を耳にした気がした。
ん……? 外、かな?
ガルディアはベッドからふわりと飛び降りる。右、左と順に足を床に着地させるが、ほとんど物音を立てない。
そしてそのまま、窓際へと駆け寄った。やはり、見事なまでに足音が消されている。
指先でカーテンをわずかに引いて、隙間から眼下を覗いた。ここ二号室の窓は、屋敷の裏庭に面している。
ディルと模擬戦を行った頃とは違って今の時間の裏庭は、大部分が月の光に照らされ、夜にしては明るい。空を見れば、満月からいくらか欠けた黄色い月が、夜空に煌々と輝いている。
すぐに視線を戻すと、そこに物音の正体と思われるものを発見した。
井戸が設置されている小屋のさらに奥。そこには石壁に囲まれた屋根付きの簡易浴場があるのだが、その中からオレンジ色の明かりが漏れていた。
そっと振り向き、自室の扉を眺めながら、漠然と屋敷の中の各人それぞれの様子を想像してみる。
ディルは眠っているだろう。フィオリトゥーラも、ディルがああ言ったのだから、わざわざ大事な明日を控えた状態で起きているとは考えがたい。
スラクストンは、皆を起こすために「真夜の刻」から起きたままでいる予定なのだから、この時間こそ睡眠に充てなければならないはずだ。リディアは、すでに七番区にある自宅へと帰宅している。
そこまで考えてガルディアは、またか――、と考える。
二か月ほど前、屋敷の簡易浴場に外部の人間が侵入したことがあった。
公衆浴場を利用するわずかな金銭にすら困窮した浮浪者同然の者が、九番区のような適度に裕福な街区の住宅に忍びこみ、そういった場所には大抵設置されてある邸宅用の簡易浴場などを勝手に使用するといったようなことは少なくないらしい。
前回の時はまだ夕刻前の話で、衛生面などに特に神経質なスラクストンが不潔極まりない侵入者を許すはずもなく、つまみだし、「次やれば教会に突きだす」と脅していた。
こんな夜にまた面倒な、と思いつつどうすべきか思索するが、むしろ気持ちを切り替えて眠るきっかけには丁度いいかと思いなおす。
ガルディアは手近にあった短剣一本を手にすると、物音を立てないようにして部屋を出た。
二階の廊下や吹き抜けの空間は、限りなく暗闇に近い薄闇に覆われていた。
完全な暗闇になっていないのは、ホール内にある燭台のひとつに火が灯したままにされてあるからだ。
特注の大型ロウソクを使用したそれは、わずかな明かりながらも一晩中火を絶やすことなく、毎夜この屋敷のホールを照らしている。
この夜間の点灯はディル発案で、緊急時のためということらしいが、そのおかげでこの時間での移動にも苦労はしない。もっとも、完全な暗闇だったとしても、ガルディアにとって慣れた屋敷の中を移動することなど造作もないことだが。
廊下を進み階段を下りる中、ガルディアは周囲を観察し、他に気配や漏れている明かりなどがないことを確認する。
責任感の強いスラクストンが今晩はそもそも寝ないで翌朝に備えている、といったような可能性も捨てずにいたが、どの部屋からも明かりが漏れていないことから考えると、それもないように思えた。
ホールまで下りると、控えめではあるものの裏庭の側から水音が聞こえてきた。
かわいそうっちゃ、かわいそうだけどね。
この都市の弱肉強食の構造はシンプルなだけに、容易に色々と想像できてしまい、弱者を追い払う行為に抵抗がないといえば嘘になる。
だが、スラクストンのような潔癖症ではないとはいえ、確かにそんなことが原因で体調を崩して試合に影響でもあれば、それはあまりにも愚かというものだ。
そんなことを考えてすぐに、ガルディアは慌てて首を横に振る。
違う違う。相変わらず甘いな自分、と自身を嗜めた。
二か月前に見た弱りきった汚い浮浪者のイメージを捨てる。
そう。例えば、この屋敷の誰かの次の対戦相手になる者、あるいは何かしら因縁があり恨みを持つ者などが、水場に毒でも仕込みに来たのなら?
甘い考えで油断すれば、どのような状況でも足をすくわれかねない。
こういう思考の流れは明らかにディルの影響だろうなと、くすりと笑う。ただ、それはここで生きていくために必要なことだ。
ガルディアは、テラス側を通らず迂回して厨房脇を抜けていく。
さて、と――。
音を立てないよう閂をゆっくりと動かし扉をそっと開けると、するすると裏庭へと出ていく。気配を殺しているが、その動作はよどみなく一切の躊躇がない。
簡易浴場の入口は、扉ではなく垂らされたリネンのカーテンで仕切られている。見れば、今もまだそこから控えめなオレンジ色の光が漏れていた。
ここまで来ると、その物音からも明らかに誰かが浴場を使用しているとわかった。
ひとつ息を吸いこんだ後、ガルディアは一気に入口に近づいて、ばっとカーテンを払いのける。
「誰かな?」
声を荒げたりせず、普通に問いかけた。
ただ、その右手にはすでに抜き身の短剣が携えられている。とはいえこれもまた、刃先を下に向け、露骨に構えてはいない。
広くはない浴場の中、浴槽ではなく手前の洗い場にその姿があった。
燭台の光を受けて、ほっそりとした白い肢体が浮かび上がる……。
濡れた長い白金の髪がいくらかを隠しているものの、その華奢な腕、白い乳房、くびれた腰や細い脚が、ゆらゆらとした光に照らされ、陰影強く断片的にガルディアの目に映った。
上部に備えられた金属製の水管から垂れる幾筋かの細い水流を受けながら、彼女は動きを止め、その軽く見開かれた碧い瞳が現れた人影、ガルディアを見つめている。
ガルディアは予想外の光景に思わず息をのみ、危うく手にした短剣を落としそうになるが、すぐさま我に返った。
「フィオさん⁉」
「……ガルディアさん、ですか?」
あまり慌てた様子もなく訊ねるフィオリトゥーラを前に、ガルディアは素早く身を翻し、回転するようにしてカーテンをくぐり抜けると、外に飛びだした。
「ごめん! こんな時間だし侵入者とかかなって」
背を向けたままカーテン越しに慌てて説明するガルディアに対し、彼女の声は少しの間を空けてから返ってくる。
「いえ。私こそ、このような時間に失礼いたしました」
少し速い口調ではあるが、やはり大して慌てた様子は感じられない。
返事の終わりと同時に、水流の音が消えていた。
「あーいいよ。ゆっくりして。ただ、こんな時間だし一応気をつけてね。それじゃ僕は戻るから」
ガルディアは一息にそう言いきると、ほとんど駆けるようにして屋敷の中へと戻っていく。
厨房脇を抜け応接室へと向かった。気配を消していた先とは違い、その足音が厨房や食堂付近に響きわたった。
応接室に入り壁の燭台に火を灯すと、ガルディアは勢いよくソファに腰かけた。
鞘に納めた短剣を傍らに放りだし、それから身を沈めるように深くもたれる。
……ほんとわかんないな、あの人。
突然現れたガルディアを見ても、彼女は身体を隠そうとする素振りすら見せなかった。
一糸まとわぬ姿を晒したフィオリトゥーラよりも、反対にそれを目撃したガルディアの方が明らかにうろたえてしまっていた。
脈打つ心臓の鼓動が、まだ少し速く感じる。
ガルディア自身、単に異性の裸を見たからといって、こんなに動揺はしないだろうと自覚している。なのに、このありさまだ。
ただ、それも仕方ないかとも思えた。予想外ということもあったが、それ以上になんというか、あまりに彼女の姿は浮世離れしていた。
はーあ、とため息をつき、天井を見上げる。
しばらくそうしていると、かすかな足音が聞こえた。
フィオリトゥーラと思われる気配が、ホールから階段へとゆっくり移動していくのを感じる。
皆を起こすまいと気を遣って気配を殺しているらしく、そこから察するに、彼女の部屋の明かりが消されていたのも、そんな気遣いの一環なのだろう。
やがて、二階で静かに七号室の扉が閉じた。蝶番の軋む音などはなく、耳を澄ませなければ聞き逃してしまうような小さな音だけがした。
流石、高級品は違うよね。
わざわざ部屋の明かりを消していなければ想定できたのにと、ガルディアは軽く舌打ちしながら、もういっそ今晩はここで寝ようかなどと、投げやりにそんなことを考える。
それから、どれぐらい時間が経っただろうか。
再び、七号室付近からかすかな音と気配が届いた。
控えめな足音と衣擦れの音……。
近づいてくる。
応接室の扉がゆっくりと開き、室内の物とは別の、新たな燭台の光が部屋の中を照らした。
「フィオさん……」
右手で燭台を掲げたフィオリトゥーラが、薄闇の中にぼうっと現れた。
彼女は、白いリネンのワンピースの上にダークグレーのローブを羽織っている。ローブは足元に向かって色味が明るくなっていく凝った色調の物で、いつものドレスを思わせるブリオーやチュニックとは違うが、これもまた明らかな高級品だ。
「明かりが漏れていましたので、こちらかと思いまして」
彼女はそう言いながら、ゆっくりと扉を閉め、再びガルディアへと向きなおす。
「もしかして、フィオさんも眠れなかったりする?」
「ええ」
控えめに微笑むと、彼女はゆっくりとソファの方へと歩み寄ってくる。
まだ濡れて重たそうな髪が肩口から真っすぐに垂れ、ローブの下から覗くリネンのワンピースは、透けてこそいないものの、ところどころが肌に張りついている。
ガルディアは一瞬だけ目を逸らした。普段はあまり意識することがなかった艶やかさを、今の彼女からは強く感じてしまっていた。
「フィオさん、昨日もあんまり眠れなかったんじゃない?」
「はい。恥ずかしながら」
手にしていた燭台をテーブルの上に置きながら、フィオリトゥーラが答える。そんな彼女の横顔は、かすかな憂いを帯びていた。
緩やかなカーブを描きながらもすっと通った鼻梁にツンと尖った鼻先。伏し目がちなせいか、長い睫毛とはっきりとした二重目蓋がより強調されて見える。
間近であらためて見る彼女の姿に思わずどきりとし、それを悟られぬようにとガルディアは、咳払いをひとつしてみせた。
「まだ夜は長いし、少し話でもしよっか」
ガルディアは意識して明るく笑った。
「ありがとうございます」
そんな笑顔につられ、彼女もまた笑みを返す。
二つの小さな燭台だけが照らす室内はまだまだ心もとない暗さだが、二人で話す程度ならば十分といえた。
「やっぱり、明日のことが不安?」
そう訊ねるガルディアに、フィオリトゥーラは少しの間を空けてから答える。
「……そう、ですね」
曖昧な返事。それだけで、続く言葉はなかった。かといって、何かを考えこんでいる風でもない。
ガルディアは少し待った後、再び何か訊こうかと口を開きかけるが、そこに彼女の声が重なった。
「――ガルディアさんは、剣闘士として、何を目指していらっしゃいますか?」
唐突な質問だった。
「え? 急にどうしたの?」
ガルディアは軽く笑いながら答えるが、自分の質問にしっかり答えないまま関係ない質問を返してきた彼女に、驚きとともに内心で軽い苛立ちも覚えた。
「突然申し訳ありません。よかったらお聞かせ願えますか?」
「うーん。そんなかしこまって聞かれるほど大した目標があるわけじゃないんだよね。まあ、今は一応〝B〟でもやっていけてるし、あわよくばAランク入りでもして、そこでまとまったお金でも入ったら、引退して適当に安穏と暮らすのも悪くない、みたいな? ずっと闘ってたいわけじゃないしね」
いつもどおりの軽い口調で話すガルディアを、フィオリトゥーラの瞳が静かに見つめる。
「僕は、ディルほど意識が高いわけでもないしさ」
そう言って再び笑ってみせるが、フィオリトゥーラの様子は変わらない。
一緒に笑ってくれればよいのだが、彼女はその唇を固く結んだまま、視線を外さなかった。
ガルディアの笑みが、次第に苦いものへと変わっていく。
嫌な眼だなと思った。澄んだ瞳の中に、小さく燭台の火が揺れている。
彼女にそんな意図はないのだろうが、「真実を話してほしい」と、そう懇願されている、あるいは脅迫されているような気になってしまう。
ガルディアは、自ら「話をしよう」と持ちかけたことを少し後悔した。
一度視線を外して、ゆっくりとため息をつく。今晩だけで何度目のため息だろうかと、我ながら呆れた。
「ごめん、今のは嘘。ちゃんと話すよ」
低く抑えた口調でガルディアが告げた。
それを聞いたフィオリトゥーラは、軽くその目を見開かせた。人の言うことなど全面的に信じてしまいそうな彼女だけに、はっきり「嘘」と言われて、少し戸惑ったのかもしれない。
いやいや、フィオさんが言わせてるんだし。
ガルディアは心中でそんな風にぼやきながらも、彼女は鏡なのだ、と納得する。
彼女がそう仕向けているわけではない。ガルディア自身が、彼女を通じて勝手に自分を覗き見てしまっているのだ。
「名前をさ。名前を売りたいんだよね。〝剣位〟なんて夢みたいなことは考えちゃいないけど、〝A〟のリストに名を連ねるぐらいなら、もしかしたらって……。聖地でAランクそこそこってだけでも、〝外〟じゃ結構な扱いなんだよね。フィオさんみたいな人にはわからないかもしれないけど、それこそ、小国の貧乏貴族あたりなら簡単に序列が変わったりするぐらいにはさ。覚えてるかな? フィオさんがこの屋敷に来た夜、勝手にディルが紹介を済ませちゃったけど、僕は自分で名乗ってないんだよね」
「覚えています」
フィオリトゥーラは迷いなく即座に答えた。
「そういうの流石だよね、格が違う。ウチの家の人間なら、間違いなくそんなこと覚えちゃいないだろうね」
自嘲気味に言いながらも、ガルディアは明るく笑う。
「あらためて名乗るよ。僕の名は、ガルディア・ガルデ。って言っても、そんなかしこまって名乗るほどの名じゃないんだ、〝ガルデ〟なんて家名はさ。帝国の属国の末席もいいところの小国に仕えてる一般貴族なんて、正直そこらの平民以下だからね。まあ、そんなだから、息子を聖地に送って名を売ろうなんて、ありふれた安上がりな方法を考えるんだろうけど。ちょっと呆れちゃうでしょ?」
言いきると同時にガルディアは、ぱっと胸の前で両手を広げておどけてみせた。
「いえ。お話いただき感謝します。やはり皆、しっかりと目指すべき道をお持ちなのですね……」
「そんな大層なものじゃないよ。ディルなんかは、本気で〝上〟を目指してるみたいだけど、僕はもっと気楽に考えてるし――?」
ガルディアは途中で言葉を止める。フィオリトゥーラの異変に気がついたからだ。
この暗がりではわかりづらかったが、見ればその顔はひどく青褪め、さらに彼女は華奢な両の肩を細かく震わせてもいた。
その震えを抑えようとしてか、彼女は自身の腕を交差した左右の手で掴むと、引き寄せて、その身体を抱える。
「フィオさん、大丈夫?」
「……漠然とした不安が、私を襲うのです」
「剣を取り返せなかったらってこと?」
フィオリトゥーラは、静かに首を横に振った。
「それも当然の不安なのですが、そうではないのです」
「それじゃあ……」
「明日、もし何かを違えれば、そこには望まぬ結果も待ち受けていることでしょう。このようなことを口にするのは失礼なことと承知の上で言わせていただきますが、私のために、お二人の聖地での道が閉ざされてしまうかもしれない……。私は、そのことを怖く感じているようなのです……」
フィオリトゥーラは唇を噛み、上目でおそるおそるといった風にガルディアを覗き見る。
「もしかして、明日は一人で行きたいって考えてる?」
「いえ。それをお二人が望んでいないことは理解しています」
どうすればよいのかわからない。それが、フィオリトゥーラの正直な気持ちだった。
何か具体的なイメージがあるわけでもなく、ただのっぺりとした暗闇が覆いかぶさってくるような、漠然とした恐怖と焦燥。彼女が抱えるそんな不安は、単に二人の身を案じることともまた違った。
「フィオさんはさあ、亡くなったお兄さんの意志でも継いでるの?」
今度は、ガルディアが唐突に訊ねた。
彼女の兄は剣士であり、そして彼は病気で亡くなった。その後、彼女は剣を手にして聖地を目指すこととなる。
彼女が「剣」を修得した経緯を語った話の中からは、そのぐらいしか知ることはできなかったが、彼女が聖地を目指した理由は、その断片的な情報からだけでも容易に想像することができた。
「はい……。最後に、約束を交わしたのです。兄は、この地の頂点を夢見ていました。私は、兄の〝剣〟を託されたのです」
低く抑えられた声。それはガルディアへ語るのと同時に、彼女自身の決意をさらに固くするための自己に向けた言葉のようでもあった。
聖地の頂点。誰かからの言葉であっても、そんな途方もないものを語ることなど、ガルディアには到底できない。
「ちょっと、酷だね」
ガルディアは思わずそう口にしていた。
フィオリトゥーラの瞳が、かすかに動く。
「気を悪くしたらすまないけど、でもさあ、死の際の言葉なんて、脅迫か、でなければ呪いみたいなもんだよね」
目の前で苦笑するガルディアを見つめながら、フィオリトゥーラはなるほどと思ってしまった。また、これまでそんなことを考えもしなかった自分に驚いてもいた。
呪い――。このすがりつくような想いを言葉にするなら、それはなんと適切なのだろう。
「そうなのかもしれません。ですが、これが今の私の道なのです」
冷静に、だが強く言い放つ。
「大丈夫。否定するつもりなんかないんだ。つい思ったから口にしちゃっただけ」
ガルディアはそう言いながら、少しだけ身を乗りださせる。
「でさあ、さっきの話だけど、そのフィオさん自身の道が途絶えるかもってことへの恐怖はどうなの? 普通はそっちの方が怖くない?」
「もちろん、怖いと感じています。ですが、それとは異なるもっと形のない何かなのです。それゆえ余計に怖く、不安に感じてしまうのかもしれません」
「そっか。じゃあさ、フィオさんが不安に感じることの要因が、僕やディルの道を途絶えさせてしまうかもしれないってことなら、ひとつ言っておくよ」
燭台の明かりに照らされたガルディアの顔が、冷たく笑う。
「僕らの道なんて、フィオさんに関係なく、いつでも消えるよ。この聖地じゃ、例え未来の自分なんて想像したとしても、そんなのただの儚い夢だから。明日突然現れた暗闇に理不尽に喰われて消えるかもなんて恐怖、そんなものとは僕もディルも常に闘ってる。だからさ、別に関係ないんだよ。そんなの無視しちゃいなよ。フィオさんも自分の道とだけ闘ってればいいよ」
ガルディアは突き放すような言い方をするが、それを聞いてフィオリトゥーラは、自身の両腕を掴んでいた手の力を緩めていた。
「今回の件では、僕もディルも、これも自分の道なんだろうって考えて選択してるんだ。ディルは何かを求めてるし、僕には打算もある。正直に言うけど、僕はフィオさんに恩を売っておくことが利になると思ってるからね」
冷めた視線。口の端がかすかに歪む。それは、フィオリトゥーラが初めて見るガルディアの表情だった。
「私にそのような力など――」
「いいんだ。何かすぐに返ってくる具体的な見返りとか求めてるわけじゃないから。とにかく、明日のことはさ、フィオさんの手伝いって名目ではあるけど、三人それぞれの闘いなんだって、そう考えてみたら?」
ガルディアはそこまで言うと、ここぞとばかりにいつもどおりの明るい笑みを披露する。
三人それぞれの闘い……。
少し考えればわかる。やはりこれは、自身の抱える問題に二人を巻きこんでいるだけなのだと。それなのに、妙に響くものがあった。
フィオリトゥーラは目蓋を閉じる。そして深く息を吸うと、ゆっくりと吐きだした。
目を開ける。碧い瞳が、眼前の黒い瞳を見つめた。
「ありがとうございます。少し、楽になった気がします」
そう言って微笑んだフィオリトゥーラを見て、ガルディアも、ふうと息を吐く。
「よかった。じゃあもう眠れるね。僕もいい気分転換になったよ。ありがとう」
ガルディアは立ち上がると壁の燭台へと近づき、ふっと息をかけてその火を消した。
途端に部屋の中が暗くなると、ガルディアはその闇に溶けこむように、すうっと、音もなく扉の方へ移動する。
「いい加減寝ないと、ディルに怒られちゃうしね。結構物音立てたから、たぶん気づいてるよ。それじゃ、おやすみ」
扉が少しだけ開いたかと思うと、すでにそこにガルディアの姿はなかった。足音ひとつ聞こえなかった。
テーブルに置かれた燭台の火だけが、残されたフィオリトゥーラとその周囲だけをゆらゆらと照らしている。
「おやすみなさい……」
第四章 完
五章に続きます。




