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千の剣の物語 ~ 約束の剣 ~  作者: 鈴木しゅら
第四章 約束の剣
26/68

4-5 プレシャスからの連絡

 五の刻の鐘が鳴ってからしばらく経った頃、コォーンと、よく響く呼び鈴の音が、玄関ホールを抜けてそれぞれの部屋までも届いた。

 フィオリトゥーラは夢現の中、それをどこかで耳にしたことのある音だなと思った。

 鳴らしたのは誰だろう……? 手に紐を持っている。ああ、私だ。

 夜の闇の中、フィオリトゥーラは屋敷の玄関扉の前に立っていた。

 そう。長い砂漠の旅を終えて、ようやくこの地に辿り着いたのだ。

 そこまで考えて、急激に思考がぐるりと回る。

 違う――。誰かが玄関の呼び鈴を鳴らしたのだ。



 そして、目が覚めた。

 フィオリトゥーラは慌てて起きようとするが、まるでベッドに貼りついてしまったかのように、身体がひどく重かった。

 だが、そんな気怠い我が身とは別に、思考はしっかりと定まっていく。

 玄関の呼び鈴が鳴ったのだ。

 来訪者。もちろん考えられるのは、プレシャスからの連絡だ。

 両腕に力を入れ、自らの身体をベッドから引き剥がすようにして起き上がると、勢いそのままに窓際へと駆け寄る。

 カーテンを開ければ、窓越しに見える聖地の空は、その下半分をオレンジ色に染めていた。まばらに散る焼けた雲の隙間から、斜陽が光を放つ。

 その眩さに目を細めた直後、振り向き、今度は部屋の入口へと駆けた。

 扉を開けて階下を覗けば、スラクストンに応接室へと案内されていく見覚えある黒コート姿が見えた。クローディアだ。

 部屋に戻り、自身の胸に手を当てる。

 安堵した。あの嫌な感覚はもう消えていた。

 ひとつ深呼吸をして、それから手早く最低限身を整えると、フィオリトゥーラは七号室を出て足早に階段へと向かい、そのまま一階へと下りていく。

「申し訳ありません、お待たせしました」

 フィオリトゥーラが応接室に姿を現すと、皆が一斉に振り向いた。

 いつもはディルが座る壁際のソファには、クローディアがゆったりと腰かけ、テーブルを挟んだその向かいにガルディア。ディルは、他から椅子を持ちだして二人から少し離れた場所に座っていた。座面に片足を乗せ、上げた膝に肘を置いている。

 スラクストンは食堂側に控え、奥のリディアへと何か指示を出していた。

「来たね、フィオリトゥーラ」

 クローディアが、明るい笑顔をフィオリトゥーラへと向ける。黙っていると険しい顔立ちの彼女だが、あの闘い以来、見せるその表情は穏やかで、特にフィオリトゥーラに対してはそれが顕著だ。

「座れよ」

 ディルが言うと、ソファに座るガルディアは少しだけ端へと移動し、クローディアの正面、自身の隣に空いたスペースをぽんぽんと叩いてみせた。

「ありがとうございます」

「早く聞きたいだろう? 挨拶とかは抜きでいいよ」

「はい」

 フィオリトゥーラが座ると、それに合わせたように、スラクストンが自然に食堂へと姿を消した。

 三人の視線を受けながら、クローディアはソファから背を離し、わずかに姿勢を正すと、早速話を始める。

「まずは、プレシャスのところに届いた情報から話すよ。例の〝ある物〟は、明日の晩に聖地から外に出される――」

 聞いた瞬間、フィオリトゥーラは自身の身体が緊張していくのがわかった。

「日没の鐘が鳴った後から〝真夜の刻〟までの間で、人気がなくなる頃合いを見計らって、東部〝第三産業路〟を使って少人数で運びだされる。運搬に携わる人数は四人。一人が荷物の所有者で、こいつが〝拝黒の翼〟の幹部みたいだね。それに他三人が同行する。移動は徒歩で、馬車や荷車などは使われない。まあ、門外では何かしら移動手段が用意されているんだろうけど、そのあたりは定かじゃないみたいだね」

 クローディアは少し間をとって、三人を眺めた後、再度口を開く。

「これらの情報は、〝第二教会〟に神官として入っている者からので、プレシャスとしてもほぼ間違いないだろうと見てる。ちなみに、そんな陽が沈んだ後に隠れるようにして運ぶくせに、これは〝聖剣教公式〟の荷物として扱われるらしいよ」

 ディルは、考えこむように口元に手を当てた。フィオリトゥーラとガルディアの二人は、いくらか反応を見せているが、それでもクローディアが予想していたものとは違った。

「聖剣教と聞いても驚かないんだね。知っていたのか?」

「いや。ただ、剣教が裏でそういう組織を抱えてるってのはそこそこ聞く話だし、ある程度予想はしてたからな」

 ディルはそう答えながら、それでも「聖剣教公式」という部分には、素直に厄介だなと感じていた。

「そうなのか。それじゃ続けるけど、向こうとしては、最低限身内との衝突を避けるためにある程度仕方なくそういう選択をしたんじゃないかって、プレシャスはそう考えてる。だけど、そのせいで連中は、ある程度の体裁を教会側に報告する義務も負わされた。実際、ここまで詳細な情報が届いたのは、そのおかげだとも言ってたよ。まあでも、剣教絡みの組織なのに、巡回中の剣律なんかに不審者として足止めされたら、確かにそれはちょっと笑えないだろうからね」

「運搬経路はいいとして、現時点で保管されてる場所はわからないのかよ」

 ディルがそう口にすると、クローディアはそんな疑問も当然といった風で、表情をまるで変えずに、さらに話を続けた。

「その点に関してだけど、どうにも今回の件は、その〝拝黒〟の幹部の個人的な持出品という形で公式扱いされているらしくて、だから、荷物の現在の保管場所や出発点なんかは不明なままだ」

「えー。そんなんで公式の荷扱いにできるんだ」

 ガルディアが、思わず口を挟む。

「プレシャスの話の続きだけど、自らの持出品を、詳細も明かさずに聖剣教公式の荷として扱える。それはつまり、その〝拝黒〟の幹部が、剣教の中でかなりの発言権を持っている者である可能性が高い。そういうことらしいよ」

「あー。便宜とか忖度って類のヤツだね。権力者って、大抵保身のための仕組みを作りたがるもんね」

 ガルディアはわざとらしく呆れてみせた。

「聖剣教公式か……。そうなると、俺らは完全に一級の犯罪者だな」

 その向こうで、ディルが冗談めかして言う。彼は皮肉げに、だがどこか楽しそうに口元に笑みを浮かべている。

そんなディルを見て、フィオリトゥーラはわずかに表情を曇らせた。

「犯罪者か。まあそうだね。ただ、情報元の神官が把握しているかぎりでは、なんのために何を運ぶのか、そういった一切が聖剣教側に知らされていないらしく、その点からプレシャスは、今回の件はその幹部が自身の立場を利用しただけの個人的な活動だろうとも見てる。まあ、あいつは〝物〟が何か知っているようだから、その点は見誤っていないはずだ」

 それを聞いて、ディルは少しだけ安堵する。

 プレシャスの見解が正しければ、公式扱いとはいえ、その荷物に何かあった場合でも、おそらく公に訴えるようなことはしてこないだろう。また、事後に聖剣教本体がなんらかの措置を講じるとも考えがたい。そもそもが、拝黒の翼という組織自体が表立ったものではないのだから。

「にしても、その話からすると、その情報元の神官もそれなりの地位に就いてるみたいだよな。そんな奴なら、その幹部がどこの誰だかわかってるんじゃねえのか?」

 ディルは、自然に浮かんだ疑問を口にした。

「そこは色々とあるみたいだね。この情報元は、正確な情報をこちらに流すかわりに、自分にとって不利な行動、不利な言動は一切しないらしいからな」

 クローディアはそう言って、少し呆れたような冷ややかな表情を見せる。

「なるほどな」 

 ディルは納得した。

 世間話程度に情報は流すが、万が一自分に何か返ってきた時、不利な要素となりえるような発言は避ける。その神官とプレシャスは信頼しあう協力者というわけではなく、互いに相手を利用しているような関係なのかもしれない。 

「伝えるべきことは、これで全部だ。他に何か訊きたければ構わないが、私に答えられることはあまりないと思うよ」

 話を終えると、クローディアは正面のフィオリトゥーラへと視線を定める。

 フィオリトゥーラはそんな彼女をしっかりと見つめ返し、そして小さくうなずいた。

「私から質問はありません。望んでいた以上の貴重な情報でした。感謝いたします」

 それを聞いて、クローディアが微笑む。

「僕もないかな。それにしても本当に凄いんだね、プレシャスさんって。正直ここまでの情報が来るなんて思ってなかったよ」

 隣のガルディアが、姿勢を楽にしながら言った。

 フィオリトゥーラも同様の感想を抱いていた。プレシャスの力を借りずに、どのようにすればこれだけの情報を得られただろうかと考えれば、それは途方もないものに感じてしまう。

「ディルは?」

 ガルディアが問うと、ディルはまた無言で何か考えこむような様子を見せていた。

「ああ、十分だ」

 返事をしながらも、ディルは今聞いた話の表面的な部分に思考を巡らせる。

 明確な情報ではあったが、保管場所も出発点も不明。門外以降の情報はない。つまりは、「第三産業路」のどこかで奪回しろということだ。

 情報と見解は伝えても、助言に類する話をしないところがプレシャスらしいなと思った。ある意味でドライだが、それが気持ちよくもある。

「よし。明日だな」

 ディルは自分に言い聞かせるように言った。これだけの情報を得られたならば、時間は十分にあるといえる。細かいことは、あとで考え決めればいい。

 そんな彼の一言で、なんとなく室内の空気が緩むと、その間を見計らったように食堂からリディアが姿を現した。

 彼女はトレーに載せて運んだ四人分のティーカップを、それぞれテーブル上に配ると、一度食堂に戻り、今度はティーポットを持ってくる。

 大小のポットが重なる二段式の特徴的な金属製ポットは、聖地ではよく見られるタイプの物だ。湯を沸かす過程で上段のポットの中で茶葉が蒸される構造になっている。また、茶をカップに注いだ後も、下段に残った湯で濃さを調整することができる。

 それぞれのカップに紅茶を注ぐと、リディアは最後に砂糖の入った容器を添えた。

「砂糖はお好みでどうぞ。濃いめに淹れてありますので、お口に合わなければ調整します。遠慮なく言ってくださいね」

 可愛らしくお辞儀するリディアに、それぞれ感謝の言葉を返すと、四人は思い思いに紅茶を口にする。

「そういえば、クローディアさんは 本日どのようにしてこちらにいらしたのですか?」

 ふと思いいたり、フィオリトゥーラが訊ねた。

「ん? ああ、レディシスの馬車だよ」

「それでは、レディシスさんは……?」

「ああ。外で待たせてる」

 当然のように答えるクローディアにフィオリトゥーラは困惑し、慌てて門のある方へと顔を向ける。 

「私が参りましょう。中にご案内いたします」

 リディアと入れ替わるようにして、いつの間にか食堂入口そばに控えていたスラクストンが、フィオリトゥーラの意図を察して動きだす。

 だが、すっと手を伸ばし、クローディアがそれを制した。

「いいんだ。本来、そういうことを遠慮するような奴じゃない。自分から言いだして外で待ってる以上、奴なりに考えがあるんだろう」

「承知しました」

 フィオリトゥーラが答えると、スラクストンは小さくうなずき、元々立っていた場所へと戻った。

「それでも、フィオリトゥーラの顔だけは見たがっていたけどね。ただ、『ここは堪えて次の喜びの糧とする』とか意味不明に自己完結していたから、まあ問題ないだろう」

 そんなことを淡々と話すクローディアと、そう言って外で待っているレディシス。そんな二人がなんだか可笑しくて、フィオリトゥーラは思わず顔をほころばせる。

「不思議な方ですね。光栄です、とお伝えください」

 そんな二人の様子を眺めながら、ディルはカップに残った紅茶を一息に口に入れた。

 レディシスの考えはわからないが、自分の側からしてもレディシスの行動はありがたかった。目の前のことに集中しようと決めていても、レディシスがこの場に現れれば、他愛もない世間話程度で会話を終わらせる自信がない。



「まあ、せっかくだから少しゆっくりさせてもらうよ」

 クローディアはそう言ってカップをテーブルに置くと、ソファに背を預け、フィオリトゥーラが部屋に現れた時そうしていたように、再びゆったりとした姿勢に戻った。

 そんな彼女の様子を見た後、ディルの視線は、部屋の入口脇にあるスタンドへと吸い寄せられるように移動していく。

 多目的な木製スタンドは、上着や携帯していた武器の類など、一時的に物を置く用途で普段から使われている物だが、そこに今は、クローディアのレイピアがベルトごと吊り下げられてあった。

「剣は直ったのかよ?」

 唐突にディルが訊ねた。

 彼の視線が自身のレイピアに向けられていることに気づくと、クローディアもそちらを向き、「ああ」と答える。

「ブレイド(剣身)を丸ごと交換した。グリップ(握り)は無事だったからそのまま使っている。おかげで使い心地はほとんど変わっていない」

「よかったら、ちょっと見せてもらってもいいか?」

「……?」

 ディルが立ち上がると、そんな彼の申し出を不思議に思ったクローディアは、向かいに座るフィオリトゥーラとガルディアへと目でそれを訴えた。

 すでに武器を手放している時点で警戒していないことは明白なのだが、それでも、特に理由もなく他人の剣を見たがるディルの行動は、やはり不審に映るのだろう。

「その……、ディルは、剣や武具そのものに興味があるようでして……」

 フィオリトゥーラが慌てて弁明する。彼女自身、初日に同様の経験をしているだけに、ついそんな言葉が口に出た。

「ディルはマニアだからね」

 ガルディアが続けた。

 クローディアは笑みこそ浮かべないものの、少し楽しそうにディルを眺める。

「なんだ、レディシスと同じ輩か。いいよ、構わない」

「否定はしねえよ」

 ディルはスタンドに歩み寄ると、その鞘を手に取った。

「あーあ。目の前のことに集中するんじゃなかったの?」

 ガルディアが呆れ顔で言うが、ディルは彼の方を見向きもしない。

「こんなのは日常茶飯事だろうが。抜いていいか?」

「ああ、構わない」

 クローディアが答えると、ディルは慣れた手つきで、だが、その所有者が決して不安に感じないような丁寧な動作で、鞘から剣を抜いた。

 全長が一メートル弱ほどのレイピアは、想像していたよりも手にずっしりと来る。

 通常の剣よりはだいぶ軽いとはいえ、さらに細身のエペなどならともかく、これをあの速さで扱っていたのかと思うと、あらためてクローディアの剣捌きに感心してしまう。

 レイピアの剣先を上に向けると、ディルはその剣身に顔を近づけて凝視する。

 見覚えのある、鈍くそれでいて透き通った印象の光沢。ブレイドが換装されているのでほぼ新調された剣といえるが、前に見た時とその印象は変わらなかった。

 剣身のガード(鍔)に近い位置を見れば、そこに刻印がある。聖地で用いられる剣の大抵は、ブランド力を誇示するため、わかりやすい場所に製作者の銘などが記されているものだ。

「プロビデンスか」

 その名を読みあげながら、ディルはやはりなと思う。見覚えのある雰囲気だとは感じていた。

「こいつは、〝グレード1〟ってところか?」

「わかるのか? 流石に詳しいんだな」

 反応は薄いものの、クローディアが驚いてみせる。

「凄いね。〝グレード1〟って、あんまり出まわってないし、結構するよね」

 ガルディアが感心したように言う。以前にカルダ=エルギムの名を聞いた時とは違い、知っているのが当然といった口振りだった。

「有名な物なのですか?」

 一人事情がわからないフィオリトゥーラが訊ねる。

 そのブランド名は、聖地に限定される程度ではなく、誰もが知るほどの知名度を誇るものなのだが、彼女にとってはやはり初めて耳にする名だった。

 だが、すでに彼女が剣を手にした奇妙な経緯を聞いているディルは、それも当然かと納得する。

「ああ。〝プロビデンス〟ってのは、帝国系の大規模な工房の名前だ。直剣が主体のブランドで、バランス重視で信頼性ある作りが幅広く支持されてる。歴史もあるし、昔から聖地中に溢れ返ってるぜ。ただまあ、〝グレード1〟なんかはそんなにお目にかかれないけどな」

「だよね。プロビデンス中心に扱ってる店だって、高いところに一本か二本飾ってあるだけだからね。普通のワンハンド(長剣)でも金貨二十枚以上はするんじゃないかなあ」

 ディルの説明にガルディアが付け加えた。

「プロビデンスは普通にいいぜ。俺も以前に〝グレード2〟なら使ったことがあるが、それでも悪くなかったからな」

 帝国に本拠を構えるプロビデンスは、自身の工房が製作した剣を、その品質に応じてグレード「1」から「3」と設定しており、その中で「グレード1」は最も高品質かつ高級な物として扱われている。ただ、実際にはその規格から外れた物も存在しているのだが。

「優れた剣だとは聞かされていたが、そのとおりの物なんだな」

 二人の話を聞いてクローディアは、ディルが手にする自身の剣をあらためて眺めた。

「なんだよ。まさか知らないで使ってたのかよ」

「プレシャスから渡された物だからな。どういった剣なのかも、あいつが説明するから知っているだけで、私はただそれを使っているだけだ」

「マジか。〝グレード1〟が支給品かよ。折れた前のだってそうだったんだろ?」

「ああ。まあ、私からすればどれも大して変わりはないさ」

 クローディアは平然と言う。

「そんなことはねえよ。そこらの安物を使ったら違いに驚くぜ」

 羨ましい話だなと思いつつ、ディルは最後にもう一度レイピアを眺めた後、それをスタンドにかけられたままの鞘へとゆっくりと戻した。

「まあでも、流石のプレシャスでも〝エンゲージ〟なんてことはないんだな。ちょっと安心するぜ」

 ディルは皆に背を向けたまま、独り言のように呟く。ところが、それに反応した言葉がすぐに返ってきた。

「エンゲージ? よく知っているな。それも戻ればあるぞ」

 思いがけないクローディアの一言に、ディルは思わず動きを止める。

「はああッ?」

 ディルが勢いよく振り向いた。クローディアを見るその目が、驚きに見開かれている。

 クローディアの向かいでは、軽く仰け反るようにしてガルディアも同様に目を丸くしていた。

「いやいやいや! ごめん、それ僕でも知ってるし。プロビデンスの〝エンゲージ〟っていったら、噂に聞く本国製作のフルオーダー品だよね? 筆頭工が素材から厳選して何か月、ともすれば年単位かけて仕上げるっていう……」

「五年ぐらい前か。私が剣を覚えて一年経った頃に、プレシャスが記念だと言って用意してくれた。あいつが『大事に扱ってほしい』とわざわざ念を押してきたからな。今のところ、実戦では使わずに保管してある」

 クローディアの話を聞きながら、ぽかんと立ち尽くすディルだったが、激しく動揺する自分を見て反対に呆気にとられているクローディアとフィオリトゥーラの視線に気がつくと、途端にその口から大きなため息が漏れだす。

 こいつら、価値観と常識がどうかしてやがる……。

 ディルは自分が座っていた椅子まで足早に戻ると、勢いよくそこに座り、そして銀色の髪をぐしゃぐしゃと掻きむしった。

 プロビデンスのことをフィオリトゥーラに説明した際にはまだ寛容さを保っていたディルだが、物の考え方や価値観などはそれぞれだと頭で理解していても、この聖地で剣を手にする者がそんなことも知らないということには、やはり困惑してしまう。

「あるところにはあるんだねえ」

 感心するガルディアの声を聞きながら、ディルは自身の感情を意識して鎮める。

 不愉快なわけではない。混乱しているだけだ。

「剣位五位のフレイザーが使うバスタード(両用剣)と、Aランクネクスト(上位)のレルットのツーハンド。あとは去年の末に皇帝が直々に大教会に献上したっていうワンハンド。エンゲージなんて、それぐらいしか話に聞いたことはねえよ」

 ディルは、なかば反射的に語りながらも、カルダ=エルギムとエンゲージの所有者がこの場にいるという事実、いや、そんな二人の前に自分が居合わせているという事実をあらためて奇妙に思う。

 彼はあえて話題にしなかったが、そんなプロビデンスの真の最高級グレード「エンゲージ」と比べてさえ、カルダ=エルギムの剣は、おそらく単純な市場価値ならば軽く倍以上はするかもしれない。もっとも、その性能についていえば、どちらが優れているかなど到底定かではないが。

 ディルは大袈裟に再びため息をついてみせるが、そんな風にしながらも、気がつけば妙に嬉しそうな様子を隠せずにいた。

「クローディア。機会があったら、そいつも見せてくれよ。まあ、今回の件が終わったらだけどな」

「ああ、いいよ。約束する」

 控えめだが、クローディアもまた笑顔でそう答えた。

「おかわりはいかがですか?」

 不意に食堂からリディアが顔を覗かせる。スラクストンが指示しているのか、なかなかに間がいい。

「ああ、頼む」

「僕も」

 ディルとガルディアのカップに再び紅茶が注がれる。

 リディアが退出すると、ガルディアが興味深そうに正面のクローディアを見つめていた。

「ねえ。ちょっと訊きたいんだけどさあ、クローディアさんって、プレシャスさんとどのぐらいの付き合いになるの? 結構長そうだよね?」

 ディルはカップを持ちあげ、紅茶を飲みながら、クローディアの様子をうかがう。

 ガルディアらしい雑な質問の仕方だなと思ったが、二人の関係についてはディルも気になっていたので、それを知ることができそうなこの質問は興味深かった。

 クローディアは少し考えこむが、特に渋るでもなく答え始める。

「あいつと会ったのは。私が十五の時だから、もう六年だな」

「そんなになるんだ。やっぱり、賢者様の依頼とかで出会ったわけ?」

 ガルディアが冗談混じりに問うと、クローディアは笑う。

「はは。違うよ。あの頃のあいつは、まだそこまで積極的でもなかったからな。私は拾われたんだ。その頃の私は、市民権こそ持っていたが、色々と問題のある環境で生活していてね。ちょっと高いところからでも飛び降りて楽になろうか、なんてことを考えて丁度いい場所を探していたら、なぜかあいつに出会った。まあ、どうでもいい話だ」

 気軽な口調で語られたが、彼女自身が言うような「どうでもいい話」とは到底思えなかった。

 ただ、そうやって話を区切られたこと、そして予想以上に踏みこんでしまった感があり、流石のガルディアもさらに掘り下げた質問をしようとはしなかった。

「つーか、六年って、プレシャスは一体何歳なんだよ?」

 代わりにディルが、少し切り口を変えつつ、それでも自身が知りたかったことを訊ねた。

「さあな、私も知らない。訊いたこともないしな。ただ、あいつの見た目は、六年前に会った時とほとんど変わってないよ。思えば不思議な奴だな」

 クローディアが平然と答える。自ら「不思議」と口にしながらも、大してそれを気にした風でもない。

 だが、ディルとしても、そこにそれほどの驚きはなかった。

 プレシャスの単純な見た目の特徴だけから考えれば、リディアと大差ない歳、それこそ十四、五ぐらいでもおかしくはないとも思えるのだが、実際に彼女を間近で見て、そして話をした印象からすると、正直どのぐらいの年齢かまるで想像ができなかったからだ。

 フィオリトゥーラも同様に感じていたのか、同じくあまり驚いた様子を見せてはいなかった。

「へーえ。じゃあ、もしかしたら全然年上かもしれないんだ? 聞いた話からすると、ちょっと信じられないね。ほんと、プレシャスさんって、謎だらけな人だね」

 むしろ、実際にプレシャスを見ていないガルディアが一番反応していた。

「質問してばっかで悪いな。そっちは、何かないのかよ? 大して何もねえが、訊かれれば大抵のことは答えるぜ」

 ディルがそうやってクローディアに話を振ると、彼女は三人を順に眺めだす。

 ディル、ガルディアと来て、続いてフィオリトゥーラを見た時、そこでしばらく視線を留めたが、彼女は一度目を閉じると、それから小さく首を横に振った。

「三人は皆、剣闘士なのか?」

 誰にともなくクローディアが訊ねた。

「ああ。こいつはまだデビューしたての新人だけどな」

 ディルが代表して答え、くいと顎を上げてフィオリトゥーラを指し示す。

「はい。三日前に初めてこちらでの試合に臨みました」

 クローディアはプレシャスが語った「さる御方」の話を聞いているので、彼女が聖地に来て間もないことを知っているはずだが、それでも少し驚いたように軽く目を見開かせた。

「初めてってことは、〝D〟だよね? フィオリトゥーラが相手なんて、対戦した奴はかわいそうだね」

 そう言って、彼女は楽しそうに笑う。

 フィオリトゥーラは少し困ったように笑みを返すが、そんな彼女をよそにガルディアが答えた。

「実際、派手な初陣を飾っちゃったからね。僕らもびっくりしたよ」

「まあな」

 ディルも同意する。確かに派手な初陣だった。

 そんな二人を前に、再びクローディアが訊ねる。

「剣闘士は楽しいか?」

 唐突な質問だった。

 自然と口に出たという感じで、皮肉という風でもなく、かといって特別強い興味がある風でもない。そしてそれは、フィオリトゥーラにではなく、明らかにディルとガルディア、二人に向けられたものだった。

「俺は楽しくやってる。気楽にそんなこと言っちまうと、怒る奴もいそうだけどな」

 ディルが答えた。その時、不意に鐘の音が鳴り響く。

 終刻――。「日没の刻」とも呼ばれる。

 陽が沈み薄明も消えゆく頃、聖地の一日の中で教会が最後に鳴らす鐘の音だ。それまでの時刻を報せる鐘同様に、その音は連なり、やがて順にその余韻も消えていく。

 クローディアが、すっと立ち上がった。

「そろそろ戻る。プレシャスからの連絡を伝えるだけのつもりだったんだが、ここも悪くない。楽しかったよ」

 口元に笑みを残したまま彼女が歩きだすと、スラクストンが自然な動作だが手早く、スタンドにかけられていたレイピアを外して、それをうやうやしく彼女へと差しだす。

 小さく会釈を返し剣を受けとった彼女は、足早に玄関ホールへと出ていった。

 三人が並び、玄関扉を開けたスラクストンが脇に控えるホールで、クローディアはふと足を止め、振り返る。

「本当は私も手伝ってやれればいいんだろうけど。ただ、プレシャスは基本的に傍観者なんだ。直接介入はしない。そして、私はあいつの〝剣〟だからね」

 そう告げて、再び歩きだそうとするクローディアに、フィオリトゥーラが声をかける。

「お気持ちだけで十分です。クローディアさん、本当にありがとうございました。プレシャスさん、レディシスさんにもよろしくお伝えください」

 深く礼をするフィオリトゥーラをちらりと眺めた後、彼女はすっと右手を小さく上げ、玄関扉を通り抜けていく。

「ここでいいよ。じゃあね」

 そして彼女は、外の夜闇の中、屋敷の門前に佇むさらに黒い馬車のもとへと向かい、その姿を消していった。


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