4-4 困惑、襲う不安
「近しい者たちは、私が聖地へ旅立つための条件として、彼らの前で実際に剣を振るってみせることを私に求めました。初めて握った木製ではない本物の剣でしたが、私は兄が剣を操る姿を思い浮かべ、そして彼らの求めどおりに振るうことができたようです」
簡単に信じられるような話ではなかった。
彼女はある日、剣士である彼女の兄に言われるまま、木製の剣を渡され、特別何かを教わることもなく、ただそれを振るって約一年ほどの間、彼の練習相手を務めたのだという。
そして、その兄が病気によりこの世を去った後、彼女はこの聖地を目指す決意をした。
「以上です。そうして私は、このアルスタルトに到着し、先日初めての闘いに臨みました。ですから、プレシャスさんが言われたことは、まさに事実そのものなのです」
フィオリトゥーラが話を終えると、ディルの視線はなんとなしに宙をさまよい始める。
自分でそうと気づかずに、彼は眉間にしわを寄せ難しい表情をしていた。
思考が混乱する。
一年も剣を振れば、その相手の力量次第かもしれないが、闘いにおける動きを覚えたのも納得できないことではないと思えた。手にしていた剣が、例え木製の剣だったとしても……。
いや、そんなことで闘えるようになるのか?
だが、様々な形状の武器を扱ったり、両手剣を使う相手の動きを見たり対応したりしてきたのだ。それは相応の経験や技術となるだろう。
様々な武器……?
いくら木製とはいえ、武器の種類によってはそれなりの重量もあるだろう。そもそもそんな物を初めて持たされて振ることができるのか? しかも扱い方を教わるでもなく。
またそれらを仮に振れたとしても、だからといってそれで本物の剣を持たされて、やはりいきなり振れるものだろうか……?
ディルの視線が自然と移動し、フィオリトゥーラの姿を眺め始める。
そもそもこんな華奢な細い腕で、それは可能なのか? いや、その疑問は俺自身が否定しただろ。
――剣を振るうにも色々コツはあるし、分不相応な武器を使いこなす剣闘士だっていないわけじゃない、だって?
今にして思えば、思慮の浅い適当な言葉だった。
ディルは軽く歯ぎしりする。
なんとかこのぐちゃぐちゃに絡まった糸のようものを解けないかと、彼女が語った言葉どおりのことを様々な角度で思い浮かべ思索してみるが、まるで整合性がとれるような気がしなかった。
ただ、彼女はディルの目の前でラモンを撃破し、そしてクローディアをも見事に退けた。納得がいこうがいくまいが、それが事実であり、実際に生みだされた結果なのだ。
「……ディル」
なかば無駄であろうと理解しつつも、彼女の話と彼女の剣術をきちんと結びつけようと、ディルは思考を続ける。
「ディル!」
ガルディアの声で我に返り、ディルは顔を上げた。
「なに一人の世界に入っちゃってんの?」
「ああ。悪い……」
ディルは自戒するように、自らの額をコンコンと拳で叩く。
「フィオさん、貴重な話をありがとう。一緒に行動する上での参考にさせてもらうね」
「いえ」
フィオリトゥーラは不思議そうに二人を見ているが、その表情にはわずかに不安の色が混じっていた。
ディルの反応を見て、彼女なりに察しているのだろう。自身の剣のルーツが、また何かしらの常識から激しく逸脱しているのではないかと。
ガルディアはフィオリトゥーラへと笑顔を向けながらも、横目でちらりとディルの様子をうかがう。
「あ、そういえば、フィオさん。さっき見てきたんだけど、七号室の工事もう終わるかもしれないから、そろそろ立ち会いに行った方がいいかも」
「そうなのですね。お知らせいただき、ありがとうございます。それでは、とりあえず失礼させていただきます」
フィオリトゥーラは軽く会釈をすると振り向き、それからテラスを抜けて屋敷の中へと戻っていった。
そんな彼女の姿を見送った後、ディルは無言のまま、隣に並ぶガルディアの服の襟をぐいと掴むと、そのまま引っ張って歩きだそうとする。
「いやいやいや。僕も今のについては話したいことあるから」
ガルディアはディルの手を払いのけると、そのままディルを追い越して先に裏庭から出ていく。何も言わず、ディルもそれに続いた。
厨房側から移動し、応接室に戻ると、ディルはいつものように壁に近い方のソファに腰を下ろす。
ガルディアは二階の様子を軽くうかがった後、応接室の扉を閉めて、それからディルの向かいへと座った。
「おまえ、本当にあんなんで参考になったのかよ?」
「なるでしょ。フィオさんが嘘をつくとは思えないし、少なくとも、常識的な考えじゃあの人の能力は量れないんだなってのは理解できたよ。この先、僕たち三人が剣を奪い返すために共に行動するってなった時、フィオさんに関しては、なんでもできるかもしれないし、なんにもできないかもしれない。そういう風に幅を持って考えておいた方がいいんだなとは思ったよ」
「ポジティブで羨ましいな」
「難しく考えてもしょうがないじゃん。まさか興味本位だけで訊いたわけじゃないだろうし、ディルだって闘う時の参考とかにしたかったわけでしょ? そういう意味じゃ、十分参考にはなったよ」
「まあ……な」
「わかるけどさ。不確定要素を減らしたいディルとしては、あんな不確定そのものみたいな人と組んで闘うのは不安だろうけど」
ガルディアが笑う。
ディルはそんなガルディアを睨むが、その視線は、普段と比べると険がなく迫力も感じられない。
「ラモン戦の後、俺はおまえが言った〝修羅〟を否定したけど、実際どうなんだろうな……」
「えー。ディルがそんなこと言っちゃうんだ。なかなかに重症だね」
「茶化すなよ。俺の常識なんてものも、所詮は聖地の中だけで、しかも俺の周囲のBランク程度までの話なんだってのは十分承知してんだ。ただ、おまえはどうなんだ? 似たような話でも聞いたことはあるのかよ?」
ディルは真剣な眼差しを向ける。
「ないよ。ただ、僕から持ちだしておいてなんだけど、〝修羅〟なんてのはただの言葉に過ぎないでしょ? 修羅を背負うような経験をした人が、ある日突然、額に紋章が浮かんだとか、翼が生えてきたとか、そういうわけじゃないじゃん。結局、見る側が決めてるだけで、まあだからこそ、仮にそれが本当にあったとしても、ディルが言ってたみたいに結果論でしか語れないんだと思うけどね」
正論だった。ディルは上手く言葉が見つからず、髪を掻きむしる。自身でさえ、なぜそうまで明確な答えを求めてしまうのかが理解できずにいた。
そんなディルの様子を眺めるガルディアは、ディルが何に対して執着しているのかが、なんとなくわかるような気がした。
「ディルはさあ、どこまでのつもりかわからないけど、たぶん本気で〝上〟を目指してるんだね」
「はあ? なんだよ急に」
楽しそうに言うガルディアの唐突な言葉に、ディルは思わず呆れ顔で返す。
「勝手な想像で悪いけど、そういうことだと思うよ。ディルは怖いんじゃないかな。自分が理解できないものが、聖地の剣闘士の世界に入ってくるのが。いや、すでに存在しているかもしれないことが、かな。だって、この聖地で闘って勝ち続けるのなら、どんな理解不能な相手でも撃破していかなきゃならないでしょ? でも、理解できなきゃ準備も対策も難しい」
ディルは聞きながら、次第にその目を細めていく。
「理解不能なものをまとめて全部〝修羅〟って箱に詰めこんで、それで修羅が定義づけられて理解できるものになれば、一括して対策できるかもしれないもんね。あー、怒らないでよ。もう一回言うけど、僕の勝手な想像だからね」
ガルディアらしいといえばらしかった。彼は常に人を観察し、時に急激に踏みこんでくることがある。
相変わらず、口調に似合わずどこか攻撃的な物の言い方をするなと思いつつ、しかしディルは反論できずにいた。
今わからない自らの内のことがすぐに理解できるはずもないが、ガルディアの想像に対して、否定できる部分もないように思えたからだ。
「ディルも昨日言ってたけどさあ、今は集中できることに集中しようよ。フィオさんについては、勝手に色々と想像するより、フィオさん自身を見て理解していくしかないと思うよ」
そこまでは正直苛立ちもあったが、最後の一言は妙に納得できた。
「そうだな」
ディルは答えると、大きく息を吐きだす。
それから彼は、自身の両膝に手を置くと、勢いよくソファから立ち上がった。
「よし。荷物を戻す手伝いでもしてやるか」
そんなディルを見てガルディアはにこりと笑い、やはり同様に立ち上がる。
二人はそれぞれ応接室から出ようと歩きだすが、先を行くディルが、扉に手をかけたところで、ふと動きを止めた。
「ついでだから話しておくか」
ガルディアは、不思議そうに首をかしげた。
「ラモン戦の直後、フィオの様子が変だったのって覚えてるか?」
「あ、うん。まあ明らかに変だったしね」
ガルディアは答えながら、まだ記憶に新しいその時のフィオリトゥーラの姿を、あらためて頭の中に思い浮かべてみる。
神官から勝利宣告を受けた直後の、彼女の放心したような虚ろな表情。そしてその後に見せた、ひどく疲弊したような様子――。
「そうだ。あの時、ディル、何か言いかけてたよね。それ?」
「ああ。ほぼ確信できたから話すが、あれはやっぱり、初めて人を斬ったことでの反応だったんだろうな……」
「そっか。『初めての闘い』って言ってたもんね。でもさあ、だとするとなかなかの覚悟だよね……」
「だよな。あいつのあの躊躇のなさから、俺もあの時は確信が持てなかった」
「でも、よくわかったね?」
「俺にも似たような経験があったからな。周りから見てどんな風だったかなんて知らねえが、ここで初めて対戦相手を殺した時は、妙な感覚があったんだ。罪悪感とか怖さとかそういうのじゃなくて、なんだろうな……。わかりきったことをやったはずなのに、実感がないっていうか、その割に何か変な感触が残ってたりふわふわした感じもあったりして……。ただまあ、そんなのは正直忘れかけてたぐらいだったんだが、あの時、あいつの様子を見て急に思いだしちまったんだ。それで、なんとなくそんな気がしてな」
「ふうん。まあ、僕もディルたちとはちょっと違うだろうけど、確かに最初の時は色々と考えちゃったりしたなあ。それにしても初めて聞く話だね、それ」
ディルは言われて気がつき、わずかに顔をしかめる。反対にガルディアは笑顔を見せていた。
「今度、一緒に酒場にでも繰りだして、そんな話でもしちゃう?」
「しねえよ」
ディルが吐き捨てるように言った。
「つれないなあ」
睨みつけるディルを平然と見返し、ガルディアはわざとらしく口を尖らせてみせた。
「フィオリトゥーラ様、いかがでしょうか?」
スラクストンと作業を終えた二人の男が見守る中、フィオリトゥーラは何度か扉を開け閉めしたり、また鍵を施錠しては解除したりといったことを、数度繰り返す。
「間に鉄製の格子を挟んだ特製ですので、以前の物と比べると開閉にいくらか力を必要とはしますが、今回のような件に対してはそれなりに防護の役を果たすかと。扉材にも硬く良質なナラ材が使われております。急なことでしたが、二番区にあるタリル工房で運よく条件に見合う加工済みの品を見つけまして、早速こちらに用意させました」
スラクストンの説明を耳にしながら、フィオリトゥーラは最後に扉をゆっくりと閉めると、あらためてそれを眺めた。
それだけ頑丈に作られているというのに、無骨な印象は皆無だった。綺麗な木目が生かされた濃い色調の扉は、凝ったラスタート様式の装飾も品よく際立ち、そもそも他の部屋とは一線を画していたこの七号室の格を、さらに上へと引き上げていた。
スラクストンは「運よく」と口にしたが、これほどの物をすぐに発見できるということは、日頃から自らが管理する屋敷のことを考え、必要な情報などを得ているのだろう。
「ありがとう。見事なものです。使用に際しても問題はなさそうです」
向きなおしたフィオリトゥーラの微笑みを受けて、スラクストンは満足そうにうなずく。
その背後では、工房から派遣された二人の作業者が姿勢よく並び、やや上気した顔で彼女を見つめていた。
「お二人もご苦労でした。迅速な作業、感謝します」
「とんでもない!」
二人は同時に答えると、さらにその姿勢を正す。
元々が、高額な商品を即決購入した客相手ゆえに対応もそれなりになるというものだったが、ましてや部屋の主が彼女では、舞い上がってしまうのも当然といえた。
「フィオリトゥーラ様! ぜひ、機会があれば工房の方にもいらしてください!」
小男の方が元気な声で言った。続いて中背の男も何か言いかけるが、それをスラクストンが、あからさまな険しい視線で制した。
「それでは後金の支払いをするので、一階の方へ。フィオリトゥーラ様、申し訳ありませんがしばらくお待ちください」
スラクストンはそう言うと、フィオリトゥーラに一礼して、それからつかつかと階段へと向かう。
二人の男は名残惜しそうにフィオリトゥーラの姿を視界に入れながらも、彼のあとに続き、それから三人は階段を下りていった。
階下のホールでやりとりするスラクストンたちの声を耳にしながら、フィオリトゥーラは七号室の扉の前で佇んでいる。
すると、階段の方から足音が聞こえてきた。
視線を向ければ、階段を上ってくるディルの姿があった。少し遅れてガルディアもそれに続いている。
「終わったみたいだな」
「はい」
フィオリトゥーラが答えると、現れたディルは七号室の扉を一瞥した後、階下のスラクストンたちを見下ろす。
「これは、かなり頑丈そうだね」
ガルディアが、扉をコンコンと拳で軽く叩いた。
「それに、なんかさらに豪華になったよね。あらためてフィオさんの格に合わせたって感じかな」
「いえ、そのようなことは……」
振り向き笑顔で言うガルディアに、フィオリトゥーラが恐縮した様子を見せる。
「荷物を戻すんだろ? 手伝うぜ」
ディルは新しい扉にはさほど興味がないらしく、早速といった風に六号室の入口へと歩きだす。
「スラクストンさんを待たなくて大丈夫かな?」
「構わねえだろ。どうせやることは変わんねえよ」
「まあそうだよね。よし、やっちゃお」
フィオリトゥーラはちらりとスラクストンたちの様子をうかがうが、確かにディルの言うとおり、仮に何か事後処理などがあるにしても、この後に荷物を移動させなければならないことは間違いないだろう。
「ありがとうございます。それでは、お言葉に甘えさせていただきます。鍵を開けますのでお待ちを」
フィオリトゥーラは六号室の前へと移動すると、その扉の鍵を開けた。
六号室に入ると、三人は思い思いに手近な荷物を運びだす。元々がすぐに戻すことを想定して必要な物だけを持ちこんでいたので、七号室への荷物の移動はあっという間だった。
「すでにお済みのようですな」
スラクストンが戻ると、彼は空になった六号室を確認した後、すでに片付いたその様子と三人を見て特に不満げな様子を見せるでもなく、フィオリトゥーラから六号室の鍵を受けとった。
「何か不備や問題がありましたら、ただちに私の方まで申しつけください」
そう言い残すと彼は階段へ向かい、再び一階へと下りていく。
「二人はこれからどうするの?」
スラクストンの姿をしばらく目で追った後、ガルディアが訊ねた。
「そうだな。連絡が来るまでは何もできねえし、とりあえず適当でいいだろ」
「じゃあ、僕は装備のメンテの続きでもしてようかな。買ったはいいけど調整できてなくて使ってない籠手とかもあるんだよね。ちなみに、今外に出るのはまずいよね?」
「ああ。三人揃ってすぐに動ける態勢だけは維持しておこうぜ」
ガルディアに向けてディルが言うと、それを聞いたフィオリトゥーラもうなずく。確かに、連絡が来て早々に出なければならないということは十分にありえるだろう。
「それでは、私は運んでいただいた荷物を整理したいと思います」
「ま、気長に待とうぜ」
「そうだね。フィオさんもあまり気負い過ぎずにね」
そして、ディルはそのまま二階の廊下を行くと、自室である三号室へと戻り、ガルディアは再び一階の応接室へと消えていった。
残されたフィオリトゥーラは、二人の姿を見届けた後、七号室の扉を開けた。
部屋の中を見渡すと、まだ数日間の滞在で大して慣れたはずもないというに、不思議と自分の部屋に戻ってきたという実感があった。
フィオリトゥーラは、ベッドの前に並べられた木箱を眺める。
とりあえず、試合で使う装備品などから取りだそうかと足を踏みだした瞬間、目にした七号室の風景から当たり前の事実が再認識されて、思わず動きを止めてしまう。
そう……。あの剣は盗まれてしまったのだ……。
口の中に苦い物が残るような嫌な感覚があった。
自らの不用意さを悔いれば果てしないとわかっていても、その渦の中に巻きこまれてしまいそうになる。
フィオリトゥーラは目を閉じ、首を横に振った。
それから開けたままだった扉を閉めると、ベッドまで歩き、そこに腰かけた。
息苦しさを感じる。
様々な感情や、思考や、記憶。そんな全てが今閉じたばかりの扉の向こうに押し寄せて、形も色もよくわからないそれらが今にも溢れてきそうな錯覚を覚えた。
フィオリトゥーラは、再び目を閉じた。
自らの細い身体を抱えるようにして両の腕を強く掴むと、そのままベッドの上に上体を投げだし、倒れこむ。
強烈な不安が全身を襲った。盗まれた剣のことだけではない。その先にあるものやそれ以外も、何もかもが黒いものとなって次々に身体に染みこんでくる。
堪えなければ……。
ぐるぐると回る闇の中、フィオリトゥーラは自問自答する。
私は、それほど強くいられるだろうか……?
強い? 私が……? そもそも、私は強くはないでしょう。ああ……!
叫びだしたい衝動に駆られる。
それを抑えたというのに、音にならない超高音域の叫びのようなものが耳をつんざいた気がした。




