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千の剣の物語 ~ 約束の剣 ~  作者: 鈴木しゅら
第四章 約束の剣
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4-3 幸福な日々

 彼の名は、アルトゥラステリオ。

 私が愛した兄は、剣に憑りつかれていた。

 私自身そう感じていたし、周囲の大人たちも彼のことを密かにそう揶揄していた。

 いつからだったろう。気がつけば、嗜みや責務といった範疇を遥かに越えて、彼は当たり前のように、いつも剣を手にしていた。

 生まれつきの病のせいでハンデを負ったその身体は、日常においてはあまりその影響を感じさせないものの、長時間の激しい運動に耐えることはできないらしく、唐突に呼吸を乱しては、激しい動悸に胸を押さえ苦しむ……。そんな姿を、幾度か見かけることもあった。

 なのに、彼はその限られた中で、剣の高みを目指していた。

 師匠から技術と心得、その哲学を学び、研鑽し、時には自ら工夫し、新たな技や方法にも挑戦する。個人として使える生活時間の大半は剣に費やされ、実際に剣を振るう時以外でさえ、それは例外ではない。二十以上も歳が離れた友人と新たな剣の開発に取り組むべく工房にこもり、二人で夜を通して議論することも少なくはなかった。

 私はそんな兄に、許されるかぎりでよくついてまわった。

 剣の修練の場こそ流石に同行を許されなかったものの、それ以外では、どこに行くかも訊ねずにその姿を見つけては追いかけたこともあった。

 兄がそんな私にかける言葉、接する態度はいつも優しかったが、彼の興味が剣にしかないことは十分に承知している。

 それでも私は、彼のことを愛していた。

 愛情――。それは、なんという曖昧な感情なのだろうと思う。

 血の繋がりの絆ゆえなのか、それとも一人の男性として彼を見てしまっているのか、それともまた別の、例えば芸術品を愛でるような感覚であるのか。そんなことすら私自身にもわからなかった。

 ただ愛おしいと感じる。

 その姿をいつまでも眺めていたいと思い、また、可能なかぎり、彼と同じ場所に存在し、同じ時を過ごしたいと願った。

 そのようなことがあろうはずもないが、仮に彼が、私に異性としての愛情を求めてきたならば、私はそれをたやすく受け入れてしまうだろう。

 そのぐらい、この方向の定まらない愛情の、その強さだけははっきりと自覚できた。

 そしてまた、私は兄を羨ましいとも思っていた。

 何かの拍子でふと、私は何かの抜け殻なのではないかと、考えてしまうことがある。

 日々の生活では、幸福と周囲からの愛情を感じ、偽りではなく心から微笑み、好きな人もいて、好きな物もある。服を選んで着たり、拙いながらもデザインして作らせることも楽しい。

 だけど、何かが足りない。

 自らの内に、ぽっかりと何もない空間がある……。そう感じてしまうのだ。

 幼い頃の私は、もっと何か別の物に満たされていたのだと思う。そしてその何かは、いつの間にか私の中から消え去っていた。だから、私は抜け殻なのだ。

 兄は私と違い、「剣」というもので、自らの内にある空虚な器を完全に満たしているように思えた。

 愛情と羨望。私は、その二つの強い感情を彼に対し抱いていた。

 そんな私に対して、兄が気まぐれを起こした――。



 もしかしたら、剣の修練の時でさえ近くにいようとする私を煩わしく感じ、なんとか遠ざけたいと思うゆえだったのかもしれない。

 あるいは、どんな物事からも自らの剣に取り入れようとするその貪欲さから、私のような者からでも何かを得られるかと試みたのか。

 ある日、特別に拵えさせたという木製の剣を渡された。

 兄の剣の半分ほどの長さしかないそれは、軽く作られているとのことで、私の力でも持つことができた。

 彼は、私に要求した。その木剣を振るって、自分に当ててみせてくれ、と。

 もちろん、剣を手にしたことなど、これまでに一度もないというのに。

「そうだな。一回だけだ。何をしてもいい。どれだけ考えても構わない。一回で必ず当てようと、全力を尽くしてみてくれ」

 私は恐怖した。

 この要求を実行できなかった時、兄から永久に遠ざけられてしまうのではないだろうかと。

 なぜか大した考えもなく、反射的にそんな不安が私を支配したのだ。

 そこからのことは覚えていない。

 気がつけば、私が手にしていたはずの木剣は、兄の剣に弾かれたのか、地面の上に転がっていた。

 手に残る痺れと、絶望……。

 叶わなかった。

 だがなぜか、うつむき青褪めていただろう私を見て兄は、明日から時間を作ってほしいと申し出てきた。

 顔を上げ見た彼のその顔は、驚きと喜び、そして興奮に満ちていた。

 翌日から私は、剣の修練を終えた兄の遊び相手となった。

 剣を振るうことは遊びなのだろうかと疑問に思うが、彼自身が「遊び」と言うのだから、それで間違いないはずだ。

 毎日、違う形、大きさの木剣が手渡されると、私はそれを自由に振るった。

 最初の物よりもさらに短い物が渡されたかと思えば、次の日には細く長くなり、時には巨大な針のような形状。また、形が異なる二本の木剣を左右それぞれの手に持たされることもあった。

 兄からの指示は特にない。

 兄はただ、私に与えた木剣のどこが本来の刃に当たる場所なのかなどを事前に説明するのみで、あとは、私が振るう木剣を躱し、時には自らの剣でそれを受ける。

 正直、何かの役に立っているとは思いがたかった。だが、兄はそれで満足なようで、ならば、それでいい。兄と何かを共有できる時間がある。こんなに嬉しいことはなかった。

 次第にその回数が経過するにつれ、渡される木製の剣の中には、重く大きい物が用意されることも増えてきた。

 兄が持つ剣と変わらぬ、両手で扱う形状の物や、私の背丈の倍はあろうかという棒の先端に何かが取りつけられた物など。

 それらを手にする度、こんな物を振れるはずがないと、私は絶望した。

 剣を振ることができなければ、きっと失望され、そしてもうこの時間を共に過ごすことはかなわなくなるのだろう。

 だけど、そうなることはなかった。

 私は、振ることができた――。

 どんな形状、重さ、長さの木剣を渡されても、それを扱い、兄の遊び相手を務めることができたのだ。

 兄はやがて、自らの持つ剣を、それとなく私に向けて振るうようにもなった。

 最初は軽く動かす程度だったが、次第にそれは速くなり、そして私に当たる寸前で止められるようになったりした。

 初めての時こそ少し怖くもあったが、慣れと、そして彼への絶対的な信頼感が、あっという間に私の感覚を麻痺させた。

 それは、幸福な繰り返しの日々だった。

 周囲の者たちにはなるべく悟られぬよう、毎日決められた時間、兄の遊び相手として木剣を振るう……。

 昨日と同じ今日があり、今日と同じ明日がある。

 兄と剣で遊ぶ日々が当たり前となった頃、私はふと、自分が今満たされているのではないかと感じた。

 彼は、空虚な器を抱えていた私に気づいていたのだろうか……?

 気まぐれなどではなく、私に何かを与えようとしてくれたのだろうか……?


 今となっては、それももうわからない……。


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