#47 秋霜(4)
観客席の一部だけが慌しく動いていた。
小春は素早く優妃子の顔に頬を近づけ息を確かめる。
良介を呼びつけると一階のロビーに優妃子を運び出すように命じた。
床に膝掛けを引き、その上に優妃子を静かに仰向けにした。
亜季は優妃子の手を握り必死で呼びかけた。
(ユキちゃん、ユキちゃん・・・)
小春は優妃子の胸部を組んだ手で何度も押した。
水泳部員の面々は周りを取り囲んで祈る他は為す術はない。
里美は会場の職員に救急車を要請し、小春の指示で事務所に行った良介は除細動器を抱えて来た。
か細いチャージ音が動揺する人々の耳に刺さった。
亜季が優妃子の胸元をはだけさせると小春はパッドをあてた。
ドン!
流れる電流に優妃子の身体が波打つ。
小春は胸に耳をあて心音が戻らなかった事を確かめるとまた自ら心臓マッサージを始めた。
「だめよ!安住さん!戻って来て!」
(諦めない・・)
小春の脳裏に父の言葉が過ぎった。
(医者は神様じゃないから死んだ人を生き返らす事は出来ないけど、最後の一分、一秒まで諦めたらいけないんだよ。患者が老人でも子供でも、例え悪人であっても・・・)
チャージを終えた徐細動器のパッドを再び胸にあてる。
ドン!
未だ息を取り戻さない。
「安住さん!あんた卑怯よ!なんで今なのよ!」
小春は心臓マッサージを繰り返しながら涙を流していた。
「私と、亜季と、あんたと・・・もっと、もっと・・・柴田君を困らせてあげるんだから・・・そうなったら、楽しいじゃない!」
(小春さん、ありがとう・・・。でも、もういいの)
「だめよ!あんた生きたいんでしょ!分かるもの、私、分かるもの!」
その時場内から大きな歓声がロビーに流れ込んできた。
50mの折り返しまで最後尾につけていた尚也が一気に追い込みをかけて次々と他の選手を追い抜いて行った。100mの折り返しの時には二位についていたが少しづつ後退して行った。
(だって私の身体はもう、いうこときかないんだもの。だからもう・・・小春さんとはもう少し仲良くなりたかったな・・・贅沢ね、私)
「何が贅沢よ!なんで諦めるのよ!だめよ、戻って来なさい、安住さん!」
尚也は最後の25mを折り返した。
身体が鉛のようになって気持ちとは裏腹に言うことを聞いてくれない。
自分の順位が今どの位置に居るのか分からないが頭の中が真っ白になりただゴールに一秒でも早く辿り着きたいと思った。
10m、5m、3、2、1・・・・
壁に手を付き真っ先に掲示板を見た。
四着。
尚也は呆然としながら観客席を振り仰ぐとそこはぽっかりと穴が開いたように椅子だけになっていた。
重い身体を引きずるようにプールから上がると奈津美が血相をかいて走り寄って来た。
「柴田さん、早く、病院に行って!早く!」
尚也は虚ろにもう一度観客席を見た後、イニシアルが刺繍してある手元のタオルを見詰めた。