#46 秋霜(3)
中学三年の夏休み。
優妃子は友人と受験に備え図書館にいた。
外は痛いほどの日差しと気が遠くなりそうな暑さなのに図書館の中はカーデガンと膝掛けがなければ凍えてしまいそうだ。
「優妃子って寒がりなの?」
一緒にいた友人が額の汗をハンカチで拭きながら声を潜ませた。
「なんだか、エアコンって、冷たいよね」
「優妃子ってさ、頭いいわりに天然だよね」
「なんで?」
「冷たいじゃなく、寒いでしょ。普通」
「ああ、そうね・・・」
違う。優妃子は友人の言葉を理解していたが心の中で否定していた。
冷たい。温もりのない、機械的な寒さ。
父親と同じ病気であると告げられてから時間が経てば経つほど色鮮やかに昔の事が思い出された。その殆どが尚也と過ごした二年間の出来事。
海辺で初めて出会ってから毎日一緒にいたような気がする。
クラスは別々だったけれど下校のときも休日も・・・。
「ねぇ優妃子、海いきたいよね~」
目の前に座っている友人が何気なく話しかけてきた。
「だけど、遠いし、無理だよね。せめてプールでもいいかぁ。明日行かない?」
「うん、でも・・・」
「あ、優妃子泳げないんだったけ。ははは・・。でもさ折角の夏休みだし勉強ばっかりじぁ気が滅入るよ。ね、行こう」
優妃子は瞳を曇らせながらも心の中では海に行きたいと叫んでいた。
尚也と過ごしたあの海に。
(オレ早生まれだから中学三年になればでられるよ。その時まで待てるか?)
(うん!)
今年、尚也はきっと町の遠泳大会に参加しているに違いない。
(私との約束は絶対守ってくれたもの。そして優勝して、私のこと待っているかも知れない)
そう思うと鼓動が早くなり、今すぐにでも電車に飛び乗りたいという衝動に駆られた。
観客席にいる生徒達は当然自分の学校の選手を応援していたが尚也だけは特別だった。
200m自由形の決勝に進出した選手達の中で尚也に向けられた声援が一番大きかった。
「絶対、あいつ疲れてるぜ」
良介が言う。
「だけど、頑張って欲しい」
奈津美はそう願いながら優妃子を見た。
顔の表情から心情を推し量ることは出来ない。しかし見開いたその瞳は確かに尚也の姿を追っていた。
(亜紀さん)
尚也は身体をほぐしながら集中力を高めていた。
(なに?)
亜季は心の中で優妃子に返事をした。
(本当にありがとう)
(何よ、あらたまって)
(私ね、あのとき、亜紀さんがお見舞いに来てくれたとき、本当はナオ君にお別れを言いたかったの)
(え?)
(小学校のとき黙ってナオ君の前から居なくなっちゃたから・・・。だから今度はちゃんとお別れしたかったの)
亜季は思わず優妃子の顔を見詰めた。
(でも、言えなかった、言うのが怖かった。だって、だって私・・・)
尚也は観客席の優妃子に合図を送るように頷いた後プールの中に入った。
(亜紀さんと折角お友達に慣れたのに。小春さんとももっとお話したかった。それに・・・)
歓声が場内を覆い尽くし、小春は早くも立ち上がって尚也の名を叫んだ。
(また黙って居なくなったら、ナオ君、怒るかな)
人形のような真っ白い頬に涙が伝う。
(そんなことないよ。柴田君、優しいもの)
(ナオ君、見かけによらず淋しがりやなの。亜紀さん、ナオ君のこと、お願いね)
スタートの合図が鳴り響いた。声援の波が会場内を駆け巡る。
優妃子の手から感じていた波動が徐徐に弱くなった。
「優妃子さん・・・、ユキちゃん!」
亜季は動揺して優妃子の肩を揺り動かした。
異変に気付いた奈津美と小春が慌てて優妃子を取り囲んだ。
「安住さん!」
しかし、優妃子の瞼はゆっくりと落ちていった。
(ナオ君、ありがとう・・・それから、ごめんね)
歓声の中でスタートを切った尚也に優妃子の声が聞こえた。




