番外編・朝陽
「朝陽」
ある日、朝陽の部屋に来客があった。それは朝陽の愛する兄、健と姉、陽菜だった。
二人は部屋に入るとベッドの空いている場所に腰掛けた。そのベッドでは、今朝陽が眠っている。
「熟睡、してるっポイねぇ」
「全然起きないな」
二人はそう言いながら朝陽の頬をプニプニと突く。だが、朝陽はそれでも起きる気配がなかった。
「すげ。まだ起きねぇや」
「タケ。弄りすぎはダメだからね」
「分かってるよ」
二人はそうやって会話をしながらもまだ朝陽の頬を突いている。
「んーっ」
そうしていると、朝陽の口から何とも言えない言葉が零れる。そして、ゆっくりと目を開いた。
「おはよう朝陽」
「よく眠れた?」
「お兄ちゃん!お姉ちゃん!」
目を覚ました朝陽は側に健と陽菜がいることに気付き、嬉しそうに微笑んだ。
それからゆっくりと体を起こす。
「起きても大丈夫なのか?」
「大丈夫だよ、熱があるわけでもないんだから」
起き上がる朝陽を心配そうな目で見つめて、問うてくる健に朝陽は笑みを浮かべながら反論を返した。
それを聞いた健は、まだ心配は拭えないようだったが、朝陽の意見を尊重してか、何も言わなかった。
そして起き上がり、枕をクッションにして楽な体勢を取った朝陽は健や陽菜と目線を合わせる。
そして口を開いた。
「お兄ちゃんたち、今日は何か楽しいことあった?」
そう問う朝陽の目は期待に輝いている。健や陽菜の話の開始を待っているらしい。
そんな朝陽の様子に二人は顔を見合わせて淡く微笑む。それから二人は口を開き、話を始めた。
「今日は球技大会があったよ」
「タケはバスケ。私はソフトボール」
球技大会。各学校で学年別、若しくは全学年でクラス対抗で行われるスポーツの大会。
ちなみに健と陽菜は現在高校2年生である。つまり、朝陽は中学2年生である。まぁ、朝陽は今まで学校に行っていないのであまり関係は無いが。
「楽しそう。羨ましいよー。……学校、行ってみたいなぁ」
体が弱いが故に学校に行くことが叶わない朝陽。だからか、いつも学校に行きたがっていた。よく、そのために父に頼み込んでは断られていた。
「朝陽は無理をするとすぐに熱を出すでしょう?学校は無理だよ」
「でも!」
「でもじゃない。朝陽が熱を出す度に兄ちゃんたちがどれだけ心配してると思う」
陽菜の言葉に反論を返した朝陽だったが、続いて発せられた健の言葉に返す言葉を失った。
そして、その目にはみるみるうちに涙が溜まっていく。それを見た二人は焦った。
「あ、朝陽、ゴメン。泣かないで、ね?」
「兄ちゃんたちが悪かった。だから泣かないでくれ」
二人がそう言っても一度出てきた涙はそう簡単には止まらない。涙はポタポタと流れ落ちはじめた。
それを見た二人は更に焦る。陽菜は服のポケットからハンカチを取り出し、朝陽の涙を拭う。健は何をすればいいのか分からず部屋を歩き回っている。少しは落ち着け。
「朝陽、落ち着いた?」
しばらくして朝陽はようやく溢れる涙が止まりはじめる。
「あー、鼻出てるぞ、朝陽。ほら、ティッシュ」
そして漸く落ち着いた健はティッシュを片手に朝陽の鼻を取ってやる。
次は陽菜だ。陽菜はいつの間に用意したのか、手に濡れたタオルを持っていた。それを朝陽に手渡す。
「…あったかい」
タオルを受け取り、涙に汚れた顔を拭いながら朝陽は呟く。
さして朝陽が落ち着いたのを見た陽菜は朝陽から涙を拭ったタオルを受け取り、部屋の外に待機していた使用人に渡す。そしてまたベッドの空いている場所に腰掛けた。それから口を開く。
「話を、続けようか?朝陽」
「うんっ!」
健と陽菜のその言葉に朝陽は笑顔で頷く。それから、また話しは始まった。
「まず、オレの方の結果だか……」
健はそう言ったかと思うと、目線を下げた。朝陽から目線を外す。
朝陽はそんな健の行動に、はてなマークを頭上に出現させた。
「……お兄ちゃん?」
朝陽ははてなマークを出現させたまま健に問いかけた。問いかけられた健は視線を外したまま答える。
「……初戦で負けた」
つまり、面白い話を提供できないがために目線を外したのか。そこまで気にしなくてもいいものだと思うのだが。
そして目線を外して今にも泣き出しそうな健に代わって次は陽菜が話を始めた。
「私は勝ったよ。優勝は出来なかったけどね」
陽菜曰く、優勝は出来ずとも、準優勝だったらしい。決勝戦で三年生に負けたらしい。年の功って恐ろしいね、と言っていた。年の功って言うのも高々一つ二つの差でそれは無いだろうと思う。
「朝陽はソフトボール分かるっけ?」
「野球みたいなやつだよね?」
「ちょっと違うけど、そんな感じだね」
そうして黙り込んだ健の代わりに陽菜が話を続ける。
「私のポジションは、キャッチャー。私が指示を出して、ゲームを進めてたんだよ」
「お姉ちゃんすごい」
陽菜の話を聞きながら、朝陽は目を輝かせる。そんな朝陽を見る健の目は悲しそうだ。自分が楽しませることが出来なかったから。自分が楽しませたかったのだろう。
「ピッチャーもすごかったからね。私だけがすごいんじゃないよ」
「でも、お姉ちゃんもすごいよぅ」
「ありがとう、朝陽」
陽菜はそう言いながら朝陽の頭を優しく撫でてやる。そして、いつの間にか健は部屋から去っていた。片割れの活躍を聞くのが辛くなったらしい。そして、朝陽と陽菜は話に夢中でそれに気付いていない。それがより一層健を嘆かせた。
「で、お姉ちゃんはヒット打ったの?」
「うん。ランニングホームランも一本打ったよ」
「お姉ちゃんすっごい。見たかったなぁ。お姉ちゃんの学校、球技大会は一般見学出来るんでしょう?」
朝陽は目を輝かせながら陽菜に問う。
「ダメだよ。朝陽が球技大会を見にきたら熱中しすぎて熱出しちゃう」
「ヤだ!見たい!今度お父さんに頼んでみるもん」
「言っても無駄だと思うよ?」
「ちょっとくらいならいいって言ってくれるかもしれないじゃん」
朝陽は何度言われても諦めない。必死だ。そして、朝陽のその表情は本気で父親に交渉しようと考えている顔だ。
そうして陽菜と朝陽は話を続ける。それからしばらくすると部屋の扉がノックされた。其処にいたのは母親だった。
「あら?陽菜もいたの。ご飯の時間だから食堂にいらっしゃい」
「うん。朝陽、行こうか」
そうして朝陽と陽菜は母親と共に食堂へ向かう。食堂には父親と健が既に揃っていた。
「あれ?そう言えば、お兄ちゃんいつの間にいなくなっちゃったの?」
グサッ。そんな音が聞こえた。それは、健。健が傷ついた音だ。朝陽のその言葉に健はいたく傷ついた。健はまたも朝陽から目線を外す。哀れ、健。陽菜の無邪気かつ悪意無しの言葉にグサグサとナイフを突き立てられている。
「朝陽、いいから席に着きなさい。食事にしよう。……朝陽もお腹が空いただろう?」
哀れな健を止めたのは、父親。父親は早く席に着かせるために朝陽に声をかけた。そして、朝陽が席に着くと同時にテーブルに食事の用意がされていく。
「いただきまぁす」
そして、食事は始まった。朝陽はゆっくりではあるが、用意された食事をせっせと摂っていく。
「朝陽は随分とお腹が空いていたみたいだね。いっぱい食べなさい」
そうして食べていると、既に食べ終えている父親と母親がのんびりと告げる。朝陽はそれににっこりと微笑みながら頷き、それを返事にかえた。
そして食べ終えると、朝陽の父親に対する交渉の時間が始まる。
「お父さん、朝陽も学校行きたい」
「ダメだ」
「行きたい」
「ダメだよ」
「いーきーたーいっ!」
「ダメだと言ったらダメだ」
父親は朝陽の懇願を徹底的に跳ね返す。朝陽が涙目で懇願してもそれでも尚徹底的に跳ね返し続けた。ある意味強い精神力だ。
「どうしてダメなの?少しくらいいいじゃん!」
「その少しでも朝陽は熱を出すだろう」
「少しくらいなら大丈夫だよぉ!」
それでも父親は許可を出すことはしない。それも道理だろう。少しだけで朝陽は熱を出してしまうことを朝陽以外の家族は知っているから。
だが、それを本人は知らない。だからこそ、諦めない。諦めることなく徹底的に父親に喰らいつき続けた。
「少しだけ!ほんの少しだけ!!」
「ダメだと言っているだろう」
何度も、何度も朝陽は喰らいつき続けた。が、やはり芳しい返事が返ってくることはない。許可をくれることは、ありえないのだ。
父親は朝陽に何度涙目で懇願されようが許可を出さない。そして、それに母親も味方した。
「朝陽、いい加減にしなさい。お父さんもお母さんも朝陽を心配して言ってるんだから、聞き入れなさい」
そこまで言われて漸く諦めたらしい。朝陽は黙った。そしてそれを励ますためか、陽菜が声をかける。
「朝陽、元気出して。一緒にお風呂に入ろうか」
「…………うん」
そうして二人は立ち上がり、食堂を出て行く。向かった先はもちろん、風呂だ。朝陽は先を歩く陽菜について風呂へ向かう。
「朝陽、元気出して。みんな朝陽を心配して言ってるんだからね?」
「分かってるよ」
分かっているからこそ余計諦めきれないのだろう。諦めきれず、何度も父親に食い付くのだろう。
「あー、朝陽も大きくなったなぁ。あんなに小さかったのにー」
湯船につかると、陽菜は朝陽を見ながらのんびりと告げる。朝陽をずっと見ている陽菜からすれば、成長を純粋に楽しんでいるのだろう。
大きくなったと言えど、朝陽は同い年の子供たちと比べると小さい。陽菜が朝陽と同じ年の頃は今の朝陽よりも身長は高かった。
「朝陽もお姉ちゃんみたいに大きくなりたい」
そう言う陽菜の身長は168センチ。まずまずに高い。そして朝陽の身長は148センチ。二人の身長差は20センチにも及ぶ。その身長差が、朝陽を嘆かせる。
「大丈夫だよ。数年後には朝陽も大きくなってるって。まぁ、私としては今の状態が小さくて可愛くていいんだけどね」
「絶対大きくなる!」
「なら、まずは好き嫌いを治そうか」
陽菜がそういった瞬間、朝陽は停止した。そんな朝陽に陽菜は追い討ちをかける。
「朝陽は好き嫌い多いからね。だから大きくなれないんだよ。大きくなりたいなら、嫌いなピーマンもトマトも人参も椎茸も食べられるようにならなくちゃ」
「………大きくなれなくてもいい」
陽菜の言葉に朝陽は呟く。それほどまでに先ほど上げられた野菜は嫌いらしい。
「他にもお肉とお魚もちゃんと食べられるようにならなくちゃね。朝陽は肉は全体的に嫌いだし、魚は食べるのと食べないのがあるし」
…好き嫌いが多すぎだろう。肉も嫌い、魚も嫌い、野菜も嫌いで一体何を食べて生きているのか。
確かに好き嫌いが此処まで多ければ体も大きくならないだろう。
朝陽と陽菜はそうやって話をしながら、体を洗ったり髪を洗ったりしている。それからまた湯船に浸かった。
「お姉ちゃん、私、先に上がるね」
「あ、うん。ちゃんと綺麗に水は取ってから服を着るんだよ」
「分かってるよォ」
朝陽はそう言って脱衣所へ戻る。そして脱衣所で控えていた使用人の人が朝陽にタオルを手渡す。タオルを受け取った朝陽はせっせと体についた水滴を拭った。
それから朝陽がパジャマに着替えていると、ちょうどよく陽菜が上がってきた。使用人は陽菜にもタオルを手渡す。
「朝陽、そのまま部屋に戻る?それともリビングに行く?」
「リビング行く。お父さんにもう一回頼む!」
「そか。なら、一度部屋に戻って上着取っておいで。湯冷めしたらいけないから」
「分かったー」
朝陽はそう言って浴室を出て行く。陽菜はそんな妹を優しく微笑みながら見送った。
そして、朝陽が部屋で上着を取り、きっちりと着込んでからリビングに戻っていると、ちょうどお風呂から上がったらしい陽菜と遭遇した。
「お姉ちゃん、一緒に行こう♪」
「そうだね」
そして、リビングに着いた朝陽は、またも、父親への懇願を開始させた。
「お父さん、本当に、ちょこっとでいいから、学校行きたいな」
「何度言ったら分かるんだ?朝陽。学校は駄目だよ」
「だって、朝陽、学校一回も行ったことない。入学式も、卒業式も、どんなのか知らない。行きたい行きたい行きたい!」
「駄目だといっているだろう?お母さんも朝陽に何とか言ってやってくれ」
父親は、朝陽の必死の説得に、説明が面倒になってきたらしい。母親に投げかけた。
そして、投げかけられた母親は、朝陽の目の前の席に座り、口を開く。
「朝陽が学校に行ったら、すぐに熱を出して、倒れちゃうでしょう?そうしてら、どれだけの人に迷惑をかけると思う?クラスの子に、担任の先生、保健の先生。いろんな人に迷惑をかけちゃうでしょう?」
「でも……」
「いい子だから、聞き入れなさい、朝陽。聞き入れるのなら、明日のおやつ、朝陽のだーい好きなの、作るわよ?」
餌で娘を釣る母親が、こんなところにいました。しかも、朝陽は釣れているらしい。「分かった」と言って、諦める。
そして、そんな朝陽を、父親、母親、健、陽菜がそろってよしよしと頭を撫でたりしてかわいがるのであった。
「さ、朝陽はそろそろ部屋に戻ろうか。これ以上無理をすれば、また熱が出てしまうからね」
「うん。おやすみ、お父さん、お母さん、お兄ちゃん、お姉ちゃん」
『おやすみ、朝陽』
そうして、東条家の一日は更けていくのであった。