第2話 妹の友達と二人きりで映画を観ることになった
優奈ちゃんが我が家へ遊びに来るようになってから、一か月ほどが経った。
今ではすっかりお馴染みの来客である。
芽依も昔からの友達が遊びに来てくれるのが嬉しいらしく、アルバイトから帰ってくると、決まって優奈ちゃんを夕飯に誘うようになった。
「優奈、今日も食べていくでしょ?」
「えっ、でも……」
「いいっていいって! どうせお兄ぃが払うんだし!」
「おい、勝手に決めるな」
「えー、いいじゃん。 まさかお兄ぃ、優奈にお金出させる気なのー?」
優奈ちゃんは現在、大学の近くで一人暮らしをしているらしい。
実家も都内にあるそうだが、大学まで距離があるため、入学を機に部屋を借りたのだという。
そんな話を聞かされると、兄としても無下にはできない。
「いやまあ、出すのはいいんだけどさ……。まあ、優奈ちゃんが良ければ食べていきなよ」
「……いいんですか?」
「もちろん。遠慮しなくていいよ」
「ありがとうございます、お兄さん!」
こうして、週末の夕飯は三人で食べるのが習慣になっていった。
時には外食をしたり、家で映画を観たりすることもある。
もっとも、食事代も映画代も、基本的には俺持ちである。
妹だけならまだしも、優奈ちゃんにまで奢っているのだから、俺の財布はなかなか厳しい。
とほほ。
まあ、二人とも楽しそうだからいいんだけどさ。
*
そんなある土曜日の夕方。
「お兄ぃ! 今日、映画観に行こうよ!」
芽依がスマートフォンを片手にリビングへ飛び込んできた。
「映画?」
「そう! 優奈が観たい映画あるんだって!」
ソファに座っていた優奈ちゃんが、少し恥ずかしそうに頷く。
「はい。前から気になっていた作品があって……」
「へえ、何の映画?」
「えっと……恋愛映画なんですけど」
優奈ちゃんがスマートフォンの画面を見せてくれた。
そこには、夕暮れの海辺で抱き合う男女の姿が映っていた。
タイトルも、いかにも恋愛映画らしいものだった。
「へえ、こういうのが好きなんだ」
「……はい」
「じゃあ、せっかくだし観に行こうか」
「本当ですか!?」
優奈ちゃんの顔がぱっと明るくなる。
よほど楽しみにしていたのだろう。
その様子を見ていた芽依が、何故かニヤニヤと笑っていた。
「ふーん。良かったねえ、優奈」
「め、芽依ちゃん!」
「はいはい。じゃあ、準備しよっか!」
それから三十分ほどして、俺たちは車で近くの大型ショッピングモールへ向かった。
映画館はその最上階にある。
週末ということもあって館内は賑わっており、家族連れやカップルの姿が目立った。
「じゃあ、チケット買ってくるから、二人とも待ってて」
俺がそう言った時だった。
芽依のスマートフォンが鳴った。
「あれ、店長からだ」
「バイト先?」
「うん。ちょっと待って」
芽依は画面を確認すると、眉をひそめながら電話に出た。
「もしもし? ……えっ、今日ですか? でも私、今日は休みで……」
嫌な予感がした。
しばらく話していた芽依は、やがて大きなため息をついた。
「……分かりました。じゃあ、今から行きます」
電話を切ると、申し訳なさそうに俺たちを見た。
「ごめん! バイト先で急に欠員が出たんだって。今日、どうしても人が足りないらしくて……」
「あらら。そりゃ大変だな」
「ほんっとごめん! 私、行かなきゃ!」
「いいよ、仕事なら仕方ないだろ。気をつけてな」
芽依は何度も謝りながら、慌ただしくその場を去っていった。
残されたのは、俺と優奈ちゃんの二人だけ。
さて、どうしたものか。
「……残念だったね」
「はい……」
優奈ちゃんは俯いていた。
せっかく楽しみにしていた映画だったのに、これでは仕方がない。
「じゃあ、今日は解散しようか。また今度、芽依も一緒に――」
そこまで言いかけた時だった。
くいっ。
シャツの袖を、何かが引っ張った。
「……優奈ちゃん?」
振り向くと、優奈ちゃんが俺の袖を指先で摘まんでいた。
俯いたまま、何かを言いたそうに唇を動かしている。
「あの……」
「うん?」
「……二人っきりじゃ、ダメですか?」
思わず、息を呑んだ。
優奈ちゃんはゆっくりと顔を上げた。
大きな瞳が、不安そうに俺を見つめている。
「私……この映画、すごく楽しみにしてたんです」
「あ、ああ。そうだよね」
「だから……お兄さんさえ良ければ、一緒に観てほしいなって……」
最後の方は、消え入りそうな声だった。
その姿が何だか可愛らしくて、俺は思わず笑ってしまった。
「もちろん、いいよ」
「……本当ですか?」
「うん。せっかく来たんだしね」
「……っ!」
優奈ちゃんは胸の前で両手を握りしめた。
それから、花が咲いたような笑顔を浮かべる。
「ありがとうございます!」
そんなに喜んでもらえるなら、誘いを断らなくて良かった。
俺はチケット売り場へ向かい、二人分のチケットを購入した。
*
ところが。
入場口でチケットを確認した時、俺はあることに気がついた。
「……あれ?」
「どうかしましたか?」
「いや、この映画……R指定なんだね」
「えっ?」
優奈ちゃんが目を丸くする。
どうやら彼女も知らなかったらしい。
改めて作品紹介を確認してみると、大人向けの恋愛描写が含まれているとの注意書きがあった。
「まあ、別に観られないわけじゃないし、大丈夫だと思うけど……」
そう言いながら隣を見ると、優奈ちゃんが真っ赤になっていた。
「……どうしよう」
「優奈ちゃん?」
「私、そんな映画だなんて知らなくて……」
彼女は両手で頬を押さえた。
「お兄さんに……えっちな子だと思われちゃったら……」
「いやいや! そんなこと思わないよ!」
「……恥ずかし過ぎて死にそうです……!」
涙目になって俯く優奈ちゃん。
まずい。
これは非常にまずい。
せっかく二人で映画を観ることになったのに、始まる前から気まずい雰囲気になってしまった。
何とかしなければ。
「そ、そんなことないって! ほら、こういう映画ってカップルで観に来る人も多いだろ?」
「……カップル?」
「そ、そうだ! 俺たちもカップルで観に来たってことにすればいいんじゃないかな!?」
……何を言っているんだ、俺は。
自分で言っておきながら、あまりにも意味不明な提案だった。
しかし、優奈ちゃんは何故かぴたりと動きを止めた。
「……カップル」
「いや、あくまでそういう設定ってことで! 気にしなくていいから!」
「……じゃあ」
優奈ちゃんが小さく呟いた。
「え?」
「……じゃあ、手ぇ……握ってて下さぃ……」
そう言って、彼女はおずおずと右手を差し出した。
顔は真っ赤で、視線は俺の足元に落ちている。
……え?
手?
握るの?
俺が?
優奈ちゃんの?
「い、いいの?」
そう尋ねると、彼女は小さく頷いた。
俺は恐る恐る、その手を握った。
柔らかかった。
びっくりするほど柔らかくて、温かい。
小さな手のひらは、緊張しているのか少し汗ばんでいた。
……やばい。
しばらく、この手は洗えそうにない。
「……湿ってて、気持ち悪いですよね?」
優奈ちゃんが震えるような声で尋ねてきた。
「いや! そんなことないよ!」
慌てて首を振る。
「俺も同じこと考えてたし。こっちこそごめんね。嫌じゃない?」
すると、優奈ちゃんは何も答えなかった。
ただ、俺の手をぎゅっと強く握りしめた。
指先に、彼女の体温が伝わってくる。
……これは、大丈夫ってことなのかな?
俺たちはそのまま、手を繋いで薄暗いスクリーンへ入っていった。




