06.風の吹く街
遠く地平線まで広がる草原を二人は歩き、三日目の夜にウィンドブロウの街の近郊へと到着した。
西大陸『エリュトロン』の統一国家であるエリヤ王国の領土中央から南に存在するその街は、面積約八百九十平方キロメートル、人口約三万人の主要都市である。
広大な敷地のほとんどは農耕地と河川や湖となっているおり、商業も盛んなため、飢えとはほぼ無縁の生活を人々は送ることが出来ている。
宿泊施設はもちろん、冒険者ギルド会館や魔法学校などもあり、一通りの主要施設が揃っている大都市である。
時雨はその説明を聞いて、人間が魔物によって絶滅しかけているというわけではないことを知って安心した。
「あ、そうだ。トキサメ、街の中では不用意に喋らないようにしてくださいね」
「どうしてだ?」
「流暢に言葉を喋る屍なんて、気味悪がられますから」
なるほど、と時雨は納得した。
屍の一般的な基準は知らないが、死んだ者が生きている者と変わらず生活していると、様々な面で不都合があるのだ。
そうでなければ、死んだら甦らせればいいということになってしまいかねない。
ムルカは、通常の屍が意思を持って動くことはありえないのだと言う。
ではなぜ時雨が個人の意思を持ったままでいられるのか、理由は謎であった。
取り急ぎ解明が必要なことでもないので、変わったことがあったら事前に言うように、とムルカは注意をした。
「それにしても、すごい壁だな」
「これくらい高い壁で囲んでいないと、安心して眠れないんですよ」
街は魔物の侵入を防ぐための高い石壁で敷地全てが囲われており、出入り口となる巨大な門の前には衛兵が二人立っている。
壁にかかった松明の灯りが、鉄の鎧を着た屈強な男達をてらてらと橙に染める。
「止まれ。ウィンドブロウの街へ何の用だ?」
衛兵は厳しい口調で言った。
ムルカは怖気づきながらも答えた。
「冒険者ギルドに入るため、聖墓の近くにある集落から来ました」
半分は嘘であったが、もう半分は本当の話だ。
衛兵は怪訝そうに二人を睨み、時雨の背にある丸々とした風呂敷を指さした。
「その包みはなんだ?」
「これは竜の鱗です。街で売るために持ってきました」
ムルカが合図をした様子を見て、時雨は風呂敷を衛兵の前に降ろし、広げた。
「……おかしなものは持っていないようだな」
衛兵が許可しようとしたところをもう一人が遮る。
「おい待て。もう一つ確認することがある。お前達の種族は何だ」
「私はドライアドで、こっちは屍ですけど、なぜそんなことを聞くんですか?」
「最近物騒なことがあってな。牙や爪を持つ人種の滞在は制限しているのだ。しかしお前、ドライアドの死霊使いか」
衛兵は露骨に嫌そうな顔をする。
ムルカもその反応は予測していたようで、特別表情を変えることもない。
「そっちのお前、面倒を起こすなよ。死体の処理はきちんとされているようだが、お前の行動次第じゃすぐに土に還してやるぞ」
時雨も特には何も言い返さない。
死体を嫌がり、不快に思うことは理解できるからだ。
それよりも、死体が歩いていることにある程度寛容であることが気になっていた。
それそのものは、驚くに値しないということなのだろう。
衛兵はそれ以上何も言わず、街の中へ続く門を開いて二人を通した。
「随分と嫌われてるんだな」
「死んだ者を好きに扱うような魔法が好かれるわけありませんから。気味悪がる人や蘇生を倫理的に許さないという人もいます」
「それにしては結構普及してるみたいじゃないか」
「死霊術そのものは、人形を自然物から作り出して扱う人形魔法と変わりませんからね。ただ、死霊術の場合、失敗すると目も当てられないものになるし、腐っていない人間の死体ってだけでもかなり希少になるんですよ」
「それって、死霊術にメリットがないんじゃないのか?」
「ええ。手間ばかりかかって、メリットはほとんどありません。人には気持ち悪がられますし……。ですけど、私にはこれしか出来ないんです」
俯くムルカの頭を、時雨は無言でわしわしと撫でた。
「な、何をするんですか!?」
「立派な魔法じゃねえか。そんなに落ち込むことはないぜ」
「落ち込んでません! もう……」
ムルカは髪を指でとかしながら、頬が緩むのを感じたが、すぐに思い直し、口元を引き締めた。
ウィンドブロウの街中は、夜だったこともあり、ほとんど誰も外を歩いていない。
遠くに巡回している衛兵の持つ松明の火が見えるが、目につくもので動いているものはそれくらいである。
施設のいくつかは明かりがついており、酒場と思わしきところからは賑やかな声が聞こえる。
少なくともそこそこに治安は良いようであった。
「とりあえず宿屋を探しましょう」
「手伝いたいところだが、俺は字が読めないからな……」
辺りをぐるりと見回して、入り口に明かりのついている建物の中で二階建て以上になっているものに目をつける。
その中で部屋の数が最も多く、一階から人の気配がする場所へと近寄った。
「ここじゃないか?」
「看板の字が掠れて読めませんけど、なんでここだと思うんですか?」
「見れば分かるだろ」
「……分かりません」
ムルカは怪しみながらもその扉を開く。
中は軽食を振る舞う食堂のようであった。
いくつかの長テーブルが燃える暖炉を囲うようにして並べられている。
カウンターではこの店の主人であろう男が木製のコップを拭きながら鼻歌を歌っていた。
「こんばんは。あの、ここ、宿屋ですか?」
「ああ、そうだよ」
その男、ヨウルカスは優しそうな柔らかい笑顔を見せる。
ムルカは安心したように時雨を招き入れた。
「今部屋は空いてますか?」
「空いてるよ。二人かい?」
ムルカが主人と金銭のやり取りをしている間、時雨は内装が物珍しくなり、装飾や置物を見ていた。
用途のよく分からない彫像や壺や飾り皿がある。
壁には剣が飾ってあるが、刃は出ていないことから、これも飾り専用のものなのだろう、と時雨は考えていた。
「トキサメ、何してるんですか。部屋に行きますよ」
ムルカに呼ばれ、時雨がヨウルカスの前に姿を現わすと、彼は目を見開いて言った。
「こりゃ驚いた……。屍を模した人形魔法かい?」
「えっ……」
固まるムルカの背を押して、そういうことにしておけ、と時雨は指示した。
「え、ええ。そうです。よく出来ているでしょう?」
「普通は石とか鉄とかだけど、こういうのもあるんだね。初めて見たよ」
ヨウルカスは勝手に感心してそう言っていた。
二人はそれ以上話してボロが出る前に、足早に部屋へと向かった。
ムルカと共に借りた部屋は簡素であったが、野宿よりは格段に快適であったために文句は出なかった。
もっとも、ミイラである時雨は寒さや暑さを苦痛に感じはしないのだが、部屋の中にいるというだけでも落ち着くものだ。
荷物をひとつしかないベッドの下へしまい、寝床はムルカに渡した。
初めは遠慮していたのか公平な方法でどっちが使うか決めよう、と言っていたが、三日歩いた旅の疲れがどっと出たようで、明らかに眠そうな顔をしていたために時雨はまだ眠くないからと言って部屋を出た。
そして、階下の食堂で椅子に座って暖炉の火を眺めていた。
「兄さん、もう旅は長いのかい?」
ヨウルカスは親しげに話しかけてきた。
食堂には他に客がおらず、暇を持て余しているようだ。
とはいえ、人形であるはずの時雨に話しかける行為そのものは不信である。
時雨はなぜ話しかけたのか知りたくなり、言葉を返した。
「なんで、俺が話せると?」
「さあ、なんでだろうね。なんとなく、兄さんは人間っぽく感じるんだ」
直感的に、ただの人形ではない、と感じたのだろうか。
カマをかけるならもっと上手くやるだろう、と時雨は判断して、彼への処遇はとりあえず保留しておくことにした。
「……旅は長いのかって話だったか。まだ数日ってところだ」
「そうか。なんだか旅慣れていない様子だったからね。冒険者でもなさそうだったし、軽装だったから、近所から来たのかな、と」
「よく見ているな」
時雨は呆れて笑った。
「そういや、表の看板の文字が掠れてしまっていたが、直さないのか?」
「ああ、あれね。うちは一人でやってるから、あんまり客に大勢来られても困るってことでわざとやってんだよ」
「隠れ家とかいうやつか? たまにそういう店を見るが、よくやっていけるな」
「実力があれば看板なんて飾りだからね」
「宿屋の実力って何だ?」
「今こうして披露しているだろう? 親しくなると、その人のところを使いたくなるのが人情ってものだよ」
雑談ひとつとっても友好関係を結ぶためのものだと言う。
そのために一階を食堂風にしているのだ。
「あんた、優しそうに見えてとんだ商売人だ」
「褒め言葉として受け取っておくよ」
くだらない会話であったが、時雨はこの世界のことが少し理解でき始めていた。
宿屋にリピーターがいるということは、つまり、街同士の行き来が頻繁に行われており、その道中も治安は悪くないということである。
生活圏の魔物は駆除されているのだろう。
「そう言えば、冒険者って前にも聞いたな。冒険って仕事が主流なのか?」
主人はしばらく何を言っているのか理解できない、という顔をして、そのあと笑いながら言った。
「屍のお兄さん、記憶が曖昧になっているのかい? 冒険者ってのは、力の無い人の代わりに魔物と戦ったり、危険な場所に向かったりする人のことだよ。大陸の地図が出来る前に冒険者って職業が生まれて、冒険が主じゃなくなった今でも冒険者って呼ばれているのはその名残さ」
「なるほど。どうも記憶がおかしくてな。すっきりしたよ、感謝する」
ランク付けしなくてはならないほどに魔物が多く、一般的な人間のランクはその中でも最も低い。
それは、人間という種族がこの世界の支配者になれていないということでもある。
支配者であれば自らをランク付けする必要はないからだ。
そんな世界であれば、剣にしろ、魔法にしろ、力に対する需要が尽きることはない。
時雨がそんなことを考えていると、宿屋の扉が開いて一人の少女が入ってきた。
青みがかかった銀の鎧で全身を包んでおり、腰の両方に一本ずつ短い剣を携えている。
兜はつけておらず、金色の髪を二つに結わえ、赤い瞳を輝かせていた。
その瞳でヨウルカスと時雨を二度見して、一言だけ発した。
「……どういうこと?」
屍と宿の主人が同じ卓を囲んでいるこの状況がよく分からないのだ。
「おかえり、ステラちゃん。屍の人形魔法なんだって。彼の主人のお嬢さんはもう寝ているよ」
「屍の、人形魔法……? 死霊術ではなくて?」
「死霊術の屍じゃここまで人間っぽくならないでしょ」
「それもそうね。人形魔法……。ありえない話ではないわ。ありえない発想ではあるけど」
黙って話を聞いていた時雨は口を開いた。
「そんなにおかしいか?」
「しゃべった!?」
驚くステラに、ヨウルカスはまあまあ、と落ち着かせるように言った。
「落ち着いて、ステラちゃん。料金は二人分もらってるんだから、彼が本当は人間だったとしても構わないよ」
「……そういう問題かしら?」
彼は現金な男であった。
「それよりも、どうだった?」
「全然駄目ね。怪しい人影どころか衛兵にしか会ってないもの」
ステラは籠手を外しながらカウンター内に入り、勝手に飲み物を作って席へ持っていく。
「何か事件でもあったのか?」
時雨が聞くと、ステラはコップを置いて言った。
「ええ。ここ最近傷害事件が起こっているの。二日か三日に一度ほどの頻度で誰かが襲われてる」
「同じやつの仕業か?」
「そのようですわね。襲われた人たちはみんな一様に何かで力任せに切り裂かれたような傷があって、こんな力が出せるのは獣人の牙か爪だと思うのですけれど、刃物である可能性もあって……。頭が痛いですわ……」
結局のところ、犯人について何も分かっていない状況であった。
街の入り口で検問を行っていたのはそういう理由だったか、と時雨は納得した。
「そんなことがあるものだから、酒場で騒いでる馬鹿ども以外は誰も外に出なくなったの。日が落ちると辺りは何も見えなくなるし、衛兵がいると言っても、襲われてからじゃ遅いし、ね」
「なんでそいつらは無事なんだ?」
「さあ? 犯人はアルコールの匂いが嫌いなんじゃないかしら? 私と同じでね」
「その犯人の目星はついていないのか?」
「ついていたらパトロールなんてしなくていいのだけど」
ステラはまた一口、飲み物を口に運ぶ。
コップを持つ左手の甲に描かれた黒い印が火に照らされている。
「酒場の他に人が集まるところはあるか?」
「……さっきから興味津々のようだけど、協力してくれるの?」
「獣人ってやつに興味があるんだ。それにうちの連れが襲われても困るからな」
そう言う時雨の顔をステラはじっと見つめる。
疑っているのだろうか。
「……人形魔法なら、そう考えてもおかしくないわね」
「主人を守るためだ」
「そう露骨に言われると逆に怪しいけれど、悪い人には見えないわね。ええと、酒場の他に人が集まる所、でしたわね。それならギルド会館くらいしかこの街にはないわ」
「ギルド会館か。明日寄ろうと思っていたところだ」
「冒険者ギルドに入るつもり?」
「ギルドを使って調べたいことがあるからな。ある物を探している」
「何を探しているの?」
「クロノスの宝玉ってやつだ」
それを聞いてステラはきょとんとする。
話を聞いていた宿屋の主人も苦笑しているようであった。
「クロノスの宝玉って、あの伝説の、この世界のどこかに三つあるっていう、あの?」
「そう、その伝説の宝玉だ」
「ええと、あなた狂っているわけじゃないのよね? 正気で、クロノスの宝玉を探しているのよね?」
哀れどころか心配しているようなステラの反応を見るに、どうやらクロノスの宝玉は一般的には眉唾ものらしい。
日本でも一時期流行った未確認生物のようなものなのだろう。
探すこと自体が馬鹿らしく、熱心であればあるほど滑稽に映るようだ。
「あの、本気なのかもしれないけれど、その情報を知っている人間がギルドにいるとは思えないわ」
「そうか。でも一応行ってみるさ。こんなふうに直接聞くことはやめたほうがよさそうみたいだな」
先に反応を知れて良かった。
大勢の前で呆れられては有益な情報は得られなかっただろう。
ステラは少し考えにふけり、口を開いた。
「……あ、ちょっと待って。知ってるかもしれない人なら、分かる」
「さっきギルドにそんな人間はいないと言ってただろう」
「ここのギルドでは、ね。私のお姉様なら何か知っているかもしれない」
「情報通なのか?」
「と言うよりは勝手に入ってくるのだと思いますわ。ギルドの中でも特別な地位についていますの。『猟犬』って聞いたことないかしら」
「……知らないな」
肩をすくめたステラは、まあいい、とばかりに続けた。
「お姉様、今回の障害事件を調査するためにもうすぐこの街にやってきますの。そしたら私から聞いておきますわ」
「それはありがたい。だが、俺は金を持っていない。何のお礼も出来ないぞ」
「そうですわね……。この街に来るのは仕事ですし、お金はいらないのですけれど、せっかくなので事件の調査の手伝いでもしてもらいましょうか」
「それくらいなら任せてくれ」
時雨は胸を張って言った。




