48.神の力
「あれは、ヘラクレスですね? 中身が変わっていたようですが、何をしたのですか?」
時雨とムルカの二人が出ていってから、ガイアは口を開いた。
「フッ、あなたにも分からないことがあるとはね」
「教えてはくれない、と?」
「教える必要がありません」
「では聞き方を変えましょう。私の子に穢れた魂を入れた不届き者は誰ですか?」
「兄さん自身ですよ」
「そんなはずはありません。本当のことを言いなさい」
「その自分が信じたいものしか信じない姿勢、本当に嫌いだ。僕からあなたに話すことは何もありません。総員、やるぞ! 人類から進化した魔人の力、今こそ示す時だ!」
皆、各々の武器を掲げ、雄叫びをあげた。
戦意は充分、未知の敵を前にしても全く怖気づかないだけの気概を持つよう、魔物退治をさせていたのだ。
強い敵を前にした時に最も力を出せるよう訓練していた成果が、今発揮されていた。
「獣、獣、獣。よくもまあ、これだけ血に飢えた獣を集めたものですね。どうするつもりなのですか?」
サヴァスはもう質問に答える気はなかった。
事前に決めていた作戦を守ることこそ、勝利への確かな道のりであると信じていたからだ。
武器を持った者たちが前衛を務め、魔法を使える者は後衛、機動力のある獣人たちが陽動を担当、と役割分担を徹底している陣形で、攻撃を仕掛け始めた。
「話し合いをする気はないのですね。分かりました」
淡々とガイアは言った。
手に持った真珠のような白い球が光り輝いたかと思うと、全員の立っていた地面がいつの間にか空中へ反転し、頭上に地面が現れた。
時間を止め、空間を捻ったのである。
正確に事態を理解出来た者は四将とアリアネ、サヴァスくらいのもので、大勢の軍団は天地がひっくり返ったことに気がつくことすら出来ず、地面へと落ちて行く。
そのうち、持ち前の身体能力や魔法で落下の衝撃を回避出来た者は約半数、もう半分の三十人ほどは地面にぶつかり、頭上から降り注ぐ大量の土砂に押しつぶされた。
一瞬のうちに生き埋めにされていくその様子はまさに地獄絵図であった。
「話が違うぞ!」
アリアネが叫ぶ。
聞いていた話にこれほど広範囲の空間をまとめて動かす術があるという情報はなかった。
サヴァスが以前に戦った時には使わなかった空間の使い方である。
避けられた者がいたように、ある程度の強さを持つ相手には有効ではない魔法なのだ。
「これで半分。もう半分はどうやって殺してあげましょうか」
「皆、怯むな! 空間とて避けようはある!」
そこはさすがに強き者の集まりであり、これほどの魔法を見ても闘志はまだ消えておらず、残った者たちはそれぞれ突撃を仕掛けた。
「私も行く。サポートを頼む」
アリアネは四つん這いになり、血の活性を起こして銀の狼へと姿を変えた。
それを見たグリゴリスが感心したように言う。
「それが猟犬の鎧か。強い力を感じる。テレサ、頼んだぞ」
グリゴリスは懐から小袋を取り出し、そのまま口の中へと放り込んだ。
中身は単なる生肉だが、それが獅子の獣人の血の活性化を起こす条件である。
皮を噛み切り、中からあふれ出てくる血の味と肉の感触を舌で感じ、グリゴリスは活性を起こした。
みるみるうちに筋肉が膨れ上がり、素の二倍ほどの大きさへと変化する。
ヒゲや髪がタテガミのように伸び、雄々しく吠えてガイアへ向かって走り出した。
「アリアネも行って! 私が援護する!」
アリアネはそれを聞いて、援護をテレサに任せることにしてグリゴリスの後を追った。
テレサの周囲にはいくつもの水球が浮かび、ゆっくりと頭上高く上がっていく。
水球はその形を槍状へ変え、出鱈目な方向へ打ち出された。
高速で飛び回る水の槍は、空中で急な方向転換を繰り返しながら、あらゆる方角からガイアへと向かっていく。
「『清らかなる槍』! 貫け!」
テレサの命令に従って、槍はガイアを貫こうとしたが、何もない空間に阻まれ、ぱしゃり、と空中で飛沫となった。
水のついている箇所とその形から、ガイアが己の正面を固めた空間で防御していることが分かったが、だからと言っておいそれと貫けるものではない。
しかし、テレサの思惑としてはそれでよかった。
本命はこちらではない。
テレサが特定した空間の壁へ向かって、魔法を使える者たちが次々に魔法を撃ちこみ、ガイアをその場に釘づけにしておく。
「その程度の魔法で私を倒すつもりなのですか。愚か、愚か、愚か。なんと愚かな獣たち」
そう言って嗤うガイアの背後に、翼を持つ獣人の姿があった。
鷹の翼を持つ獣人レヴァンは、風よりも早く飛び、影よりも静かに獲物を狩る。
寡黙な男であったが、仲間の半数をあっという間に殺され、怒りに燃えていた。
腕に刃をきらめかせ、背後からガイアに突撃した。
ゆらゆらと揺れるクリーム色の体を貫通するつもりだった。
貫通したら旋回して、何度も何度も繰り返し大穴を開けて、バラバラにしてやるつもりだった。
体中を無数の細かい空間の箱で区切られ、地へ降り注ぐ肉片と化すまで、意識だけがガイアに打ち勝っていた。
「レヴァン……!!」
テレサは攻撃の手を緩めることなく、呟いた。
全てが終わるまで、進むことを辞めない。
作戦会議の最中、皆で決めたことだ。
『軍団』の誰もがこの戦いに無傷で勝とうとは思っていない。
犠牲になった者のためにも、絶対に勝たなくてはならないのだ。
しかし、一部の者がそう思っていても、圧倒的な戦力を持つはずの四将のひとりが為す術もなく無残に死んだことで、少なからず動揺が広がっていた。
すでに『軍団』は半分がやられ、四将の一角が落とされた。
ところが、ガイアにまだ手傷も負わせられてもいない。
気後れするのも無理はなかった。
そんな足が止まりかけた前線の魔人たちの横を、銀色の閃光が走り抜けた。
アリアネはグリゴリスを抜き、前線の魔人たちを抜き、ガイアへと最も近く迫っていた。
ガイアもそれは認識しており、空間の箱で迫るアリアネを捕えようとする。
しかし、血の活性により鋭く尖ったアリアネの第六感は予知の領域にまで届いており、ガイアの魔法がその動きに全く追いつけていない。
そして、ガイアの意識がアリアネに集中したことにより、テレサたちの放った様々な魔法が無防備な本体へと直撃し、ガイアは空中で大きく体勢を崩した。
「よし、当たった! 続いて!」
まず壁面を伝ってアリアネが駆け、ガイアに切りつけた。
高密度の魔力により創造された魔力像に刃は通らず弾かれてしまうが、実体が存在することを確認できて安心した。
流動形でなければまだ戦いようもある、と判断したのだ。
アリアネのあとを追うようにして、軍団の魔人たちもそれぞれの武器でガイアへと攻撃を仕掛けていく。
そのどれもが、決定的な一撃にはならないが、攻撃出来たという事実が皆に安心を与えた。
もしかしたら、勝てるかもしれない。
心に芽生えたそんな気持ちを骨子にして、各々は個人の持てる限界の力で攻撃を続けた。
その間、ガイアは一切の言葉を発せず、ただ黙って受けていた。
「何かおかしい……。みんな、一度下がって!」
その不気味な様相に、テレサは攻撃をやめるよう指示を出したが、前線の興奮した戦士たちにその声は届かない。
ガイアを包むようにして、透明の箱が出現する。
宝玉から白い光が放たれると共に、空間は無数の棘状に尖り、全ての方向へと突き刺すようにして一気に伸びた。
無差別ではなく、ひとつひとつが確実に人間を殺すために伸びた空間の棘である。
アリアネは当然のように避けたが、グリゴリスは避けそこね、右足のふとももへ刺さる。
そして、前線に立っていた軍団の者はほとんどが心臓を一突きにされ、断末魔をあげる間もなく、生命活動を停止した。
後方まで合わせても完全に避けられた者は皆無で、血を流しながらなんとか立てている者は二人、他の者は心臓でないにしろ腹部や胸部を貫かれ、絶命するまでそう長くはかからない。
テレサやサヴァスは離れていたために避けられたが、血まみれで呻く仲間たちを見て、言葉を失った。
「なんてこと……」
「……くっ! 生きている者はすぐに下がれ! 回復魔法が使える者は近くの者を連れてこい!」
必死に生き残ろうとする人間たちを見て、ガイアは嗤い、ひとりずつ虫でも殺すかのように、空間で箱を作ったものを空中から落として潰していく。
這ってでも逃げようとする者、力なくガイアを見上げる者、仲間を助けるためにふらつきながら歩く者。
分け隔てなく、ガイアは潰していく。
初めは闘志に満ちていた魔人たちの表情が恐怖一色に彩られていった。
アリアネはこのままではまずい、と判断し、たったひとりでも懸命にガイアへ攻撃を続けた。
魔法が使えないよう意識を散らせれば、ひとりでも多くの人間を救うことができる。
グリゴリスも同じ判断をしたようで、傷の治癒を終え、ガイアへ飛びかかった。
爪をガイアへ引っかけると、大きく振りかぶって、右手で殴りつけた。
衝撃音と共に、あれだけ頑丈だったガイアの体が大きく揺れた。
傍目から見ると有効な打撃であったが、グリゴリスは舌打ちをしてガイアから離れた。
「なんて手ごたえのなさだ!」
硬さというよりも、まるで自然物を相手にしているかのような無意味さを感じ、グリゴリスの手は止まった。
野生的な見た目に反して、戦い方は理知的なため、違和感があると考えてしまう癖がある。
いつもは悪癖でしかないそれに、今回は助けられた。
いつまでも張り付いて離れないアリアネに業を煮やしたガイアは、自身の周囲に細かい空間の箱を無数に作り出し、ミサイルのように飛ばしたのだ。
恐ろしい早さで追尾する空間の箱を、アリアネはなんとか避けていたが、それにも限界があり、やがて、周りを囲まれ、無数の弾丸に晒されることを覚悟したその時である。
蝋燭の火ほどの小さい炎が、アリアネの前に浮かんだ。
普通とは違い、闇のように暗く黒いそれは、空間の箱を吸い込みながら、ゆっくりとガイアへ向かって浮遊していく。
「空間すらも焼き尽くす冥府の炎。しかし、この程度では人間を殺すのがやっと。サヴァス、衰えましたね」
サヴァスの額には脂汗が滲んでおり、やっとの思いでこれだけの火を生み出していた。
「もうこんなことはやめなさい。あなたが集めた獣たちも、もはや壊滅です。あなたが自分の間違いを認め、私の元に戻るのなら、これらの罪も許してあげましょう」
話ながらもガイアは倒れて苦しむ魔人たちに空間を振り下ろす。
投降を促すことも織り込み済みであるが、凄惨たる現状を見て心が揺らぐ。
「――――やはり、無理だったのか?」
「サヴァス様……!」
諦めてはいけません、と続けようとしたテレサも口をつぐむ。
ひと月かけて準備をして、『軍団』の総力をあげて戦ったが、手も足も出なかった。
これでは、時雨とムルカが帰ってきたところで、何の足しにもならないのではないか。
『軍団』の長として、ひとりでも多くの部下を助けるべきではないか、とサヴァスは考えているのだ。
「サヴァス様、みんなを助けるには投降が一番だと、私も思います。死ぬまで戦わせる必要はありません。ですが――――」
「ああ。言いたいことは分かる。彼女に従うことは、今までの自分たちの否定に他ならない。僕らは自分たちの力で生きていくと、そう決めたのだから、最後まで忠実にあるべきだ。だが、そのために死んでは何もならない」
ガイアはすぐにでも無法地帯となっていた大陸に増えすぎた生物の選別を始めるだろうが、そんな世界でも彼女の下につけばなんとか生き残ることは出来るはずだ。
投降しよう、とそう言いかけたその時であった。
ガイアの頭上にぽっかりと黒い穴が空いた。
新しい魔法か、と身構えたところに、三つの影が落ちて来た。
時雨とムルカ、そして骨犬である。




