47.骨犬の真価
ジェラルドは悲鳴をあげた。
翼から絶え間なく、断続的な痛みが襲い来る。
生まれて千年が経つ古竜であったが、初めて味わう感覚であり、同時に、不愉快であった。
強者のプライドに傷をつけられたドラゴンは、憂さを晴らすように、時雨に向かって炎を吐いた。
この炎で死ななかった生き物はいない。
どれほど大きく強固な魔物であっても、必ず黒い炭へと変わる。
ジェラルドのこれまでの経験から、そう確信を持つのも当然である。
だから、目の前のことがすぐには受け入れられなかったのだろう。
時雨を中心に炎が二つに裂け、彼方へと散っていったのだ。
『神の炎』は、ガイアより直接賜った、この世界に存在する中でも最高位の力である。
燃やすことはあっても、裂けることなどありえない。
しかし、時雨が全く無傷で、その炎を退けたことは事実であった。
「なるほど、これが宝玉の力か」
時雨は『神の炎』が当たる直前に、刀で斬ったのだ。
すると、いとも簡単に、炎が真っ二つに割れ、時雨の両端へと抜けていった。
鏑木流の剣術は力でなく技で断つ。
硬いものから柔らかいものまで、いかなるものでも断てると考えれば、極限に質量をもたない柔らかいものである魔法の炎など、威力の有無にかかわらず、断てて当然ということにもなる。
しかし、実際は火を斬ることなど出来ない。
時雨が『神の炎』と断てた理由は、ゼナからもらった『三つめの宝玉』の力によって空中を漂う魔力の流れが見えているからである。
『三つめの宝玉』の力は、『魔力を視覚化する』という、補助的な力である。
ゼナたち神の子には元々見えているものなのだが、時雨は宝玉を通して、初めてそれを認識することが出来た。
ただそれだけでは何の脅威にもならないが、それに接触できるだけの力を持っていれば、魔法の跋扈するこの世界の見え方は一変する。
如何に強力であっても本物の火ではないため、魔法の発生の前に見える魔力の流れを断てば、自然とその効力を失うのだ。
「なんで効いていないんだ、って顔してるな。今ならなんでナイフ野郎の魔法を破れなかったのか分かるぜ。タイミングが大事なんだな」
ジェラルドに言葉の意味が伝わったとは思えないが、苛立ったように尻尾を地面へ打ち付けている様子を見て、時雨は彼が悔しがっていると判断した。
「トキサメ! 大丈夫ですか!?」
ムルカが正門から駆けよる。
ムルカのローブにかけられている敵意を逸らす魔法のおかげか、ジェラルドが彼女を標的に据えることはなかった。
否、時雨を目の前にして、それどころではなかったのだ。
ジェラルドは炎で倒せないと見るや、魔力を筋力の増加へと当てた。
巨体を支えるための手足が、みるみるうちに鱗の厚みが増し、爪が鋭く伸びる。
翼を大きく広げ、臨戦態勢であった。
時雨は背筋に悪寒を感じた。
それは、恐怖か、武者震いか、あるいは、そのどちらもであったかもしれない。
言い表しようのない興奮が沸き起こっていた。
「これだ。これを俺は……!」
ジェラルドが飛びあがり、ふわっと揺らいだかと思うと、次の瞬間にはジェット機のような速さで、時雨へと突進していた。
避ける間もなくぶつかり、全身の骨が砕け、内臓が破裂し、通常なら三回は死んでいるであろう威力の突進であったが、時雨の体は普通ではない。
そのうえ、精神もまた、普通ではない。
如何に怪我をし、痛みが身体を襲っても、死ぬことは無いと思えば、無視してしまえるほどに、強靭な魂をしていた。
時雨は突進を受けたまま、上空へのぼっていくジェラルドの肩部にしがみついていた。
身体の再生が終わると同時に、その背中へと乗り、左翼の付け根を切り落とした。
「これで飛べないだろ!」
雲と同じ高度まで上がっている状態で片翼を失ったジェラルドは、痛みに悲鳴をあげながらバランスを崩し、きりもみになって、地面へと激突する。
辺りに爆音と地響きがこだました。
とれた片翼が遅れてムルカの近くへと落下する。
ムルカは骨犬の影に伏せて、土煙から身を守った。
「なんて戦いなんですか。こんなの、私の入る余地がない……」
分かっていたことだが、強者同士の争いに、ムルカの入ることができる隙間は存在しない。
ムルカがどう手助けしようか悩んでいると、ジェラルドの片翼がひとりでに動き出した。
決して早い動きではないが、本体の方へと戻ろうとしているのだ。
「ダ、ダメです! アグノス!」
骨犬が必死に食らいつき、翼が動くことを阻止しようとする。
しかし、質量が違いすぎて、止めることができない。
ムルカも、骨鞭をさして引っ張るが、力の差が大きく、全く障害になっていないようであった。
そこで、ムルカはひとつ思いついた。
大きいから、引きずられてしまうのだ。
ならば、小さくしてしまえばいい。
「アグノス、この翼を食べてしまってください!」
全部は食べられなくてもいい。
せめて少しでも減らすことができれば、充分であった。
骨犬は、翼の膜の部分へと噛みつき、引きちぎり、食べ始めた。
骨犬も骨百足と同様に、魔力をエサにして成長する能力がある。
しかし、骨犬の魔力の吸収率は悪く、自分を構成する魔力よりも少ない魔力では食べても効果がないため、なかなかその特性を使う機会がないのだ。
だが、今この場においては、ジェラルドの魔力は膨大で、骨犬の含有量を遙かに上回る。
ムルカも意識していなかったことだが、骨犬は食べ進めていくうちに次第に大きく成長していた。
一方、時雨はジェラルドと一進一退の攻防を繰り広げていた。
分厚い体を切り裂くことが出来ても、傷が瞬時に回復していく。
翼は大きすぎて再生する魔力を回す余裕がないのか、なくなったままであったが、他の部位は斬り飛ばしてもすぐに新しい部位が生えてくる。
牙や爪を落としてもきりがない、と時雨は歯噛みした。
さらには、ジェラルドの巨体を使っての突進だけはどうしても避けられず、そのたびに吹き飛ばされ、体勢を立て直しているうちに、傷を治されている。
せめて、相手の動きを止められることができたら、と考えていた。
「そうしねえとこれは……!」
どれだけ戦ってもスタミナ切れの気配はなく、待っていればいつか隙が生まれると信じて戦うことはあまりに遠い道のりである。
それに、ガイアも復活しているのだから、早く倒して戻らなければならない。
逸る気を抑え、攻め手を考えながら、攻撃をしのいでいく。
その時、不意にジェラルドと同じほどの大きな影が現れた。
「新手か!?」
それはジェラルドの首元に噛みつき、力任せに組み伏せた。
「うわ!」
衝撃で、それの背中に乗ったムルカが声をあげた。
骨で出来た犬には違いないのだが、首が三つあり、体の中央で燃えていたはずの紫の炎は、黒へと変化していた。
「ムルカ!? なんだ、そのデカいのは!」
「わ、分かりません! なんか、急に大きく……」
骨犬はジェラルドの魔力を吸収し、大きく成長していた。
骨であることと、犬であること以外の面影は残っておらず、心なしか凶暴になったようにも見えた。
背中に乗ったムルカは振り落とされまいと必死にしがみついている。
「一応、味方なんだな? ムルカ、よくやった」
刀を肩に担ぎ、暴れ狂う二匹の魔物へ近寄る。
強靭な肉体を切り落とすなら、関節を狙うのがセオリーである。
これまでの小競り合いで、その狙うべき部位はだいたい覚えられた。
「まったく、面倒な身体しやがって――――」
骨犬の猛攻に耐えかねたジェラルドの口元に青い火の粉が見えた。
「避けろ!」
あの炎に触れてはいけない。
そう確信していた時雨の言葉を聞き、ムルカは骨犬へと離れるよう指示を出す。
「避けてください! 避けて!」
どれだけ声を張り上げても、骨犬が離れる様子はなく、再生する体へ向かって攻撃を続けている。
このままではムルカも共に灰へ変えられてしまう。
「ムルカ! こっちに鞭を伸ばせ!」
咄嗟に骨鞭を飛ばし、時雨がそれを引っ張ることで、炎が吐き出される前に、骨犬の背中から離れさせた。
その直後、ジェラルドは青い炎を、骨犬へ向けて放った。
骨犬に魔法の炎を防ぐ手段はない、と二人の予想を裏切る形で、骨犬はその場に残った。
「食べてる……」
ムルカがそう呟くしかないのも無理はなかった。
ジェラルドから発せられた青い炎を、骨犬は三つの首で巧みに捕え、まるで久しぶりにエサを与えられたかのように、一心不乱に食べ始めたのだ。
体内の黒い炎はより一層激しく燃え、骨犬はジェラルドの首の肉を噛みちぎり、腹の中に収めていく。
そうなってしまえば、時雨の出番などあろうものか。
動物同士の戦いで、結末に待っている捕食そのものである。
成長した骨犬が現れて、あっという間の決着であった。
「で、これ、どうやって戻すんだ?」
再生するエサを相手に食事を続ける巨大な獣を前に、時雨は言った。
「えっと……。私もこんなの初めてですから……」
すでに骨犬はムルカの魔力から離れており、ジェラルドの魔力のおかげで完全に一人歩きしていた。
すっかりジェラルドの体を骨まで食べ終え、満足気に舌なめずりをして、ムルカへと視線を送る。
思わず身構え、時雨も刀へ手をかける。
骨犬はムルカの前へ近寄ると、行儀よく座った。
尻尾はゆっくりと左右に振れており、敵意がないことの証でもあった。
「ア、アグノス、大丈夫なんですか?」
骨犬は甲高い声で甘えるように鳴いた。
どうやら体が大きくなってもムルカを主人としているようであり、二人は安心して警戒を解いた。
ジェラルドが消滅し、ウィンドブロウの街がこれ以上の脅威に晒されることはなくなったが、すでに良くて半壊であり、住民に至ってはそのほとんどが『神の炎』によって灰塵と化していた。
冒険者ギルドもほぼ壊滅、生き残った者による再建はいつの日になるだろうか。
「――――よし、戻るぞ。まだこれからが本番だ。ひと息つくには早すぎるぜ」
「はい、早く戻りましょう。ガイアと戦っている皆が心配です」
ムルカは懐から魔法陣の書かれた巻物を取り出し、地面へ広げる。
サヴァスに作って貰った簡易魔方陣は、城の内部へと繋がっている回廊を生み出せる。
出口の細かい位置はムルカに設定できないため、城のどこに出るかは分からないが、どこに出ても迅速にガイアの元へ走ることが出来るくらいには構造を熟知している。
足元の地面に、暗い穴が空いた。
回廊を縦に作ることで、歩く手間を省こうというのだ。
「アグノス、戻れますか?」
ムルカが聞くと、骨犬はみるみるうちに縮み、元のよく知る姿へと戻った。
しかし、依然炎は黒く、魔法というより生物として自立しているため、ムルカの手元に戻ることはできなくなっているようであった。
「小さくなれるんだな」
「みたいですね。置いて行くことにならなくてよかったです」
ムルカは骨犬についてくるよう指示を出し、時雨を先頭に、暗い穴の中へと飛び込んだ。




