45.経過と計画
食堂へサヴァスが現れると、グリゴリスやテレサはまるで冷水でも浴びせられたかのように一気に背筋を伸ばし、席を立ってサヴァスに深々と礼をした。
それをサヴァスは楽にしてくれと声をかけ、自分も席についた。
「目覚めてすぐにこんなことやるのもどうかと思ったが、もうとにかく時間がない。ここで君たちには全てを話す。その上で計画を立てる手伝いをしてほしい」
サヴァスの言葉に物申せる人間は『軍団』にいない。
疑問に思ったことは自然と時雨かアリアネが口に出すことになってしまうのは、仕方がないことであった。
「ちょっと待て。説明の前に、なんで『今から』なんだ? 計画が必要ならそれを事前に話して、内々に準備をしておくべきだろ」
不可解な言動を怪しむ時雨に、サヴァスは答えた。
「それも、僕が兄さんから聞かされていた話に関係あるんだ。これは誓って本当のことなんだが、僕は君たちが来ることは知らなかった。だけど、何かが起こることは知っていた」
「具体的には分からないが、どこかで転機が訪れる、と?」
「そうだ。君たちの姿を見て、ある種の確信を持ったよ。兄さんが考えていたことの一片が僕にも掴めたんだ。ガイアを完全に消滅させる、兄さんの計画をね」
ガイアを封印するのではなく、完全に消滅させる。
サヴァスはそう言って、右目を指さした。
「ここにガイアが今も封印されている。長い時間の経つうちに、封印が段々弱くなっていることは、皆も知っている通りさ。兄さんがここに封印したのは、下手な場所に封印するよりも安全だったから、という理由ともうひとつ、まだ倒せない、と判断したからだったんだ」
「倒せない? 封印は出来たんだろ」
「クロノスの力を借りてね。逆に言えば、それがあの頃の僕らには精一杯だったんだ。フィロメラやゼナがすぐに捕えられ、これ以上の策を練ることもできなかった」
サヴァスは時雨の刀を見て、さらに続けた。
「でも今はクロノスの力と、兄さんの体、ガイアに対抗しうる新しい宝玉、それに、強き魂がある。そして、僕も馬鹿じゃないから、人間の中から戦える人材を集め続けた。君が、今このタイミングで来たということは、準備がもう充分だってことでもあるんだ。兄さんは冥界で君を待っていたんだろう?」
時雨は自分がヘラクレスに会った時のことを思い出していた。
時間の流れがない世界で、ヘラクレスはまるでたまたま自分に会ったかのような素振りをとっていたが、あれが最初から仕組まれていたものだとすると、サヴァスの言うことも一理ある、と思えた。
時雨の魂に触れて、全てを知り尽くしたうえで、ガイアを倒すためだけに、この時代、この世界に送り込んだのだ。
しかし、そうなるとひとつ疑問が浮かぶ。
「ヘラクレスはなぜ自分で生き返らなかったんだ?」
「確かに、そこは僕も疑問だ。見たところ、君は兄さんの力の半分も出せていない。でも、兄さんは君を適任だと送り込んだ。まだ冥界でやらないといけないことがあるんじゃないかな。そうじゃなかったら、たぶん、誰かの体に乗り移ってでも戻ってきてると思う」
サヴァスの言う通り、あの場所からならば、時雨が入る前の、過去の体に生き返ることだって可能なはずである。
それをしていないということは、時雨を送り込んだ時点で、ヘラクレスの計画が成功しているということに他ならない。
「だから、君がこの世界の新しい因果なんだよ。この世界にあるものだけではガイアを倒せないと兄さんは判断したんだ。そして、新しく入った君という異世界の人間が、ガイアを倒す」
「俺がガイアと正面から戦うことは、望む展開ではある。だが、腑に落ちない」
成功が先に立つ計画など、些かの気味悪さを感じずにはいられなかった。
ゴールの決まっている道をただ歩かされているような、自意識を奪われている感覚が、時雨の胸中で渦巻いていた。
戦いは自分の意志でやってこそ、という信念があるからなのかもしれないが、ともかく、人にさせられているという感覚が嫌で仕方なかった。
「心の準備はゆっくりしてくれ。必要な材料が揃ったなら、倒す方法も見えてくるというものだ」
「それで、具体的にはどうするんだ?」
それまで黙って話を聞いていたアリアネが代わって口を開いた。
「まず、巨大な魔法の檻を作る。ガイアが逃げ出さないためにね。昔、逃げられて大変な事態になったんだ」
永久に閉じ込められる類のものではないが、戦闘を行うには充分なのだとサヴァスは言った。
「倒すにしても、剣は効くのか? 曲がりなりにも神であるはずのガイアがそう簡単に倒されるとは、私は思えない」
「君の想像通り、剣も魔法もほとんど効かない。でも、『ほとんど』だ。全く無効化されるわけじゃないし、痛みはちゃんと伝わる。それは保証するよ。ガイアと言っても、この世界のルールには逆らえない。無敵というものは絶対に存在しないんだ」
「私も博識な方ではないから、その『世界のルール』というものは分からんが、ほとんど効かないのなら、圧倒的に分が悪いということじゃないか?」
「ああ。分は悪い。トキサメくんがどれだけ出来るかによる部分も大きいけど、僕らに生きて帰られる保証はない」
だから参加は強制しないよ、と言うサヴァスにアリアネは言った。
「悪いが、そんなことは端から聞いていないんだ。私は確実な倒し方を聞いている。それに生きて帰られなくても構わない。どうせ私にはもう帰る場所がないからな」
消え入りそうな寂しい表情をしていることにムルカは気がつき、アリアネの腕を強く掴んで言った。
「確実に倒すために、これから作戦を考えるんじゃないですか! 絶対に倒しましょう! 死ぬなんて、ダメです!」
「ムルカ……」
「ステラの代わりにはなれませんけど、でも、帰る場所にはなってあげられます。だから、そんな悲しいこと言わないでください」
アリアネはしばらく放心したようであったが、やがて自嘲するように笑った。
「――――何をいじけていたんだろうな、私は。なに、死ぬために戦うわけじゃないさ。たくさんの人を守るために戦うんだ。犠牲になられるのも、犠牲になるのも、もう御免だ」
それが本心であることは疑いようもないほどに、強い意志を感じる瞳で、アリアネは言った。
そして、頃合いを見計らったかのように、サヴァスが口を開いた。
「さて、ここから具体的な計画は皆で話し合って決めよう。テレサ、キプロスとレヴァンが戻って来たら会議室へ来るよう言ってくれ。それまでは、僕らだけでおおよその計画を立てておこう」
軍団の城でガイアを倒すための準備が始まり、二十日が過ぎた。
城の地下に広がる巨大な空間の壁に、ムルカ達は手分けして魔法陣を書き込み、結界のような魔法の檻を作り出した。
半径一キロメートルにもおよぶ土のドームに包まれたその場所は、物理的に破壊されない限りは中の魔法が外へ影響を及ぼすことはないという優れものであった。
そうやって計画を立て進めている間、サヴァスは眠りにつくことはなかった。
たびたび眠っていたのは、あくまでいつ訪れるか分からない転機のためであり、今は眠っている暇などないと言う。
しかしそうは言っても、弱っているのは間違いないようで、力なく座っている様子もよく見られた。
その都度、ムルカから少し眠ることを勧められていたが、今眠っては次に目覚める瞬間がひと月以上後になる、と頑なに休もうとはしなかった。
さらに五日が経ち、軍団の外へ出ていた部隊が帰還した。
多くの魔物の角や耳を持ち帰ったが、怪我をしている者も少なくなく、激しい戦いであったことを物語っていた。
その部隊を率いていた残りの四将である、鷹の遺伝子を持つ翼の生えた獣人レヴァンと、硬い皮膚に覆われたアルマジロの獣人キプロスが戻ってきたことにより、計画は具体的な部分まで進み始めた。
まず、サヴァスは彼らに経緯を説明し、ガイアを倒すという旨を伝えた。
その話を聞いても二人は至って冷静で、ガイアと戦うことに対し、一点の不満も持っていないようであった。
それほどまでに、サヴァスに対し絶対的な忠誠を誓っているということなのだろう。
時雨はこのひと月の間で、彼が如何に慕われているか知った。
だからこそ、彼が病床についていると、組織全体の統率が乱れがちになってしまう。
マリスの件については深く謝罪をしてもらい、アリアネもこの一件はマリスの独断であったことを認め、これ以上の追及はしなかった。
もちろん、何の遺恨もないわけではない。
しかし、その恨みをぶつけたところでステラが生き返るはずもなく、気が晴れるということもない、とアリアネは言い、再発の防止を約束させるに留めた。
今回の管理不行き届きから、一度組織体系から見直す必要が出たが、ガイアの問題が解決してから、というところに落ち着いた。
軍団の人間は、猟犬であるアリアネに対して一目おいている者が多く、特にわだかまりなく受け入れてもらえた。
一方、時雨に関しては、全く情報のない見知らぬ屍であり、共に戦うことに不安を持つ者が多かった。
しかし、それもムルカの説得により表面上の信用を得ることは出来た。
時雨が護り竜の尻尾を切り落としたという事実は、彼らに畏怖を抱かせるに充分であったのだ。
時雨は知らなかったが、βクラスの魔物の中でも竜は別格であり、四将ですら一対一での対峙は避けるほどに恐れられているのだ。
当初、ムルカが何としてでも戦うことを避けようとしたこともここに理由があった。
そして、そのドラゴンの話をしている時、サヴァスが急に思い出したように言った。
「ガイアの下に使えていた六匹の悪竜がいてね。そのうちの五匹は僕らが倒したんだけど、残りの一匹だけは今もどこかに潜んでいるはずなんだ」
「場所は分からないのか?」
時雨の問いに、サヴァスは首を振った。
「軍団も総力を挙げて探したんだけど、噂すらつかめなかった。名前をジェラルドと言う、不死の黒竜だ。とてつもなく恐ろしく、ガイアに忠実な竜でね、戦いとなれば必ず姿を見せるに違いない」
居場所が分からなければ対処のしようもなく、これに関しては後手に回ることになるだろう、とサヴァスは諦めたように言った。
しかし、『軍団』にはどこへでも行ける魔法の回廊があることが唯一の救いであった。
ジェラルドが現れたという情報が入れば、すぐにでも応戦へ駆けつけられるだろう。
時雨たちが軍団の城へ来てちょうど三十日が経った時、考えうる限りの、ガイアを倒すための作戦の準備が整った。
巨大なドーム状の魔法の檻の中に、軍団の戦える者、総勢五十五名が一堂に会した。
ガイアをサヴァスの眼から解き放ち、ここで完全に消滅させる。
封印を解く方法はムルカの提案した、時雨の『鎧通し』で、サヴァスの右目を切り抜き、ガイアとの繋がりを断つという方法で決定した。
「しかしまあ、段々と人間離れしていくな。意識や魔法すら断てるようなら、斬れないものはないんじゃないか?」
アリアネが感心したような、呆れたような口調で言った。
「そういう修行に生活の全てをかけていたんだ。何でも斬れないと困る」
冗談でも言うように、時雨はアリアネに告げると、サヴァスの前で刀の柄に手の甲を押し当て、膝を曲げて重心を下げた。
そして、一呼吸おいた後、一切の緊張も迷いもなく、サヴァスの眼を斬った。




