44.軍団の長
食堂はいくつかの大きな長机と、見事な装飾の施された木製の椅子が整然と並べられ、その一角で一同は席についた。
「ここに住んでいるのは二人だけなのか?」
空いた席を見て、時雨が言った。
ざっと見て百席ほどがあり、多いとも言えないが少ないとも言えない数である。
その全てが空いているのは寂しいもので、普段は埋まっているのだろうかと考えたのだ。
「全員で六十五人住んでるよ。あ、厨房の二人と清掃員入れたら六十八、か。あの、私たちの普段の仕事としてね、西と東の中央線、ええと、魔物の領土と人間の領土の境目を押し上げるって仕事があって、みんなはそれに出てるんだ」
相変わらず不機嫌そうにシワを寄せるグリゴリスに代わって、テレサが言った。
「領土の境目ってそんなに簡単に動かせるもんなのか」
「簡単には動かせないよ。だから大変なんだ」
具体的にどうやっているのか、は聞かなかったが、恐らくその地域に住む魔物を一掃しているのだろうということは想像に難くない。
軍団は人間からあぶれた強者の集まりであるが、ひとりひとりが十人力以上の力を持つために、統率するにはある一定の強さを必要とする。
グリゴリスやテレサはその中でも幹部である『四将』という役職についている。
強さの象徴となる『四将』の役職は、決して飾りではなく、冒険者ギルドでは手に負えないようなβランクの凶暴な魔物をたった一人で制し、実力を認めさせて初めて着くことのできる幹部の席である。
つまり、枠が四つしかないのではなく、それに足る能力を持つ者がそれだけしかいないのだ。
ほとんどの者はその純粋な力に憧れ、自然と尊敬や羨望の眼差しを向けることになり、その結果統率を取れるというわけである。
しかし、それはあくまで『ほとんど』であり、マリスなどのように強さに執着しない者にとってはそれほど魅力ではないという側面を持っていた。
テレサやグリゴリスなどの四将と言えど、集団からあぶれた者であることは変わらず、生き物としての強さの他に人を動かすにはどうしたらいいかなど知らないのだ。
それを分かっていてもこうした方法を取らざるを得なかったのは、一重にサヴァスが眠っていることが原因であった。
サヴァスが健在であれば軍団をまとめあげることなど容易である、とテレサが言い、ムルカもそれに同意した。
それほどまでに強い影響力を持つ長なのだ。
「お話の途中ですが、食事をお持ちしました」
食堂の入り口に小奇麗な格好をした豚の獣人と小柄なオークが、皿に盛られた大量の料理を台車に乗せて立っていた。
「子豚の丸焼きに、今朝仕入れたばかりのタラとハーブを蒸し焼きにしたもの、野菜のスープとパンです。それに、葡萄酒も用意してあります」
「ありがとう、クレア」
テレサが礼を言うと、クレアは微笑んで、後ろにいたオークと共に次々と料理を机の上に並べていく。
「お客さんが来るのは初めてなので緊張しますけど、最高の料理を振る舞うことこそ私の生きがいです。どうぞ召し上がってください」
食欲をそそる料理の香りに、食事の必要がない時雨でさえ、食べてみたくなっていた。
皆が食べ始めた様子を見て、アリアネも匙を取り、スープを口へ運んだ。
大声をあげることはなんとか理性が止めたため、唸り声をあげ目を大きく開き、言葉を失っているところを見るに、尋常でない美味しさだったのだろう。
時雨もそのスープをひと口飲んでみると、アリアネの反応にも納得がいった。
生前に時雨が日常的に食べていた食事よりも美味しいのだ。
一般的に食事の味は文明の進化と共に精錬され、磨かれていくものだ。
これほどしっかりとしたスープをこの世界で食べられるとは思ってもみなかった。
子豚も、魚も、パンでさえも、その全てが想像の味を軽く超えていた。
意外、などと言っては失礼だが、そういった驚きでさえ彼女の思惑の中にあったようで、アリアネと時雨の反応をただ嬉しそうに見つめていた。
食べながら話を続けるつもりが、二人は食事に集中してしまい、料理を食べ尽くすまで、話が再開されることはなかった。
「葡萄酒もありますよ」
笑顔でグラスへ赤い酒を注ぐクレアに、時雨は言った。
「酒を飲んだことがなくてな。もしかしたら飲めないかもしれないから、あまり注がないでくれ」
「あら、そうなんですか? そちらの方はいかがしましょう」
クレアの問いに、アリアネも、時雨と同じく、と返した。
「実は私も酒は飲んだことがない。妹が酒の匂いが苦手だったんだ。そのせいもあって、飲む機会がなかった」
「でしたら、この機会にご賞味ください。美味しい食事には美味しいお酒ですよ」
「そうだな。いずれ飲んでみようとは思っていたんだ。トキサメと同じくらいの量で頼む」
「承知しました」
アリアネのグラスにも赤い酒が少しだけ注がれ、二人は意を決して、ぐい、と喉へ流し込んだ。
液体の到達した胃の底が熱く、炉に火を入れたかのように、体の中で何かを燃やしている。
「これが、酒、か。もっと心地よいものだと思っていたぞ……」
「そのうち、良くなるんじゃないか? 俺はそこまで飲み続けられる気がしないが」
酒の味に関しては良し悪しが分からないため、二人して飲酒後の体の話になってしまったが、ともかく、肯定的な意見は出なかった。
そのうちに、時雨は自分の体が味を感じられることに気がついた。
宝玉が揃ったことで、ムルカの魔法無しでも、体が生きていた時に近い状態へと回復していっているのだ。
干からびていることは変わらないが、中身はヘラクレスだったころの身体へと確実に戻っていた。
「そういえば、テレサ、宝玉のことについて、サヴァスさまから何か聞いていますか?」
食事の片づけが終わる段になって、ムルカが本題を切り出した。
「宝玉? サヴァス様からは何も聞いてないわ。グリゴリスは?」
「俺も知らん。ムルカが聞いていないのなら、誰も聞いていないだろう」
「宝玉のことを知ってるのはサヴァスさまだけ、ということですか。何かそれを記した本や日記のようなものはありませんでしたか?」
「それを一番知っているのもあなたじゃない。サヴァス様の部屋に書物は置いてないわ」
軍団の城に戻ってきたものの、やはり宝玉のことはサヴァスにしか分からないようであった。
「サヴァスさまの部屋に行ってみましょう。何も見つからないかもしれませんけど、何もしないよりはいいと思いますから」
「二人をサヴァス様の部屋に入れるの? 大丈夫かしら」
心配そうな顔をするテレサに、ムルカは胸を張って言った。
「私が保証します。万が一にも悪いことが起きることはありません」
素性が知れない二人を、病床についている組織の長の部屋に入れることを躊躇う気持ちは充分に分かるため、時雨はここで待っておこうか提案しようとしたが、先にアリアネが口を開いた。
「私たちはここで待っている。急に訪問して、そこまで踏み込むわけにもいくまい」
「……だな。そんなこと、快く思わない方が普通だ」
二人がそう考えていることを聞いて、テレサは安心したような表情をし、ムルカに言った。
「サヴァス様はまだ眠っていると思うけど、行っておいで」
少し不満そうにムルカは了承し、ひとりで食堂から出ていった。
「つき合わせちゃってごめんね」
「いや、俺たちだって好きでやってんだ。お礼を言われるようなことじゃない」
「いいえ、うちの姫さまの我儘聞いてもらったんだから、相応のお礼はするよ。と言っても、この城にお金はないから、限度があるんだけどね」
「いらねえよ、金なんか。今のところは借りにでもしといてくれ。まだこれから世話になることもあるだろうしさ」
そんな話をしていると、足音が響き、息を切らせたムルカが慌てて食堂に入ってきた。
「二人とも、来てください! サヴァスさまが会いたいそうです」
「目が覚めていたのか」
「ええ、とにかく、早く、行きますよ!」
次にいつ目を覚ますか分からないサヴァスと話せる時間は多くない。
食堂を出て、中央階段を上がり、さらに奥の階段を進むと、大きく装飾のついた両開きの扉が姿を現した。
その扉を開くと、広い空間の一番先に、玉座のような椅子が置いてある。
しかし、誰も座ってはおらず、ムルカもそれは無視するように、その後ろの壁にある扉を開けてさらに進む。
そこがサヴァスの寝室となっていた。
殺風景な石造りの部屋に、キングサイズのベッドだけが置いてあり、そこで上半身を起こした、一風変わった姿の男が来客の姿を見ていた。
表皮は蛇のような鱗で薄い青をしていて、口は耳元まで裂けている。
ずっと眠っていたにも関わらず体つきはがっしりとしており、とても弱っているとは思えない風貌であった。
「サヴァス様――――」
詳しい紹介をしようとしたムルカに首を振り、サヴァスは言った。
「待ってくれ。彼らのことは彼ら自身の口から直接聞きたい。それにしても、この眼で見るまで信じられなかったが、ムルカ、よくやった、と言っておくよ。間違いなく彼こそ、必要だったこの世界の『劫』、新しい因果であり、時間の流れだ」
時雨やアリアネ、ムルカですら全く理解出来ないと言いたげな顔でその言葉を流し、順番に自己紹介を行った。
アリアネが猟犬であることを知り、またサヴァスは驚いた。
軍団に入ることを拒んだはずの猟犬と、宝玉を三つ携えたヘラクレスの遺体を、まだ子供であるはずのムルカが半年足らずで連れて来たのだから、驚嘆してしかるべきであった。
「本当によくやった。遺体を動かすためにまさかこういう方法があったとは知らなかった」
「あの、サヴァスさま、詳しく教えてください。私はガイアをもう一度封印してサヴァス様を助けるために行動を起こしました。でも、ここまでやっても、どうやったらガイアを封印できるのか知らないのです。それに、サヴァスさまだけが知っていることもあるんでしょう?」
サヴァスは少し考え、やがて教える決心をしたのか、ベッドから起き上がった。
「今この城には誰が残っている?」
「グリゴリスとテレサだけです。食堂にいると思います」
「分かった。どうせならあの二人にも聞いてもらおう。いずれ全員に告げる必要はあるけど、数人でも早く伝えておくにこしたことはない」
まるで以前から時雨がここに来ることを予見していたかのように、サヴァスは手際よく、説明のための準備を始めた。




