42.復帰と住処
翌日になると、傷の癒えたアリアネが朝日と共に起き出し、屋敷の外で柔軟体操をしていた。
傷を治すためとは言え、眠ってばかりでは体がなまるのだ。
少し走って体を温めたあと、剣を片手に素振りを始めた。
そうしていると、気配を察したのか、時雨が屋敷から出てきた。
「随分と早起きだな。体はもういいのか?」
「ああ。おかげでもう全快だ。迷惑をかけたな。ところで、衣装が変わっているが、何があった?」
「新調したんだ。ボロボロだったからな」
「なかなか似合っているぞ」
時雨は肩をすくめた。
風が吹いて、道着の袖口がなびく。
「まさか褒められるとは」
白んだ空の下、二人はしばらく静かに笑い合い、やがてアリアネが切り出した。
「そうだ、ところで、マリスの住処は分かったのか? あんなことを言ったが、そう簡単に見つかるとも思えないぞ」
「闇雲に探すよりは余程可能性のある方法がある。そっちは心配しなくていい」
「そうか。実は、ゆっくりと眠って考えてみたのだがな、そちらは焦らなくてもいいのではないか、と思ったんだ。呪術師も人狼も絶滅危惧種になっている今、ハイマの呪いを使える人も使われる人もこの世界にはほとんどいない。したがって、ムルカの用事を優先させるべきだ。私の用事は、全て終わってからひとりでも出来るからな」
「だからよ、大丈夫だって。それに、手伝うに決まってんだろ。なんでもひとりでやろうとするんじゃねえ」
そう言われ、アリアネは目を丸くして、言葉に詰まった。
こういうところから変わらないといけないな、と、アリアネは少し考えて、言いなおした。
「すまない。ああ、その、なんだ。……頼らせてもらう」
たったそれだけ言うのにも、たくさんの勇気を使った。
誰かに手伝ってくれと言うことなど、ステラを除けば初めてのことであった。
時雨はそのおかしな態度に少し眉をひそめたが、構わず続けた。
「ともかく、アリアネがもう回復したっていうなら、昼頃から始めようか」
「うむ。ムルカが起きてから、だな。それと、私はマリスと戦い始めてからの記憶がほとんどない。その間に何があったのかも聞いておきたいのだが」
アリアネは視線を屋敷の隣にいるフィロメラへ向け、言った。
屋敷に戻り、時雨があらかた事の経緯を説明し終えたころ、ムルカが眠い目をこすりながら、階段を降りて来た。
アリアネが起きているところを二度見して、一気に眠気が覚めたような明るい表情になり、駆け寄って飛びついた。
「アリアネ! もう大丈夫なんですか!?」
「心配かけたな。この通り、完治した。いつでも戦えるぞ」
「――――だ、そうだ。ムルカ、すぐ始めてもいいか?」
時雨が立ち上がりながら言う。
「すぐ、と言っても、一体何をするんですか?」
「そうだ、マリスの住処はどうやって見つけるつもりなんだ?」
「アリアネ、念のためソファを壁に寄せてくれ。ムルカはそこに立っていてくれ」
内容は一切言わず、時雨が指示を出すため、よく分からないまま、二人はその通りに動いた。
「本当に何をするつもりなんだ?」
「まあ、順を追って説明するなら、ムルカは『軍団』にいたころ、食事は給仕されていただろう? 自分で料理するようには見えないからな」
「む、失礼な。でも、その通りです。『軍団』の城には専属の料理人がいますから、作ってもらったものを食べていただけです」
「なんとまあ、良い暮らしをしていたんだな」
アリアネが驚いて言った。
「否定はしません。でも、それが何なんですか? 今更私の生活の話をしても……」
「重要なんだよ。俺がここに来て、『桐谷時雨』と名乗ったのは、ただ一度だけなんだ。棺で目が覚めて、ムルカと会話した時だ。その場でその名前を聞いていたのは、ムルカだけ。俺の可能性もあるが、一度駆除してるから、それは無いと思う」
「あの、何の話を……」
「――――マリスは俺の名前を知っていた。知識をひけらかすためか、恐れさせるためか、いずれにせよ、何かしらの方法であの時の会話を聞いていたとしか考えられない」
時雨が言わんとしていることに、アリアネは気がついた。
奴は、魔力の一部に自分を乗せて、人の心の中に入り込むことが出来る。
「まさか、食事の中に……」
「アリアネ、その通りだ。ムルカに宝玉を盗ませるところまで、計画していたのだろう。結局失敗してしまったわけだがな」
「二人とも、何の話をしているんですか? 食事の中に、何なんですか!?」
時雨はムルカと目線を合わせるように屈んで、両肩に手を添えた。
「落ち着け。良いか? 今、ムルカの中にはマリスが入っている。恐らくこの会話も聞いている。だから、今すぐ手を打たないと何をしでかすかわからない」
「だったら、ゼナに頼んで……!!」
時雨が首を振った。
「それだと、またあいつと対峙しないとならないし、心の中をめちゃくちゃに荒らされるかもしれない。今話したのは、違う解決方法があるからだ。そんな面倒をする必要はない」
「違う方法?」
「だから、そこで立っていろ、と言ったんだ。アリアネ、少し端に避けていてくれ」
言われるがまま、アリアネはムルカから離れ、それを見て、時雨は腰を低くして雨天に手をかけた。
「トキサメ、ムルカごと斬る気か!?」
「少し黙っていてくれ。何せ初めてやるんだ。集中しないとな」
ムルカは文句ひとつ言わず、黙って目を硬くつぶっていた。
信頼しているのだ、とアリアネは感じ、無闇に口を出した己を恥じた。
時雨がムルカごと斬るはずがない。
そう瞬時に判断出来なかったことが、少し悔しかった。
時雨の抜刀はとにかく速く、なめらかで美しかった。
閃光が風のようにムルカの体を通過したが、依然胴は繋がったままで、斬られた様子はない。
「ケンジュツか……」
どういう効果のある技なのかはわからないが、とにかく、ムルカは無事である。
時雨がおもむろに刀を鞘に納め、鍔が軽い金属音を立てて鞘にぶつかると同時に、ムルカの体から、手の平サイズの眩く光る電光体が飛び出した。
「なんだこれは!?」
「マリスだ。食事に入れられる量ではこのくらいが精いっぱいなんだろうな。見ろ、もう話す力すら持っていないみたいだ」
アリアネはマリスの名を聞いて、慌ててその電光体を掴んだ。
「貴様、懲りもせず、こんなところに隠れていたのか!」
目が赤く光る前に、マリスを時雨が取り上げた。
「待て待て。握り潰されては困る」
「しかし……!」
「こいつは残りカスみたいなもんだ。だが、記憶は持っている。ゼナに覗けないか聞いてみよう」
電光体を持って、屋敷を出ようとした時雨を、今度はアリアネが止めた。
「そういうことなら、少し試したいことがある。貸してくれないか?」
「どうするつもりだ」
「こうするんだ」
アリアネの腕に魔方陣が浮かび、右手で掴んだ電光体が、手の平に吸い込まれていく。
ステラの使っていた『吸収』の魔法だ。
心の中に残されたステラの剣に刻まれた魔方陣のイメージが、右腕に宿ったことで、アリアネにも使えるようになっていたのだ。
それは魔法武具と同じ機構であり、出力の調整が出来る代物ではないが、使えるのであれば何も問題はない。
「うっ……!」
マリスの記憶が、雪崩のように押し寄せ、アリアネの意識を蝕んだ。
しっかりと自己を認識し、マリスの記憶と距離をとり、読み取っていく。
「大丈夫か?」
「……問題ない。場所は分かった」
記憶全てを理解できたわけではない。
しかし、住処は特定できた。
場所を聞いた時雨が、それほど遠くないのならすぐに出かけよう、と言い出したため、二人は慌てて支度をした。
外に出ると、カロスとゼナが待っており、フィロメラだけは土の柱から顔を覗かせている。
「これからマリスの居場所を探すのかい?」
「いや、もう場所は分かった。さっそく向かうことにする。世話になった」
「なんだ、寂しいね。また遊びに来なよ。アタシたちはずっとここにいるからさ」
「ああ。フィロメラも、色々と助けてくれてありがとう。全部の用事が済んだら、また寄らせてもらおう」
「ま、また、今度」
別れの挨拶を済ませると、突然、ゼナが思いついたように声をあげた。
「あ、そうだ。どこまで行くのか知らないけど、カロスに乗っていきなよ。歩くより数倍早いよ」
時雨は特別断る理由もない、とその誘いに乗ることにした。
「お、おい。ドラゴンに乗るのか?」
アリアネだけがカロスの一挙一動に警戒していた。
美しい横顔をさらしながら、カロスは鼻息を鳴らす。
「ドラゴンに乗るのは初めてか?」
「いや、初めても何もドラゴンは乗るものではないぞ! ……待て、まさか乗ったのか?」
「良い空の旅だったぞ。なあ、ムルカ?」
「はい! とても綺麗でした!」
ムルカも笑顔で答え、アリアネは裏切られたような気持ちになり、愕然とした。
「なんて命知らずな! ドラゴンというのは凶暴で、人には絶対に懐かない、魔物の中でもかなり危険な部類だぞ。それを、乗るだなんて……」
「そう言わずに乗るぞ。フィロメラ、頼む」
アリアネの足元から無数の干からびた腕が伸び出し、空中へ持ち上げた。
「おい! やめろ! 離せ!」
全く身動きのとれないまま、カロスの上に座らされる。
蒼い鱗のなめらかな感触が鎧ごしに伝わり、どこを掴めば良いのかわらかないところがなんとも心許ない。
時雨とムルカも共にまたがり、降ろしてくれ、と懇願するアリアネを全く無視したまま、カロスは大空へと飛びあがった。
それから目的の、洞窟の入り口へ着くまで、アリアネは生きた心地がしなかった。
景色の綺麗さや、爽快感へ意識を向ける余裕もない。
地面へ降りてもしばらくは足元がふわふわと落ち着かない感覚で、まっすぐ立っているつもりが、少し斜めになってしまい、剣を地面に刺して杖代わりにしなければ、倒れてしまいそうであった。
もう二度と乗らないと思いながら、未だ得体の知れない青いドラゴンへ一応の礼を告げ、時雨やムルカと共に、洞窟の中へと入った。
陽の光が入るのは洞窟の入り口付近だけで、奥は真っ暗である。
滝の音が聞こえることから、奥はかなり広い空間が広がっているのだろうと予想がつくが、そこに灯りがあるかどうかまでは分からない。
アリアネは松明を取り出そうとしたが、すぐにあることを思いついた。
『吸収』が出来たことと同じように、マリスの雷も使えるかもしれない。
二人に少し離れるよう言い、雷の魔法を使う時に手に浮かんでいた魔方陣を記憶の中から呼び起こし、左腕の皮膚の下にイメージする。
籠手を外して、魔力を巡らせると、左腕が眩く輝き出した。
「それ、マリスのですか?」
「放出は出来ないが、これで触れば雷魔法と同様の効果は出せるだろうな。まあ、籠手を外す必要があるし、戦闘での使い道はないと思うが、灯りにはなるだろう」
三人はアリアネを先導に、洞窟の奥へと進んだ。
岩肌がいつの間にか石灰岩に変わり、滝の音が近づく。
通路を抜けると広い空間に出て、アリアネが入り口のすぐ傍にあった棒状の物体に触ると、パッと、一斉に灯りが点いた。
それは、マリスの雷魔法で動く電灯であった。
端が見えないほど広い鍾乳洞と、遙か上から流れ落ちる滝が姿を現し、少し先にこげ茶色の木で組まれた居住スペースや大鍋があった。
「マリスはここで何をしていたんですかね」
「あまり、口には出したくないようなことだな。こっちから血の臭いがする」
記憶を覗き見たアリアネには、マリスがここで行った悍ましき実験の数々が、おぼろげに認識できる。
はっきりと見ていないのは、被害者たちの悲鳴や憎悪や恐怖を感じてしまうと、気が狂いかねないからである。
血の臭いを辿ると、思った通りのものがあった。
「これって……」
『それ』を見たムルカが言葉を失った。
言葉にしてしまっては、恐ろしい事実を認識するようであったのだろう。
「この鎧は見覚えがある……。そうか。アリアネ、知っていたのか?」
鉄格子で覆われた牢の中で手足を鎖につながれ、まるで砂漠に放置された木の実のように干からびて、鎧を着ていなければそれが誰であるかすら分からない。
「……ステラだ。ステラはここで生きたまま血と生命力と魔力を抜かれ、宝玉にされた。あのギガンテスとかいう怪物を動かすために、な」
牢を力で無理矢理こじ開け、鎖を引きちぎってアリアネは言った。
「ここにあるものは全て破壊する。マリスは一部の部下にしかこの場所を教えていなかった。だから、ここのものを全て処分すれば後を追う者は現れない」
自分でも理由は分からないが、なぜか冷静でいられた。
ステラとの別れを既に済ませていることもあるだろうが、マリスの記憶を覗き見たあとだと、少しばかり憐れみの気持ちが生まれていた。
それが純粋に自分の感情であるとは言い難いことも分かっていたため、二人には言わないでおいたのだが、マリスは本当に長い間放っておかれていたのだ。
生きるためには目標というものが必要不可欠で、誰からもそれを与えられることがなかったマリスは、自分自身の歪んだ価値観を交えた妄想の命令を、セレーネから下されたとして、遂行しようとしていたのだ。
人形魔法に自我を持たせてはいけないことは、魔法使いであれば誰であれ知っている掟だが、もし破ればどうなるかということの見本であった。
主人が死することによって、コントロールを失った人形は名を地に落とす愚行に走りがちだと知識で知っていても、実際に目の当たりにすれば、それがどれだけ滑稽で無意味で狂っているか、ありありと分かろうものである。
アリアネは物品の処分を二人に任せて、ステラの遺体を連れて外へ出た。
雷を流して、ステラの遺体を燃やし、灰を小さな袋に詰めて大事に懐へしまった。
「これでもう、ずっと一緒にいられる」
誰にも分からないよう、アリアネは少しだけ微笑んだ。




