40.試し切り
アリアネを寝かせ、ムルカは時雨たちの元へと戻った。
屋敷から出て初めて、フィロメラが外敵から屋敷で寝ているアリアネを守っていることが分かった。
彼女は心優しい神の子なのだ。
「大人しく眠ったか?」
時雨の問いに、ムルカは頷いた。
「ええ。やっぱり無理をしていたみたいです。それはそうと、フィロメラさんは凄いですね。なんであんなに土から作れるんですか?」
それを聞いてゼナは笑った。
「大地は万物の祖だからね。母ちゃんだって、地面からなんでも作ったんだから」
ガイアが生き物を作ったことから考えれば、布を作るくらいわけないのだ、と言う。
結局のところ、理屈は分かっていないのだろう。
「さて、お待ちかねの試し切りをしようか。早くやらないと朝になっちゃう」
「朝になるとどうなるんですか?」
「試し切りが出来なくなる。カロス、久しぶりに頼むよ」
ゼナは手早く、カロスの足にある鱗の一枚に手を伸ばす。
顔と同じほどの大きさがある鱗を、両手で持ち、時雨に渡した。
「どうすりゃいいんだ?」
「これに魔力を注入して」
「……出来ねえ」
「は?」
時雨が魔法を使えないことを説明すると、ゼナは呆れたように言った。
「アンタ、魔法も使わないでどうやって生きてきたの」
「必要なかったからな」
「……じゃあ、ムルカ。やってみる?」
そう言ってムルカに鱗を渡した。
反対側が透けて見えるほどに薄く、夜空のように蒼い鱗である。
「私でもいいんですか?」
「大丈夫。変なことにはならないから」
半信半疑で、ムルカは鱗に魔法を使うイメージをして、魔力を注入した。
蒼い鱗はより一層蒼く輝き、やがてはムルカの手を離れて宙に浮く。
独りでに、導かれるようにして月の方へ向かってゆっくりと進んでいく。
そして、空で月に沿って円を描き、紺色の空に、深淵を覗くような漆黒の穴が空いた。
「なんですか、これ……」
ムルカは初めて見る光景に言葉を失った。
「まだ大地が出来てすぐのころに繋がっている穴なんだ。簡単に言えば魔物の住処に通じる穴だよ。さあ、試し切りの相手が出てくる」
説明がよく分からなかったが、考えを咀嚼する前に、穴から出て来た爪のついた大きな手にムルカは気を取られた。
「試し切りは外国じゃ動物使ってやるんだったか。それにしても生ではないと思うが……。俺はアレと戦えばいいのか?」
「うん。もし倒しきれなかったら、ムルカが魔力を切れば存在できなくなるから、覚えておいてね。あと、月が沈んでも穴は閉じるよ」
「なるほど分かった。ムルカ、危ないと思ったらすぐに頼むぜ」
「止めろって言うなんて珍しいですね」
「そりゃそうだろ。俺がやられたら次に襲われるのはお前らだぞ。……来るぞ」
牛の顔を持つ二足歩行の怪物が、穴から飛び出してきた。
体の大きさはギガンテスと同じくらいであるが、相手を叩き潰すためだけに発達した筋肉と、肉を引き裂くためだけに発達した手足の爪が、その戦闘力の高さを感じさせていた。
わけのわからない様子で辺りを見回し、一番近くにいた刀を肩に担ぐ時雨と対峙した。
その怪物を見て、ムルカは冷や汗を流した。
文献で見たことがある、大昔に存在したという伝説上の怪物。
「ミノタウロス……」
牛の頭を持ち、人間に近い体を持つ凶暴な怪物。
血を好み、争いを生きがいとし、骨肉を食すという、悪魔の化身。
ガイアの影響を色濃く受けた第一世代の魔物。
最悪と災厄を兼ね備えた、最も凶暴な戦闘種族である。
「ボウオオオオオ!!」
その血の滾りを声にしたかのように、ミノタウロスは時雨を威嚇した。
地を震わせる咆哮に、時雨は耳を塞いだ。
「うるせえやつだ。さっさとやろうぜ、デカブツ。思えば、お前みたいなやつと戦うために来たんだよな。人間と戦うためじゃねえ」
時雨が刀を構える動作を終えるとほぼ同時に、ミノタウロスは大地を蹴って、たったの一歩で時雨の正面へ詰めた。
流石の時雨もその速さには驚き、一瞬だけ反応が遅れる。
危うく腹を裂かれかけるところを、ぎりぎり後ろに身を躱した。
力任せで大振りの攻撃に連続性はない。
時雨は滑らかに敵の股下へ足を踏み込み、同時に左足を斬り飛ばしてやるつもりだった。
しかし、次の瞬間、何かに吸い込まれるようにして、時雨の体は宙を舞っていた。
「何だ!?」
離れて見ていたムルカには何が起こっているのか分かった。
ミノタウロスの爪の軌跡の空間が裂け、周囲のものを吸い込んでいるのだ。
空間の裂け目に囚われ、身動きが取れない時雨を、さらにもう一撃、と怪物は乱暴に殴った。
刀で受けたため直撃は免れたが、時雨の軽い体は飛んだ。
空中で体勢を立て直してなんとか着地したところを、ミノタウロスは間髪入れず踏み潰そうとするが、時雨は避けた。
「どういう魔法だあれは!?」
ムルカには時雨の問いに答えられる知識がない。
空間に対して作用する、初めて見る魔法であった。
「次元魔法、とでも呼ぼうか。あのころの魔物の中にはこういうことが出来るやつがいた」
いつの間にか地面に座っていたゼナが言った。
「もしかして、カロスのこの鱗も?」
「子供のころから一緒だって、言ったでしょ。カロスも昔の魔物よ」
時雨はミノタウロスの攻撃に対して、徐々に対応できるようになっていた。
とは言っても、速さに対してだけであり、魔法をどう攻略すればいいのか、といった具合であった。
爪を受け流し、空間の裂け目を作らせなければ魔法は発動しないが、厄介なことに、足の爪や牙でも裂け目を作ることが出来るようで、時雨はミノタウロスを自由に動かさないよう立ち回るしかなかった。
そんな防戦一方の状況で、時雨は笑顔を見せていた。
決して爽やかではなく、強がりの笑顔にも見えるが、それでも、全くと言っていいほど絶望の色は出していない。
ムルカはいつ戦いを止めたらいいものかタイミングを計っていたが、次第にその心配をする必要もないことに気がついた。
時雨は危ないところで攻撃を躱しているが、一度も傷を負っていない。
体と刀を馴染ませるために、意図的に回避と防御に集中しているのだ。
戦いの勘は戦うことでしか戻らないからだ。
しばらくその様子を見ていたゼナは、途中で眠気に襲われたのか、カロスによりかかるようにして眠ってしまった。
ムルカだけはずっと、時雨が楽しそうに刀を振るう様子を見ていた。
そのころになって、ようやく時雨が怪物を押し始めた。
爪の振り始めを刀の峰で弾く。
勢いに乗る前なら、力で跳ね飛ばされることもないのだ。
ミノタウロスはその状況に少しずつ苛立ち始めており、何としてでも切り裂いてやろうとしている様子が見て取れた。
そういった精神状態になったならば、それはもうすでに時雨の刃が首筋に当てられていることと同義であることを、ムルカは知っている。
その一瞬後に、ミノタウロスの右腕が斬り飛ばされることは、確定された未来であったとも言えた。
「ボウオオオオオオ!!」
「おうおう。隻腕になれば群れに帰っても見分けがつくな」
笑う時雨に対して、右腕を失ったミノタウロスは完全に我を忘れ、飛びかかった。
「捨て身の攻撃をするつもりみたいだが、残念、時間切れだ」
月が西の地平線に近づき、白んだ空に馴染むようにして、その姿は薄くなっていく。
カロスの鱗で作り出した空間の穴が縮んでいき、ミノタウロスが抗いようのない強い力で穴へと吸い込まれ、ついに決着はつかずに、戦闘は終わった。
「良い敵だった。だが、これは――――」
「試し切り、ではありませんよね?」
長い時間戦い続け、朝日を迎えた二人の意見は一致した。
斬ることが目的のはずの試し切りで、斬ることが出来たのは一度だけである。
そんな二人の様子を知らないゼナは、丸まったカロスに寄り添って寝息を立てていた。
「……どうしますか? これじゃ消化不良ですよね?」
「まあ、な。結局切れ味は分からなかったからな」
「フィロメラに頼んでみますか?」
「フィロメラって、あのでかい奴か? 話通じるのか?」
時雨はまだフィロメラに対して苦手意識を持っているようであった。
「大丈夫ですよ。思っているよりも良い人ですから」
「『思っているよりも』とはどういう意味だ? 俺はまだ何も言っていないが」
時雨がいじわるそうな顔をして言う。
「もう、何なんですか。何を作ってもらえばいいんですか?」
「そうだな……。すぐ思いつくのは巻き藁だが、巻き藁って分かるか?」
「藁を巻くことは分かりますけど、何にどう巻いたものかまでは……」
時雨は、それもそうか、と考え直す素振りを見せた。
「竹の生えてないこの大陸で青竹の説明をするのも難しいからやめておくか。だったら死体か兜か……」
「兜にしましょう」
「死体でもいいんだが」
「兜にしましょう」
「嫌なのかよ。死霊使いなのに」
ムルカ達はそんな話をしながら、フィロメラの立つ鍛冶場へと向かった。
鍛冶場の中には金床やふいご等があり、ゼナがどのようにして鍛冶を行っているか定かではないが、ともかく一般的な設備はあった。
フィロメラはその鍛冶場の隣で佇んでいたが、ムルカたちが近づいたことが分かると、顔のついている部分を下げた。
「フィロメラさん。土で兜を作ることってできますか?」
「でき、出来る。いくつ?」
「ええと、トキサメ、何個あったらいいんですか?」
「一つでいい。しっかりしたやつで頼む」
「分かる、分かった」
ムルカの足元が球状に膨らみ、みるみるうちに鋼鉄で出来た旧式の兜が作り上げられた。
「これをどうするんですか?」
「ああ、持っていてくれ。両端を指で抑える感じでな」
「……え? あの、私が? 置いてやるんじゃないんですか?」
「そんなに強くぶつからないから大丈夫だ」
「そっちじゃなくて……」
ムルカは諦めて両手で持つことにした。
しかし、時雨が如何に剣の腕があると言っても、怖いものは怖い。
「ケンジュツっていうのは、こんな曲芸みたいなこともやるんですか?」
「曲芸ってのは、ある程度力量が必要だからな。腕前を試すためにやったりもする。まあ、今はやる必要ないけどな」
「だったら置いてやってくださいよ! 怖いんですから!」
「じっとしてろよ。顔無くなるぞ」
「えぇ……」
ムルカは目をぐっと強く閉じて、兜を前に出した。
願わくは怪我しませんように、とただそれだけを祈った。
時雨は剣を上段に構え、息を深く吐いた。
日本刀での兜割りは同田貫を用いてのものが有名で、五分まで斬り込んだという。
時雨は両手を脱力させ、踏み込んで、風のように素早く透明な斬撃を放った。
それを受けるムルカは、刀が眼前を通り過ぎ、地へ至るまでの間、一切の衝撃を感じなかった。
試し切りが終わったことに気がついたのは、兜が二つに割れてからである。
目を開けて、ムルカは言葉を失った。
そもそも武器から頭部を守るはずの兜が、こうも容易く分かれるとは思っていなかった。
何なら、兜に刀が跳ね返って、その反動が危ないとすら思っていたくらいである。
「本当にすごいですね……」
「いや、刀が凄いんだ。正直、ゼナに作れるのか心配だったが、鍛冶の技術を人類に伝えただけのことはある。試作品でこれだけ斬れるとは」
「トキサメの持っていた雨天と比べてどうですか?」
「こっちの方が斬れるな。雨天でもこう簡単に兜割りは出来ない」
時雨の言葉にムルカは少し疑問を持った。
「……斬れる確信がないのに、持たせてやったんですか?」
時雨は何も答えなかった。
辺りはすっかり明るくなり、朝日が昇り始めていた。




