39.濃紺の空
夜空の紺と瞬く星が天を包み、下には雲海が広がっている。
その絶景にムルカは息を飲んだ。
竜は残虐で恐ろしい生物であると聞いていたため、乗ろうなどと考えるものがいるとは思えない。
だが、この心地よさを知ってしまうと、もう知る前には戻れなかった。
「すごい高さまで飛んだな」
「綺麗です」
「落ちたらひとたまりもないぞ」
「どうしてそんなことを……。トキサメは生きていた時にこんな景色を見たことありますか?」
「ここまで解放感はないが、飛行機って乗り物があった。鉄の箱に乗って空を飛ぶんだぜ」
「鉄の箱に? 浮遊の魔法か何かですか?」
「いや、科学と技術の結晶さ。俺の住んでいた世界に魔法はなかったからな」
「魔法がない世界……」
俄かには信じられなかった。
時雨がどこから来たかさえ知らなかったのだが、魔法のない代わりに技術が進歩した世界だと思えば、時雨の異常なまでの剣術の研鑽にも納得がいく。
「でも、魔法がなくて、どうやって身を守っていたんですか? この世界だって、まずは大規模な魔法で魔物を追い払わないと街は作れませんよ?」
「残念だけど、魔物のようなものはいなかった。世界は人間のための物で、それ以外は『それ以外』でしかなかった。俺のいた国じゃ、自分以外の人間も『それ以外』の範疇だったがな。皆が自分のためだけに生きているし、それが普通だった」
「トキサメも、他人に関心がなかった、ということですか?」
「いや、俺は逆だ。関心がありすぎた。だから、復讐心なんてものを持ってしまった。親父が死んだくらいでな」
「お父さんが……」
「理由はたくさんあったが、俺にはそんなことどうだってよかった。八つ当たりみたいなもんさ。とにかく関わったやつを斬ってまわった。それが、ムルカが見た白骨の山だ。酷い話だろ」
斬った、と簡単に言っているが、それがなんでもないことなら、心の中に白骨の山を抱えることにはならないはずである。
自分の斬ったものを全て背負っているのだ、とムルカは感じた。
だから、時雨は強く、迷いがない。
死を背負う覚悟が常に出来ているから。
「トキサメは、その行いのせいで殺されたんですか?」
「いや、違う。俺が死んだのは事故だ。戦いで死ぬように見えるか?」
「自信満々ですけど、ここに来てからだって何回か死にかけてるじゃないですか」
「そういえばそうだな。剣じゃ負けなしだったってのに、魔法は面白い」
時雨はあっけらかんとして笑った。
「笑いごとじゃないですよ……」
「笑いごとさ。何であれ、生きてりゃそれでな」
「シンプルな生き方してますね」
「褒めてんのか?」
カロスは音一つ立てず、静かに飛んでいた。
四枚ある翼はほとんど動いておらず、滑空をするようにして、同じところを回っていたらしい。
そういうふうに飛ぶ癖があるわけではなく、話を遮らないよう、気を遣っていたのだ。
青い竜は、そのまましばらく無音の飛行を続け、やがて高度が一定まで下がると、そのままゼナの元へと降りて行った。
「おーう、おかえり」
「すごかったです。とても感動しました」
「そうだろ、そうだろ。で、どうだった?」
「何がですか?」
ゼナの言葉の意味が分からず、ムルカは首をかしげた。
そのムルカの頭を捕まえ、耳元で聞く。
「二人っきりで話したでしょ? どうだった?」
「あの、大丈夫ですよ、変な気を回さなくても……」
何か大きな勘違いをしているようで、ゼナは鼻息を荒くして言う。
「任せなさいって。あの男、けっこう良い男だったし、いけるって」
「いやいや……」
「ヘラクレス兄ちゃんの見た目が嫌なんだったら、変えてあげようか?」
「――――え?」
屍の見た目を変える、と言ったのだろうか。
「そんなこと、出来るんですか?」
「出来るよ。一回トキサメの姿見てるし、簡単にね」
「いや、でもそれって……」
なんだかやってはいけないことのような気がする。
「おーい、トキサメ、ちょっと聞きたいんだけどさ」
「さっきからこそこそと何を話してるんだ?」
「アンタ、見た目を変える気はない? 元の姿にさ」
時雨は眉をひそめた。
「目的がわからん。それに至った経緯を説明してくれ」
「いつまでも屍の姿のままじゃ、街へ出入りするのも大変でしょ。それに元の身長と全然違うじゃん。そんなんで、実力出せるの?」
「言ってることは分かるが……」
「あ、別に死体をいじることに対して抵抗はないよ。死んでれば物と変わらないし」
そんな心配は誰もしていない、とムルカは思い、時雨を見た。
腕を組んで悩んでいるところを見ると、特別前の姿に戻りたいと思っているようではなかった。
「……いや、このままでいい」
「なんでさ」
「今この場では、この姿でいることが本来の姿なんだ。俺の前の姿は、すでに死んだ者、過去にしか存在しない姿だ。全く違う姿にならなってもいいが、前と同じ、というのは、今は遠慮しておきたい」
「うーん、そっか」
残念そうにうな垂れるゼナに、時雨は言った。
「――――ただ、気が変わることだってありえる。その時は頼む」
ムルカには時雨が気を遣って言ったことが分かったが、何も言わなかった。
ゼナの顔がパアっと明るくなる。
「それでいいんだよ! いや、ありがとう! これでまだ数年は楽しめる」
「何の話だ?」
「こっちの話!」
ゼナのお節介焼きがピークに達したころ、何者かの気配を感じて全員が屋敷の方を見た。
逆光で見えづらいが、屋敷の灯りを背景に、誰かが立っている。
――――包帯で体中を巻かれ、布の服を着せられていたアリアネが、ふらふらと歩きながら近づいていた。
「ア、アリアネ!?」
ムルカはすぐに駆け寄って体を支えた。
微熱が出ているのか、体が熱い。
「皆、すまない。本当に、迷惑をかけた」
「そんなこといいですから、なんで起き上がったんですか! まだ寝てないと!」
「目が覚めたら、会わないと気が済まなくなってな……」
汗をびっしょりとかきながら、アリアネは言った。
「体はもういいのか?」
時雨がそう言い、ムルカは、これが良く見えるならそっちが病気だ、と思って睨んだ。
「ああ、なんとか、な。少し痛みはあるが、大事ではないようだ。治してくれたのだろう? 感謝する」
「治したのはそっちの怖い顔したやつだ。俺は何も」
アリアネはゆっくりとムルカへ顔を向け、言った。
「――――ああ、すまない。ムルカ、ありがとう。ムルカがいなければ死んでいたな」
「全くです。捕まっていたところからしか見ていませんけど、何があったんですか?」
「ハイマの呪いだ。私としたことが、呪いは手で触れて行うものだとばかり思っていた。呪いは『雨』だったんだ。奴はハイマの呪いを改良して、使いやすくしていた。誰の手にも渡っていなければいいのだが……」
「その心配はないと思うぜ。自分の研究成果を見せびらかしたいタイプだったからな。それにそんな知り合いもいないだろ」
「……そうかもしれないが、確信がほしい」
「だったら、奴の住処を見つけ出して、調べてみるか?」
アリアネは、険しい顔で頷いた。
もう、立っていることが限界のようであった。
「アリアネ、戻りましょう。アリアネが傷を回復させている間に、私たちがマリスの住処を探します。だから、あと二日はしっかりと休んでいてください」
私も探索に参加する、と言いかねないアリアネに先回りして釘をさした。
「私も……」
「駄目です。何のために傷を治したと思っているんですか? もっと自分の体を大事にしてください」
「すまない……。そうした方がいいみたいだ。もう立っているのも限界、だ……」
フッと足の力が抜け、ムルカに全体重を預けた。
ムルカは骨犬を呼び出し、気絶したアリアネを背負わせる。
「一度寝かせてきましょう。試し切りは少し待ってくださいね。見たいので」
「ああ、分かった」
ムルカは急いで屋敷へと戻った。
二階の一室でアリアネは寝ていたようで、そう言えば寝る前に辿りつくことができなかったことを思い出した。
一部屋だけ見て次へ行く前に、床で眠っていたのだ。
アリアネの寝室の壁には大剣がかけてあり、鎧を人形に着せたものまであった。
フィロメラはアリアネを移動させるうちに鎧を脱がせ、布の服を作って着せたのだ。
なんと器用なことをやるのだろう。
「アリアネ、すごい汗をかいてますから、体を拭きますよ」
「う、頼む……」
ベッドに寝かせ、フィロメラに頼んで清潔な布を出してもらった。
元が土であることはすでに忘れており、さらには気にならないほどに、それは『布』であった。
さて、体を拭くために水を探すも、荒野の真ん中で水などあるはずがない。
これも、フィロメラが解決してくれていた。
これだけ出来る者であれば、地下水を引っ張って井戸を作ることなど容易であった。
彼女がいれば、街を一つ作ることですら造作なくやるだろう。
住みたがる者がいるかどうかは別の問題であるが。
ムルカは手に入れた布と水でアリアネの体を丹念に拭いた。
脱がせて分かったが、驚異的な密度の筋肉をしており、その上に被さるようにして無数の傷跡が残っていた。
いったいどれだけの鍛錬をして、どれだけの戦いを行ったのだろうか。
こうして死にかけたことだって、一度や二度ではないはずである。
「もうこんなこと、させませんから」
すでに気を失い、答えられないアリアネに向かってムルカは呟いた。




