38.土の屋敷
ムルカは倒れたアリアネの体に触れ、その体からほとんど生命力が失われていることに気がついた。
骨折や内臓への深刻なダメージがあり、さらには雷による火傷など数多くの傷を負って、生きていることが不思議なくらいであった。
「このままでは……」
治癒魔法も少しは使えるが、その魔法も傷を治すために本人の生命力が必要であり、よしんば傷を治せても失った生命力を戻すことは出来ない。
「死ぬのか?」
時雨が言った。
「かなり危険な状態です。すぐにでも何か手を打たないと……」
「これ使えないのか?」
時雨は手にギガンテスの動力に使われていた赤い宝玉を持っていた。
気絶から目覚めた時に、手元で転がっていたのだ。
「たしかにこれがあれば生命力の補填は出来るかもしれませんが……」
生命力はデリケートなものだと以前説明した通り、少ないからと言って足していいものではない。
「何もしなかったら死ぬんだろ。やっても損はないはずだ」
「損得の話では……」
「話してる時間あるのかよ?」
「……わかりました。やってみます」
宝玉に右手を、アリアネに左手を重ね、ムルカはその二つを繋ぐ架け橋となって、生命力を少しずつ受け渡していく。
死霊術の基本である生命力の移動であるが、生きている者に試したことなどない。
イメージとしては、一滴ずつ器に水を満たしていく感覚である。
器の大きさは生物によって違い、溢れても足りなくても生きられない。
アリアネの器の水は、半分以下にまで減っていた。
赤い宝玉から感じる芳醇な生命力は、アリアネとほぼ同質のものだ。
これならば容易く混じるだろう。
「どうだ、いけそうか?」
「黙っていてください。気が散ります」
一時間ほど、そのままムルカはアリアネの治癒に努めた。
ムルカの技量のおかげで傷は完全に癒え、生命力も戻っていた。
アリアネは目を覚まさないものの、静かに眠っているような様子であった。
「これで大丈夫なはずです。意識もじきに戻るでしょう」
「起きるまでは動けないな。ここでしばらく休むか」
「そうですね、三日もすれば動けるようになると思います」
ムルカは離れて座っていたゼナに聞いた。
「と言うことで、もう少しここにいます」
「好きなだけゆっくりしていきなよ。そうだ、せっかくだし、もう少し住みやすくしようか」
ゼナがそう言い、フィロメラに目配せをする。
数多の手を使って土を動かし、みるみるうちに屋敷を作り出していく。
土で出来た屋敷だが、立派に色がついており、随分と作り慣れているようであった。
「フィロメラ、アリアネを寝室へ」
フィロメラは眠っているアリアネを土塊で覆い、地面の中を移動させた。
「あ、そうだ。あと、カタナ、だったっけ? あれもやらないとね。準備もあるし、夜から始めよう」
「鍛冶場はあるのか?」
「これから作るんだよ。いつもやってることだし、フィロメラに頼めばすぐに出来る」
「場所は作れるにしたって、玉鋼とか道具とかの知識はあるのか?」
「大丈夫。アタシのやり方は普通の鍛造とは違うからね。真鋼があれば形の問題も解決するし、アンタにやってもらいたいのは、試作のチェックだね」
「そういうことなら、俺の出る幕はないってわけか」
「その通り。ゆっくり休んでなよ」
荒野の真ん中に出現した屋敷に、ムルカと時雨は恐る恐る入った。
木製を模した扉の感触は確かに木であり、驚くことに内装は街中にある屋敷のそれとなんら遜色ないものであった。
赤い絨毯やシャンデリア、クラシックな雰囲気のロビーは、到底土で作られたものとは思えない。
「あんな図体して、意外とセンスがいいんだな」
時雨は感心して言った。
「街中で暮らせる大きさではないのに、どこで知ったのでしょう……」
「まあ、あれを見てしまったあとじゃ、何があったっておかしくないさ」
時雨は気絶から覚めて一番に全ての手を広げたフィロメラを見たため、まだ夢でも見ているのかと思ったくらいである。
「トキサメはこれからどうしますか? 私は少しこの屋敷の中を見て回ろうと思うんですが」
「あー、そうだな。俺は夜まで寝かせてもらう。流石に少し疲れた」
睡眠が必要ない体とはいえ、精神力は摩耗している。
傷が治っても精神の消費は休息でしか回復できない、と時雨は言った。
「ムルカがまだ眠くないのは、疲れ慣れていないから自覚できていないんだろう。興奮が冷めた瞬間に一気に来るぞ。床で寝たくなければ出歩くのもほどほどにしておけ」
時雨はそう言うと、長いソファで横になった。
「分かりました。でも、少し見て回ってきます。せっかくですし! トキサメ、おやすみなさい」
すぐに寝入ったのか返事はなく、ムルカは屋敷の中の探検を始めた。
時雨の眠っているロビーから奥に行くと食糧庫があり、ついでに食べられるものがないか探したが、あるはずもなかった。
なんだか口さみしくなり、手持ちの干し肉を齧りながら、ムルカはうろうろと一階の散策を行う。
客間や食卓もあり、家具も一通りそろっている。
灯りは火の魔法を使っているのだろう、根本をよく見ると、赤い魔方陣が見える。
壁にかけられたランプには全て火が入り、暖かさと柔らかい光をもたらしていた。
二階に上がると、寝室が三部屋用意されていた。
おかしなことにシーツまでもがある。
土で作られた質感とは思えないほど、ちゃんと柔らかく、おかしな匂いもしない。
「いったい、どういう理屈なんですか?」
いくら考えども答えは出ない。
恐らく根本的なところが違うのだろう、とムルカは結論づけた。
色々なことを考え、観察しているうちに、足元がふらついた。
「あれ、ちょっと……?」
壁に手をついたまま、ずるずるとへたり込んでいく。
時雨の言っていた『一気に来る』の意味を理解した時には、すでに床にはいつくばっていた。
立たなければならないのに、立ちたくない、と本能的な意識が邪魔をして立てない。
やがて、ムルカは二階の廊下の床で、寝息を立て始めた。
それから、どれだけの時間が経っただろう、ムルカは自分が床でよだれを垂らして寝ていたことに気がついて、慌てて起き上がった。
「寝てしまいました……」
まだ眠い目をこすりながら、ムルカは時雨の寝ていたソファのあるところまで歩いた。
しかし、時雨はそこにいない。
すでに外でゼナたちと刀の試し切りでも始めているのだろうか、とムルカはそのまま外へ出た。
空には星も出ており、すっかり夜が深くなっていた。
屋敷の隣に、大きな鍛冶場が出来ている。
そこに火で照らされたフィロメラの姿はあるが、ゼナと時雨はどこにもいないようであった。
「あの、フィロメラ、さん」
ムルカは勇気を出して話しかけるも、どの顔を見て話せばいいのか、分からない。
フィロメラの顔のうち、ムルカに一番近い位置にあるものが、口を開いた。
「な、なの、何、何です、か」
詰まりながら、そう答えた。
ムルカは会話が出来ると分かって少し安心し、続けた。
「ゼナさんはどこに行ったのですか?」
「おな、お姉ちゃん、は、あっち、あっち、に」
フィロメラは指を一本、スッと夜闇の広がる荒野へ向けた。
どうやらその方向にいるらしい。
「ありがとうございます」
ムルカが礼をして走っていく姿を、フィロメラは手を振って見送った。
暗闇に目が慣れ、荒野で向かいあう時雨とゼナの姿が見えた。
右手には抜き身の刀を持ち、何かを確かめるように振ったり腰に構えたりしている。
「お、起きたのか?」
ムルカに気がついた時雨は、刀を肩に担いで言った。
「ええ、どれくらい寝たのか分からないくらい寝てしまったみたいです」
「そうか。床は寝にくいんじゃないかと思ったが、いらない心配だったみたいだな」
「……み、見たんですか?」
床でよだれを垂らして眠っていたところを。
「アリアネの様子を見に二階に行ったら床に転がっていたからな」
「な、な、ななな!」
「どうした?」
「なんで起こしてくれなかったんですか!?」
恥ずかしさから的外れなことを言ってしまったが、訂正する言葉も思いつかない。
「起こさねえよ。疲れてたんだろ?」
「そういうことじゃなくて! だって、女の子が床で寝てるんですよ!? 起こさなくても、抱え上げてベッドに寝かせてもいいじゃないですか!」
「急にどうしたんだよ」
「もう! いいです! もう!」
暗闇で赤い顔が見られずに済んだ、と思うも、言っていることは無茶苦茶で、時雨は困ったように笑った。
「見てくれ。ゼナが作ってくれた試作の刀だ。鍔に模様がほしいところだが、見てくれは立派な日本刀だ」
月明かりに刀身が反射し、鋭い光を放つ。
「出来はどうなんですか?」
「それをこれから調べようと思ってな」
そこでゼナが口を開いた。
「この荒野にはある魔物が住んでる。竜の一種で、アタシは鉱石竜って呼んでるんだけど、そいつで試し切りをしようと思ってね。でも最後に見たのが気の遠くなるほど昔だから、今もいるのかなーって話してたんだよ。月の綺麗な夜にだけ姿を見せる、特別な竜なんだけど」
「……なんだか、可哀想じゃないですか?」
竜とはいえ、何もしていないのなら殺さなくてもいいじゃないか、と少し思ったのである。
それを聞いて、ゼナは笑った。
「え、ああ、違う違う。別に切り殺すわけじゃないよ。鉱石竜の鱗ってのは、試し切りに向いた性質でね。一枚もらおうと思ってさ」
「それなんだが、据えもの切りならその辺の岩でもいいんじゃないか?」
普通なら青竹や巻き藁を使うのだが、鏑木流ならば対象の硬さを考慮せず斬ることが出来る技術がある。
岩であっても竹と変わらない、と時雨は言った。
「動かないものを切って何が楽しいんだい?」
「……どういう意味だ?」
「お、いた! あれだよ、あれ」
三人が空を見上げると、月光と重なるようにして、四枚の翼を持つ青い竜が飛んでいた。
それはゼナを見つけると、大きく吠えて、地面へと降り立った。
体長は十メートルほどで、体表はサファイアのような美しい鱗で覆われており、気品のある顔立ちをした竜である。
「カロス、久しぶり。あれからどれくらい経ったか分からないけど、生きてたんだね」
カロスと呼ばれた竜は一度だけ甘えたように鳴き、額をゼナの前へ近づけ、撫でてもらっていた。
「懐いているんですね」
「子供のころから一緒だったからね。そうだ、せっかくだから背中に乗せてもらいなよ。そうそうないよ、竜の背中に乗ることなんか」
「え、あの、大丈夫なんですか?」
「大丈夫だ。空中で振り落としたりはしないさ。カロスは頭が良いから、それくらいは理解してる。さあさあ、乗って」
カロスは足を折りたたんで背中へ乗りやすいように体勢を変える。
どうやら、乗れと言っているようであった。
時雨の手を借りて、ムルカは竜の背中へと登った。
鱗の表面は硬く、ひんやりとしていた。
「あの、すみません、お願いします」
ムルカがしっかり乗っていることを確認するかのように竜は視線を向けた。
「トキサメ、乗ってください」
「いや、俺は……」
「こんなこと二度とないですよ。早く」
ムルカに急かされ、時雨はしぶしぶ竜の背中へ飛び乗った。
「それじゃ、快適な空の旅を」
ゼナの合図で、カロスは羽ばたいた。




