37.別離
「わしを、どうするつもりだ」
観念して老人の姿に戻ったマリスは息も絶え絶えに言った。
「そんなの決まってるじゃないですか。あなた、自分のやったことが謝れば許してもらえる範疇だとでも思っているのですか?」
「ならばさっさと殺すがいい」
「ええ。ですが、それは私たちがやることではありません」
ムルカの横を、銀色の狼が、よろめきながら通り過ぎた。
口に咥えた剣の重さに振り回されながらも、歩いて行く。
「なぜ歩ける? 貴様の体はもう立つことすら難しいはずだ」
目の光すら淡くぼやけていて、意識はほとんどない。
そんな彼女が目標を見据えて歩いていけるのは、一重に執念であるとしか言い表せない。
呪いのせいで増幅された殺意や怒りも、最早彼女の中にはなかった。
今はただ、マリスを倒すため、歩みを進めるだけである。
「フン、しかし、お前の剣はわしには効かぬ」
マリスは体を雷に変えた。
こうしているだけで、アリアネは勝手に雷に当てられて力尽きる。
人狼にやられることだけはプライドが許さなかったのか、マリスは最後の抵抗とばかりに魔力を全て体の維持に回した。
アリアネは、何度もその体に受けた雷を相手にしても、全く臆することなく、体を捻って、剣を構えた。
そして、弾かれたようにして、マリスを横薙ぎに一刀両断する。
その瞬間、白い閃光が走り、アリアネの鎧の隙間から煙が上がる。
中の皮膚が焼けているのだろう。
しかし、アリアネは止まらず、そのまま遠心力に任せて角度を変えながら回転し、縦に裂いた。
十字に切り裂かれても、マリスは笑っていた。
絶対に倒せない、とそう思っているからに違いない。
しかし、アリアネは剣をマリスの中心に振り下ろしたまま、刀身に魔力を込めた。
銀色の光が魔方陣を描きながら、先端まで満ちていく。
「な、なんだ!? 何をする気だ!?」
焦るマリスを、アリアネは虚ろな目で、じっと睨んでいた。
いや、すでにその目には何も写っていない。
体が覚えている行動を、無意識にただ反復しているだけである。
『反射』の魔法が発動した瞬間、マリスの体はまるで風船が割れたかのように爆発にも似た形で破裂した。
再生する魔力も、雷の体を維持する魔力も、全てを彼方へ吹き飛ばしてしまったのだ。
辺りにバチバチとマリスの居たあとが残る。
黒く焦げた地面の匂いがアリアネの鼻をついた。
剣を空へ放って地面へ突き刺し、一度だけ遠吠えをして、アリアネは崩れ落ちるようにして気を失った。
「アリアネ!? 大丈夫ですか!?」
ムルカの声は、深く意識の底に落ちていくアリアネの耳に届くことはなかった。
花畑の中心でアリアネは目を覚ました。
いつの間に眠っていたのだ、と記憶を辿るも、おぼろげではっきりとした輪郭が見えない。
「お姉様、目が覚めましたか?」
「ステラ……」
眠っているアリアネの隣で、花のかんむりを作っていたステラと目が合う。
ステラは優しい笑顔をして、アリアネに完成した花のかんむりを乗せ、似合う似合う、と喜んでいた。
しばらく呆けていたアリアネは、何があったかを思い出し、ステラの肩を掴んだ。
「――――違う。ステラは死んだ。殺されたんだ。だから、お前はステラじゃない。お前は――――」
ステラは舌打ちをして、アリアネの手を払い、立ち上がった。
「やはり、こちらの方がいいか?」
ステラの顔が、目鼻を失った悍ましい姿へと変わる。
「マリス……!! 貴様、呪いに自分の魔力を混ぜて、人の中に入れるのだな!」
「その通り。そして、ステラはすでに死んでいる。その事実を認識した上で、どうするのかね?」
「決まっている。リカンスロポスの名にかけて、貴様はここで消滅させる」
「フン、貴様の剣技と魔法でわしを倒すことはできん。現実世界では弱っていたからやられてしまったが、ここならば万全の状態で戦える。油断もないぞ」
マリスの方が強いことは、アリアネも分かっている。
技術的な問題もあるが、そもそも雷の魔法とは相性が悪いのだ。
『反射』の魔法を使ったとしても、そう連続で雷を防ぎ続けることは出来ない。
「どうした? かかってこないのか? だったらこちらから――――」
突如、マリスの腹を細い剣が貫いた。
「こちらから、いかせてもらいますわ」
マリスの背後に居たのは、何度も夢に見たステラであった。
脱出するために体を雷に変えたが、ステラの剣から逃れることが出来ない。
吸いつくように、体が剣から離れない。
「なぜ宝玉にしてやったはずの貴様がここにいる!?」
「あら、ご存知ないのですか? 姉妹の絆の前では、そのような些末な問題など、障害にならないのですわ」
ステラは不敵な笑みを浮かべ、そう言った。
「私の剣にも魔方陣が描かれていますのよ。『吸収』の魔法ですから、実体がある相手には決め手にならないのですけれど、あなたには効果的なのではありませんか?」
魔力のみで構成されたマリスの体は、ステラの剣から逃れることが出来なかった。
しかし、魔力を吸われることだけは阻止しようとしているようで、体が吸われていく気配はない。
「あなたに酷い目に合わされている間、ずっとこうしてやろうと思っていましたわ」
「離せ!」
ステラに噛みつきそうな勢いでマリスは暴れたが、『吸収』の魔法は強力で、一切身動きがとれない。
「覚悟はいいか?」
アリアネは背負っていた大剣を抜き、マリスに歩み寄った。
背丈と同じような剣を持つアリアネは、傍から見れば処刑人のような姿だった。
悪人を断罪するために、確実に一刀両断するめに、頭上高くに剣を構えた。
「何か最後に言い残すことは?」
どんな悪人であれ、最後は一つの命として敬意を表す。
来世では善人に生まれ変わるように、と願い定められた慣例だ。
「わしは何度でも甦る。次に会った時が、本当に貴様らの最後だ」
「私は二度と会いたくないな。次に会うことなどないことを願ってやまないよ」
「全く、害虫か雑草並のしぶとさですわね……」
「……ともかく、これでさよならだ」
アリアネは剣を振り下ろし、マリスの体を縦に裂いた。
分かれた体は戻ることなく、ステラの剣に吸い込まれ、マリスの魔力はアリアネの精神世界から、完全に消え去った。
「ふう……」
全てを吸い終えたステラが、一段落とばかりに二本の剣を地面に突き刺した。
「ステラ、ありがとう。本当に助かった。まさか私もあれほど自分が取り乱すとは思っていなかったものでな、少しショックだ」
「あら、お姉様は昔からそうですわ。私のこととなると見境がなくて、なだめるのが大変でしたもの」
「……そうだったか?」
「そうですわよ。落ち着いていればしないような失敗もしますし、そのくせ自覚がないから……って、お姉様?」
「もうやめてくれ……。立ち直れなくなる……」
アリアネは頭を抱えて座り込んでしまった。
「フフフ、こうしてお話できるのも、これが最後ですわよ。今、お姉様を目覚めさせるために、私を使って傷を治している感覚がします」
「そんな、やめさせないと!」
「もう、さっき言ったばかりでしょう。落ち着いて考えてください。こうしてお姉様と会えたことがすでに奇跡なのですから、もうこれ以上を望むのは贅沢というものですわ」
「そんなことはない! ステラはまだ生きないといけないんだ!」
ステラはかぶりを振った。
「まだ、じゃなくて、もう、生きていません。しっかり認識していないと、また私の幻覚に惑わされますわよ。私の生命力でお姉様の体が治るなら、とても幸せなことですわ。でないと、あの化け物の動力源にされて終わるところだったのですもの」
だったら、とアリアネは返した。
「せめて、最後までここにいてくれ」
すがるような気持ちであった。
すぐに目を覚まして皆を安心させてやらなければならない、と少しは思うのだが、今は自分の気持ちを優先させても罰は当たらないだろう。
花畑に膝をつくアリアネと視線を合わせるように、ステラは正座した。
「ええ、わかりました。ではもう少し言いたいことがあったので、続けさせてもらいます。お姉様、みんなとは仲良くできていますか?」
「なっ、いきなりどうしたんだ?」
「集落を出て、ずっと一人で『猟犬』の仕事についていたでしょう。仲間と旅なんて、初めてのことではありませんか?」
「いや、それは、たしかにそうだが……」
アリアネは口ごもった。
「駄目ですよ、協調性は大事なのですから。冒険者ギルドにもたまに一人でなんでもやろうとする人がいますけど、すぐに不測の事態に陥るか、精神を病むかのどちらかで、引退していきますわ。お姉様にはそういうふうにはなってほしくありませんの」
「……大丈夫だ、安心してくれ。喧嘩もしていないし、仲違いもしていない」
「仲良くなることと、踏み込めずに“なあなあ”になっていることは違いましてよ」
「うっ……」
図星をつかれたアリアネは咄嗟に目を逸らす。
それを見て、ステラは大きなため息をついた。
「……お姉様のことが心配で安らかに逝けませんわ。せめて友達のひとりでも作ってくださいな」
「そうは言うが、私はもう二十八歳だぞ? いい年した大人だぞ?」
「はい、言い訳しない。いいですこと? 私と約束してください。お友達を作るのです。依存ではなく、信頼できる友達を。何かをするのに、遅すぎるってことはありませんわ」
「友か……」
「約束してください」
「……わかった。約束する」
アリアネは苦々しく答えたが、それを聞いたステラは微笑んだ。
アリアネにとって、妹から何かを教えてもらえる最後の機会でもあった。
それに、アリアネにも彼女が心配していることは分かっている。
ステラのために生きてきたアリアネが路頭に迷わないように、どうすれば生きやすいか教えてくれているのだ。
その教授に従うと約束した以上、それを果たす義務が生まれた。
アリアネはもっと詳しいやり方を聞こうとステラを見て、気がついた。
ステラの体が段々と透け始め、向こう側の景色が重なって見える。
「……そろそろ、時間ですわね。最後に説教じみたことを言ってしまって、申し訳ありません」
「気にするな。もっと叱ってほしいくらいだ」
「それは、少し変ですわ」
「変か?」
ステラが口元に手を当ててクスクスと笑い、アリアネも同じく笑おうとした。
だが、上手く口角が上がらない。
目から熱いものが流れ落ちる。
笑って送り出さなければ、また心配させてしまう。
そう思ったものの、笑えなかった。
せきを切ったように、アリアネは大声をあげて泣いた。
みっともなく、涙と鼻水で顔をくしゃくしゃにして、しゃくりあげながら、泣いた。
ステラは消えていく手をアリアネの頭に重ね、優しく言った。
「お姉様、うんと泣いていいのですわ。泣いて泣いて、泣き止んだら、前を向いて、歩いてください。大丈夫、お姉様は強い方です。今まで培ったことを次に繋げられるように、頑張ってください」
「うん、うん……」
暖かかったステラの手から、体温すらもなくなっていく。
ついには重さも感じなくなり、アリアネは顔をあげた。
ステラも微笑みながら、涙を流していた。
最後の最後まで、ステラは笑顔を崩さなかった。
「さようなら、お姉様」
細く、消えいりそうな声で、ステラは言った。
「さようなら、ステラ。ありがとう」
やがて、ステラは光の粒子となり、青空に溶けて見えなくなった。
あとには、アリアネと地面に突き刺さったステラの剣だけが、残されていた。




