36.無数の剛腕
「まだ何か隠していたんですね!」
「ち、違う! これは……!」
腕は骨鞭を握り、凄まじい力で地面の中へと引きこんだ。
ムルカは勢いで宙に浮いたが、すぐに鞭から手を離したため、引きずり込まれることはなかった。
しかし、ギガンテスは自分で外すことが出来ず、ずるずると穴の方へ引っ張られていく。
「それを引きちぎれ!」
ギガンテスが腕を伸ばそうとする前に、骨の折れる嫌な音がして、胸の穴から背骨が姿を現した。
粘ついた血液を垂らしながら、ギガンテスは倒れ込んだ。
「そんな、馬鹿な……!!」
何が起こったのか分からないのは、ムルカも同じだ。
謎の腕の力により、ギガンテスは地に沈んだ。
「悪い! 遅くなった!」
ムルカの後ろからゼナが声をかけた。
その背後に、ギガンテスより二回りほど大きな体を持つ、山のような生き物が佇んでいた。
体のほとんどを巨大な布で覆い、中央よりやや下に能面のように目を閉じて無表情をした顔、細く長く干からびた腕が二本触手のように伸びている。
見えているパーツは人間のものであるが、図体の大きさや不可解な腕から、普通の人間ではないことが明確であった。
「ゼナ! その人は!?」
「ごめん、石の下から出てくるのに手間取った。紹介するよ。妹のフィロメラだ。種族名は、ヘカトンケイル!」
「貴様があのヘカトンケイルか!」
フィロメラは何も答えず、手に握った骨の鞭をムルカに投げてよこした。
「悪いけど、妹はちょっと喋るのが苦手でね。質問はあとにしてもらえるかな」
「面白い!」
マリスが手に雷の玉を作ると、百足が掴んでいた赤い玉が引き寄せられた。
「あっ!」
「返してもらうぞ! この時のためにギガンテスを作ったのだからな!」
その玉をギガンテスの胸部に埋め込むと、みるみる傷が塞がっていき、すぐに完治した。
「さあ、行け! ギガンテス! ヘカトンケイルを倒して、お前が最強であると知らしめろ!」
ギガンテスは体中の筋肉を膨れ上がらせた。
皮膚が裂け、赤く光る体組織がわずかに顔を覗かせる。
フィロメラは顔を動かし、ゼナに伺うように屈んだ。
「しばらくじっとしてたから体を動かしたいだろ? やっちまいな。となりの爺さんも含めてね」
フィロメラはそう言われて、こちらに敵意を向ける相手を見た。
ゆっくりと、象のように巨体を動かし、ギガンテスへ歩き出した。
布に隠れた足は、重量を感じさせるように、しっかりと大きな足跡を残していく。
ギガンテスもつられたように、フィロメラへ歩いて行く。
全力を出すに当たって、些か慎重さが見えているようであった。
アリアネの時とは違い、フィロメラに敵意や殺意といったものは感じられない。
だからだろうか、ギガンテスはゆっくりと迫りくる両手を、自らの手で繋ぎあうようにして掴んでしまったのだ。
「ギガンテス、その手を握り潰せ!」
マリスが叫び、ギガンテスは両手に力を込めた。
軽く握るだけでも鉱物を砕くことが出来るだけの握力はある。
これより強い力をマリスは見たことがない。
そのため、自信があったのだろう。
まさか、ギガンテスがどれだけ力を込めてもびくともしない物がこの世にあるはずがない、と目を丸くするのも無理はない。
対するフィロメラは至って平然としていた。
あの細く干からびた腕のどこにそんな力があるのか、徐々にギガンテスの腕を押し始めた。
そのうち膝をつき、腕を掴まれたまま、背中側へ押し倒されていく。
このままではまずいと思ったのか、ギガンテスは体中のバネを活かして、両足でフィロメラを蹴り上げた。
しかし、衝撃でふらついただけで、握る手は少しも緩まなかった。
そこへ、マリスの電撃がフィロメラを襲った。
神の子であっても、物理的な身体である以上、電撃は有効だった。
再生能力のために深手は負わせられないが、一瞬動きを止めるには充分である。
握力が消えた瞬間に、ギガンテスは素早く脱出した。
「こやつ一人でも充分かと思っていたが……。想定よりも強いようだ。わしと協力してやるぞ」
電撃の麻痺から復帰したフィロメラは、マリスを標的に捉えたようで、長い腕を伸ばした。
「愚かな……! ギガンテス、今のうちにやつを叩け!」
マリスを掴もうとしたフィロメラの手は、雷の体をすり抜け、地面へと届いた。
その間に、ギガンテスはフィロメラの懐へと飛び込む。
アリアネや時雨を一撃で潰したあの剛腕で、フィロメラへ連続した拳を叩きこむ。
その威力でフィロメラの体が少し宙に浮く。
「馬鹿めが!」
マリスは勝ち誇ったように言った。
誰の目に見てもそれは明らかであり、ムルカも目をそむけたくなるほどに、苛烈な攻撃である。
ゼナだけが無表情にその様子を見ていた。
「ゼナ、フィロメラを助けなくていいんですか!?」
「大丈夫だ。アタシの妹だからね」
「そんな理由で、なぜ大丈夫だなんて言いきれるんですか?」
「あの子は強いよ。アタシら兄弟の中でも、一番、と言っていい。ガイアと戦った時はもっとひどい目にあったさ。だから言えるんだよ。あれくらいなら大丈夫だって」
ゼナはまるで自分のことのように、自信に満ち溢れた顔で言った。
ムルカはもう一度フィロメラに視線を向けた。
そして気がついた。
フィロメラの手は、マリスの立つ地面の下に潜り込んでいた。
「フィロメラは岩や鉱石を自在に変えられる。奴の足の下が今どうなっているか、ワクワクするね」
そう言ってゼナは笑った。
絶対的な信頼からくる安心感である。
しかし依然ギガンテスの攻撃は続き、徐々に激しさを増していた。
拳に引き裂かれ、フィロメラを覆っている布がボロボロになっていく。
ベールを剥がされ、露わになったその姿に、ムルカは息を飲んだ。
「これが、ヘカトンケイル……」
外に出ていた顔のあった周囲には大小様々な無数の顔があり、折りたたまれた腕の数も、これまた無数である。
人型というには、問題の多い体型をしていた。
「五十頭百手を持つ神の子ヘカトンケイル。下手に人間に近い姿よりも、神っぽいだろ?」
フィロメラは百あるうちの二本の腕しか使っていなかった。
布で覆っていたために腕を使えなかったフィロメラは、畳んでいた腕を全て広げた。
そのうちの三本でギガンテスの体を押さえつけ、残りの腕のうち、ギガンテスに届く範囲のもので、殴り始めた。
一撃一撃が重く、拳の当たった範囲の体が飛沫となって、地面に沁みを作る。
再生の力が働いているにも関わらず、連続した破壊に対し、追いつくことが出来ない。
たくさんある顔は、その全てが無表情で、ギガンテスを見ていないようでもあった。
その様子を見て、マリスは舌打ちをした。
「すぐに助けるぞ! そこから離れろ!」
電撃を放つために、魔力を練るも、急に足元がふらついた。
「何が起こっているのだ!?」
マリスの立っているところから半径五十メートルほどに亀裂が走る。
フィロメラもその範囲に入っていたが、彼女の立っているところだけは綺麗な地面のままであった。
そして、次の瞬間、大地の底が抜けたかのように、マリスを中心に円をかいて全ての地面が暗闇の中へと吸い込まれていった。
マリスは慌て、光の球で自身を包み、宙に浮いた。
「いつの間にこれほど深い穴を掘ったのだ!? しかし、危ないところだったが、わしはそう簡単に落ちぬぞ」
冷や汗をぬぐい、ギガンテスを助けるため、地面のあるところへ移動しようとしたその時であった。
マリスの眼前に拳が迫ったのだ。
雷の体であれば通り抜けるだけの拳が、今は光の球に包まれているため、当たってしまう。
マリスは凄まじい力で弾かれたが、球は割れていない。
「ぬう、しまった……。ここから抜け出す方法を考えねば――――」
そう言って顔をあげて、思わず目を見開いた。
周囲の空間全てが掌で覆われていたのだ。
ドーム状になっており、どこへ逃げても逃げられない形である。
「ならば、一瞬だけ雷の魔法を放ち、その隙に出れば良いではないか」
簡単なことだ、とマリスは呟き、魔力を練りながら壁へ向かって進んだ。
しかし、進んでいたのはマリスだけではなく、手の平は全てマリスへ向かって、ゆっくりとその距離を縮めていた。
段々と空間が狭まっていく感覚に、マリスは焦った。
「こ、これでは魔法を放ったところで……!!」
一メートルほどまで近づいた手の壁は、マリスを押しつぶすように、一斉に掌底を放った
光の球に耐えられる衝撃の限度を超えていたため、マリスを包んでいた光はガラスのように割れて、深い闇の中へ散っていった。
マリスも無事ではなく、雷の体が霧散しないよう、必死に繋ぎとめている。
しかし、フィロメラは一度でそれをやめるとは言っていない。
二回、三回、と何度もバラバラにされていくうちに、マリスの再生速度は段々と下がってきていた。
十回を超えた時、マリスは言った。
「わしが! わしが悪かった! 呪いは解く! お前らに今後一切手は出さない! 大人しくする! だから、助けてくれ!」
ゼナはムルカに視線を向けた。
「どーする?」
このまま再生を諦めるまで潰し続けてもいい、とゼナは提案した。
ムルカは少し考え、ゼナに言った。
「……地面へ降ろしてください」
「いいのかい? 悪い奴なんだろ?」
「……ええ。構いません」
ゼナがフィロメラに指示を出すことで、連続して成り続けていた地響きはようやく止まった。
マリスは精神薄弱で立つことすらままならず、ギガンテスはいつの間にか赤い玉が外れて転がり、その体も液体なのか個体なのか区別のつかないほど、粉砕されていた。




