34.銀狼
私がいつだって思い出す大切な記憶は、泣いているステラの姿だ。
父と母は戦士として呪いと戦い、私たちに未来を残すため、犠牲になった。
八歳になったころ、両親の訃報を聞いて、私は確かに悲しんだが、それよりもこれからステラと二人でどうやって生きて行けばいいのか、とそればかりが気にかかっていた。
もちろん、人狼の集落では人数が少なくなったこともあり、皆で助け合って生きて行こうとしている。
だから、ただ生活が心配だという話ではない。
六歳下のステラは父と母の姿を知らない。
妹が道に迷った時、誰を灯りにして歩けば良いのか。
私はその日から、悲しみから目を背けるように、父の剣を振った。
強くなって、ステラの目標にならねば。
血の活性が上手く出来なかった私は、皆に戦い方を教える戦士長からも素質がないと言われていた。
父と母のようになりたかったが、確かに血の活性が上手くできないことは人狼にとって致命的である。
ならばせめて、それに頼らずとも強くなってみせる、と心に誓った。
元から弱味を見せることが苦手だった私は、これをきっかけに、さらに自分の殻に閉じこもることになっていった。
十年に一度、次代の『猟犬』を決める会議がある。
私が十八歳になった時、父が死んで以来空席だった『猟犬』の座を、引き受けることになった。
戦士のいなくなった集落で代表を出来るほど強くなったのが私だけだったということもあったが、それでも血のにじむような鍛錬をしたのだから、消去法でなくとも選ばれたに違いない、と今でも思っている。
ステラは『猟犬』に選ばれた私を見て、まるで自分のことのように喜んでいた。
この笑顔を見るためだけに十年鍛えたと言っても過言ではない。
喜びのあまり、足を滑らせて、二人で地面の上に倒れ込んだことを覚えている。
『猟犬』となった私は集落を後にして、ステラと二人で街へ出た。
『猟犬』には冒険者ギルドに所属する義務があったからだ。
給与のほとんどを集落へ送金して、二人で生活していけるだけのお金をもらいながら、特に何の問題もなく暮らしていた。
ある日、十五歳になったステラが冒険者ギルドに登録した。
私は危険だと反対したのだが、ステラは聞かなかった。
戦士としての鍛錬を積んでいないステラも、人狼であるということを活かして、たった一人で魔物の討伐に出ては殲滅して帰ってきていた。
他の者には分からなかったかもしれないが、私にはステラがどうやってそのようなことをやってのけたのか、簡単に想像できた。
『血の活性化』を使っているのだ。
一人で行くのも、他の人間を巻き込まないためだろう。
私はそんな彼女を怒れなかった。
私の姿に憧れて、同じように強くなろうとがむしゃらに出来ることを探す彼女を、止められなかった。
彼女は実績を買われ、あれよあれよという間に、わずか十八にして、ウィンドブロウの支部長となった。
私は心の底から喜び、祝福した。
それは支部長まで出世したからではなく、支部長になれば戦場に出ることはなくなるだろう、と思ったからである。
事実、それは正しかった。
ステラの仕事はデスクワークの割合が多くなり、前線へ出ることはほとんどなくなった。
私はその状況に安心して、『猟犬』として各地を回る足が軽くなったものである。
そんな生活が四年続いたある時、ウィンドブロウの街で奇怪な事件が起こっていることを知ったのだ。
(――――どうして私は今、こんなことを思い出しているんだ?)
顔に冷たい雨粒が落ちてきて、私は過去の映像から現実に引き戻された。
(雨が降ってる。冷たくて、気持ちが良い)
目を閉じて、降り注ぐ雨に身を任せる。
火照った体を冷ましてくれているようであった。
(何を、やっていたんだっけ? なんだか、頭がぼーっとして、思い出せない)
手を動かすと、自分が剣を握っていることが分かる。
「お父さんの剣……」
いつだって、折れそうになった心を支えてくれていた。
この剣を握ると力が沸いて来る。
ステラを守るために、どこまでだって強くなってやる、と誓った。
そう、どこまでだって。
ステラが何の心配もなく生きていける、その時まで。
「――――」
心地よい雨音の合間に、何か雑音が聞こえる。
『お姉様』
そんな中でもステラの声は、私には透き通って鮮明に聞こえた。
こんなところでステラの声など聞こえるはずもないのに、という疑問は雨と共に流れていく。
『あそこに、嫌な奴がいますわ』
「嫌な奴?」
『ええ、ええ。嫌な奴です』
雨の向こうに、薄く人影が二つ見える。
あの二人が『嫌な奴』なのか。
『私、あの方達がとても、とてもとてもとてもとても、とても! 嫌いですの』
「……ステラ?」
ステラの様子がおかしい。
普段、こんなに人のことを言わない娘だ。
何かよっぽどのことがあったに違いない。
「どうしたんだ? ステラ、何をされたんだ?」
『お姉様、忘れたのですか? 私――――』
私の顔を覗きこむようにして、二つの目を繰り抜かれ、鼻を削がれ、口を糸で縫い合わされたステラが、血をだらだらと流しながら、動かない口元を歪ませて、笑った。
『こんな目にあわされたのですよ?』
「うわあああああああああ!!!」
私の頭の中がぐちゃぐちゃにかき混ぜられる。
胸の中が煮詰められた下水のように臭くどろどろとして、気持ちが悪い、吐きたい。
『お姉様、あいつらを殺すのです。私に酷いことしたあいつらを。怒って、恨んで、呪って、斬って、潰して、裂いて、殺して、殺して、殺して。全てを失った、全てを奪われた私の代わりに』
「あいつらがステラをそんな風にしたのか」
『そう。あいつらが私の目を、耳を、鼻を、声を、手を、足を、そして、生を奪った』
考えうる限り、最も惨たらしく殺されたステラ。
その仇を、私がとらずして、誰がとれようか。
「ステラ、安心しろ。私があいつらを殺してやる」
『ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう』
ステラをここまで壊したやつを、私は許さない。
先程までの気持ちが悪い感覚を燃料にして、私の中で、かつてないほど熱い炎が燃え上がる。
喉が焼けるように熱い。
血液に熱が乗って、体中の隅々にまで伝わっていく。
そうか、これが、血の活性。
なんと心地の良い。
『さあ、さあ、さあ! お姉様! あいつらをぶっ殺しましょう! アハハハハハハハ!!』
ステラの声が、頭の中でこだました。
雨はまだ、降り続いている。
雨のカーテンに包まれたアリアネの体から煙が上がった。
銀色の粒子が体を登り、頭部へ集まっていく。
鎧の銀が締まり、体の線にそって、細くなめらかになる。
籠手と具足が爪へと変化し、四足になったアリアネはしっかりと大地を掴んだ。
銀の粒子が顔を覆い、狼の顔を作り出す。
その兜は、まるで金属ではないかのように、シワが動いて怒りの表情を見せた。
体に当たった雨粒が表面の熱に耐えられず蒸発し、水蒸気をあげていく。
銀狼は、地面に転がった大剣を噛み上げ、雨雲に向かって力強く真っ直ぐ投げた。
銀色に輝く刀身は雲を吹き飛ばし、その合間から、雨の代わりに薄明光線が降り注ぐ。
アリアネは跳び、降りて来た剣を空中で咥えた。
兜と首の隙間から流れ出る金髪が風に揺れ、黄金のマントのようにはためく。
「それが餓狼の鎧か。素晴らしい」
マリスは感心したように声を上げた。
餓狼の鎧とは、真鋼の一種で作られており、血の活性に反応して形を変化させる。
人狼の戦士のみが着用でき、現存するものはアリアネの持っているこの一着だけである。
「ギガンテスよ。奴の四肢を潰せ。奴だけでなく、あの鎧もお前に足してみよう」
ギガンテスは大地を震わせるほどに力強く吠えた。
筋肉が膨張し、体が二倍ほどに膨れ上がる。
「人狼と言えどたかが一匹、半分の力も出せば充分だろう。やれ、ギガンテス!」
ギガンテスとアリアネはほぼ同じ早さで歩み寄った。
互いが互いの射程距離に入り、足を止めた。
アリアネの放つ殺気とギガンテスの放つ敵意とが、空中でぶつかり合い、可視化された黒いもやとなって二人の間にあふれ出る。
一触即発の状況で、先に動いたのはギガンテスであった。
アリアネをつぶすために、拳を振り上げた一瞬のうちに、アリアネはギガンテスの前から消えた。
体重を感じさせない軽やかさで、ギガンテスの肩の上に乗っていたのだ。
筋肉がどれだけあっても、反応速度には限界がある。
アリアネの剣は、ギガンテスが動くよりも早く、右手首を切り落とした。
「ウガアアアアアア!!」
悲鳴とも怒号ともつかぬ叫び声をあげ、空いた方の手で、掴みかかる。
銀狼はギガンテスの周囲を滑るようにして動き、次は右足を落とした。
断面から血が噴き出て、辺りを赤く染めていく。
「ギガンテス! 何を遊んでいる!」
マリスの声に反応し、落ちた右手を慌ててつなぎ合わせるが、銀狼の姿はすでに視界にない。
常に死角に入り込むようにして動いているのだ。
遠目から見ているマリスにはそれが分かるが、アリアネの動きが早く、上手く指示が出せない。
まるで捕えた獣を解体していくように、アリアネは体の部位を切り落としていく。
「早く捕えろ!」
焦ったマリスがそう叫ぶも、治る端から切られていくギガンテスにその命令を遂行する力はない。
両足首を切られ、バランスを崩して倒れ込むギガンテスを無視し、銀狼はゆっくりと標的を変えた。
「や、やめろ。命だけは助けてくれ……」
情けなくも、命乞いをするマリスへ向かって、アリアネは迷いなく剣を薙いだ。
完全に胴を二分したつもりだが、一切の手ごたえがなく、空気を裂くようにして突き抜けた。
そして、マリスの体がバチバチと雷を放ち出す。
時雨に見せた時と同じく、雷へと体を変え、アリアネの剣を避けたのだ。
「貴様の弱点は相手に近づいてしまうことだな!」
マリスの体を中心に、雷の球体が発生し、それは網目状になって一気に広がった。
銀というものは電気に対する抵抗がほとんどない。
魔法で作られた雷と言えどそれは例外ではなく、アリアネの体に凄まじい威力の雷魔法が流れ込んだ。
「どうだ! 体を焼かれて動けまい!」
膝を折りそうになったアリアネは、赤い目をさらに輝かせ、倒れかけた体を動かした。
剣を振り、マリスを殺そうと、何度も切りつける。
しかし、その全てが体を通り抜け、そのたびに剣を伝わった雷が、体を焼いていく。
痛く、苦しいはずなのだが、アリアネは全くそのようなことを感じてはいなかった。
ただただ己を突き動かす殺意に身をゆだね、怒りのままにマリスを切り続ける。
マリスは最早避ける様子すら見せていなかった。
時間と共に、ダメージの蓄積したアリアネの体から力が抜けていく。
「全く愚かな獣よ。効かぬとわかっても止まることが出来ぬとは。しかし、だからこそ捕獲が容易なのだが」
弱ったアリアネは立つことすらままならなくなり、剣を咥えていられず、落としてしまった。
さらには集中力が切れ、背後に忍び寄るギガンテスに気がつくことが出来ず、両手で地面に押さえつけられた。
力の差は大きく、全く身動き一つできない。
「他の者の助けもないようだな。これで終わりだ」
アリアネは言い返すこともできず、ただマリスを睨みつけた。




