32.二つの時
ゼナは神の子であるが、戦闘が得意な方ではない。
扱える武器はないに等しく、こうして向かいあった敵と戦ったことなどない。
だから当然と言えば当然なのだが、殴りかかったゼナは簡単に返り討ちに会っていた。
飛びかかったゼナの拳に向けて、時継は刀を振った。
『雨天』の切れ味は凄まじく、まるでバターのように、ゼナの右腕までもが真っ二つに裂けた。
「いってえ!」
ゼナの裂けた右腕は、繊維状に伸びた体組織が連なり、離れることを防いで、すぐに再生してくっついたが、それでも痛みが残る。
二度と切られたくないと思うも、彼を放っておくわけにもいかない。
時継は容赦なく、胴を二分するために刀を真横に構えた。
だが、刀にムルカの骨鞭が巻き付いて、それを振るうことは叶わない。
舌打ちをして、時継は刀から骨を払った。
ムルカはゼナにも骨鞭を巻きつけ、遠くへ放る。
ゼナは転がって着地し、腕がおかしくなっていないか、よく確かめていた。
「少しは躊躇しろ!」
「神の子と言っても、ただ回復が早いだけの雑魚か。期待して損したぜ」
涙目のゼナに、時継は呆れたように言った。
ムルカはその様子を見て、焦っていた。
時雨をずっと近くで見ていたために分かる、天と地ほどの戦闘能力の差。
絶対に勝てない、と確信を持つことは簡単であった。
どうすれば勝てるか、と考える前に、ムルカは疑問が浮かんだ。
「……あの」
「なんだ、ちび助」
「ちび……!!」
ムルカは平静を取り戻すためにひとつ咳払いをして、続けた。
「あの、なぜ私たちは戦っているのですか?」
「……は?」
それは戦う人間ではないムルカだからこそ、考えたことであった。
当然のように剣を取り出して、当然のように殴り合って、なぜそんなことをやっているのだろう。
「だって、おかしいじゃないですか。私たちは戦うために来たんじゃないんですよ?」
時継は全く理解できない様子で言った。
「……待て、何を言っている。俺が雨天を手にした時点で、戦う理由なんかどうだっていいことだろ」
「それはトキツグの理屈であって、私はそうは思いません。戦うために魔法を覚えたわけではないのですし。あなたはどうしてそんなに戦うことに固執するんですか?」
「好きだからだ。戦うことが。他に理由なんかあるか」
「あるはずです」
「ねえよ!」
声を荒げるメランに、ムルカは微笑んだ。
「その理由はトキサメに聞いた方がよさそうですね」
「ああ!? 俺を無視すんのか!?」
「だって、ほら、後ろ」
時継は俊敏に後ろを振り返った。
時雨が立っていてはまずいと思ったのだろう。
しかし、そこには誰もいなかった。
「騙しやがっ――――」
時継がムルカへ向き直る前に、骨の鞭が胸へと突き刺さる。
「ぐっ、貴様……!」
「トキサメって、相手が弱いとけっこう油断する方なんですよ」
ムルカは時継から心臓を抜き出すつもりで引き抜いた。
しかし、骨の鞭が掴んでいたのは、人の腕であった。
引っ張るにつれて、体が姿を現していく。
それと同時に、時継は苦しみだした。
不安定だった自我が崩壊を起こしているのだと、ムルカは感じた。
「や、やめろ! 俺が、壊れる……!!」
時継の胸から、見慣れない黒髪の少年が新たに現れた。
紺色の道着を着た少年は、砂漠に尻餅をついたまま、言った。
「なんだ、どこだここ?」
少年は辺りをきょろきょろと見回し、隣で四つん這いになる時継を見つけて言った。
「おい、大丈夫か」
「触るな!!」
声をかけた少年の手を、時継は半狂乱になって弾いた。
「なんだよ、おい」
不服そうにつぶやく少年に、時継は不安ながらも話しかけた。
「……トキサメ?」
「ん? ああ、ムルカ。なんか大きくなったか?」
時雨の身長とムルカの身長差は頭二つ分ほどに縮まっていた。
この少年が、時雨の本来の姿であると、ムルカは初めて知った。
そして、今までしていた大きな勘違いに気づいて、しばしの間、茫然としていた。
「トキサメ、子供だったんですね……」
「何言って……。あれ? いつの間にか体が戻ってるな。俺の年齢言ってなかったか? 十六だぞ」
「私と二つしか変わらないんですか? ずっと三十代くらいかと思ってました……」
「ひでえ! 三十代らしいところあったか!?」
「いえ、だって、いつも冷静だったし、強いし……」
「元々そういう性格なの!」
時雨は頭を指先でポリポリと掻き、ため息を吐いて言った。
「そんで、今、どういう状況?」
「ここはトキサメの心の中ですよ。魔法毒をもらって寝込んでいるトキサメの中に入って、叩き起こす予定だったんです。でも宝玉のせいでトキサメの感情が自我を持ってしまって……」
「感情が自我?」
倒れ込む時継に、時雨は目をやる。
「よくわかんねえけど、お前は何をやってるんだ?」
「時雨! お前がいるせいで、俺は苦しんでるんだ! 大人しく体を明け渡せ!」
血走った目をした時継は時雨に掴みかかったが、時雨はそれをひょいと避け、言った。
「いいぜ。渡してやっても」
「何だと!?」
「ただし、お前も俺なら、分かるだろ」
時雨は空中に刀を作りだした。
それは時継の持つ刀と全く同じ、『雨天』である。
「戦え。戦って、お前が勝てば、体はお前のものだ」
「なんでそうなるんですか!?」
耐えきれず、ムルカは叫んだ。
すでに時継は満身創痍であり、戦わずに収めることだって出来るはずだ。
「いいんだ、ムルカ。俺はずっとそうやってきた。そして、これからもな」
明らかなキメ顔に、ムルカはカチンと来て、声を荒げた。
「格好つけたって今のトキサメはただの子供なんですからね!」
「うわ、言うな。態度が違いすぎないか?」
「なんだか腹が立ってきたんですよ! 今までの言動も色々な積み重ねや深い考えがあってのことだと思っていたから、強く出られませんでしたけど、たかだか十六の男の子が本当に好き勝手暴れまわっていただけじゃないですか! ああもう!」
「そこまで言うことないだろ……」
苛つきというよりは、正しいことを聞いておかなかった後悔や自己嫌悪が大きかった。
思ったことを吐き出して、少し昂った気持ちを落ち着かせるために深呼吸を一度して、ムルカは時継に言った。
「あなた、だいぶ弱っているんですよね? もうやめませんか?」
「ふざけんな……」
時継は立ち上がれないほどに憔悴していた。
時雨が体から抜け出たことで、精神的な体力を持っていかれてしまったのだろう。
「トキサメはどうします? まさかこの状態の人に戦えとは言えないでしょう?」
「いや、こいつにまだ戦う気があるなら戦う」
「無慈悲ですね……」
「それは違う。どれだけ弱っていても、心が折れていない限りは負けていない。そういう相手なら俺は誠意をもって戦う、というだけの話だ。元気だろうが、弱っていようが、関係ない」
「理解できませんよ……」
呆れるムルカを置いて、時雨は時継の正面にしゃがみ、目を合わせた。
「お前、まだ戦う気があるのか?」
「あるに決まってるだろ!」
「……虚勢を張ってるのが分かるぜ。本当はこの場に俺が出て来た時点で、戦意なくなってんだろ。じゃなきゃ、ムルカと会話してる間に切りかかってないとおかしいもんな。まあ、俺ならそうするって話だが」
「くっ……」
「負けた時は潔く負けを認めろって親父に習ったの、忘れたか?」
「だが俺は認めなかった!」
「だから、きつい思いしただろ。負けた後に何をしたって、負けたことはなくならないって知っただろ。認めないって発想自体、認めてるようなもんだったろうが」
時継はそれ以上言い返してはこなかった。
ただうなだれて、悔しそうに地面を睨んでいた。
「さて、じゃあ帰るか」
「え、あの、いいんですか?」
「もう悪さしないだろ。何か問題があるか?」
「……いえ、トキサメがそれでいいなら、私はいいんですけど……」
「こいつも俺だからな。斬ればいいってもんじゃない。いずれは解決する必要がある。それに――――」
話を途中で止め、時雨は辺りを見回した。
「どうかしたんですか?」
「まだ何かいやがる」
時雨は骨の山に近づき、言った。
「気配を消すのが下手なやつだな。何を企んでるのか知らないが、さっさと出てこい」
骨の山は震え、次の瞬間に弾け飛んだ。
山のあった場所では、光る玉に包まれたマリスがそこに立っていた。
「まさか精神を人格化しているとはな……。神の子の体を使えるだけの生命であるということか」
マリスは驚きと感心が入り混じったような顔をしていた。
「誰なんだお前」
「トキサメ! そいつがマリスです!」
「はじめまして、になるな。キリヤ、トキサメ。わしがマリスだ」
時雨は眉をひそめて言った。
「何でこんなところにいるんだ?」
マリスは自慢げに答えた。
「魔法毒の中にわしの魔力を紛れ込ませておいたのだ。この体を乗っ取るためにな」
「なるほど、それは失敗したわけだ」
偶然にも時継がいたおかげで、彼が精神の主導権を握ることは出来なかったのだ。
「まだ失敗ではない。これから貴様らを殺し、わしがこの体をもらい受ける。貴様の理屈では勝った方が貰って良いのだろう?」
「ああ、いいぜ」
「トキサメ!」
時雨は止めようとするムルカに笑いかけ、言った。
「言っただろ。俺はこれしか知らない。それに今は雨天がある。負けねえよ」
時雨はさらに小太刀を作りだし、雨天と共に腰へ携える。
その姿は一端の武士であった。
「そこの一つ目の姉ちゃん、ムルカとこいつを頼んでもいいか?」
「はいよ。面白そうだから、アタシは観戦させてもらうよ」
砂漠に腰を下ろして胡坐をかいていたゼナは立ち上がって、ムルカと時継を連れて少し離れた場所へ移動した。
「さて、久しぶりの太刀だ。存分に堪能させてもらうぜ」
時雨は本当に嬉しそうに、目を細めた。




