31.悲劇の再会
アリアネは落下しながら、マリスの入った光球を目で追っていた。
『反射』の魔法に己の腕力を乗せて弾き飛ばしたにもかかわらず、地面へぶつかる前に減速できたようだ。
激突させるつもりでいたために、少し歯噛みして悔しがったが、それはつまり、マリスが想定よりも強いということの証でもあった。
興奮しないという精神的特性ゆえに、感情に飲まれることはないとはいえ、どんな手段を持っているかわからない相手である以上、慎重さを欠くことだけはしてはならない、と気を引き締めた。
地面への距離が縮まっていく。
着地のために体を強張らせていたアリアネは、突如、何かが飛んでくるのを感じて剣を盾にした。
マリスの放った雷の魔法がアリアネの剣に反射して、辺り一面の地面を焦がす。
黒く焼け焦げた地面のその中心に、アリアネは着地した。
かなりの高度から飛び降りたが、身体能力の高さと魔力による筋力増強によって、足の痺れは一切ない。
アリアネは間髪入れずに、マリスへ向かって走り出した。
「来るか駄犬!」
「黙れ!」
マリスは光球を解いて、アリアネに向かって手をかざした。
魔法陣が黄色く光り出すところが見えたが、アリアネはその前に立ち止まり、右へ跳ねた。
直後、アリアネの居た場所に、巨体の屍が空から降ってきた。
「ほう、避けたか」
攻撃を察知したのではない。
違和感に対して、体が勝手に反応したのだ。
アリアネの精神は、湖畔の水面のごとく、静かに澄み渡っていた。
焦りもない、怒りもない。
今はただ、目の前のいけ好かない奴を叩きのめすことのみを考えていた。
巨体の屍は、その丸太のような剛腕を振るい、アリアネへと殴りかかる。
どの種族、どの魔物が相手でも、力でひけをとったことはないアリアネは、真正面から大剣を振って、迫る拳にぶつけた。
力は互角で、拳と剣は弾かれあった。
アリアネは片手で剣を振っているため、姿勢を崩したが、屍はそのまま体を捻り、反対の手を叩きつけた。
間一髪、直撃は免れたものの、衝撃でアリアネの体は宙を舞い、地面を二転三転して、横たわった。
「貴様程度では、わしのギガンテスの相手は務まらんわ」
ギガンテスは昂る感情を吐き出すように、空気を震わせて吠えた。
「神の子を始末するために作った特別製でな、特殊な動力を使うことで大出力を可能にした、英知の結晶だ」
「それにしては、見た目が悪いとは思わないか?」
アリアネは起き上がりながら、少しでも時間を稼ごうと、軽口を叩いた。
ぶつかり合った手が痺れて、しばらくは握力が戻りそうもない。
たった一撃で、凄まじい強さの敵であると認識した。
「そんなものは所詮表面しか見えていない、本質の分からない者の見方よ。外見などどうだって良い。問題は『何を為せるのか』だ」
「その意見には賛成だ。ならば、その木偶の坊は、やはり失敗作ということになるな」
アリアネは右手を動かし、多少は剣を握れる状態であることを確認した。
「これから私に倒されるのだから、な」
「やってみるがいい。戦いに特化した人狼と言えど、ギガンテスと戦うには力が足りんということを教えてくれる」
アリアネは、これまでに得ていたマリスに対する情報から、彼が研究者であり、その成果を試したがる人物である、と推定していた。
正直に言って、この二人を同時に相手することは厳しいと判断し、どうにか一人ずつ叩けないものかと考えた結果、ひとつの作戦が浮かんだ。
それは、プライドを刺激すること。
お前の研究で作ったものなど大したことはない、と言ってのければ、必ずその成果物を使って思い知らせようとしてくるはずである。
作戦は見事に成功した。
そのうえ、ギガンテスは命令なしに動けない屍であり、この作戦によって、マリスがムルカの方へ向かうことも阻止できていた。
ここまでは想定通りに上手くいっている。
問題があるとすれば、ギガンテスを倒せるかどうか、と言ったところだろう。
しかし、アリアネの中にその懸念はない。
強さに対する自負があるからだ。
ギガンテスが吠え、アリアネへ向かって、両手両足を使って獣のように走り出した。
「やれ! ギガンテス! そいつを押しつぶせ!」
大声をあげるマリスと迫る巨体を目にしても、アリアネは落ち着いていた。
「人類はずっと、自分よりも大きな相手と戦ってきた。人と戦う術ではトキサメに敵わないが、魔物の相手ならば、私に敵う者はいない」
マリスに聞かせるためか、自分に言い聞かせるためか、アリアネ自身にも分からなかったが、それでも、その実績が自信へと変わり、恐怖を押し殺す。
大質量を持つ敵の突進への対策はすでに出来ている。
アリアネは腰を落とし、剣を低く、敵に対して真っ直ぐ斜めに構えた。
それはさながら滑走路であり、アリアネは地面を蹴って、滑るようにしてギガンテスの腹の下へもぐりこみ、勢いはそのまま刀身に押し当てた。
完璧な角度で発射されたギガンテスは、自身の駆ける力で遙か後方の空へと吹き飛んでいく。
そのまま地面へ激突してくれることを期待したが、ギガンテスは空中で体勢を立て直し、どしん、と大きな音を立てて、怪我ひとつなく着地した。
「なんというバランス感覚だ……」
巨体であるために、受け身のような精密な動きは苦手だと思いこんでいたが、まるで獣人のような運動神経をしている。
そこまで考えて、アリアネは気がついた。
ギガンテスの体が、多種多様な種族のつぎはぎであるということに。
肉を詰めた皮膚をただ縫い合わせただけではないのだ。
一見人のように見える両足と両腕だが、色素の僅かな違いから獣人のものだと分かる。
種族まで判別はつかないが、少なく見積もっても十五ほどの獣人がその体に使われている。
これだけの獣人がいなくなったとあれば、街では当然騒ぎになるはずだが、そんな話は聞いたことがない。
冒険者ギルドに属し、猟犬として高位についているアリアネの耳に、集団失踪事件の話が入ってこないはずはない。
すでに埋葬された死体から剥ぎ取った可能性もないことはないが、死霊魔法で悪用されることを恐れて、ほとんどの遺体は火葬されており、これほど綺麗な、腐食していない遺体の皮膚を集めることは困難である。
「まさか……!」
一つの発想に行きついたが、それを言葉にする時間をギガンテスは与えなかった。
体重を乗せて振るわれたギガンテスの拳を『反射』の魔法で弾き、大きく開いた 体を剣で袈裟切りにする。
体の内に赤い玉が一瞬だけ見え、すぐに傷は塞がった。
「再生だと!?」
再生能力も備えた、不死身の巨体を持つ、つぎはぎの屍の猛攻を、アリアネは紙一重で防ぎ続けた。
攻撃の直後にこちらが切りかかっても、それを無視してさらに攻撃をしてくるイメージが頭に浮かんでしまい、攻めに転じることができなくなっていた。
最初は『反射』と防御の技術で防ぎ切っていたものの、数十度に及ぶ猛攻のうちに、スタミナの差が現れ始めていた。
次第に攻撃が体に掠るようになっていき、ついには腹部へ直撃をもらって、地面へ転がっていく。
肋骨と背骨、それに内臓へのダメージが大きく、アリアネは起き上がることも出来ずに血を吐いた。
「どうした? 倒すどころか、倒されているではないか」
マリスは、土埃と流血にまみれるアリアネを見て嘲り笑った。
アリアネはやっとの思いで呼吸をしながら、マリスを睨みつけた。
「何か言いたそうではないか。最後に聞いておいてやろう。後悔か? 命乞いか? それとも、怒りか?」
「貴様がステラにかけた呪いは……ぐっ!」
こみあげてくる血が邪魔をして、言いたいことを言いきれない。
しかし、マリスは断片だけを聞いて、アリアネが何を言おうとしたのか察したのだろう、歪んだ笑みを浮かべた。
「ステラ、というのは、あの実験動物のことか? フン、大方あれにかけた呪いをハイマの呪いだと思ったのだろう? そのような古臭い呪術を、わしが使うと思っているのか? あんな不完全なものではなく、さらに改良と進化を加えた新たなる呪いよ。人狼だけに有効な活性作用ともう一つ、強力な催眠作用を加えた。
貴様の察している通り、ウィンドブロウの街で起こっていた障害事件は、失踪者を隠すための隠れ蓑だ。ステラの襲った獣人をヨウルカスに送らせて、わしはギガンテスを作った」
やはり、とアリアネは歯噛みした。
怪我人と行方不明者の名簿を照らし合わせれば簡単に気がつけたはずの事実を見逃してしまっていたことが悔しかった。
ハイマの呪いをかけられたステラを救わなければならない、と焦っていたことが原因であった。
「うぐっ!」
剣を杖代わりにして立ち上がろうとするアリアネを、マリスは蹴とばした。
何の抵抗も出来ず、地面に転がるアリアネに、マリスはさらに続けた。
「この話はここで終わりではないのだ、愚かな『猟犬』よ。このギガンテスを作った目的は、もちろん、神の子を殺し、あの方の悲願を達成するためだが、わし個人としては、別の目的があるのだ。
人狼という種族のことをよく知っているだろう? 奴らは感情が高ぶると飛躍的に生命力と魔力が上昇する。
その中でも鍛えられた人狼の戦士は、魔獣のランクで言えばαと同等である、と文献に載っていた。ならば、それを利用できたなら、クロノスの宝玉と同等の力が手に入るのではないか、とわしは考えたのだ。クロノスの宝玉の代用品としてな」
「……何だ? 何を言っている?」
マリスが言おうとしている何かを認識しようとすることを脳が拒絶している。
言葉が全く頭に入ってこない。
「ククク、その反応、たまらぬ。しかし、まあ、わしの目的はそれだけではなく、アリアネ、貴様も目的の一部なのだ。血の活性が出来ぬ欠陥品、それがなぜ、本来ならば自在に活性と鎮静を行き来できる戦士の称号である『猟犬』などと言われ、崇められているのか。
それは貴様がずば抜けて強かったからに他ならない。獣の力に頼らずとも魔物を切ってみせる貴様の姿は、さぞ仲間たちに希望を与えたことだろう。女しか残っていない種族では、その程度でも尊敬されるのだな」
「人狼を馬鹿にすると許さんぞ……」
マリスはアリアネの苦し紛れの言葉を全く無視して、言った。
「わしが気になったのは、その強い欠陥品が怒った時、どれほど身体能力が向上するのか。もしあれよりも強い生命力を持っているのならば、そちらに乗り換えるのも、選択のひとつだろう」
マリスがギガンテスを近くに呼び寄せ、腹の縫合を裂き、手を突っ込んだ。
粘り気のある血液から手を引き抜くと、先程も一瞬だけ体の内に見えた、小さな赤い玉が握られていた。
「何のつもりだ……?」
「意識が混濁するほどダメージを与えたつもりはない。もう分かっているのだろう? 感動の再会だぞ」
アリアネの中で何か冷たいものが逆流する感覚がし、皮膚が粟立った。
認めてはいけない、考えてはいけない、と必死に言い聞かせるも、想像は思考の壁を容易く打ち砕く。
そして、マリスは決定的な一撃を、アリアネの精神へ与えた。
「――――ステラ・リカンスロポスだ。今はもう、ただの赤い玉だがな」
その言葉を聞いた瞬間、何かがアリアネの中で切れた。
「……嘘だ。嘘だ! 嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ! 嘘だあああああああああ!!!」
暗雲が立ち込める荒野に、大粒の雨が降り始めた。




