30.乾いた心
星のない夜、砂漠の真ん中に、ムルカは立っていた。
何が起きたのか分からず呆けていると、少し離れたところからゼナが歩いてくる様子が見えた。
「無事に入れたね」
「どこなんですか、ここ」
「中だよ。トキサメ、だっけ。その心の中。しかし、まー、殺風景だね。草木一本生えてなけりゃ、星のひとつもない。こんな場所は初めてだ」
「寂しいところです……」
「普通はもっと、楽しい雰囲気のところなんだけどなー。それに親しい人がたくさんいたりするし。とりあえず探してみようか」
「えっと、何を探すんですか?」
「トキサメか、トキサメだったモノだよ。たぶん、この世界はそいつしかいない」
いかに何も無くとも本人だけは消えることが出来ない、とゼナは言った。
「誰もいない砂漠……。これがトキサメの心の中だって言うのなら、私たちと一緒にいても、ずっと、独りだったってことなんですか?」
「そういうことかもね。こいつのこと、どんだけ知ってる?」
「どんだけって……」
ムルカは答えに詰まった。
時雨のことは、剣術の達人であるということ以外、ほとんど何も知らなかったからだ。
表面上の強さと強敵を求める闘争心にしか目がいっていなかった。
彼が普段何を考え、今までに何を為してきたか、一度も聞くことがなかったのだ。
「知らないんだ」
「……はい」
「こいつだって人間なんだろ? ちゃんと会話しろよなー」
そこまで深い意味はなく言ったのだろうが、ムルカには返す言葉もない。
興味がなかったわけではないが、聞くことをしなかったのは、その気がなかったからに他ならない。
結局のところ、ムルカも時雨のことを魔法で出来た人形や屍としてしか見ていなかった部分があったのだ。
落ち込むムルカを見て、ゼナは発言に責任を感じたのか、慌てた様子で言った。
「えーと、なんだ、なんかよく知らねーけど、気を落とすなよ。長年連れ添っててもよく分からないやつだっているしさ」
「…………」
反応は芳しくなく、このままではまずいと思ったのか、ゼナはさらに続けた。
「うちの兄ちゃんだって、何考えてんのかわかんなかったぜー。ヘラクレスって聞いたことある?」
「英雄の立場を利用して横暴を働いたって人、ですよね。トキサメの体として、使わせてもらってる……」
「そうそう。乱暴者に見えるよう振る舞ってた、ってサヴァス兄ちゃんは言ってたけど、アタシもなんでそんなことしてたのか、わからないんだ」
「元々はそういう人ではなかったと?」
「いや、そうは言ってない。何を考えてるか分からない人だったから、元々そういう、乱暴者の性格があったのかもね。アタシは知らねーけど」
そう言って、ゼナは口を閉じた。
大きな一つ目は、昔を懐かしむかのように、少し優しいまなざしをしていた。
「あの、先程から兄ちゃんと呼んでいますけど、ちゃんと普通の兄弟みたいに生まれた順があるんですか?」
「あるよ。ある。ちゃんと生まれた順だよ。ヘラクレス、サヴァス、アタシ、フィロメラ、クロノスの順だね」
「真ん中なんですね」
「うん。下二人の面倒はほとんどアタシが見てたからさ、世話焼くの、好きなんだよね」
「そうなんですか。神の子って言っても、なんだか、普通なんですね」
「勝手にそんな仰々しい呼び方を始めたのは人間だろー? アタシらが自分から言い始めたわけじゃないんだからな」
「誰から聞いたんですか?」
「前にここに来た嬢ちゃんから」
それを聞いて、ムルカの頭の中で、ゴレムの言葉が思い出されていた。
セレーネはこの山にたどり着いて、彼女に会っていた。
ずっと幽閉されていたゼナが、人間たちから見た自分たちの立場を知っているのも、そのおかげなのだ。
「セレーネさんは、何をしにここへ?」
「なんだ、セレーネのこと知ってるんだ。あの嬢ちゃんは、宝玉を使って強大な力を得たいって言ってた。アタシは宝玉にそんな力はないって言ったけど、引き下がらなくてね。その時に色んな話をしたんだよ。まあ、だから、アンタらが人を生き返らせていたことにびっくりしたんだけど」
「セレーネは、いったい何をしようと?」
「さあ……。聞いても教えてくれなかったから分かんねーな。もう本人も死んじまってるだろうし」
ゴレムは知っていたのだろうか、とムルカは考えたが、例え知っていたとしても、どの道セレーネの許可無しにそういう話をする方ではない。
「見ろ、何かある」
ゼナが言って、ムルカは遠くに見える白い何かに気がついた。
話に夢中だったが、かなり長い距離を歩いていたのだ。
「なんですか、あれ」
「これだけ何もないところにあるんだから、重要なもんだろうな」
近づくにつれて、それが何であるか、二人にはすぐに分かった。
頭蓋骨、肋骨、腕骨、指骨、骨盤、大腿骨。
様々な種類の骨が組み合い、一山を形成していた。
それに使われた人間の数は十人や二十人ではとても足りない。
その骨で出来た山の上で座っていたのであろう、黒髪の少年が立ち上がって、二人を見下ろした。
「クロノス、じゃねーな。その姿はクロノスのもんだろ。お前がトキサメか」
「あいつと同じ名前じゃ不便だろ。俺のことは時継とでも呼んでくれ」
時継は不敵な笑みを浮かべた。
「じゃあよ、トキツグ。なんでクロノスの姿をしてる? っつーか、なんで知ってる?」
「宝玉の中に残されていたのさ。記憶は何も体だけに宿るもんじゃない。魂や、生命力の断片にだって記憶は宿る。力を分けてもらう時に少し拝借したのさ」
「別人、とでも言うつもり?」
「まあ、そんなところだ。時雨の自制心が強すぎてなかなか外に出られなかったが、変な魔法が入ってきたおかげで、力も姿も得られた。もうじき出られそうだ」
心の内でくすぶっている黒い感情の塊のような時継を、ムルカは睨んで言った。
「あなたは、トキサメの何なんですか? 心の中にいるってことは感情か記憶か、トキサメから生まれたものなんでしょう?」
「時雨には、憤怒や復讐、そういった感情が強く生まれるタイミングがあって、少しの間、それらに身を任せていた時期があった。その時に築いた屍の山が、これだ。俺はこいつの代わりに大勢を殺した。復讐と怒りに身を任せてな」
それっていつ、と聞きたくなったムルカはぐっとこらえた。
時雨本人に聞くべきことであり、それを時継の口から聞くことは、道理に反することのような気がしたからだ。
「もうすぐ出られるっていうのは、どういうことなんですか?」
ムルカの質問を聞いて、時継は小馬鹿にしたように笑った。
「さっき、アリアネが戦いにいったろ? あいつら、多分アリアネより強いぜ。そんで、クイズだ。アリアネより強いやつが二人と、そのアリアネが戦ったら、どうなると思う?」
本当にそうであれば、結果は火を見るよりも明らかである。
「アリアネが負けることと、あなたが出られることと何の関係があるんですか?」
「本気で言ってんのか? 俺は復讐心と怒りで出来ているんだぜ? アリアネが目の前で無残に死んでみろ。時雨は怒るだろうさ。我を忘れるほどでないにしても、心に隙間が生まれる。そしたら、その時こそ俺の出番だ。体を乗っ取って、俺は俺になるんだ」
時継は歪に顔をゆがめて今までで一番の大笑いをした。
それは、すでに勝利が確定している者の笑みである。
「させません。トキサメに起きてもらいます。あなたではなく!」
ムルカは骨犬を召喚し、鞭を両腕から垂らした。
倒すつもりで出したが、見た目は違っても彼は時雨であり、ならば相応に強いはずである。
ずっと隣りで見て来たのだから、時雨がどれほど強いのか、自分が敵う相手なのか、重々承知である。
しかし、だから彼を止めないというわけにはいかない。
時雨の目を覚まさせるためにも、彼はここで止めておかなければならないのだ。
「犬とそのヒモで俺とやるつもりか? 鏑木流剣術を使うこの俺と?」
時継は空中に手をかざし、空中の塵を集めて、刃渡り二尺の太刀を取り出した。
「見るのは初めてだろう。これが日本刀、無銘の太刀、名を『雨天』という。誰が作ったか定かではないが、代々鏑木流に伝わる良い刀だ。この世界に存在しない刀でも、ここならば好きに取り出せる」
時継が雨天を腰に携えた途端、戦闘技術の練度が低いムルカであっても、ひりついた殺気を感じた。
ローブで隠れた手が動かず、膝が震える。
これが時雨本来の戦闘スタイルだと思わずにいられなかった。
白骨剣を持っていたころとは、比べものにならないほどに、構えが堂に入っており、間合いに入ればすぐにでも首と胴が離れるところが想像出来てしまう。
「おい、待て待て。そんな小さい子に刃物振り回すたあ、感心しないねえ」
「あ? まだいたのかよ。一つ目の化け物め」
その言葉にゼナはカチンときたようで、指と首の関節を鳴らし、言った。
「アタシから見れば、アンタはトキサメでもなければ、トキツグとかいうやつでもない。弟のクロノスなんだよね」
「弟だから戦いづらいか?」
「ハッ、馬鹿言え。弟だから、余計にムカつくんだろ。姉ちゃんがどんだけ怖かったか、その体に思い出させてやるよ」
ゼナのとった構えは、到底構えと呼べるものではなく、若者が道で喧嘩する時のような、攻撃も防御もおろそかな、無茶苦茶なものであった。
しかし、時継の手はまるで意志に反するように震えていた。
「アンタは知らなくても、その体は知ってるんだよ。今謝ればまだ許してやる。どーする?」
「クロノスとかいうやつより、俺の方が強い。暗示があるくらいで丁度いいハンデだ」
魂が覚えている恐怖を『暗示』と言い放ち、時継は太刀を引き抜いて、正面に構えた。
「さー、いくぞ!」
動かずに刀を構え続ける弟の姿へ向かって、ゼナは飛びかかった。




