29.一つ目の神の子
アリアネは手や足に岩が触れることで、幾分かの頼もしさを感じていた。
いくら強い力で蹴っても石のひとつですら転がっていかないのだ。
魔力によって硬く連結された岩の山は、崩そうと思って崩せるものではない。
すいすいと登っていき、一時間もしないうちに頂上が見え始めた。
その頂上だけが切り揃えたかのように、台状になっている様子が下からでも分かる。
「この上に何がいるんでしょうか」
抱えられたムルカが言う。
「竜でもいるのかもしれないな。今のところは何の気配も感じないが……」
封印されているものが怪物ではなく宝玉であることを祈りながら、アリアネは駆けた。
頂上を構成する岩の断面に手をかけ、体を引っ張り上げる。
「おー、来た来た」
そこにいたモノは、アリアネを見て呑気にそう言った。
怪物でも宝玉でもなく、そこに居たのは、両手を鎖で岩に繋がれた人であった。
一般的な人間と大きさこそ変わらないが、緑色の肌と大きな一つ目が特徴的な女性である。
「誰なんでしょう?」
頂上に降ろされたムルカが小さな声で聞いた。
「こんなところに人がいるという話は聞いたことがないぞ……」
それに封印されているのであれば、彼女がどんな大罪人であるかもわからない。
迂闊に近寄ることは避けた方がいいだろうとアリアネは言った。
「……お前ら、宝玉持ってきたんだろ?」
「だったら、何だと言うんだ?」
「そう警戒すんなよなー。この山は、宝玉をふたつ持ってねーと見えないんだ。そうそう、アタシはゼナってんだ。よろしくなー」
ゼナは軽くそう言って、笑顔を見せた。
敵対心は無さそうだが、かと言ってすぐに信用するには怪しすぎる状況である。
「私はアリアネ。こっちはムルカだ。ゼナ殿はなぜこんなところに?」
「あれ、知らないかー。前に来たやつは知ってたんだけど……。まー、いいや。アタシはサイクロプスっていう名前でなら知られてるんじゃねーかな」
「サイクロプス……。それって神の子の……」
「そっちの白い、えーと、ムルカちゃん。その通りだよ。アタシがその伝説の神の子のサイクロプスってやつさ」
神聖さや謙虚さは微塵もなく、まるで山賊のような口ぶりで彼女は言った。
「こんなことを言うのも申し訳ないのだが、説得力がないな。仮にゼナ殿が本当に神の子であるとするなら、何か証拠のようなものはあるか?」
ゼナはしばらく考えて、鎖に繋がった手で耳を触った。
手にはピアスが握られており、その先に小さな緑の玉がつけられている。
「これを探しに来たんだろ?」
「随分と小さいな」
「大きさは問題じゃねーからな。三つともこのサイズだとなくしちまうだろ?」
「いや、それは、たしかにそうかもしれないが……」
アリアネは彼女と話しながら、少しずつ感じ始めていた。
彼女のことが苦手だ、と。
「とにかく、だ。アタシは本物のサイクロプスで、お前らはこれが欲しい。だったら、取引しようじゃねーか。この鎖を外してくれ。そしたら、これやるから」
ゼナは鎖を見せて言った。
「自分で引きちぎれないのか?」
「あのな、引きちぎれたらここでこうして毎日空を眺めてるわけねーだろ?」
「……我々に外せる物なのか?」
そう言うと、ムルカがゼナの傍に寄って、鎖を触った。
「ムルカ、危ないぞ!」
「平気です。多分この人、悪い人じゃないと思います」
「お、話が分かるねー」
茶化すように会話に入って来るゼナを無視して、ムルカは続けた。
「……わざわざ小さくした宝玉をピアスにしているのは、渡したくない相手には見つけられないようにするためでしょう? それを隠すことなく見せてくれたってことは、信用してもいいんじゃないですか? ……それにしてもこの鎖、強い魔力が込められてますね。それも、魔法を無力化する魔法陣が書き込まれています」
どうしても協力するつもりのムルカを見て、諦めてため息をついたアリアネは、背負っていた時雨を降ろし、おもむろに剣を抜いた。
「おー、かっこいいね」
「口を閉じていろ。手元が狂う」
アリアネは肩に剣をかつぎ、体内の魔力を最大限に練った。
周囲の大気が揺らぎ、力の程が視認できる。
竜の首をも断てるほどに貯めた力で、鎖へ剣を一直線に振り下ろすと、鋭い金属音が響き、鎖は見事に弾け飛んだ。
「おー、ありがとー」
「礼には及ばない。それより、なぜ繋がれていたんだ?」
「封印されてたんだよ。母ちゃんにさ」
「母……。ガイアのことか?」
「そうそう。母ちゃんはアタシとフィロメラをここに封印したんだ」
「もう一人、いるのか?」
「いるよ。この下にね」
そう言って、ゼナは岩山を、とんとん、と叩いた。
「すぐに助けよう」
「あれ? 信用していないんじゃなかったの?」
「……善人だろうと、悪人だろうと、助ける時は助ける。裁くのはそのあとだ」
「格好だけじゃなくて、良いことも言うじゃん。なに、もしかしてけっこう偉い人だったりする? って言うかそんなことより、そっちのミイラ何なの? あれ、兄ちゃんじゃん!」
一人で区切りなく喋るゼナについていけず、二人はただ相槌をうつしかなかった。
「なんで兄ちゃんの体がここにあんの? ……でも中身違うな。宝玉で動かしたの?」
「はい、私が……」
「へぇー、凄いこと思いつくもんだね。宝玉ってこういうことにも使えたんだー」
ゼナは本当に感心した様子であった。
「んん? こりゃ、まずいね」
時雨に触ったゼナが少し声のトーンを落として言った。
「何か分かるのか?」
「毒が宝玉と混ざり合ってる。毒の増幅を繰り返して、濃度がどんどん上がっていってる。これを作ったやつ、宝玉に詳しいだろ。仕組みをよく分かってるやつが、悪意をもって作った毒だ。この中身の魂、もしかしたら別人になってるかもよ」
「別人って、どういうことですか?」
「この毒は、心の奥底に作用するタイプだからね。普段隠し事をしているやつにはよく効く。主人格を消滅させてしまうほどに、強い別人格が芽生えていてもおかしくない。って言うか、そんな感じがする」
「触っただけでそこまで分かるのか。治す方法はあるのか?」
「あるよ。やってあげてもいいよ。鎖とってもらったし。でも、どっちかに協力してもらわないといけないし、危ないこともやらないといけないんだけどね」
危険があると分かっていて、ムルカを向かわせるアリアネではない。
名乗りをあげようとした、その時だった。
「ハッ、今日はお客が多いね」
空を見上げたゼナにつられてアリアネとムルカもそちらに視線を向ける。
暗雲が立ち込め、雲の合間から光の球体に包まれた老人、マリスが、仮面をつけた巨大な人造屍を引き連れてゆっくりと降りて来たのだ。
「……誰だ」
味方でないことは何となく分かる。
剣を構えるアリアネに対して、老人が下降を止め、笑いかけたからだ。
その笑顔は、見る者を不安にさせる、極めて不愉快なものであった。
「初めまして、になるかな。マリスという者だ。君はよく知っているだろ――――」
その名を聞いたアリアネの動きは、俊敏であった。
球体に包まれたままのマリスと屍を、岩山の外に弾き出したのだ。
地上へと落ちて行くマリスの高笑いが、さらにアリアネの感情を逆なでする。
「ムルカ!」
「分かってます! 絶対、痛い目に会わせてやってください!」
アリアネは頷いて、岩山から飛び降りていく。
「何だったの? 知り合い?」
ゼナは状況が飲み込めない様子でそう言った。
「マリスはアリアネの妹に呪いをかけた相手です。彼を倒すためにアリアネはここまで来たんですよ」
「だったら手伝いにいかないといけないんじゃねえの?」
「いえ、私たちがまずやらないといけないことは、トキサメを治すことです。アリアネなら、そう言うはずですから」
「ふーん、しっかりしてんだね」
柔軟運動をして、ゼナはトキサメの隣で胡坐をかいた。
「こっち来な。こいつと知り合いのやつがいないと上手くいかないんだよ」
「あの、何をするんですか?」
「これからこいつの中に入って、喝入れて叩き起こしてやるんだよ」
「喝、ですか」
「そ。じゃあ、手を出して」
ゼナはムルカが出した手を掴み、トキサメの上においた自分の手に重ねた。
「行くぞー」
ゆるい掛け声と共に、不思議な感覚がして、ムルカの意識はそこで途切れた。




