27.戦鬼の再戦
どこまでも広がる青い空と、眼前に漂う白い雲。
標高およそ九百メートルの巨大なテーブルマウンテンに三人は立っていた。
何もかもが雄大で、時さえゆっくりと流れているかのような錯覚を覚える。
ノームたちの作ってくれた洞窟は、到着して彼らと別れると同時に消滅した。
どうやら、ノームたちは地面に溶けることで、どれほど距離があっても一瞬で移動できるようだ。
アリアネの詳しい解説をよく理解できないまま、時雨はしばしの間、風景に見とれていた。
考えてみれば、時雨は日本から一歩も外に出たことがない。
小さな島国である日本にこれほど広大な自然はなかった。
地平線まで続く草原の大海や、大きく隆起した大地を、こういう機会でもなければ見ることはなかっただろう。
「随分小さなもんだな」
時雨の呟きに、アリアネがフッと笑った。
「私たちが、か?」
「全部さ」
広大な自然に当てられてか、時雨にはかつてないほど爽やかな気持ちが溢れていた。
雑念が無かったために、いち早くそれに気がつけたのだろう。
「ムルカ、もう三歩後ろへ下がってくれ」
「……? 何ですか?」
「何も変なことじゃない。さあ、早く」
ムルカは不思議な顔をしながらも言われるがまま、三歩だけ後ろへ下がった。
「そう、そこでいい」
白骨剣を抜いて、体に対して斜め下に切っ先を向け、下段に構える。
「何だ? 何をやるつもりだ?」
アリアネにも時雨の行動の意味が分からないようで、ただ様子を見守っていた。
時間にして一秒、時雨はじっと待ち、何かを察知したかのように、ムルカの立っていた場所に向かって、剣を下から上へと斬り上げた。
軽い金属音が鳴ったことで、アリアネは初めて、時雨が何かを弾いたのだと分かった。
「罠だってことは覚悟していたが、早いな」
時雨は真上を見て、そう言った。
弾き返したモノが、遙か上空で、炎へと変わる。
巨大な怪鳥が、時雨にはじき返されたモノに当たって、炎を上げて燃えていた。
「敵襲か!」
アリアネが剣に手をかけ、いつでも振れるよう構える。
「待て。こいつは俺がやる。アリアネはムルカを頼む」
言うや否や、何か透明の物体が、目の前に降りて来たことを感じた。
時雨は着地の瞬間を狙い、剣を振り下ろすも、何か硬い感覚がして、弾かれた。
後ろへ跳ねた襲撃者は、すう、と姿を現した。
「よう、少しは上達したみたいだな」
マケリは、時雨を殺意のこもった眼差しで睨みつけた。
以前とは姿が違い、皮膚のひび割れが深くなり、両手に手甲をつけていた。
恐らく、時雨の刃を弾くための装備なのだろう。
体中にぶら下げた投げナイフはそのままだが、柄の色が赤以外にも何種類か増えている。
「対策を練る時間は充分与えたぞ。準備は万端か?」
「トキサメ、貴様を殺す!」
「命乞いしてまで助かろうとしてたあの状態から再戦を挑めるのは驚きだぜ。来いよ。相手になってやる」
「トキサメェ!!」
マケリは半狂乱になりながら、ナイフを一本ずつ連続で放った。
出鱈目に撃つよりも確実に一本ずつ、急所を狙って力強く素早く放つ。
彼なりにもっと強くなるために考えた戦法なのだろう。
その甲斐もあってか、速度は以前と比べものにならない。
弓矢と同等か、それ以上であった。
しかし、時雨は全てを見切っていた。
宝玉が二つになり、生命力が桁違いに溢れているため、感覚が鋭敏になり、とてつもなく早いはずのナイフが、つぶて同然の脅威しかもたなくなっていた。
回避は当然のこと、三投目以降のナイフを、時雨は空中で掴んで見せた。
それを投げ返すわけでもなく、ただ掴んだナイフを足元に捨てる。
明らかな挑発行為であったが、マケリは変わらずナイフを投げ続けた。
「トキサメは何をやっているんでしょうか?」
延々と続くその光景を疑問に思った様子で、ムルカはアリアネに聞いた。
「恐らく、違う攻撃が見たいのだろう。言葉にするまでもなく、その攻撃は効果がない、と相手に伝えているのだ」
「いったい何のために?」
「さて、な。以前に戦った相手が、格上と戦うためにどれだけ準備をしてきたか知りたいんじゃないか?」
「それこそ何のために、と私は思いますけど、考えるだけ無駄なんでしょうね」
「こう言っては何だが、彼は根本的なところで考え方が違うからな。ムルカだけでなく、私とて、トキサメと同じ答えにはたどり着けまい」
その時、マケリの投げナイフ攻撃が止んだ。
左右の手に一本ずつナイフを持ち、態勢を低くする。
「やっと、戦う気になったか」
先程までの投擲を、時雨は戦いであるとは感じていなかった。
幸運にも手傷を負うことを望んでいたのかもしれないが、偶然や運に頼ることを時雨は戦いとは呼ばない。
マケリの体が薄くなり、半透明、ついには完全に姿を消した。
視界が悪いということもなく、景色に同化するようにして、消えたのだ。
「トキサメ!」
ムルカが呼び、時雨は視線を動かさずに耳を傾ける。
「この魔法は、見えなくなる魔法じゃなくて、消える魔法です!」
「何が違うんだ?」
「えっと、『不可侵』と言って、触れることもできなくなる魔法なんです!」
「見えなくて触れない、か。だがそれじゃ向こうも攻撃できないだろう」
「はい、だから、出てくる瞬間を狙うしかありません!」
「ああ、分かった。だけどよ、本当に斬れないのか、試してみたいんだ」
「人の話聞いてるんですか!?」
これがどれほど凄い魔法であるかどうか、時雨は知らない。
しかし、姿が見えなくなっただけならば、何も問題はない、とそう考えていた。
武道家たるもの、目だけで相手を認識しているわけではない。
灯りのない暗闇で戦う術も持っているが、今、有効に使える手は他にもいくつか持っている。
土煙を上げて空気の流れを読んだり、相手を特定の場所に追い込んだり、と、方法自体はあるのだが、時雨はそれらを選択せず、剣を握った両手を右耳の辺りまで上げた。
「おい、聞こえるかナイフ野郎。この技は鏑木流において『落雷』と呼ぶ。示現流の蜻蛉の構えから着想を得た、言ってみれば模倣技だ。示現流のそれは太刀や甲冑でさえも、その威力で容易く別つ。だが、鏑木流の『落雷』は少しだけ示現流とは違う。それは、技で全てを断つところだ」
解説をしたところで、ここに理解出来る者はいないが、それは承知の上である。
時雨はさらに続けた。
「今、俺がこれを教えた理由は、お前に分かりやすい勝機をくれてやるためだ。姿を消されたまま逃げられちゃつまらんからな。いいか、絶対にその手甲で受けようなんて思うなよ。初太刀を躱せば、攻撃の隙はある。なに、姿を消しているんだ。攻撃を躱すくらい簡単だろ?」
返事はない。
しかし、近くにはいる。
時雨は話しながら、途中で襲い掛かって来ることを期待したが、どうやらそれもないようだ。
見たことのない構えをとった時雨を警戒している、と考えるのが妥当だが、だったら牽制のひとつでも撃ってきていいはずである。
ナイフを叩き落とすため、あるいは回避するために、時雨は剣を降ろさざるを得ないだろう。
(位置がバレるのを恐れているのか? しかし、姿を消しているのだから、すぐに移動すればいいだけのはず……)
その頭がないとは思えない。
何か理由、企みがあるのではないだろうか。
ふと、足元の投げナイフへ目をやる。
柄尻に魔法石のついたナイフは、変わらずそこへ転がっている。
以前、爆炎を起こしたあのナイフと型は変わっていない。
という事は、条件次第で、あの規模の魔法が発動するということだ。
その条件とは、と記憶を呼び起こし、時雨は考えた。
投げたナイフは空中で魔法を発動したことはない。
必ず、『何かに触れてから』であった。
では、もし、その発動の条件を意図的に操れるとしたら、どうだろう。
感応式であったナイフが時限式であったなら。
時雨は辺りを見回した。
じっと息をひそめているのだろう、何の気配も感じられない。
(巻き込まれないための魔法か。……少し舐め過ぎたな)
冷静に状況を分析する時雨の足元で、転がったナイフたちが一斉に輝き出し、火、氷、風の魔法が同時に巻き起こった。
猛烈に地面の砂を巻き上げ、赤く、青く、魔法の嵐が吹き荒れる。
祭事でなければ見ることがないような、幻想的で調和のとれた複合魔法である。
どれか一つに耐性があったとしても、他二つで致命的なダメージを与えられる、万能な戦法であった。
マケリは、あの爆炎に耐えた時雨は、恐らく火の魔法に対する耐性が異常に高いのだろう、と結論を出したに違いない。
そこで、氷と風も加え、二つとは言わず、どれか一つだけでも効果があれば、それを使って戦うつもりでいたのだろう。
その証拠に、先程両手に握ったナイフの柄尻についた魔法石は、青色と緑色、氷魔法と風魔法であった。
魔物相手ならばそれは有効だったかもしれない。
しかし、時雨は、無敵にも近い神の子の体を持っている。
耐性という言葉を用いるなら、絶対的に、死に対する耐性が高い体であると言える。
高温であろうが、低温であろうが、突風、雷、打撃、斬撃、その他諸々、いかなる攻撃であっても、半端な威力では殺すことが叶わぬ体である。
マケリにそれを知る機会が与えられたのは、この一度だけであり、さらに彼は答えを間違えた。
――――だから、彼の両腕は今、宙を舞っているのだ。
勝ちを確信した瞬間、僅かに漏れた気配を辿り、時雨は透明になっていたマケリの正面に立っていた。
狙いを違えることなく、たしかに雷は落ちた。
しかし、魔法と技術の勝負は、引き分けとでも言うべき結果であった。
高く交差された両の腕だけには刃が届いたものの、頭部や胴体部の不可侵を破ることはできなかった。
魔力を使えない時雨では、持てる技術を目いっぱい使っても、触れない相手を正確に別つことは叶わない。
両腕は奪ったものの、時雨はまたしても舌打ちをした。
その舌打ちが茫然としていたマケリに聞こえたのだろう。
一瞬のうちに、憤怒の色が顔面に現れる。
そして、時雨に寄りかかるようにして、しがみついた。
「なんだ、腰が砕けたか?」
「まだだ……」
「何だ?」
マケリは、口腔内に隠し持った毒針を、時雨の胴へ突き刺した。
驚いて離れた時雨に、マケリは言った。
「マリス様特製の魔法毒だ……。身体がどれだけ強くてもこれは防げねえだろ」
勝利を確信した瞬間が最も油断する。
分かっていたはずが、再生能力に甘えて、その精神を怠っていた。
筋弛緩剤の含まれている魔法毒が体を流れる生命力へ混ざり、時雨の体が痺れていく。
全身に力が入らなくなり、立っていることができず、地面に四つん這いになった。
しかし、両腕を失ったマケリも、満身創痍であることには変わらない。
どんな追撃が来るのか、と時雨は顔だけをやっと動かし、マケリを見た。
マケリは膝をつき、空を仰いで、呟いた。
「腕の血が止まらねえ……。俺もここまでだな。最後に引き分けまで持っていけて満足だぜ……」
マケリの岩石のような硬い皮膚に大きなヒビが入り、赤い魔力の光が漏れ出し始めた。
それは、崩壊ではなく、破壊の姿であった。




