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26.ふたつめの宝玉

 風景が揺らぎ、混沌とした視界の中で、時雨ときさめは黒髪の少年を見た。

 正確には少年のような姿をした人影であったが、時雨にはそれが少年であると分かった。

 そして同時に、それが人間ではないと感じた。


(こいつがクロノスか……)


 宝玉の中に眠る意思無き命。

 敵意は感じないが、友好的である様子もない。

 しばらくすると、少年は足元から空中に散っていくようにして消えていったが、時雨には彼が笑っているように見えた。

 それは純粋無垢な笑顔とは程遠い、何かを企んでいるような、邪悪な笑みであった。


「トキサメ! 大丈夫ですか!?」


 ムルカの声がして、時雨の意識は現実世界へと戻った。

 視界の揺らぎは消え、はっきりとムルカ達が見える。


「……あ、ああ、問題ない。だが、特に何か変わった感じもしな――――」


 突如、その変化は起こった。

 過去に経験したどんな誘惑や薬にも勝る、強い欲求が時雨を襲った。

 時雨はたまらず膝をついた。

 目を閉じ、歯を食いしばって耐えるしかないと自分に言い聞かせ、じっと我慢した。


「トキサメ……!」


 心配するムルカの声がやたら鮮明に聞こえる。

 生命力が増えたことで感覚が強化されているのだ。


「こんなに来るものかよ。きっついぜ……」


 食欲や睡眠欲と同質の強い本能的欲求である。

 抑える方法が存在しないことを感覚が伝えている。

 時雨はふらふらと立ち上がったが、耐えられず壁に手をついてしまう。


「……どうやら大丈夫みたいだね。その感覚はすぐに収まる。今が一番つらいから、耐えられているならこの先も廃人になることはないよ」

「どこがどう大丈夫だって言うんだよ……」


 時雨はやっとソファへたどり着いて座った。


「トキサメ、どの方角に引っ張られているか分かりますか?」

「地図を……。地図を見せてくれ」


 アリアネが持っていた地図を時雨に渡すと、苦しそうに呻きながらも、方角を確認して自分の向かいたい先を指さす。

 そこは、奇しくもマリスの居場所を示した範囲と一致した。


「偶然、じゃないですよね……」

「ふむ……。マリスはセレーネの研究を引き継いでいるのだろう? 三つめの宝玉の場所も知っているんじゃないか?」


 アリアネの推測に、ゴレムはしばらく思案し、頷いた。


「その可能性は充分にあるね。そんなこと考えもしなかったけど」

「三つめをマリスが持っているということはあるのか?」

「それはない。僕らは三つめに接触することを禁止されている。だから、奴は誰かが三つめを手に入れるところを待っているのかもしれない」


「待ってどうするんだ? 三つめには接触できないんだろう?」

「さっきも見た通り、宝玉は吸収されて一つになる。そうなれば、一つめも三つめも関係ない。ただ一つの宝玉になるからね。それを奪うために準備をして罠を張っている、と考えるのが妥当かもね」

「なるほど……。ならば、ここへ向かえば、探さずとも奴は自分から現れるというわけだ」


「罠かもしれないよ」

「それくらいやってもらわねば困る。簡単に捕まるような間抜けにステラが呪いをかけられたなどと思いたくはない」


 アリアネが静かに闘志に燃えている様子を見て、ムルカも影響されたのか、拳をぎゅっと硬く握った。

 もうすぐ三つも宝玉が集まる。

 それを最後に手にすることが出来る者が自分であることをただ願うしかない。


「あー、よし。少し落ち着いてきた」


 時雨が欲求を払うように頭を振って、起き上がった。

 足取りはしっかりしており、とりあえず、膝をつく心配はない。


「もう歩けそうだね。君らはすぐにここを発った方がいい。マリスも気がついているはずだ。君らが向かった先も、宝玉を手に入れたであろうことも、ね」

「奴もノームと会話を?」


 アリアネの問いをゴレムは否定した。


「マリスに精霊を使役する力はない。僕とは造りが違うからね。だからこそ、研究の方面で歪な変化を起こしたのだろう。情報収集には手下なり、魔法なりを使っているんだろうさ。

――――今、ノームたちが地上までの道を作ってくれている。君らは真っ直ぐにその道を抜けるといい。山脈から西にあるコラトン高地の辺りから出られるはずだ。三日も歩けばつくだろう」


 コラトン高地はこの西大陸最大のテーブルマウンテンであり、魔物の住処でもある。

 そのほとんどがβランクであり、人間が行楽気分で向かうには危険すぎる土地であった。


「この高地の南の辺りが、君たちの目的地になるみたいだね」

「ここには何があるんだ?」


 時雨がアリアネに聞くも、かぶりを振る。

 冒険者ギルドにおいても、このあたりは人の出入りがあるところではないため、情報が少ないのだ。

 特別何もない場所であるとされているが、厳密な調査が行われたわけではない。

 生活圏ではないことが明らかであるため、土地の広さと、住んでいる魔物の種類を収集したあとの調査は保留になっていた。


「行ってみなければわからん、としか今は言えないな。とりあえず旅の準備を整えて、私たちは出発するとしよう。ゴレム殿、世話になった。貴公の志は私たちが引き継ぐ」

「そんな重荷を背負うことはない。僕はただの土塊に戻るだけだ」

「誰かを犠牲にすることの意味を、私はよく知っている。決して軽いはずはない。託された以上、絶対に無駄にはしない。協力を感謝する」


 ゴレムは気恥ずかしそうに肩をすくめた。


「ありがとうございました。お世話になりました」


 深々と礼をするムルカは、目に涙を浮かべていた。


「私が、宝玉を集めたいなんて思ったばっかりに、あなたの命を奪うようなことになってしまって、ごめんなさい」

「命なんて言わないでくれ。これは僕にとってゴールなんだよ。セレーネの命令を終わらせるために、僕は僕のために、君に宝玉を渡すんだ。その覚悟はした上で、頼んだんじゃないのかい?」

「……覚悟、しているつもりだったのかもしれません。私は、ここまできて、まだ、ゴレムさんに宝玉を返して、今までのことをなかったことにしたいと思ってます」

「そうかい。君は優しいね。でも、それは駄目だ。やると決めたことは最後までやりきれ。でないと、ここまでの旅路で関わった人が報われない」

「……はい」


 関わった人たちに、その行動に意味を持たせる。

 結果に携わる者としての責務があり、道半ばで引き返すことは許されないのだ。


「さて、すでに外では皆が起き出しているころだろう。準備を整えたら、また洞窟へ入ってくれ。道はノームたちが教えてくれる」

「じゃあ、ゴレムは……」

「ああ、ここでお別れだ。僕も村長に事情を説明して、引き継ぎをしなくちゃならない。君たちには迷惑がかからないように、上手くやるよ」


 死が眼前に迫っても尚、これほど動じずにいられるものなのだろうか、と時雨は思ったが、それは考え違いであるとすぐに気がついた。

 彼はこれまで先の見えない闇の中をたった一人で耐え忍んでいた。

 それも数年や数十年ではなく、数百年の間、光を待っていたのだ。


 死が死であることとは別に、『終わり』でもある。

 『終わり』は自ら決めることは出来ず、いかなる場合においても、与えられるものである。

 先が欲しい者にとっては余計なお世話であるはずの『死』が、『終わり』を欲しがる者にとっては、有り難く心待ちにできるものなのだ。

 自分が、そうだったように。


 互いに時間が惜しいから、とゴレムから強引に追い出された時雨たち三人は、ノームに連れられ、村長の家とは違う出口から村の中へと戻った。

 内緒で忍び込んだために、来た道を戻るというわけにはいかなかった。

 アンダークレイへ戻ると、すでに日は昇っており、いつもと同じ日常が繰り返されていた。


 三人は手分けして二時間ほどで旅支度を整えた。

 洞窟の中を通るのだが、ノームの灯りがあるために松明は必要なく、寒さ対策のためのマントも、アリアネとムルカは自分の物があり、時雨には必要なかったため、結局は食料と消耗品だけの買い足しとなった。

 アリアネは最後にもう一度ゴレムと会えないかとノームに聞いたが、ノームは絶対に駄目だと頑なに拒否した。


 ――――時雨たちと彼らとでは、過ごした時間の長さが違う。

 彼らにとって、ゴレムは家族の一員であり、最後は静かに看取りたいというのが、彼らの意思であったため、アリアネも強くは言えず、代わりに厚く感謝を伝えておいてくれと言うに留まった。

 二人のノームが道案内として時雨たちを先導した。

 そのうちの一人はアリアネが雪石をあげたノームであった。

 恩を返すため、ゴレムとの別れを先に済ませて、道案内を買って出たのだ。


「すまない。道を教えてもらえれば、何もここまでする必要はなかったのだが……」


 アリアネは彼に言った。


「オオーヌ、ロセハ、ザルトル、ホセヌオイ、ウアオオナセウア」

「頼まれた、か。君たちの行動原理はよく分からないが、それは死にゆく友の傍らにいるよりも大事なことなのか?」

「ホセヌオオ、ウアオオニ、エアイキオア、ロウオ」

「……そうか」


 アリアネとノームの会話を後ろで聞いていた時雨が小さな声でムルカに聞いた。


「何言ってるか分かるか?」

「まったく分からないです」


 迷路のような洞窟をコラトン高地へと抜けるまでの十日間を、三人はひたすら歩き続けた。







 コラトン高地の地下にある鍾乳洞の中、マリスは膝をついて女神像に祈りを捧げていた。

 傍らには石で出来た棚があり、大小様々なガラス瓶が並ぶ。

 液体が入っているものや、魔物の体の一部が入ったもの、宝石のような煌びやかな石の入ったもの、と中身の種類は多種多様である。

 マリスが祈るその背後で地面が膨らみ、人の形を作りだした。


「……懐かしい気配だ」

「マリス、まだそんなことをやっているのか」


 ゴレムの形になった地面の泥は、その水分の多さから、細やかな部分までは作りだせない。


「フン、わしに指図できる立場か。死にかけのおもちゃめ。セレーネ様の命令に背いてまでわしに接触してきたのはどういうわけだ? 我らは関わり合いを持ってはならぬ身。それを知らぬ貴様ではあるまい」

「もう死ぬんだ。最後くらい我儘をしてもいいだろう」


 ゴレムの言い草に、マリスは憤怒の表情を浮かべるも、何も言うことはなかった。


「それにしても、僕が死にかけであると分かるということは、やはり、何か察知する方法を持っているな」

「……何の用だ。遊びに来たわけではあるまい」


 マリスは苛ついた様子で言った。


「お前も知っているだろうが、彼らは宝玉を二つ手にしたぞ。そして、もうじきそこに現れる。その時こそお前の最後だ」

「やかましい。あの小娘、とんでもない遺体を甦らせてくれたものだ」

「お前がそこまで焦るのも分かる。彼は、お前の手には負えない」


「それは何時のわしの話だ? 愚かにも隠れ住んでいた貴様とは違い、わしは己に使える手段全てを講じ、研鑽を重ねた。今のわしの研究成果があれば、神の子とて敵ではない」

「神の子……。すると、あれは……」


 察したゴレムを見て、マリスがにやりと笑う。


「ヘラクレスだ。わしはあの体を手に入れてみせる。そして、この世界を、セレーネ様の求めた、人形の支配する世界に!」

「セレーネはそんなことを求めていない! いつになったら理解するんだ!」

「理解出来ていないのは貴様の方だろう、ゴレムよ。わしには分かったのだ。セレーネ様が愚かな人間どもを支配し、管理し、蹂躙するつもりであったことを! たかが、魂があるというだけで、我々を物として扱った奴らに思い知らせてやるのだ! そのためにわしは作られたのだ! そうに決まっている!」

「違う! セレーネは――――」

「黙れ!」


 マリスはゴレムの形をした泥に向かって指先を向けると、手の平に埋め込まれた魔方陣が黄色に光り、太くうねる雷を放った。

 それは容易くゴレムを吹き飛ばし、泥の体は散り散りになった。


「ゴレムは死んだ! わしだけが、この世で唯一、セレーネ様の真意を知る者となったのだ! セレーネ様の悲願、このマリスが、必ずや成就致しますぞ!」


 誰もいない洞窟の中で、マリスの高笑いだけが、ただ響いていた。






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