23.羨望の眼差し
月が真上に昇るころ、アリアネは喉の渇きを感じて目を覚ました。
「む……?」
真っ暗な部屋の中で寝床のひとつが空になっていることに気がついた。
時雨が夜でもほとんど眠らないことは知っている。
しかし、壁に立てかけてあった剣まで無くなっているのは一体どういうわけなのだろうか。
(どこへ行ったのだ?)
少し気になったアリアネは宿の外に出て、近くを探し歩いた。
そして、ある違和感を覚えた。
あれほど沢山いたノームたちが全くいないのだ。
彼ら精霊に昼夜はないのだから、住処へ帰って眠っているというわけでもないだろう。
ならば、どこへ集まっているのか。
この村において、心当たりは一か所、ゴレムのところしかない。
時雨もそこにいるのではないだろうか、とアリアネは推理した。
「ムルカ、ムルカ。起きろ」
「……う、何ですか?」
目をこすりながら起き上がるムルカに、アリアネはローブを渡す。
「何か起きているのかもしれない。トキサメはすでにどこかへ行ってしまったようだ」
「トキサメが!?」
時雨の名前を聞いてムルカは飛び起き、出かける準備を始めた。
「邪魔されないために一人でこっそり抜け出たのかもしれないです」
「邪魔?」
「あの人、戦闘狂なんですよ。もしかしたら、ゴレムと……」
ゴレムの身に何か起きたからノームたちがいないのか、とアリアネは納得し、同時に時雨は何をやったのかと心配が生まれた。
「急ごう。トキサメのことも気にかかるが、ノームたちがいなくなるほどの大事が起きているはずだ」
準備を終えたムルカは強く頷いた。
宿を出て、村長の家へと向かう間もノームたちのいない道は暗く、星の明かりで何とか地面が確認できるくらいであった。
高い位置を歩道が通っているために、落ちないよう気を配りながら、二人は村長の屋敷へと向かった。
中の灯りはすでに消えており、村長も床についているのだろうということが伺える。
「アリアネ、村長を起こさないといけませんよね?」
小声でそう言うムルカに、アリアネはかぶりを振った。
「その必要はない。前に訪れた時に道を覚えている。それにトキサメの匂いを辿ればゴレム殿の所へは行ける」
幻影を見せられていたとはいえ、アリアネにしてみれば匂いを追うことなど容易い。
物盗りのように忍び足で屋敷の中を抜け、二人は幻影のあった洞窟へ足を踏み入れた。
「アリアネ、森がなくなってますよ……!」
洞窟はあの美しい幻影の森ではなく、ただ深淵と見紛うばかりの深い闇がぽっかりと口を開けて待っているだけである。
これこそ正しい姿なのだが、その正しさがここでは逆に異常事態である。
「どうやらこちらに割く魔力がないようだ。しかし、それほどのノームが集まって、一体何をやっているんだ?」
アリアネは真っ暗闇の洞窟を、松明片手に躊躇なく進んでいく。
その後ろから、ムルカは彼女の影を見失わないようついて歩いていた。
洞窟を降りていくうちに、おかしな、こんな地の底で聞こえるはずのない音が聞こえ始めた。
喧噪と言うには些か統一感があり、祭事でも行われているのだろうかと思うほどの賑わいが聞こえる。
さらにその音の方へ近づくと、それが歓声であることが分かった。
人間のものではなく、ノームによる歓声。
彼らがそれほど熱狂出来る何かがこの奥にある、と思うだけで足が早まった。
無数の枝分かれと曲がりくねった道を進み、アリアネとムルカは、開けた明るい場所へ出た。
そこには、地下にあるとは思えないほどに巨大で堅牢な建造物があり、空に陽が昇り、辺り一面荒野が広がっている。
ギルド会館よりも大きな円形の闘技場を前に、二人は立ち止まり、一時の間、我を失った。
「天井の青空や周囲の荒野は幻惑魔法だろうが、この建築物は恐らく、本物だ……」
魔力の匂いを嗅ぐことで、幻惑かそうでないかは、見破ることが出来る。
一晩と経たないうちに、この建物はここに作られたのだ。
「この中にトキサメがいるんでしょうか……」
ムルカがそう言った直後、闘技場の中から、またもや大きな歓声が上がった。
その出入口で見張りをするように、ノームが立っている。
「すまないが、入れてくれないか?」
アリアネがノームに言うと、ノームは頭を横に振り、通せないと言った。
彼らが自主的にそういった行動をとっているのではなく、ゴレムに頼まれているのだろうとだいたいの予測はつく。
「アリアネ、入れないんですか?」
「ああ。だが、なんとかしてみる」
アリアネは懐から白くすべすべした石を取り出した。
『雪石』と呼ばれる、北の極一部でしか採取できない岩石であり、その内に魔力を含む、魔法石の一種である。
アリアネが雪石を取り出した途端、ノームの光る目がより一層輝き出した。
魔力を食べる彼らにとって魔法石は好物中の好物であり、大変なご馳走なのだ。
「ここを通してくれたら、これをあげてもいい」
アリアネの提案に、ノームはしばらく悩み、そして、言った。
「オオーヌ、オアオイノ、ニウエオアイ」
それを聞いて、アリアネは何も言わず彼に雪石を渡した。
「ムルカ、行くぞ」
「あの、私、全然会話が分からなかったんですけど……」
「私に任せておけ」
雪石を空中に浮かべ、頬ずりするノームの横を、そそくさと通って闘技場の中へと入った。
入り口のすぐ脇が階段になっており、上ると観客席の最上段に出た。
そして、そこでようやく、ここで何が行われているか、目にすることが出来たのである。
闘技場の中央で剣を構えた時雨の周囲を、銀色の何かが高速で駆け回っている。
遠めに見ても凄まじい速さをしており、それは時折、時雨に向かって突進していたが、時雨は最小限の動きで躱し続けていた。
「トキサメ!? これはいったい何をやっているんですか!?」
ムルカが声をあげると、時雨は手を振った。
その隙をゴレムが見逃すはずもなく、時雨の真後ろから突進を仕掛ける。
「危ない!」
ムルカの声が響くも、時雨は今までと同じように難なくそれを躱した。
「ちょっと今手が離せねえ! 事情はその辺のやつにでも聞いてくれ!」
時雨はそう言ってまたゴレムの突進を躱す。
攻撃を避けることは造作もないが、その速さ故に攻めあぐねているようであった。
ムルカと時雨が会話をしている間、アリアネは観客席で歓声をあげるノームたちに事情を聞いておおまかな流れを理解していた。
「ムルカ、どうやらゴレム殿の願いでトキサメはあの場に立っているようだ」
「頼まれたんですか? 何のために?」
「最後に全力を出して戦いたいそうだ」
「最後って……」
「分かっているはずだ。ゴレム殿は人形だから、宝玉を失えばそう長くもたないだろう」
「…………」
ムルカは何も言えず、二人の戦いを見守るしかなかった。
「いやにあっさりと渡す気になったものだな、と思っていたが、誰が来ても最初からこうするつもりだったのかもしれないな」
「力を測るため、ですか?」
「かもしれない。もしくは、もっと単純に、自分より強い相手に倒されたいのかもしれない。何百年もさび付かせた技術に陽の目を当てることが目的なのかもしれない。動機なんか、無数にあるだろうさ」
「……私には理解できない世界です」
「戦士の価値観だから、無理はないな」
「アリアネも、同じことを思いますか?」
「私は、力比べをするために強くなったわけじゃないから、彼らとは少し違う。だが――――」
自分なら、あの戦いに割り込めるだろうか。
あの速さを相手に、どう戦うだろうか。
想像するだけで、拳に力が入る。
「少し、羨ましい」
本能の赴くままに、戦いに身を投じることは、大多数の人間にとって、愚かな行為だと思われるだろう。
しかし、長い年月をかけて鍛錬を積んだ者にとって、戦いとは言わば、美術家が丹精を込めて描いた絵画を飾る行為に等しく、それを以て完結するのだ。
「……トキサメは、勝てますか?」
ムルカは闘技場の中を不安気に見ながら言った。
依然、ゴレムの猛攻は続いており、時雨は反撃できずにいる。
互いに有効打を与えられない時間が続いていることに気がついているアリアネは、ムルカの質問に即答できなかった。
「あの足を止められなければ、勝機はないだろうが……」
銀色に輝く閃光は壁から壁へ反射し、何度も何度も、時雨の居る地点を通過する。
しかし、その攻撃は紙一重で躱され続けている。
もう何回かの突進で当たるだろう、とアリアネは思っていた。
しかし、その瞬間はいくら待っても現れない。
(なぜ、当たらないんだ?)
さすがにあれほど回避を続ければ、精神はすり減り、集中力は衰えていくはずである。
時雨にその様子が見られないのは、不可解であった。
思い返せば、この男は先程ムルカと話しながらも回避を行っていた。
つまり、集中して、やっとの思いで避けているわけではないということだ。
攻撃し続けることで敵の反撃を許さない技術や、強い衝撃を受け流す技術はあれど、風に舞う木の葉のように小さな動きで回避する技術を、アリアネは見たことがなかった。
(なんという練度だ……)
アリアネの中に生まれた感情は、称賛と羨望であった。
この技術を身に着けるために、彼は何十年と修行を重ねたに違いない。
それが出来るだけの才能があったことと、環境があったこと。
呪術師との抗争の末、戦士の全滅した人狼の中には剣を教えられる者がおらず、独学で鍛えたアリアネからしてみれば、時雨は自分の持っていないものを全て持っているような、そんな気持であった。
「アリアネ? どうしました?」
ムルカがアリアネの顔を覗きこんで言う。
「いや、なんでもない。ただ、本当に、羨ましい」
「……?」
ムルカには心情まで伝わらなかったようで、アリアネの言葉の意味を考えるようにして眉をひそめ、また試合へと視線を戻した。




