其の四十 開いたドア
エアコンがよく効いた俺の部屋のドアを、ノックする音があった。
「はいー?」
「開けるぞ」
父さんだ。
「うん」
ドアが開き、風呂上がりの様子の父さんが顔を覗かせる。キョロキョロと見回しつつ、
「宗二か花ちゃんか、どちらかお風呂に入ってしまいなさい」
と声を掛けてきた。
「あー、じゃあ、俺から入ろうかな」
花はまだ台所にいて、食事の片付けをしつつ母さんのお喋りの相手をしている筈だ。毎回この時間はそこそこ長いが、喋りたい母さんと基本家ではひとりきりな花の需要と供給が見事にマッチした結果による現象らしいから、これについては俺も父さんも二人にとやかく言うことはない。
大切な人達が笑顔でいる、それが一番なのだと、身をもって知っているからだ。
寝巻きを用意すべくタンスに向かっていると、まだ立ち去っていなかった父さんが、相変わらずのどしっと構えた落ち着きのある声色で言った。
「あ、宗二」
「なに?」
寝巻き代わりのTシャツとスウェットパンツにボクサーパンツを取り出し腕に抱え、父さんを振り返る。父さんは、いつも通り生真面目そうな面持ちで佇んでいた。どうしたんだろうか。
「……今日は、母さんと墓参りに行ってくれてありがとうな」
「え、いや別にありがとうって言われる程のものじゃないし」
そもそも、元は影山家の墓掃除が目的だ。太一については、言い方は悪いがついでに過ぎない。
「母さんが、ようやく太一に会いに行ってくれたと喜んでいたから」
「え……」
一瞬意味が分からずポカンとしていると、父さんの顔が珍しくくしゃりと笑みに歪んだ。
「ん、まあいい。風呂に入れ」
「あ……うん」
父さんは、くるっと背中を向けると、あっさりと立ち去った。
今のはどういう意味か。父さんの言葉の意図を理解すべく、風呂に向かいながら考える。
日中は外の様子が窺える廊下の窓ガラスは、今はカーテンで封止されている。夜の闇が家に入り込まない様に。
「んー……」
父さんの台詞を心の中で復唱する。ようやく太一に会いに行ってくれた、だ。これまでも墓参りは何度も行ったが、きっとそういう意味ではない。
一歩踏み締める度にミシミシと軋む木板の廊下の床を、まるでそこに何か鍵が隠されているのではないかとばかりに凝視する。
「あ、そういう意味か!」
風呂場のドアノブに手を触れたその時、唐突に理解した。
なんだ、そのままの意味だったのだ。俺が本来の宗二に戻ってから、初めて太一の墓参りに行ったってことだ。
考えてみれば、簡単なことだ。俺だけは、あの墓に入っていると見做されているのが宗二だと思い込んでいた。母さんにしてみれば、俺が俺を拝んでいる珍妙な光景だったに違いない。
これぞ正に空虚だ。中身のないものを偲んでいる俺を見て、さぞや傷ましい思いを覚えたに違いない。
「……うわあ」
冷静に考えてみれば、かなり情けない状況だ。その渦中にあったのが俺本人だと考えると、今更どう取り繕おうが遅いのは分かっていても、深い縦穴を掘って飛び込みたくなった。
形容し難い羞恥に見舞われている真っ最中だった俺は、自分の部屋のドアが少し開いたままになっていたことに気付かなかった。それと同時に、目の端に一瞬赤い色が霞んだことにも、愚かにも注意を払わなかった。
キイ、と小さな音を立て、背後のドアが少し開いた。
「あ」
俺の部屋のドアは閉まりが悪く、うまく閉じないと開いてしまうことがある。時折あることなので、エアコンの無駄遣いだと母さんに愚痴を言われるのは勘弁だ、と慌てて戻り、閉め直した。
改めて風呂場へと向かう。
――もう過ぎたことは、どうしようもない。
いくら恥ずかしかろうが、太一として過ごした時間の延長線上に俺は今立っている。あの七年は、なかったことにするには長過ぎた。
これを抱え、これからも生きていくのだ。それが、太一の死を認められずに逃げてきた俺なりの、太一に対する贖罪の方法なのかもしれなかった。




