其の三十九 笑顔の食卓
帰宅して早々、俺は風呂掃除、花は母さんの晩ごはんの支度の手伝いに取り掛かった。
午前中の墓掃除の所為だろう。午後についつい昼寝してこんな時間になっちゃった、と母さんは笑っていたが、母さんの瞼は少し腫れていた。
太一の墓に行くとこうなることは分かっていたので、それについては誰も何も触れなかった。
せめて、太一のタンスに触れていなければいい。そんなことを願う以外、俺達に出来ることはなかった。
今日は珍しく早く帰宅した父さんを含め、四人で食卓を囲む。父さんも、母さんの腫れぼったい瞼には気が付いた様だったが、やはり何も言わなかった。子を亡くした母親の気持ちは、周囲の人間には計り知れないものなのだろう。少なくとも、俺には分からなかった。
もし失踪したのが俺の方だったら、母さんは今と同じ様に七年経った今でも思い出しては泣いてくれるのだろうか。太一は陽気な奴だったから、母さんを笑わそうと俺の存在を忘れさせる努力をしていたかもしれないな、と詮無いことを考えた。
花が、今日はどれだけ課題が進んだかを母さんに報告している。花の話を聞いていた父さんが、意外そうな顔で俺を見た。
「宗二は、教えるのが得意なのか?」
「あー、うん。まあね」
曖昧な返事になってしまったのには、理由がある。まず第一に、現時点でこんなにもつきっきりで誰かに勉強を教えたことは、花以外には経験がない。第二に、俺は花を溺愛している。よって、いくら花の出来が悪かろうと、苛立ちを覚えることはない。むしろ可愛いからもっと聞いてくれと思ったりする程度には、重症だ。
父さんが、ふむ、と考え込んだ後、尋ねてきた。
「いやな、部下の子供が小学校高学年なんだが、いまいち基礎がなっていないそうでな。塾に通わせてはみたものの、その塾も親に黙ってさぼったりする始末で困り果てていたらしいんだ」
俺の脳裏に、勉強嫌いだった太一の顔がぽっと浮かんだ。いるよな、そういう奴、と小刻みに頷く。
「家庭教師を探していたんだが、なかなかその子が気に入る人がいなかったそうで、お前の写真を見せたら、これならいけるのにって言われていたんだ」
これならいけるのに? 一体どういう意味だろうか。意味不明の為、首を傾げ、続きを待った。
すると、答えは別の人間から出て来た。
「宗ちゃん、格好いいものねえ」
母さんだった。
「は?」
褒めてもらえるのは勿論嬉しい。だが、それとこれとどういう因果関係があるのか。
訝しげな目で父さんを見ると、なんと父さんが頷いたじゃないか。花はというと、ちょっと複雑そうな表情を浮かべていた。……これはもしや、嫉妬だろうか。
「アイドル好きの面食いの女の子らしくてな。お前がやりたければ、家庭教師をやってみないか?」
「家庭教師……」
ちらりともう一度花を見ると、ふい、と目を逸らされた。嫌とは言えないのだろうが、小学生にすら嫉妬する花があまりにも可愛くて、俺はその場で悶絶しそうになった。これは拙い。可愛すぎるだろう。
「あー……ちょっと考えさせて」
「ああ、先方もここまで来るともう半分諦めてる様だからな、気が向いたら声を掛けてくれればいい」
「うん、そうする」
もう一度花を見る。上目遣いでこちらを見ては下を向く姿に、後で聞いてみて反応を間近で見ようと思いついた。二人きりの時なら、嫉妬を口にするのではないか。そんなもの、是非とも聞いてみたいに決まっているじゃないか。
「なあに宗ちゃん、にこにこしちゃって。格好いいって言われて嬉しかったの?」
「え、俺笑ってた?」
「自覚ないの? しっかりしてよ、もう」
母さんに言われるまで、自分の顔がにやけていることなど気付かなかった。首を傾げながら自分の頬を撫でていると、目の前に座る花と目が合う。
花は照れくさそうに小さく笑うと、俺もつられて微笑む。するとその様子を眺めていた父さんと母さんも嬉しそうに笑い、太一の死が公的に定まった日以来、久々にこの食卓に憂いのない笑顔が溢れたのだった。




