第18話 賛歌の傍らで一刀は届く
♢
時は少し遡り、
ジャスティス達が廃施設へ足を踏み入れた頃。
ヒーロー協会本部――長官室。
応接用のソファで優は白杖を膝の間に立て、
持ち手に両手を重ねて座っていた。
テーブルを挟んだ向かいには真壁が
腰を下ろしている。
「それにしてもあいつは随分と
張り切っていたな」
「ええ。ここへ来る途中も長官に会えるのを
楽しみにしていましたよ」
「……そうか。
ガッハッハ! そうか、そうか!」
豪快な笑い声が高い天井を揺らす。
だがそれは長くは続かなかった。
「……任せとけ俺にな、か」
独り言のような呟きだった。
同じ声のはずなのにその底にある響きが
先ほどまでとは違う。
「……何か気になることが?」
真壁は膝の上で大きな両手を握り合わせた。
「……俺はな、あいつをヒーローとして
育てきれなかった。
協会に入ったばかりのあいつは
何をするにも俺の真似ばかりでな。
それじゃあいつ自身のヒーローには
なれんと思って手を離した」
「……わざとだったんですね」
「そうだ。だが理由も言わずに
仕事が忙しいのをいいことに
それっきりにした。
あいつが一人で迷っていたことも
知らずにな」
真壁は短く息を吐いた。
「手を離したことを間違いだったとは思わん。
……だが、離し方を間違えた」
優は黙って続きを待つ。
「それでも最近のあいつは変わった。
……その隣にいつも君がいたことも
知っている」
向かいのソファがきしみ、声の位置が低くなる。
真壁が深く頭を下げたのだと優には分かった。
「俺が手を離したあとのあいつを
君が見ていてくれた。
……ありがとう、天城優君」
長官室に壁の時計の音だけが残る。
優は白杖の持ち手から片手を離して
膝の上へ下ろし、小さく息を吸った。
「……真壁長官。
ジャスティスは――」
♢
切っ先を下げたまま、
ヴァリアントは動かない。
無防備にすら見えるその構えを前にスクエアは
どこへ打ち込めばいいのかを見出せずにいた。
二人の間に張り詰めた空気を実験場の奥から
響いた叫び声が揺らした。
「――《蒼光》!!」
ヴァリアントは構えを崩さず、
目だけを声の方へ向けた。
瓦礫の散らばる一角でジャスティスが何も
纏っていない右手を呆然と見下ろしている。
小太りの男に懐へ潜り込まれ、我に返ったように
拳を振り回し始めたが踏み込みも肩の入れ方も
ばらばらだった。
ヴァリアントは小さく息を吐いた。
『……やはり、こうなったか。
だから履き違えるなと言ったのだ』
ヴァリアントの意識がスクエアから離れていたのはほんの一瞬のことだった。
スクエアはその一瞬を見逃さなかった。
ヴァリアントの目が逸れたと見るや床を蹴り、
一息に間合いを詰める。
切っ先が下がっている以上、
首から上はがら空きだ。
その間もスクエアはヴァリアントから
片時も目を離さない。
『左へ四・六センチ。傾斜、二・一度』
踏み込みに合わせて
《感覚偏差》を深め、
最短の軌道で首筋へ剣を走らせた。
刃と刃のぶつかる硬い音が鳴った。
いつの間に持ち上がったのか、《不天》が
スクエアの剣を首の手前で受け止めている。
ヴァリアントの目はまだジャスティスの方を
向いたままだった。
『……見もせずに受けただと』
剣を押し込もうとしても刃は僅かにも
動かない。
ヴァリアントはもう一度だけジャスティスの
様子を確かめ、それからようやくスクエアへ
向き直った。
「……悪いな」
押し合っていた刃を軽く弾き、
ヴァリアントは告げる。
「《天剋一刀流》はもう少しお預けだ」
「……何?」
言葉の意味を測りかね、
スクエアは剣を構え直した。
構え直した剣が定まるより早く、
ヴァリアントが踏み込んだ。
正面から受け止めた一太刀目の重さに
スクエアの両腕が痺れる。
すかさず《感覚偏差》の向きを
右へ切り替えた。
だが二太刀目はその切り替えまで
見越していたかのように構えた剣の根元を
正確に打ち据える。
三太刀目で剣が手から弾き飛ばされ、
乾いた音を立てて床を滑っていった。
丸腰になったスクエアの鳩尾へ
《不天》の柄頭が深く沈み込む。
「が……っ」
息が詰まり、スクエアは膝から崩れ落ちた。
床についた手に力を込めても身体が言うことを
聞かない。
『……今のが、流派の技で
すらないというのか』
ヴァリアントはそれ以上追い打ちをかけず、
《不天》を下ろした。
「すぐに戻る。それまで大人しくしていろ」
白いスーツ姿が瓦礫の一角へ向かって
遠ざかっていく。
スクエアはその背中を見据えることしか
出来なかった。
♢
「くそっ……! なんで出ねぇんだよ!!」
空を切った拳を引き戻す間もなく、
また脇腹を指先が掠めていく。
苛立ちのままにもう一度腕を振り上げた。
「ジャスティスゥゥゥ――ッ!!!」
実験場を揺るがす怒声に拳が宙で止まる。
ミスター・タッチまでもがびくりと肩を
跳ねさせた。
声の主を探すより早く、
後ろから首根っこを掴まれる。
「うおっ!?」
身体ごと後ろへ引き戻されて
よろけたところへ、二発目の怒声が
耳元に叩きつけられた。
「何をやっているんだ貴様はァ!!」
「ヴァ、ヴァリアント!?
な、なんでお前がここに!?」
「なんだその無様な構えは!
腰は引けている、
拳はただ振り回しているだけ!
子供の喧嘩か!!」
「うるせぇ!
今それどころじゃねぇんだよ!!」
「それどころなのだ!!」
「つーかお前、
自分の相手はどうしたんだよ!」
「寝かせてきた!!」
「寝かせ……はぁ!?」
言い合う二人の横からミスター・タッチが
そろりと手を伸ばす。
「すっこんでろ!!」
「黙っていろ!!」
二人に同時に怒鳴られ、伸ばした手が
すごすごと引っ込んでいった。
小さな目だけが新たに現れた白いスーツの男を
じっと追っている。
「大体な!
俺の戦いに横から口出すんじゃねぇよ!
そういやお前、あれだろ!
なんとかのNo.2とか言われてただろ!」
ヴァリアントのこめかみがぴくりと
引きつった。
「……意味を分かって言っているのか」
「知らねぇよ! でも悪口なんだろ!?
なら!今言うべきだよな!?」
「貴様ァァァ!!
分からんなら口にするなァ!!」
「うるせぇ! 《蒼光》さえ出りゃ、
こんな奴一発で終わってんだよ!」
「その《蒼光》が出んのだろうが!!」
「っ……今日はたまたまだ!
大体、こんな奴にいつまでも
手間取ってたら、真壁のおっさんに
また 『まだまだだな』って
笑われちまうだろうが!」
そう叫んだジャスティスの前でヴァリアントの顔
からすっと怒りが消えた。
「……履き違えるなと、言ったはずだ」
怒鳴り声ではなかった。
続けようとした言葉をジャスティスは
思わず飲み込んだ。
「……履き違えてなんかねぇよ。
俺はちゃんと戦ってる」
「ならばその拳は誰に見せるためのものだ」
「見せるって……」
「貴様が殴っているのは目の前の男だ。
だが貴様が見ているのは
ここにいない男だろう」
今のジャスティスに言い返せる言葉は
なかった。
「私とて一位が欲しい。
喉から手が出るほどにな。
だがその欲で剣を抜いたことは一度もない」
ヴァリアントの目は真っ直ぐにジャスティスへ
向けられていた。
「答えろ、ジャスティス。
貴様は何のためにそこに立っている」
ジャスティスはすぐには答えられなかった。
最初に浮かんだのは「成長したな」と
自分の背中を叩く真壁の姿だった。
だがそれはすぐに別の記憶に押しのけられる。
バスティオンが生きているかもしれない。
そう聞いて「行くに決まってんだろう」と
答えたのは自分だ。
『……天城と探してる“ヒーロー”は、
誰かに褒めてもらうための
もんじゃねぇだろ』
改めて、目の前の男に向き直る。
深く息を吐くと強張っていた肩から力が抜け、
足の位置が自然と定まる。
《蒼光》はまだ応えない。
それでも胸の内を占めていた焦りは
もう消えていた。
「……答えなんかとっくに決まってんだよ」
拳を構え直し、一歩前へ踏み出す。
「俺は守るために戦ってんだ」
ヴァリアントはその場を譲るように
半歩下がった。
「……それでこそだ。我がライバルよ」
『……いかん。
心の中で格好よく呟くつもりが声に出た』
「……ライバル?」
きょとんとした顔で振り返ったジャスティスが
にっと笑う。
「しょうがねぇな!
そういうことにしといてやるよ!」
「なっ……! か、勘違いするな!
今のは独り言だ!!」
怒鳴り声を背中で聞き流し、
ジャスティスは床を蹴った。
♢
小さく咳払いをしたヴァリアントの背後で
足音が止まった。
拾い直した剣を手にスクエアが
追ってきていた。
息は荒く、足元もまだおぼつかない。
それでも切っ先だけは真っ直ぐヴァリアントへ
向けられていた。
「……予想より早いな」
「貴殿は《天剋一刀流》を見せると言った。
剣士として見ずに倒れているわけには
いかん」
「……いいだろう」
『偏差を一定に保てば、この男は数字ごと
読んでくる。ならば――』
スクエアが踏み込む。
一太刀目はヴァリアントが偏差を
読んで受け止めた。
だが二太刀目は修正したその先から
さらにずれる。
『右へ三・八。……左へ五・一。
……右へ二・二』
一太刀ごとに《感覚偏差》の向きと深さが
入れ替わり、三太刀目の受けが僅かに遅れた。
頬を掠めた刃が白いスーツの襟元に
赤い点を落とす。
『……届いた!』
大きく退いたヴァリアントは滲んだ血を
指先で拭った。
『補正した先をさらにずらしてくるか』
だが、その呼吸は乱れない。
ずらす向きも切り替える間合いも
すでに十分見てきた。
ヴァリアントは《不天》の切っ先を
ゆっくりと下げた。
スクエアは剣を握り直し、
視線を外さないまま踏み込んだ。
これまでで最も深い偏差を叩き込み、
刃が交わる寸前でその向きを反転させる。
一度はこの男に届いた今の自分に
打てる最善の一手だ。
ヴァリアントの目に映るスクエアの輪郭が
陽炎のようにゆらりと揺らいだ。
『……陽炎は、陽炎のままでいい』
《不天》が走る。
だがその切っ先が向かったのはスクエアの
いる場所ではなかった。
偏差に狂わされた刃は何もない空間へ
流れていく。
『外れる』
狙いどおり、スクエアは偏差を反転させた。
その瞬間、流れていたはずの刃筋が
こちらへずれた。
『私の反転で……刃が、こちらへ……!』
気づいた時にはもう止められない。
「《天剋一刀流》」
静かな声だった。
「《陽炎通し《かげろうどおし》》」
刃は陽炎を抜けた。
振り下ろしたスクエアの剣が空を切る。
ヴァリアントの姿はすでに彼の背後にあった。
一拍遅れて斬り裂かれた胴に焼けるような
痛みが走る。
指から力が抜け、剣が床に落ちた。
膝が折れ、スクエアはその場に崩れる。
『偏差は……確かに、かかっていた……』
「天が何を与えようと――
この一刀は届く」
「……良い、剣だ……」
それだけを残して、スクエアの身体は
前のめりに床へ倒れ伏した。




