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アンチヒーロー A⇒H 【改稿版】  作者: ひげもじゃ


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19/19

第19話 賛歌は最後の一節を残して

♢


グレイスフォールはGOOD LOOKから

目を外し、実験場の奥へ顔を向けた。

瓦礫の散らばる一角でジャスティスが

再び小太りの男と向かい合っている。

腕を力任せに振り回していた先ほどまで

とは違い、踏み込みにも構えにも迷いが

見えなかった。

浮き上がった黒髪の下で固く結ばれていた

口元がふっとほどける。


『……よかった』


すぐ傍らには床ごと男一人を

呑み込んだ球体がある。

その中でGOOD LOOKが手足を広げたまま、

情けなく漂っていた。

グレイスフォールは顔も向けず、

指先だけを下へ向ける。

途端にGOOD LOOKの身体が浮いていた

瓦礫ごと床へ落ちた。


「おもっ……重いぃぃぃっ!?」


頬まで床へ押し付けられ、

自慢の顔が餅のように潰れている。


「ぐぎぎぎ……お、俺の顔がぁ……っ!」


指先がくいと上を向く。

床にへばりついていた身体が

今度はぽんと跳ね上がった。


「ぶひゃあああっ!? 

 か、軽っ……止まらなっ……!」


胸に手を当ててポーズを取ろうとすれば、

その腕の勢いでくるりと半回転する。

グレイスフォールはジャスティスの方を

見たまま、気まぐれに指先を揺らす。

細身の身体が床と球のてっぺんの間を

何度も行き来した。


「おもっ……かるっ……おもぉっ!?

 か、髪が! 俺の髪がぁぁっ!!

 や、やめてくれ! 

 こんな無様な姿を見たら世界中の俺の

 ファンが泣いてしまうぅぅっ!!」


グレイスフォールはようやく指を止め、

球の方へ顔を向けた。


「……もう分かってるわよね?」


GOOD LOOKは逆さまになりかけた

姿勢のまま、慌てて前髪を撫でつけた。


「ふ、ふっ……もちろん分かっているとも。

 君がすっかり俺に夢中だってことはね……」


「……違うわよ」


グレイスフォールが指先で宙に小さな円を

描くと球の表面を巡る砂埃がぐんと

速さを増した。


「《重界封縛《オービタル・バインド》》。

 この中でなら私はあなたを

 重くするのも浮かせるのも自由なの。

 ……あなたには何にも出来ないけどね」


指先が軽く持ち上がる。


「じゃあ次は同時にいくわね。

 右半分は軽く、左半分は重く。

 ……その身体、いつまで一つで

 いられるかしら?」


問いかけと同時にGOOD LOOKの右半身から

重さが抜けてふわりと浮き上がる。

反対に左半身はずしりと重みを増し、

床へ引きずり落とされた。


「ぎっ……!? ぎぃぃぃっ!?」


細身の身体が斜めに引き伸ばされる。

グレイスフォールが指を緩めた。

床にへたり込んだGOOD LOOKの顔から

みるみる血の気が引いていく。

今のはほんの軽い力加減に過ぎない。

あの差をさらに広げられたら自分の身体が

どうなるのかは考えるまでもなかった。


「ま、待ってくれ!!

 最後に……最後に一つだけ

 やらせてくれ!!」


乱れた前髪を直すことも忘れ、

GOOD LOOKは床に両手をついた。


「《麗しき貴公子》が

 こんな無様な姿のまま終わるなんて、

 あってはならないんだ!

 せめて最後くらい……

 美しく締めさせてくれ!!」


グレイスフォールは小さくため息をつき、

好きにしなさいとばかりに手を振った。

GOOD LOOKが立ち上がり、前髪を指で整えて

襟元を正した。

その顔からは怯えがきれいに消えていた。


「重力!」


片膝をつき、両腕を大きく下へ広げる。


「無重力!」


跳ねるように身を起こし、今度は天を仰いで

両手を掲げた。


「俺、美だ――」


「……ばぁん」


グレイスフォールが指先を軽く弾いた。


「ひぎゃあああああっ!?」


GOOD LOOKが自分から後ろへ飛び退く。

重力は微塵も揺らいでいなかった。

それでも男は身をよじり、

勝手に足をもつれさせて転んだ。

そのまま球の内側へ後頭部をぶつけ、

うつ伏せに倒れ込む。


「あ……ば……」


泡を吹いた口から、意味を成さない音が

漏れる。

整えたばかりの前髪もすっかり元通りに

乱れていた。


グレイスフォールが指を下ろすと

球体はあっさりと消えた。

ゆっくりと高度を下げ、倒れたGOOD LOOKの

傍らへ降り立つ。

少し迷ってからその場にちょこんと

しゃがみ込んだ。

膝に両手を添え、恐る恐る顔を覗き込む。


『……ちょっと、やりすぎたかも』


♢


ミスター・タッチは一歩ぶんだけ離れた位置で

ねじれて首に張り付いたネクタイを指で丁寧に

直していた。

血で汚れた結び目を何度も押し上げ、

真っ直ぐになったところでようやく手を下ろす。

その間、ジャスティスは一度も動かなかった。


「……いやぁ、随分と落ち着いちまい

 ましたねぇ。

 さっきまであんなに必死だったのに。

 現役最強ってのは気分屋なんですかねぇ」

「……おや。何か言い返さないんで?」


半分塞がった目がこちらの出方を探るように

揺れ、笑いが消えていた。


『……こいつ、さっきからそればっかだな』


こちらが本気になれば、

困るのは向こうのはずだ。

それでも懲りずに挑発を繰り返してくる。


『俺を怒らせて、何が手に入る……?』

『……俺が頭に血が上ってる間、

 こいつは何してた』


殴り飛ばすたび、

この男は必ず起き上がってきた。

そして間合いへ入るたび――


『……そうか。

 こいつ、毎回俺に触れてやがった』


この男の狙いは痛めつけられることじゃない。

俺に触れること――それ自体が目的だった。


「……だんまりですかい。困りますねぇ~。

 さっきみたいに来てくれないと!

 でないと現役最強の看板が泣きますよ?」


「……上等だ、この野郎!」


眉を吊り上げたジャスティスがこれまでと

同じように真っ直ぐ突っ込んでいく。


「ヒッ……ヒヒッ……ヒヒヒッ……

 ヒヒヒヒヒヒヒヒヒッ……!!」


血に濡れた口元が頬の肉ごと大きく歪んだ。

右の一撃が脇腹を捉えた瞬間、ずんぐりとした

左手がその腕へ伸びた。

だがジャスティスの視線は最初からそれだけを

追っていた。

空いていた手がその手首を迷いなく掴み取る。

指先は袖に触れる寸前で止まっていた。

身体を強張らせたミスター・タッチの目が腫れた瞼(まぶた)の奥で見開かれる。

響いていた笑いがぷつりと途切れた。


「……やっぱりな」


掴んだ手を緩めないまま、

ジャスティスがにっと笑った。


「お前……俺に触ることで、

 何か仕込んでやがるな」


『……ええ、ええ。

 そりゃあ気付きますとも。

 ここまで来りゃあ、ねぇ。

 ですが……分かったのは

 まだ入口だけですよ』


能力を完成へ近付ける方法はただ一つ、

攻撃の意思を持って相手に触れることだ。

威力は問わない。

打たれるたびに返してきた掌も指先も子供が

じゃれつくような軽さのまま、一つ残らず勘定に

入っている。


『並のヒーローなら数回で済むんですがねぇ。

 旦那ほどの方となると随分と数が

 要りましたよ』


条件が揃えば、あとは背後へ回り、

その背中をトンッと軽く押してやればいい。

それだけでこの男は死ぬ。


『英雄を讃えて、

 最後の一押しでお見送りする。

 《英雄への賛歌《オ・ミ・オ・ク・リ》》

 ってのはそういう歌なんですよ』


オ、ミ、オ、ク、リ。

五つの音は攻撃の回数ではなく、

完成までの段階を刻んでいる。


『旦那に当てるのも……あと二回』

「……ヒッ」


ジャスティスの手の中で太い手首が

笑いに合わせて小刻みに揺れた。


「……仕込み、ねぇ。

 ええ、仕込みましたとも。

 旦那が気持ちよく打ち込んでくださってる

 間にたっぷりとね」

「ただ……気付くのがちぃとばかし

 遅すぎましたねぇ」


ジャスティスのミスタータッチを掴む力が

ふっと緩んだ。

その一瞬でミスター・タッチは腕を捻って

引き抜いていた。

空いた掌が吸い付くようにジャスティスの胸へ

伸びる。

ジャスティスは避けようとはしなかった。


「ヒッ……ヒヒッ……ヒヒヒッ……

 ヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒッ……!!

 ヒャハハハハハハハハハハッ!!」


腫れ上がった顔が笑いに引き攣れ、

元の形が分からないほど崩れていく。


『あと一回……あと一回で

 賛歌は歌い終わる……!』


「……あと一回、触られたら終わりか」


笑い声がぴたりと止まった。

崩れた顔がそのままの形で固まる。


「な……なんで分かった……!?」


「別に。カマかけただけだ」


ミスター・タッチはジャスティスの顔と

触れたばかりの自分の掌とを見比べた。


「わ、わざと……触らせたってのか……!?

 し、死ぬかもしれなかったんだぞ!?」


「……どのみちここを乗り切れる運が

 なけりゃ、この先戦い抜けねぇさ。

 ふがいないついでに試してみただけだ」


ミスター・タッチの手がネクタイへ伸びた。

震える指先が何度も結び目を掴み損ねる。


『い、いかれてやがる……』


ジャスティスが一歩、前へ出る。

ミスター・タッチは弾かれたように飛び退き、瓦礫に足を取られて尻もちをついた。

それでも両手で床を掻き、少しでも距離を取ろうと這いずっていく。


「それと最後にひとつ」


「な、なんだ……!?」


「あと一回なんだろ?

 永遠に届かねぇその一回――

 届かせてみやがれ!!」

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