第二十七話 終焉(3)
ユーリは、人の身勝手でくだらない矛盾が嫌いだ。
例えば、あなただけを愛していると言いながら、誰とでも寝る女とか。
騎士道を掲げながら、捕虜の女を人として扱わない騎士とか。
部下には死んで国の礎になれと命じながら、己は安全な場所から動こうともしない指揮官とか。
年を経るごとに気付いていく、矛盾と建前。そして、己もその社会の駒でしかないという事実に苛立つ。
貫く気のない偽善なら、初めから悪であった方が、いくらか潔いだろうに。
だから――全て分かっていて、偽善の塊であろうとするあの男が、ユーリは嫌いだ。
そして、好ましくもある。いっそ潔いという意味では。
偽善も貫けば、周囲にとってはまごう事なき善なのだと、ユーリはあの男に出会って気付いた。
ユーリが玉座の間に訪れると、薄暗く広大なその空間の中央で、ただ一人、男が座っていた。
まるで待ち構えるように人払いされた場所で、大儀そうに顔を上げた父親が、息子を見る。
「ユリウスか」
それは分かり切ったことの確認か――それとも、己の息子のどちらかを本当に確認するための作業だったのかは、分からない。どうでもよかった。
「何か、言いたいことがありそうだな」
「ちょっと、2名程から同じコト言われてね」
この男と二人きりで話すことなど、ついぞなかったことだ。
この国を――彼を、何がそこまで駆り立てているのか。
それを知れば、何をすべきかが見えてくる――と、ある青年は言った。
「あんたのことを考えてみたんだけど、やっぱりこれしか思い浮かばなかったよ」
もっと、お互いに知り合ってもいい。
そう言った少女の言葉を従順に試す姿は、なかなかにいじらしいかもしれない。他人事のように、そう思う。
「あんたが何をしたいのか、どうしたいのか、ようやく分かった」
「…………」
「あんたはもう立ち止まれない。あんたは、血を流しすぎた。例え立ち止まっても、誰もあんたを信じない。国の中も、外も」
立ち止まれば最後、彼についてきた者の支持を失い、同時に、彼が敵に回していた者たちに攻め入られる。
「例え魔法使いの予言がなくても、あんたは同じ道を進んだ。突き進むしかなかった」
命だけではない、これまで築き上げてきたもの全てを、失うことになる。
それは、敵を作りながら己を貫き通してきた、独裁者の宿命だった。
「だがもうとっくに、終わっても良いと思っていたんだろう」
皇帝は――父は答えない。じっと息子を見据える水色の目は、感情を映さないまま、その告発を聞いている。
「誰かが終わらせてくれればと思ったんだろう」
己の築き上げてきたものを誰かに引き継ぐ形で、己という独裁者に誰かが終止符を打てば、時代が変わる。
新しい誰かが、道を選び直すことが出来る。
「老いて、自分の娘ぐらいの年の少女に、昔話を聞かせるくらい、あんたは良心を取り戻してたんだから」
ユーリは、ここに来る前に武器庫から奪い出した狙撃銃を構えた。
玉座に座る、王を的に照準を合わせる。
「あんたはもう、誰かに撃たれるまで走り続けて、前のめりに倒れ込むしかないんだ」
実際に言葉にして、それは酷く悲しく響いた。
分かっていたはずだ。初めから。
彼の選んだ血で描く道筋の結末を、この男が気付かずに踏み出すはずがない。
――覚悟がなければ、最初から踏み出してはいけない一歩だったのだから。
「終わらせてやるよ、望み通りに」
「……小童が、一人前の口を叩くようになった」
ようやく口を開いた父は、嬉しそうに笑みすら浮かべ、玉座を立った。
「ならば倒してみるがいい、ユリウス。新しい時代を作ってみろ」
「嫌だよ、俺は。そんな面倒なモノ、兄貴たちに任せる」
銃を構えたまま、ユーリは父の命令をあっさりと拒否した。
幸いなことに、人材には事欠かない。出来の良い双子の兄は、子供っぽいが、頭は悪くない長兄を上手く転がすだろう。
(父殺しの罪を背負うのは、僕だけでいい――)
親殺しは大罪だ。
エマーヌエルは神の子、つまり、父親を殺すことは神を殺すことに繋がる。
ユーリがバルドゥルを殺せば、どのようが理由があれ、次の王となるアルベルトは、死刑の判決を下さざるを得ない。
「別に、あいつの為じゃないけどね」
引き金を引くのに覚悟はいらなかった。これからの国を背負う覚悟に比べれば、終わる覚悟ほど軽いものはない。
いつだってユーリは、楽で簡単な方を選ぶ。難しくて重たいものは、兄に任せて。
銃声が響き、玉座に合わせられた銃口は間違いなく火を噴いたが――
「……なっ?!」
玉座の前に立っていた王を、後ろから現れた男が腕を引いて避けさせた。標的を失った弾丸が玉座の背を食い破り、黒く焦げた弾痕が残る。
「ゴッドハルト!?」
突如現れた男は、まるで初めからそこにいたかのように、王の傍らに佇んでいた。
「おまえ、どうして……!」
投獄されていたはずの氷雪の騎士が、王の危機に馳せ参じた。
恐らくは、この玉座の間のどこかにあるという、王の逃走用の通路を使って入り込んだのだろう。
既に玉座が安泰の世になってから生まれたユーリは、その場所を知らない。
だが驚愕したのは、彼が皇帝を助けたこと……それ自体ではない。
太い腕で皇帝の身体を抱きとめた、そのもう片方の手に握られた短剣は――銃弾から庇った相手の、脇腹を刺し貫いていた。
「貴方は、罪を負ってはなりません、ユリウス殿下」
「ゴッドハルト……貴様……!」
苦痛に顔を歪め、バルドゥルは渾身の力でゴッドハルトの腕を引き離し、剣を抜いて相手の胴を薙いだ。
その一撃を避けることなく受け止めたゴッドハルトは、苦痛の呻きすら漏らすことなく、今度は肩で息をする王の胸を刺した。
崩れかけた皇帝の身体を、氷雪の騎士の腕が抱きとめる。
「ゴッ……ド、ハル……ト……」
血を吐くような声で名を呼ぶバルドゥルの血走った目が、信じがたいものを見るように巨躯の盟友を見上げる。
残る力を振り絞るように、伸ばされた左手が、震えながらゴッドハルトに右耳にかけられ、黒い眼帯が解け落ちた。
ユーリは初めて見る、両の眼を揃えた氷雪の騎士が、精悍な顔に不似合いな、ひどく優しい表情で微笑み、腕の中で死にゆく皇帝に囁いた。
「親愛なる陛下……そのような顔をなさらないで下さい。心配なさらずとも、このゴッドハルト、最期までお供いたします」
その言葉を最後に――安心したように、バルドゥルの右手が落ちた。
氷雪の騎士が、皇帝を殺す――
ニヴルヘイム大山脈の氷雪は、永遠に溶けることはない。
それは、永久の絆を表し、裏切ることも、裏切られることも許さない、絶対の誓いであるはずだ。
あり得てはならないその光景を前に、呆然と立ち尽くすユーリを尻目に、ゴッドハルトは瞼を落とした皇帝の身体を抱き上げ、これ以上ない敬意と愛情をもって玉座へと座らせた。
そして、氷雪の騎士が、銃を手に立ち尽くすユーリを振り返る。
「…………」
主君を裏切り、その手で殺めた男のものとは思えない、誠実な眼差しにたじろぐ。
「……どうして、こんな真似をした?」
永久の白であるはずの氷雪を血に汚された、その怒りが遅れて湧き上がり、ユーリは第二の父のような男をなじった。
「おまえじゃない。おまえじゃなくて良かった! こんな汚れ仕事、僕で十分――」
「貴方は、光り輝くこの国の未来を導くべき担い手。血の罪を背負うことで、その運命から逃れようなどとは――ゆめゆめ思いなさるな」
「………ッ」
冷水をかけられるような言葉に息を飲む。
目を逸らし、ユーリは大きく息を吐いた。激昂した感情をなだめ、極力普段の己を思い出すように、言葉を選ぶ。
「相変わらず厳しいね、おまえは――けど、人を見る目はないらしい。ボクなりに、これが国のために出来る最大限の功労だと思っているんだけど?」
「貴方はいつもそうやって、己の力量を煙に巻く」
だがゴッドハルトは、それすら見透かしたように言った。
「幼少より貴方がたを見守り続けた、このゴッドハルトの目はごまかせませぬ。貴方は、心技体全てにおいて、我が君の残した四兄弟のうち最も優れている。相応の鍛錬を積み、己を律し続ければ、誰よりも優れた騎士となり、我が国に繁栄をもたらすことでしょう」
「本人にそんな気がないんだから、しかたがないねェ」
彼の賛美は、ユーリの熱した心を冷ますには十分だった。
「――双子とは難儀なもの。全てにおいて同等であるが故に、全てにおいて比較され、選ばれる」
冷めた目で見返す第三皇子を、大将軍は同情にも近い眼差しで見下ろした。
「……私には貴方が、いつでも切り捨てられる側であるように、振る舞っていたように思えます」
「それは、ボクがジークフリートのために? アイツに対して、そんな温情をかけてやった覚えはないけど――まぁ、そう思うんなら、勝手に思っとけば?」
胴に深い傷を受け、血を流したまま近づいてくる男の足取りは確かなもので、この男の強固な意志は鋼で出来ているのかと、ユーリは舌を巻いた。
彼が立ち止まった距離は、ちょうど、ユーリの剣が届く間合いだ。
「どうしても罪を負いたいというのであれば、どうか、この私めの首をお取りください」
「おまえ……!」
言葉の意味を悟り、絶句する。
悪しき暴君を殺めた氷雪の騎士を罰する罪を背負うチャンスを、彼は己に与えるという。
――皇子が、皇帝を殺した氷雪の騎士を、その場で処刑したことについて、罪と騒ぐ者はどこにもいないだろう。
だが、ユーリにとって――そして、ゴッドハルトの行動の真意を知る者にとっては、それは年老いても肌に残る傷跡のような、まごう事なき罪だ。
「……相変わらずよく出来た男だね、おまえは」
白旗を揚げ、ユーリは息を吐き、手にした銃を投げ捨てた。
「本当に――あいつにはもったいない」
「私の夢は、最後までバルドゥル様と共にございました――」
代わりに抜いた剣を掲げ、その曇りのない刀身を眺める。その耳に、男の最後の言葉が流れ込む。
「それだけは、まごう事なき真実。永遠の忠心……」
「――もう黙れ。続きは、あの世で父に聞かせてやれ」
それは、ユーリが聞くべき遺言ではない。
「では……光を継ぐ皇子よ、どうかこの愚かな老夫に、終息の安らぎを……」
彼が、ユーリの前に膝をつくことはなかった。
ゴッドハルトは悔い改めた罪人として断罪を乞うのではなく、皇帝を殺した反逆者として、その息子に討たれるのだ。
祈りの印を胸の前で切るだけの時間を男に与え、ユーリは左腕で、銀の刀身を振り上げた。
その男の最期を目に焼き付けるように、正面から、横薙ぎに男の首を斬る。
「偉大なる父――アース神の御許に……」
その言葉を最期に――肉の切れる音と、血の吹き上げる音が嫌に響く。
大きな身体が後ろに傾ぎ、ゆっくりと、固い床に倒れる。
仰向きに横たわる巨人が、再び立ち上がることはない。
血の涙を流すように、頭からかぶった男の血がユーリを濡らす。
出来るだけ血を被る切り方をしたのは、ただの、ユーリの悪趣味だ。これが罪であることを、己に言い聞かせるかのように、赤く濡れた手を見下ろした。
「ホント……笑っちゃうような友情ごっこ」
呟いた声に、苦笑が混じる。
「死ぬまでやっとけって感じ」
……貫くモノがある人間を羨ましいと思った感情には、すぐに蓋をした。
その手でくしゃりと前髪を掻き上げ、呆然と天井を仰ぐ。
――重苦しい扉を開く音が耳に届いたのは、そんな折りだ。
薄暗い玉座の間に、明るい光が差し込む。
振り返った先に立っていた相手に、ユーリは目を見開いた。
「なんで……ここに君がいる……」
「……呼ばれた気がした」
一体どんな災難に遭ったのか、顔といい身体といい、黒い軍服の上から無数に切り刻まれ、血を流した兄がそんなことを言った。
「誰も呼んでないよ――どころか、今一番見たくない顔だ。とっとと消え失せてくれないか」
棘しかない台詞を、相変わらず面白味のない表情で受け流した青年は大股に近づき、横たわる氷雪の騎士を前に、剣を抜いた。
そして何の前触れもなく――もしかしたら、まだわずかに息があるかもしれない、ゴッドハルトに向け刃を振り上げる。
「ジークフリート!!」
咄嗟に右頬を殴りつけた相手の身体が傾ぎ、血に沈んだ床に倒れ込む。
「ふざけるなよ」
手加減のない力で殴った利き手が痛んだが、構わずユーリは怒鳴りつけた。
「誰もおまえにそんな罪を望んでいない!!」
言葉など交わさずとも分かる。同じ罪を背負おうとした相手に、ユーリは呼吸を整えながら、子供じみた笑みを浮かべてみせた。
「……これは、ボクだけの罪だおまえにはやらない」
見返してくる同じ顔を相手に、奇妙な優越感が湧き上がる。
「何でも、同じであろうと思わないで欲しいね」
「…………」
やはり無言を返す相手の想いなど、聞くまでもなくユーリには聞こえた。




