第二十四話 宿命(4)
消沈したフィオナを、ウィルが優しく促し、部屋へと送った。
部屋を出る直前、ふたりから離れた壁際で、並んで背を預けていた双子に、一瞬だけウィルの視線が向けられる。
受け止めた視線の意図を明確に悟るまではいかないが、少なくとも責められているわけでも、哀れまれているわけでもないとは分かった。
扉が閉まり、ふたりの姿が部屋から消えたあと、この無口な兄とふたりきりでは永遠に続きそうな沈黙を破ったのは、やはりユーリの方だ。
「後悔してる? 連れてきたコト」
「…………」
「ま、少しスレたくらいの方が、ボクとしては面白いけど」
フィオナは世間知らずだが、頭は悪くない。
むしろ人並み以上の理解力を持ち合わせており、女性にしては理性的だ。
育ち方が違えば、もう数年後には、口説き甲斐のある、頭のいい堅物女になっていたことだろう。
「今はちょっと、素直すぎて駆け引きのし甲斐がないんだよねェ」
「…………」
「おまえの好みで彼女を評価するな、って?」
「……何も言っていない」
「この耳にはそう聞こえたなァ」
「……ならばそろそろ取り替えた方がいい」
そんな会話で空虚な間を埋めていると、一度閉まった部屋の扉が開き、車椅子の青年が戻ってきた。
「落ち着きはしたみたい。勝手な行動を取ったことは反省していたよ」
双子を見ると、ウィルがひとりで車椅子を繰り、近づいてそう報告してきた。
「すまないね、役に立てなくて」
自嘲気味な微笑が、そのまま苦笑に変わる。
「まさか逆らわれるとは思わなかった。随分と強くなっちゃったね」
困った風を装うが、実際、彼女の自立を促したのは彼だ。
「……下地はあった。ただ、環境が許さなかっただけだ」
「うん。そう――俺もそう思うよ」
ジークの台詞にしみじみと頷き、やはり微笑む。彼の微笑ほど、意味を読み取るのが難しいものも他にない。
「……今回の件は、フィオナを遠征に連れて行くと決めた以上、起こりうることだった」
淡々と述べるジークの声には、感情の揺らぎのようなものは見えない。
「……些細な問題だ。責任を感じる必要はない」
短くそう言い置いて、ウィルと入れ替わるように部屋を出て行く兄の背中を見送りながら、ユーリはぽつりと呟いた。
「意外と傷ついてるんじゃないですか」
「……かもね」
やはり気付いていたらしいウィルが、手短に同意する。
その気持ちが分からないわけではなかったが、ユーリはあえてとぼけた。
「嫌われることには慣れているはずなんですけどねェ。なにせ、『悪魔の民』ですから」
搾取と略奪を繰り返し、国土を拡大していった帝国の人間を、西側世界の人間は『悪魔の民』と呼ぶらしい。
「それは、口の悪い者の言うことだよ。多かれ少なかれ、悪はある。悪魔と呼ばれる人間が、居ていいわけがない」
だがその自虐を、西の大国の後継者は、静かにたしなめた。
「特に、サン=フレイアの人間がそれを口にするのは――あまりにも傲慢だと俺は思うよ」
それは、逆に彼の自虐になった。自虐というよりは、謙遜か。
「天上の島などと人は言うけれど、俺たちは神でもなければ、選民でもない。それを見誤ると、きっと……いつか己の身を滅ぼすことに繋がる」
彼のことを、きっと人は「謙虚」とか「分別がある」と称すのだろう。
それは多分、正しい。
だが、ユーリは、いつも捉え方を違える。あえて、違えている。
そして、それが真理であることも、往々にしてあるのだから、面白い。
「アナタはサン=フレイア人らしいサン=フレイア人ですねェ」
含みのある言葉に、紫水晶の瞳が見上げてくる。
この汚れのない眼差しを前に、己のような解釈を抱く人間が他にいるだろうか。
きっと、真理とは一面ではないのだろう。
人の真理など、それこそダイアモンドカットされた宝石のように、角度を変えれば輝きが変わる。
「常に理性的で、一歩引いたところから状況を見下ろす。感情に左右されない、賢者の民――」
そして、そんなユーリの捉え方を、彼は面白い、と思っている。
好ましいと思っているかは定かではないが、面白いと思っていることは確かだ。
そして、ユーリは、そんな彼が面白い。
この男は、いったいどこまで抉れば、その美しい貌を歪めるのか。
そんな嗜虐的な好奇心が湧き、ユーリはしばしば、彼を傷つけたくなる。
きっと彼は、それを理解している。
一体どこまで、この化かし合いは続くのか。
彼の「やさしさ」は、どこまでユーリを許すのか。
興味が尽きないから、ユーリはこの男が好きだった。
「――それって、楽しいんですか?」
それは、許されることを『試す』という名目での、『甘え』かもしれない。
「楽しいか楽しくないかって言われたら、楽しんではいるよ、割とね」
やはり穏やかに微笑み、ウィルは綿でくるむように、ユーリの刃を絡め取った。
※
王の寝室にある卓の上に、小さな鍵付きの宝石箱が置かれていた。
未練がましく、鍵をかけたその中にしまっていた手紙を、バルドゥルが掘り起こしたのは――ほんの気まぐれと、少女の涙に触れて思い出した、感傷がなせる技だろう。
『――この五月に、女の子が生まれたとの朗報を利き、この手紙をしたためています。おめでとうございます! ご存じの通り、今年の三月に、私たちにも待望の赤ちゃんが出来ました。同い年の娘が出来るなんて、なんて素敵な偶然なんでしょう! 今はお忙しいようですので、訪問は差し控えますが、いつか落ち着いたときには、娘とトリスタンを連れて、チェリルブロスにお花見に行きますね。同じ春に生まれた子同士、きっと気が合うと思うの。彼女たちが、私たちと同じように、固い友情で結ばれたら、とても素敵だと、今から夢見ています。エーギルの神海とニブルヘイムの氷雪に誓って、あなたの永遠の友――プリシラ』
何かあるごとに短い手紙を送ってきた女性の友人に、返事を書いたことは一度もなかった。
いや、書いたことはある。
だがどうしても、最後の署名に永遠の友と書けなかったのは、プライドが邪魔したのか、なけなしの良心か、青臭い自己憐憫か。
奪うことは出来たのに、傷つけることも汚すことも出来ずに、大事に宝石箱にしまってしまった想いは、時を経る事に後悔にすり替わり、彼女の短い人生を思うと、憎悪すら燃えた。
自己嫌悪と、あの男への憤激。
取り返しのつかない決断は、それでも、あの少女という結果をもたらしていたのだと――この年になって気付いた。
『ありがとうございます。母と父を見守ってくれて。二人の愛を祝福してくれて』
そう――忘れかけていた。己は、二人を祝福したのだと。
ニブルヘイムの氷雪に誓って、彼女だけを愛すと誓った友と、永遠の友情を誓った。
あの時の、あの男の一欠片の嘘も偽りもないと思わせる眼差しを、バルドゥルは信じたのだ。
ゴッドハルトから、彼女の娘が生きて、この城にいると聞いた時、ただ純粋に会いたいと願ってしまった。
それはやはり、嫉妬や怒りの炎でも溶かすことの出来ない氷雪の誓いが、この胸に生きていたからなのだろう。
何のてらいも恐れなく、打算も疑心もなく、真正面からバルドゥルに向き合ってきた唯一の男――
あの少女の無垢な瞳を見返す度、遠い昔、永遠の誓いを前に、己を見つめてきた澄んだ眼を思い出した。
真冬のイアルンヴィズの森の、肌を刺すような冷たく澄み切った空気。
それでもそこには、己の祖国のように、生命の歩みすら許さぬ程の厳しさはなく、包み込むような静かな優しさがあった。
冴え冴えとした音を立てる滝を前に、ふたりきりで向かい合う。
右手を差し出した男の手を、固く握りかえした。
互いに、永遠に雪解けることのない誓いの言葉を口にした――それはバルドゥルにとって、人生で最初の氷雪の誓いであった。
胸によみがえる鮮やかな記憶を静かに折りたたむ。
バルドゥルは、同じだけの静けさで現実へと戻った。
「……サラバンド」
王の寝室に入ることが許される者は、そう多くはない。
ナイトテーブルに置かれた宝石箱に手紙をしまい、再び鍵をかけたバルドゥルは、扉の前に跪く魔法使いを振り返った。
「――はい、皇帝陛下」
顔を伏せたまま答える声は、いつものようにくぐもっている。
「兵を進める前に一度、エルドラド国王に講和の使者を送ろうと思う」
「は――?」
常に言葉を間違えることのないサラバンドが、寝耳に水というような声で問い返した。
彼が今この場にいる理由は、いつ宣戦布告をするか――という最終確認だったはずだ。
「最後通告だ」
だが、バルドゥルは堂々と、新たな方針を告げた。
「エルドラドの王女は生きていた。そして今、なんの奇縁か、我が手の内にある」
ゴッドハルトによってもたらされた情報は、ある可能性をシュヴァルトに提示した。
「このままアルファザードと手を結ぶというのなら、王女の返却は可能だ。王女を傷つけるつもりはない――だが、彼女を送る数万の兵が、東の国境に張り付くことになるだろう」
それは、事実上の脅しに他ならないが、一方的な宣戦布告の上での進軍を既定路線としていたことを考えれば、大きな譲歩だ。
「あの男に、王女と我が皇太子アルベルトの婚約の可能性を、もう一度だけ確認させてやる」
そして――これは天からバルドゥルに与えられた、最後のチャンスであるようにも思えた。
……もう一度、彼を友と呼ぶことは許されるだろうか。
「このまま、王女を我が国の未来の后妃として送り出すというなら、エルドラドをシュヴァルトの氷雪の友として認めることを誓おう」
国家を氷雪の友として認める――
それは、シュヴァルト帝国建国以来、前代未聞の統治者の言葉であり、さすがのサラバンドも面を上げ、驚愕に目を見開いた。
ニブルヘイムの氷雪は、永遠に溶け消えることはない。
つまり、国家間の氷雪の誓いとは、相互にいかような反逆も企ても認められぬ、運命共同体であることを宣言する、無期限の講和条約だ。
「滅多なことを仰るべきではありません」
一も二もなく、サラバンドは否定した。
「そのような荒唐無稽な誓い、他者が聞けば、ついに皇帝陛下はお狂いになったかと噂されるでしょう」
「何を言っている。我が国とあの小国の力関係を考えれば、血を流さずに、永久に我が国の一部に取り入れるという宣誓と同義だ。悪い話ではあるまい」
「ですが……」
「サラバンド、お前の望みはなんだ」
「私の望みは、皇帝陛下のお望みであり、このシュヴァルトを永遠に日の昇る国家とすることです」
寸尺の迷いもなく、澱みもなくそう言い切った臣下の台詞を、バルドゥルはすくい上げた。
「ならばそこに、血の犠牲は必ずしも必要ではあるまい」
「…………」
だがその沈黙は、いささか反抗的な匂いを帯びていた。
バルドゥルは、少し、己が眠りから覚めたような感覚を得ていた。
もう随分と長い間、霧がかっていたような気がする脳に、冴えが戻る。
すると、目の前の忠臣の行動に、違和感を覚えた。
彼が、己に与えてくる進言はまるで――
「……サラバンド。お前は、何の血に飢えている?」
「…………」
その問いに、フードの陰から覗く翠の瞳が、妖しく輝いた。
※
――夜。フィオナから借りた地図を卓の上に広げ、ウィルは一人、与えられた部屋で瞼を閉じていた。
昼間の戦が嘘のように静まり返った部屋で、大陸地図の先にある茫洋たる未来図を想像する。
サン=フレイア王国とシュヴァルト帝国。
地図の右端と左端に位置するこの二国が、直接何かしらの利害を持って対峙したことは、ほとんどなかったはずだ。
それこそ、北西の島国からすれば、そこは『最果ての国』でしかなかった。
目を開き、右端の広大なスペースの中に、網の目のように張る大小の山脈の一つ一つを、指でなぞる。
――シュヴァルトが長らく貧しかったのは、この広大で険しい土地の地下に眠る鉱物資源の利用を、誰も考えようとしなかったからだ。
その点において、サン島の豊かな鉱山に目を付け、長い時間と犠牲の末に、それらを掌握したフレイア人は、東の民に比べ、遙かに先見の明と応用力に長けていたのだろう。
だが、西側世界に習い、彼らを追い抜くことに注力したバルドゥル帝王は、そのことに気付いた。
そして、彼以上に自国の商工業分野の発展に貪欲な後継者が、すでにそれらの改革に着手している。
交通網の整備という大問題は残っているものの、それすらも彼らは、人命の犠牲を厭わぬ強靱な精神力と実行力、そして財力によって成し遂げようとするだろう。
バルドゥル帝王は、まだ四十二歳だ。
このまま彼の治世が続き、更にアルベルト皇太子の富国政策がそれをサポートすれば、この国は、おそらく止まらない。
遅れてきた大国は、これから数十年という極めて短期的なスパンで、西大陸を、ひいては天上の島を脅かすまでの、驚異的な発展を遂げるだろう。
(俺は、この国が怖いんだ)
そう、自覚する。
間近で見て肌身で感じる、この強大な国の潜在能力に、確かな危険を感じている。
何らかの手を打たねばならない。それも早急に。
地図を置き、ウィルは天井を仰いで目を閉じた。
混乱と崩壊の未来図が、それに至るプロセスが、明確に脳裏に映し出される。
(それを止められるのは――今しかない)
ノックの音が響き、ウィルは柄にもなく内心驚き、広げていた地図を畳んだ。
少し居ずまいを正してから、静かに答える。
「どうぞ」
その声を待って扉が開き、私服姿のユーリが顔を出した。
「何?」
「伝え忘れたことがあったので、一応」
ユーリがウィルの様子を問うことはなく、簡単に用件を告げた。
「明日の朝、早急にここを発ちます」
「うん、分かってる」
確かに伝えられてはいなかったが、ここまで彼らが迅速に事態の解決を図ったことからも、予想はしていた。
あの国の長は――それが本当に皇帝の意志かどうかは分からないが――この双子の皇子を、宮殿から追い出したがっている。
だが、彼らには彼らで、宮殿に戻った目的がある。二者の意志が対立している以上、時間を稼がれることは不利だった。
遠征軍はかなりの強行軍の末、可及的速やかに任務を達成し、明日早朝には帰路につこうとしている。
これは、相手の予想を上回るスピードだろう。彼らはまだ、勝負に負けたわけではない。
――だが、事態は彼らを出し抜くように急転した。




