第二十三話 宿命(3)
民兵を中心とした武装集団は、意外な粘り強さを見せたが、それも2時間と持つことはなかった。
殲滅指令を下された兵隊は、目を皿にして全ての家屋を踏み荒らし、息を潜めて隠れていた反逆者たちを摘発した。
そんな中、その女に出会ったのは、ユーリが何の変哲もない民家の一つを訪れた時だった。
粗末な蝶番を蹴破り、足を踏み入れると、部屋の奥に丸まった女がいた。
若いと言えば若い。二十の中頃ほどに見える女の顔は、とうとう訪れた悪魔の訪問に顔を引き攣らせた。
――が、戸を取り払われ、陽が差し込んだ部屋で、見上げた侵入者の顔に、女が悲鳴を上げた。
尋常ではない絶叫だった。顎が外れそうな程に口を開き、ユーリの顔を凝視したまま、混乱のうちに泣き喚く。
誰か、知らない男の名を叫んだ。
ユーリも、その異常な歓迎に足を止め、相手の女の顔を観察する。
全く見覚えはない。
見覚えはないが――多分、彼女の方は見覚えがあるのだろう。
小首をかしげ、ユーリは女性を見下ろした。
「あァ、ごめん、ネ」
あまりにも軽い、心のない謝罪は、相手の神経を逆撫でしたらしい。
泣き喚いていた女が、突然火がついたように逆上した。性別すら分からないような形相で、持っていた包丁を胸の前に突き出し、奇声を上げる。
ほとんど言葉になっていなかったが、『仇』という単語だけは妙に分かりやすく聞こえた。予想をしていたというのもある。
突進してきた相手を、ユーリは闘牛でもかわすように軽く身を引いて避けた。
その勢いで民家の外に飛び出した女性を、いつの間にかそこにいたジークが、軽く頸椎に手刀を浴びせて気絶させた。
糸の切れた人形のように女の身体が崩れ、復讐劇はあっけなく幕切れる。
その様子を背中で感じながら、ユーリは頭を掻いて嘆息した。
「ホント……このパターン、飽き飽きなんだけどね」
こちらが手出しをする気もない女に、逆上され襲いかかられるのは、初めてというわけではない。
以前は同じ状況で、後ろにいた部下が女を斬殺した。
あれも、縁者らしき男を、ユーリが殺すのを見ていたか何か、そんな話だったような気がする。
「……お前はいつか、女に刺されて死ぬな」
「別にそれでもイイけど、顔も知らない女じゃつまらないねェ」
動かない女を民家に放り込み、ジークがユーリを視線で促して場を離れる。
上官の後ろを歩きながら、ユーリは世間話のような調子で話しかけた。
「よく覚えてるもんだよねェ。嫌な記憶なら、忘れちゃえばイイのに」
明らかな加害者である彼の無責任な発言を、ジークが咎めることはなかった。
「……お前は戦場で目立つ」
「同じ顔の人に言われたくないんだケド」
「俺はお前のような異常な行動は取らない」
「戦場で異常な行動って、まるでボクが変人みたいに言わないでくれる?」
「戦うのが嫌いなくせに、あえて前線に出て血をかぶるお前は変人だ」
兄の指摘は、まあ一般的に見ればもっともなのだろう。
司令官の立場でありながら、ユーリは時に、本来の任務を放棄して最前線に立つ。
「嫌いだから、後ろでふんぞり返って見てるコトに虫酸が走るんだよ」
くるりと槍を回し、ユーリは破壊された村の様子を見るともなしに眺めた。
「――だから俺は、あの男が一番キライ」
自らは血を被らず、今、この世界で最も多くの血を流させている男の血が己に流れていることに――何よりも虫酸が走る。
「…………」
ささくれだった本音は、予想通り、兄の無言に受け止められた。
※
「ああ、終わったね」
与えられた部屋に待機しながら、じっとウィルの手を握っていたフィオナに、静かな声が告げた。
部屋の西向きの窓からは、戦いの場となっている村を囲う壁が見える。
ジークたちが戦場に向かった後、二人は窓辺に寄り添い、ただ静かに時が過ぎるのを待っていた。
ウィルの言葉に顔を上げると、逆光で黒く塗りつぶされた壁の向こう、赤い夕焼けを背景に、勝利の狼煙が上がっていた。
「大分急いだのかな、思ったよりも早かった」
推察するウィルの横顔が赤く染まる。
その視線が、窓辺からフィオナへと移動した。安心させるように、柔らかい微笑みが向けられる。
「フィオナ、もう帰れる」
「無事、よね? ジークとユーリは」
「この程度のことで、何かある二人じゃないと思うよ」
「なら、私、迎えに」
迎えに、と言いつつ、フィオナは、己の気持ちの大半が、別の理由に向いていることに気付いていた。
「大丈夫だよ。すぐ戻ってくる」
それを知ってか知らずか、ウィルはやんわりと引き留める。そのもどかしさに、フィオナは思わず本音を口走った。
「だって、あそこでは血が流れているんでしょう……!?」
「そう。だから、危険だから、出ない方が良い」
それでも、ウィルの言葉の柔らかさと強さは、ひとつ前の台詞となんら変わることはなかった。
世界を見ることを教えてくれたのは、ウィルだ。
『世の中には、見なくていいものもある』
なのに彼は今、そう言ったのと同じ頑なさで、フィオナの世界を閉ざそうとする。
「…………」
フィオナは唇を噛み、その言葉を黙って受け止めた。
フィオナが城の塔の中で安穏と暮らしている間にも、世界は大きく動いていた。
己の身に降りかかる、『結婚』がもたらす意味すらも、誰も教えてはくれなかったし、フィオナも見ようとはしなかった。
知っていたら、何かが変わっていたかもしれないのに。
そんな後悔は、出来ればもう、したくはない。
この場で起こったことを何一つ見ずに、聞かずに、知らないふりをして帰ることなど出来なかった。
「ごめんなさい! ウィル!」
「フィオナ!」
彼の手を振り切り、フィオナは部屋を飛び出した。
フィオナが全力で走れば、車椅子のウィルが追いかけることはできない。
そうと分かっての行動に罪悪感はあったが、それ以上に、走り出したい衝動の方が強かった。
屋敷を飛び出し、西の門から町を出ると、人気のない街道がミハイロ村まで続いていた。
狼煙の立ち昇る場所を目指して走る。時折息を切らして歩を緩めながら、フィオナが市門に辿り着くと、大砲か何かで破壊されたような跡を残して、門がへしゃげていた。
現実だ、という当たり前の感想が過ぎる。そこで初めて戦争の跡を肌身に感じたフィオナは、萎む意気を鼓舞しながら、恐る恐る村に足を踏み入れた。
そして、目の前に広がった光景に、息を飲む。
日の暮れかけた村の入り口に、人が倒れていた。
一人や二人ではない。門の前に累々と転がる人の身体は、全て武装した男だった。
血の臭いが充満し、石畳が赤黒く染まるその場所は、夥しい数の死で埋まっていた。
崩された家屋。散乱した武器。火薬の臭い。煙が立ち上り、霞んだ視界に、廃墟のような村の跡が広がる。
遠目に見える広場のような場所には、遺体を積み重ねたらしい小山があった。人の死が――まるでゴミか何かのように扱われている。
(これが……戦争――)
呆然と、足を踏み出したフィオナに、気付いた黒い隊服が、厳しい声で呼び止めた。
「そこの女、止まれ!」
槍で指され、身をすくめて足を止めると、急に後ろから肩を引かれた。
「何やってんのお姫サマ」
「……外に出るなと言ったはずだが、お前は本当に人の話を聞かないな」
呆れたような声と、怒ったような声が降りかかる。
「ごめんなさい……」
振り返るまでもなく分かる双子の友人に、フィオナは小さく謝った。
そして、やはり振り返れないまま、強ばった口で言葉を紡ぐ。
「これ……二人が……?」
「……そうだ」
静かに答えたのは、ジークの方だ。
彼らは軍人なのだと、頭では分かっていたはずだ。
だが、その光景を見せられると――感情が拒絶する。
『本当の俺を知れば、お前はこの距離すらも厭うだろう』
彼の言葉の意味も――重さも、あの時は何も分かっていなかった。
肩に置かれたその手を自覚し、振り返って一歩距離を取ると、ジークはすぐに手を離した。
「ボク達が怖い? お姫サマ」
見下ろしてくる人形のような整った顔は、今は、笑ってはいなかった。
「……分かっただろう。俺たちが、いかにあの家にそぐわない人間か」
同じ顔が二つ、同じ隊服を着て並んでいる。
同じように、血の臭いを漂わせて。
「……俺たちは本来、あんな平穏な日々など、送っていい人間じゃない」
「そんなの……誰にだって、平穏に生活する権利はあるはず……」
ジークの平坦な声に、言い返そうとした舌が渇く。
人の平穏を奪い蹂躙する人間が、平穏を享受することを許されていいのだろうか。
そんな道義めいた疑問が頭を過ぎり、言葉が空回りする。
綺麗事じゃない。ここは、もっと生々しく現実的で、シビアな場所だ。
知らなくてよかったかもしれない、暗い世界。
「でも、二人だって、好きでこうしてるわけじゃ……みんな、王の命令で……」
縋るように呟いた己の声があまりにも泣きそうで、つられて目が潤んだ。
見上げた二対の翡翠は、まるで本物の宝石が嵌め込まれてでもいるように、無機質だ。
「……王の子はみな騎士だ。王になる者以外は、死ぬまで王に仕える」
揺るぎない答は、やはり、フィオナの甘えた綺麗事を切り刻んだ。
※
全ての処理を終え、部隊が街に戻ってきたのは、すっかり日も暮れた時分だった。
帰ってきたジーク達を迎えたウィルが、二人に連れられたフィオナを見て、困ったように微笑んだ。
「ごめんなさい、ウィル……」
そう謝ろうとしたところを、静かに車椅子で近づいてきた彼が、ぎゅっと抱きしめてくれる。
綺麗な白い手。
全てが分かっているような優しい抱擁に、泣きそうになる。
甘さも綺麗事も、全部、彼の傍にいれば許されるような気がしてくるから不思議だ。
今はその彼に任せるように、双子の皇子は黙って場を離れた。
「ごめんなさい……」
「いいんだ、フィオナ。気にしてない」
言葉にしたいものはたくさんあったが、何一つ彼にぶつけるには適切ではない気がして、フィオナは全てを飲み込んだ。
あれは、未来の祖国の姿だろうか。
フィオナが見た、間違いなく現実として存在するあの惨状は、己の国のすぐ隣で起こっていることだ。
(こんな悪夢が続くくらいなら……)
こんなことがまかり通る国が、戦いをやめないというのなら、誰かが――それこそウィルのような人が、大陸を統一してしまった方がマシだと。
その時、確かに思ってしまった。
だが、そこにも多くの血が流れるのは確かで、その天秤の前にフィオナは、答えもなく立ち尽くした。
彼ら、国を背負う者はその判断を、現実的な重みを持って迫られている。
今、己を抱きしめてくれている優しい腕が、いつか人の血で染まることもあるのだろうかと思うと、フィオナは、ひどく息苦しくなった。




