第二十一話 宿命(1)
スヴァログ宮殿に到着して4日目。
忙しなく言い渡された遠征に、4人は早々にチェリルブロスを発つことになった。
漆黒の連隊は二千人と、この国の遠征軍の規模としてはさほど大きくはなかったが、軍馬と歩兵、輸送馬車の大行列は、戦場に初めて帯同する王女を驚かせたらしい。
司令官は第二皇子ジークフリート、副官は第三皇子ユリウス。
短期での決着が予想される属国の暴動鎮圧に、司令官二人が女連れというのは、いかにも格好がつかないが、致し方ない。
4人で乗った馬車の窓から、しきりに外の行列を覗こうとするフィオナを、斜向かいで眺めていたユーリが、どこまでもだらけた姿勢でぼやいた。
「これって、ディルタイの総督府の仕事じゃないのかねぇ」
バルドゥル帝王の治世に入ってから、大幅な制度改革が導入されたシュヴァルト帝国内は、その広大な国土の管理を、中央から派遣された軍人が任されていた。
彼らの地位は世襲制ではなく、また多くの場合は任期制だ。
今回のディルタイのような、国家単位の広い範囲を管理する場合は、現地に総督府が設けられており、そのトップは属州総督が任じられる。
「僕なら、総督に仕事しろって怒鳴りつけるけど」
「……皇帝陛下の勅令だ。どこまで総督府からの支援要請があったかは、定かではない」
分かっていながら総督に奴当たりするユーリに、この双子の兄は、分かっていることを分かった上で、分かり切ったことを言ってくる。
実際のところ、口に出さずとも伝わってしまうことは多いのだが、そのこと自体が気持ち悪いので、ユーリはあえて口に出すことにしていた。
今回の二人の皇子の遠征については、ゴッドハルトも寝耳に水という様子だった。
アルベルトの話では、2人の亡命後は、忌まわしい予言騒ぎもなりを潜め、特に追っ手をかけることもなかったという。
……ユーリとジークを、国内から追い出したかっただけということは明白だ。
理由は分からないが、『何者』かの目的にとっては、双子の皇子の存在が近くにあることは、不都合なのだろう。
2人が戻ってきた途端のこの遠征も、皇帝と、その裏で糸を引いている人間が、このタイミングで報告が上がってきた武装蜂起に、これ幸いと食いついた可能性は高い。
軍部において、帝国軍最高司令官である皇帝に次ぐ地位にあるのは大将軍だ。
彼の認識の外で、遠征軍の派遣が決定する事態が、すでに歪んでいると言わざるを得ない。
「まぁでも、死霊部隊を持たされずに済んで良かったよ」
「死霊部隊……?」
「ん? ああ、こっちの話」
つい漏らした呟きを、向かいに座っていたウィルに聞き咎められ、ユーリは適当にごまかした。
そして、熱心に外を眺める少女の横顔に目を映す。
軍に帯同することに、彼女が怯えを見せなかったのは意外だったが、実際、純粋培養過ぎて、現実を十分に理解していない可能性は高い。
長い間塔に閉じ込められていた少女は、その大きく広がった世界に興味を示し始めている。
……だが、その好奇心と知識欲は、無慈悲な現実の刃を持って、彼女の純粋な心を傷つけてしまうかもしれない。
そして、今この馬車に乗っている誰もが、それを望んではいないのは確かだった。
※
東方三国のうち一つ、北のディルタイに向かう隊列は、通過する町々で出迎えを受けた。
だが――
「寒々しい歓迎だね」
馬車の窓にかかったカーテンをわずかにめくり、道脇に並ぶ市民を見下ろしたウィルが呟いた。
帝国の守護者たる軍隊を前にして、町々から立ち昇るのは、見えない怨嗟の炎だ。
「黒い軍隊――悪魔の行進――圧政の象徴……ですよ」
斜向かいのユーリの呟きに、フィオナは振り返って視線を向けた。
「軍隊なんて、自分の国を守るだけあればいい……と、普通、市民は思いますからね。それが、他国を侵略するために圧政と重税を強いられているとなれば、恨み言の一つも言いたくなるでしょう」
ゆっくりと進む馬車を見上げてくる、人々の恨みがましい目を、ユーリは何の感慨もないように眺めていた。
「帝国軍は、いつでも死んでいいように、喪服を着させられている――と嘲笑する声もあるくらいです」
黒を強さの象徴とする皇帝の意向により、帝国軍の隊服と軍旗は、黒で統一されているらしい。
「ま、実際、あの男もそう思っているかもしれませんけどね」
「いつ死んでもいいように?」
「この広大な土地から無尽蔵に生まれてくる人間は、あの男にとっては尽きない弾でしかない……今、この国で最も呪われているのは、あの男ですよ」
決して軽くはない内容を、他人事のように話すユーリに、こちらも世間話のような何気なさで、ウィルが相槌を打つ。
「帝王が?」
「城塞を作るために民を搾取し、軍艦を作るために民を搾取し、軍を作るために民を搾取し、強奪し、税を課した。その上で、教会の権威を落とし、古来から守ってきた伝統風俗をも破壊する――愛される理由は、どこにもないでしょう」
あらゆる改革に手を染めたバルドゥル帝王だが、さすがに彼も、国教であるアース教の教義にまでは、手を出さなかったらしい。
だが、彼自身は敬虔なアース教徒でありながらも、宮廷内での宗教の政への影響力は、冷静な目で警戒していた。彼は、あらゆる婉曲な手段を用いて、聖職者たちを権力から遠ざけた。
帝国において王に匹敵する権威を持っていた総主教の座は、彼の治世に入ってから、長らく空位になっているのだという。
そうすることで、彼は、それまで独立性の高かった宗教の権威すらも、完全に帝位の下に屈服させたのだ。
ユーリは、また別の言い方もした。
「あれほど勤勉と勤労、規則と賞罰を奨励した為政者は、過去にいません。即位から二十余年。鞭で叩かれて働かされ続けた民は、早くあの男が死んで、元の自堕落な生活に戻ることを望んでいる――」
この場合、統治者の功罪は、どう評価すればいいのだろう――フィオナは迷った。
勤勉と勤労、規則と賞罰、それ自体が悪いことだとは思わないし、事実、バルドゥルの治世で、シュヴァルト帝国は、アースガルダ大陸の表舞台に華々しく姿を現した。
だが、その成功の裏には、数え切れないほどの民の犠牲がある。
「彼の傍に控える廷臣達も、権力と恐怖に縛りつけられているだけで、心からあの男に仕えている者などいません。あの男に味方は、1人だけですよ」
……確かに、過去を語った今の帝王は、どこか寂しそうだった。
あの薄暗い玉座の間で、ひとり途方もなく大きな国を背負う、孤独な王の姿を、フィオナは思い返す。
「――氷雪の騎士? それとも、魔法使い?」
これも何気なく聞いたウィルに、窓を見ていたユーリの顔が向く。
「……ゴメン、愚問だった」
その視線から何を悟ったのか、ウィルが目を伏せて謝った。
そして、静かな口調で話題を続ける。
「……それでも、彼は二十年で、このシュヴァルトを先進国にした。文明が立ち後れていたシュヴァルト帝国の近代化を成し遂げたという点で、後世の人間は彼の業績を評価するだろうね」
ウィルの言葉は、悪名高い帝王の肩を持つというよりは、あえてバランスを取るように、客観的な意見を引き出しているように聞こえた。
フィオナの中で揺れる、天秤が見えているようだ。
「数百年後――仮に、この国がまだ存在したらの話ですが――彼が国家近代化の祖と讃えられることはあっても、今を生きる民にとっては、悪魔のような男ですよ」
そしてまた、ユーリによって天秤が整えられる。
「今を取るか、数百年後の未来を取るか?」
「その先の未来は――神のみぞ知る、と言えないところが、為政者のつらいところですね」
探るようなウィルの台詞に、ユーリが薄笑いで答える。まるで他人事のような、酷薄な笑み。
もし、バルドゥルという強烈な革命家が生まれなかったら、この国の未来はどうなったのか。
ここまでの旅路で見た、東の大国の姿を思い返し、フィオナはそんなことを思った。
急激に塗り上げられた、近代的な殻の内側に見え隠れする、未だ染まり切らない、頑迷なシュヴァルトの古い体質。
バルドゥル帝王の、病的なまでの近代化への情熱の源を推し量ろうとした時、フィオナは、先日のウィルの言葉を思い出した。
『彼らがエーギルの海を怖れず、王国海軍に勝る武力を手に入れた時、サン=フレイアは……天上の島の威厳を失う――かもしれない』
巨大な後進国の王は、こう考えたのではないか?
このままでは、いずれ西側世界に蹂躙される日が来る――と。
己が生きている時間だけの栄華を求めるのが、統治者として正しい姿というわけではないはずだ。
現在と未来は繋がっている。
今の次の世代がどう生きるかも、今が敷く道の先にある。
だが、そのために今を生きる民の生命を、犠牲にすることが許されるのか――
先を見る力、今を見る力、その狭間で決断する力。
国を想い、背負う力。
人ごと――ではない。
『……あるいは、この大陸の歴史は、貴女方によって動かされてきたという側面も――歴史を紐解けば、確かに存在する』
ゴッドハルトに言われたその言葉の意味を、はっきりと理解したわけではないが……彼は、フィオナが無力ではないと伝えてきた。
だが、ならば己が何をすればいいのかを考えた時、やはり己の理解力と狭窄な視野では、正しい判断が下せるとは思えないのだ。
フィオナが未来を視ようとするには――あの地図の上に広がる世界は、あまりにも広い。
「まだ伝統に理解のある皇太子が後を継げば、今よりはマシになると期待している人間は多いですよ」
「…………」
そう続ける弟の話を、兄のジークは隣で黙したまま聞いている。
「その皇太子も、最近は父親に傾倒していて、よく似た方針を打ち出してきているようですが……」
「彼……アルベルト皇太子は、どういう人物なのかな。ええと、性癖は別にして」
ウィルがそう訊ねると、ユーリは横目で双子の兄を見やった。
「……さぁ。それはボクより、こっちの人の方がよく知っているんじゃないですかね」
話を振られ、ジークは、いつもと変わらぬ淡々とした口調と表情で、第一皇子を語った。
「……あの方は、元々そこまで領土拡大の欲があるわけではない。むしろ、貿易を通じた経済交流の活性化や、東の異大陸への進出に精力を傾けたいと願っている」
「東? 南じゃなくて?」
「……南にはやっかいな狗がいる。下手に触れば怪我をする」
ウィルの鋭い指摘に答えたジークの台詞で、フィオナは、もらった地図に書かれていた走り書きを思い出した。
シュヴァルト帝国の南の空白に綴られた、『大狗国』の文字。
「海に通じる交通路の確保さえ可能になれば、我々が積極的に西大陸を収奪する理由はない――そういうスタンスの方であったはずなんだがな」
「でも……今は……?」
思わず呟いてしまったフィオナに、他の3人の視線が集中した。
「……なんでもない」
だがフィオナが、それ以上何も言わなかったので、そこで会話は途切れてしまった。




