第十四話 交錯(1)
翌朝、フィオナは、部屋に迎えに来たジークに促され、2人でウィルの部屋まで赴いた。
客室に入ると、すでにユーリがソファに座ってくつろいでいた。
4人が揃い、挨拶もそこそこに切り出された話は、性急なものだった。
「今日一日で準備を終えて、明日には出発しろってさ」
相変わらず無茶な親父だよ、とぼやいたユーリが天井を仰ぐ。
今朝早くに、双子の皇子に下された勅令は、現在は帝国の支配下にある東方三国の一つ、ディルタイのある場所に赴き、武装勢力を鎮圧せよとのものだった。
「本当に、急な話ね。せっかく帰ってきたのに……」
久しぶりに帰ってきた我が子と、ゆっくり顔を付き合わせて話そうという気はないのだろうか。
そう思い、率直な感想を口にしたフィオナに、ジークはいつもの感情の読めない目を向けた。
「……試験だそうだ。2年間行方をくらました臣下が急に戻ってきて、忠実に責務を果たせるかどうかの」
「……っていうのは建前で、本質はやっかい払いって気もするけど」
ジークの言う建前にせよ、ユーリの言う本質にせよ、随分と殺伐とした親子関係だ。
「昨日、二人とも身をもって知ったと思いますけど、ここにあなたたちだけ留守番させるわけにはいかないので、悪いけどついてきてもらいますよ」
「そうなるだろうね」
最初から合点していたウィルの隣で、フィオナも黙って頷く。
「場所は?」
「……ディルタイの辺境だ。以前も反抗勢力の拠点になっていたが、帝国軍が殲滅した場所に、再び賊が集っているらしい」
「賊と言うか、民衆の武装勢力だろうね」
ウィルの問いに、ジークが上から伝えられたままの内容を答え、ユーリが私見を持って訂正する。
「……場所は、ヴォストー地方のミハイロ村」
聞いたところで、それがディルタイのどの辺りを指すのか、あまり想像がつかない。
「――行きたくないなァ、ソコ」
静かに目的地を告げたジークに、ユーリがぼやいた言葉の意味は、フィオナにはよく分からなかった。
「まぁ、そういうわけで、今日は少し忙しくなりそうです。やらなきゃいけないことが多過ぎて」
「何かお手伝いできること……ないわよね」
肩をすくめて締めくくったユーリに、フィオナは聞いてみた。
「……ま、お姫サマの場合は、昨日ジークからキツイお達しがあったから大丈夫だとは思うけど……目を離すことが多くなるから、大人しく部屋で寝ててもらえると助かるね」
「そうよね……ごめんなさい」
冷めた返答に、差し出がましいことを言ってしまったことを反省する。
「……部屋まで送っていく」
しゅんとして肩を落とすと、ジークの平坦な声に促され、フィオナはウィルの客間を後にした。
※
消沈した背中が扉の向こうに消えるのを見送り、ウィルが呆れたように溜息を吐いた。
「言いたいことは分かるけど、もう少し言い方考えられない?」
「みんなお姫サマには甘過ぎるので、これくらいのが一人いてちょうどイイんですよ」
答えた声には、逆立った感情がごまかし切れずに混じっていた。
それを、目の前の聡い男がすくわぬわけはないが、彼は何も言わなかった。
そのことが、余計にユーリの苛立ちを増す。
「それじゃ、アナタも足引っ張らないように、大人しくしといて下さいね」
「分かってるよ」
彼に投げつける言葉には遠慮なく刃を含むが、予想通り、相手はそれをあっさりと受け流した。
八つ当たりをおおらかに受け止められ、ユーリは振り返らずにさっさと客間を出た――途端、嫌なものを見つけてしまった。
衣装の裾をずるずると引きずって歩く男が、長い廊下をこちらに向かってやってくる。
ユーリが、彼が執心している相手に会わせないと言い張ったので、直接客室に乗り込んできたのかと思ったが、アルベルトは弟の顔を見た途端、ニコニコと勇み足で近寄ってきた。
その裾踏んで転べばいいのに……と、何ならユーリはいつも思っている。
「ユリウス」
「…………」
うきうきと顔を輝かせ、嫌な予感しかしない上機嫌で寄ってきたアルベルトは、一目で上等と分かる本繻子のドレスを突き出して見せた。
「アルテミスのために衣装を特注したんだが、ちょっと着せてみないか」
「……だいたい、あなたのやりたいことが見えたんで、気持ち悪いんでちょっと寄らないでくれますか」
「まあまあ」
ユーリの棘しかない応答に堪えた様子もなく、無理矢理衣装を押しつけてくる。
「いらないですって」
あまつさえ、誰も頼んでいないのに、後生大事に抱えていたケースをぱかっと開けて、中身を見せてくれた。
「ちなみに、完成図コレだから」
「ウワ、今鳥肌立った。今までで一番引いた」
予想通り陶磁器人形を見せられ、ユーリは文字通り引いた。
だが、その程度でへこたれる兄でもなく、ユーリが仕方がなく一瞥したケースには、有名な神話をモチーフにした、三人の女神像が並んでいた。
アルベルトの言う完成図が、どれを指しているのかは、すぐに分かった。
中央に座り、静謐な微笑を湛える女性――月の女神アルテミス。
竪琴を抱え、癖のない白銀の髪を肩口で緩やかに束ねたその人形は、言われてみると確かに似ている気もしたが、彼女の瞳の色は、鮮やかな翡翠だ。一瞬見ただけなのに、それがやけに印象に残った。
見ると他の女神も、みな瞳の色は翠だった。
「貸してあげないけど」
「いりませんよ」
どうやら用事はそれだけだったらしく、出来たら見せてねーなど、未来永劫訪れることのない時の約束を一方的にしながら、お騒がせな兄が去っていく。
「…………」
朝からどっと疲れを感じながら、その背を見送る。
今のところ、フィオナの方はうまく隠せているようだが、ウィルを彼に見られてしまったのが誤算だった。
こうなるのは、ある程度予想できた……もっとタチの悪い絡み方も考えられたので、まだマシな方か。
すると、背後から視線を感じ、ユーリが振り返ると、客間の扉が僅かに開いていた。
その隙間の低い位置から、じっと様子を伺う頭が覗いている。
「…………」
その疑いに満ちた眼差しが、ユーリの手に握られている本繻子の布の塊に向けられていることに、自己弁護が口をついて出た。
「誤解しないで下さいよ」
「しないよ」
重い扉を開けてやると、生き物のように細やかに動く車椅子が、滑るように回り込んできた。
煌びやかで露出の多い本繻子のドレスを胡散臭そうに一瞥し、ウィルが冷めた口調で釘を刺してくる。
「それ、フィオナに着せるのも却下だからね」
「あー、それはちょっとイイかも」
「却下」
布を両手に妄想してみるが、すげなく却下された。
「さっき見せられたアルテミスですけど、言われてみれば確かに似てましたよ」
「もういいって」
話を変えると、相手は嫌そうに眉根を寄せた。
「でも、瞳の色だけは違いました」
「ふぅん」
「むしろボクやジークみたいな翠で、他の女神も翠でしたね」
「へぇ」
ウィルの相槌は、全く興味なさげだった。むしろ、はやくこの話から脱却したいという思惑が透けて見える。
その思惑にあえて逆らうのがユーリだと、彼も分かっていないはずはないのだが。
「個々の女神に個性を出そうとするなら、変えてきてもおかしくなさそうなものですけど、何か意味があるんですかねぇ」
言われて、ウィルも初めて気付いたように顔を上げた。
「そういえば、絵画に描かれる神々の瞳の色は、統一して翠だな……あまり意識したことはなかったけど、そういうものなのかもね」
そういうもの――確かに、その程度のことだろう。
「――何か、魔力が宿る者とか、人ではない者の色とか……そういう不可思議なものを表す意味合いがあるのかもしれない」
ウィルの憶測は、おそらく的を射ているのだろう。
今はただ右にならえでそうしているだけかもしれないが、それだけ揃っているからには、元々は何かしらの意味があったはずだ。
「ああ、そういえば……『アイツ』もか……」
呟いた声が誰を差しているのか、ユーリは知らない。
だがその声は――彼にしては――あからさまに冷たかった。
それ以上は踏み込まず、ユーリは昨夜の一件を掘り返した。
遠路はるばるやってきた彼の念願は、結局、叶うことはなかったわけだ。
「無駄足を踏ませてしまいましたね」
「……君がそういう殊勝なこと言うの、ちょっとびっくり」
「無駄足を踏みましたねって言えばいいですかね」
……彼のこういうところは、たまに天然なのか計算なのか迷う。
意識していなかった部分を突っ込まれ、とげとげしく言い直すと、相手は堪えた様子もなく微笑んだ。
「そうだね……確かに魔法使いとは交渉成立しなかったけど、実りはあったかな」
「へぇ」
どんな、とは深く突っ込まない。
「それにしても、どちらかの命を差し出す――なんて、随分無茶なカードを切ってくるね」
「あの男を交渉の席に引きずり出すには、あれくらい見得を切らないと難しかったんでね――そこから先は、アナタの方で何とかするかなと思いましたので」
「残念ながら、交渉は決裂したけどね」
ウィルが苦笑する。
「でも、彼に会えたことには意味があった。魔女は存在する。そして、彼らには欲がある――それが分かっただけでも、俺にとってはかなり有益な時間だったよ」
「なるほど」
なるほど、と言いつつ、実はユーリも、彼がそのことにより何を得たのかは、よく分かっていない。
この男はたまに、気持ち悪いくらい、周りの人間が見えていないものが見えているのではないかと思わせる言動がある。
それが天然なのか計算なのかは測りきれないが――計算だとしたら、相当な曲者だし、天然だとしたら手に負えない大物だ。
その判断材料になるとも思えないが、ユーリは一つ聞いてみた。
「魔女は存在する。魔女は欲を持つ。そして――魔女は国の未来すら占えるほどの力を持つ?」
「国の未来なら誰でも占えるよ。それこそ、権力者なら誰でも」
全くの正論に、ユーリは笑った。未来という見えないものを、他人に占わせる権力者の、なんと愚かしいことか。
どうせ占わなければいけないのなら、己と目と耳で占うべきだろうに。
「アナタなら、この国をどう占います?」
「それを俺に聞くの?」
「参考までに」
促すと、ウィルは真面目な顔で答えた。あの美しい微笑でごまかされると思っていたので、それは少し意外な表情だった。
「俺はこの国のことはよく分からないから……知りたい、かな」
「知りたい?」
「この国を――彼を、何がそこまで駆り立てているのか」
その時、彼が思いを馳せたであろう男の顔を思い出す。
この国そのものと言っていいあの男の、冷厳な眼差し。
その底に秘められた炎の源を――そういえば、ユーリは知ろうとしたことがなかった気がする。
「それを知れば、何をすべきかが見えてくる、かな」




