第十三話 交渉(3)
ウィルの部屋に来客があったのは、ちょうどフィオナと2人で世間話に興じている時だった。
ノックの音に、2人は同時に視線を扉に向けた。
まず、入ってきたのはユーリだ。
ジークが着ていたのと、ほとんど変わらないような軍服姿のため、遠目に見ると見分けがつかないが、後ろで一つくくりにされたしっぽ髪で弟の方だと分かる。
「へぇ、そうして見ると、ちゃんと軍人に見えるね。意外と似合うよ」
「そりゃあ、ジークが似合うんだから、ボクも似合うでしょうよ」
「それもそうか」
ウィルの感想にユーリが突っ込むと、遅れて兄のジークの方が入室してきた。傍らには、見たことない人物を連れている。
その異様な風体に、ウィルはきょとんと相手を見つめ、フィオナもまた身体を強ばらせた。
まるでジークの影のように付き従うその人物は、全身を黒衣で覆っていた。目深にかぶったフードの下の顔を、己の足下でも見るように俯けている。
その姿は、イアルンヴィズの森で出会った魔女を名乗る青年と酷似しており、フィオナは思わず呟いた。
「東の魔法使い……?」
「お待ちかねの、ね――サラバンド」
ユーリに促された黒衣の人物――おそらく男――は、顔を上げないまま、フィオナの言葉を訂正した。
「私は魔女です。お嬢さん」
「え……?」
くぐもった男の声で、開口一番に訂正された内容に、戸惑う。魔法使いとは、男の魔女の呼称であったはずだ。
「でも……」
「魔女は性別ではない、種です」
「種……?」
「そう……真に優れた種族の、呼称ですよ」
そう言って、彼は慇懃に腰を折り一礼した。
魔女という存在が初めて史実に姿を現したのは、五百年以上も前の暗黒時代末期だ。
彼らは不可思議な力を用い、人間に破滅をもたらそうとしたが、逆に神々の助けを受けた人間たちによって狩られ、その数を激減させた――と言われているが、これはもはや伝説に近い。
その伝説によるところは、彼らは人でありながら長い寿命を生き、老いることがないという。
これは、彼らの魔女の血統には、代々、不老不死の秘薬を作る知識が伝えられているからだと言われている。
それが事実なら、彼らが自らを優れた種族と自称するのも、致し方ないことなのかもしれない。
なんとも微妙な間が空き、その空白を埋めるように、車椅子を滑らせて前に出たウィルが、見惚れるような微笑みで相手を迎えた。
「初めまして……ええと、どこから話せばいいのかな?」
「……必要ない。話は通してある」
それは、一体どこまで話してあるのか、という問いの裏返しだったが、ジークの回答は簡潔だった。
そのことに、フィオナの胸は躍った。
彼らが話を通した上で、魔法使いがこの場に赴いてくれたということは――
「じゃあ、ウィルの足を治してもらえるの!?」
「――代償は?」
「え……」
喜び勇んで声を上げたフィオナとは対照的に、当事者の落ち着いた声が問いかけた。
「君たちは何を条件に、彼をこの場に引っ張り出したの?」
それは、サラバンドに――ではなく、彼を連れてきた双子の兄弟に向けられたものだったらしい。
『タダで直してくれるかは別として』
魔法使いが、ウィルの怪我を治せるかもしれない、と示唆した時の、ユーリの台詞が思い出される。
急に不安が襲い、二人を見つめるが、ジークは無表情に、ユーリは薄ら笑いを浮かべるだけで、答えようとはしなかった。
「何、簡単なことですよ」
代わりに答えたのは、サラバンドだ。
「両殿下のどちらかの命を代償に支払われるとのことでしたので、快諾したまでです」
「なっ……」
絶句するフィオナをよそに、車椅子の青年は、少しの動揺も見せずに魔法使いと対峙した。
「それは、あなたにとって何か利益があることなのかな?」
「魔女は無欲な生き物です。私個人の利を、私が求めることはありません。私が常に望むのは、皇帝陛下の利、そしてシュヴァルト帝国の利に他なりません」
「――そう。じゃあ、それでいい。あなたが望む未来に、彼らの死が求められる理由が知りたい。じゃないと交渉が出来ない。これは、俺とあなたの取引だから」
「それは道理です。道理には従わなければなりません」
サラバンドは頷き、言葉通りウィルに答を提示した。
「私は、皇帝陛下の目指すシュヴァルト帝国の繁栄の道しるべ――助言を与える者でございます。人には見えず、魔女に見える世界を占う。『双子の皇子は災いとなるため、片方は殺すべき』――私の水晶が映したその予言を、私は信じる。ただそれだけのことです」
「予言ね――その予言とやらのために、我が子を殺すことを、陛下はお許しになるのかな」
「国の未来のための犠牲であればやむを得ない、というのが陛下の御心でございます。私は、陛下の意にそぐわぬ行動を起こすことは決してございません」
「そんな……」
占いなんて、という言葉が出かかって、フィオナは寸前で飲み込んだ。
その話を聞く限りでは、なぜ帝王がそんな無茶な予言を信じるのだろうと、思わずにはいられない。
だが、一度、己の身に置き換えて考えた場合――もし、レインに何か予言を与えられたら、全くのでたらめだと、頭から否定することができるだろうか。
あの森での出来事は何でも知っていると言った森の魔女の言葉を、フィオナは疑っていない。
疑わない理由はたくさんある。彼が見せた不思議の力、魔法の鏡、精霊――
ならば、魔女の予言を信じた帝王に馬鹿げたことを、と言える立場ではない。
この東の魔法使いが皇帝に、人智を越えた奇跡を見せ続けてきたのだとしたら――
「……分かった」
我が子を殺せという、恐ろしい予言すらも受け入れることが出来るようになるのか……と、その事実におののいていたフィオナの思考を中断したのは、ウィルの落ち着いた声だった。
「その理由では、俺はこの条件を飲めない。何か、他に話し合える道はないかな?」
「なくはない、と申しましょうか。ですが、おそらくそれは不可能なことです」
「なぜそう思う?」
ウィルの常識的で前向きな提案に、サラバンドは更に非常識な条件提示で応えた。
「代償に欲しいのは、あなたの命だからです」
「俺の命? 何に使うの?」
「とても大切なものにですよ」
その答は、重要そうでいて、あまり芯があるようには聞こえない。
「あなたの望みは生きるところにある。足を治しても、命を奪われれば意味はない、そうでしょう」
「それはそうだけどね」
ウィルが小さく嘆息する。
「ああ、もう一つありました。彼女のでもいいですよ」
「え……?」
その時初めて、サラバンドがフードの中の顔をこちらに向けた。
顔の半分を、黒い布で覆っていることに今更気付き、ぎょっとする。
「美しい彼女の心臓と髪をいただければ、あなたの足も、喜んで治しましょう」
「私の……髪と心臓……?」
それは、継母が――フィオナを殺そうとしたエクレーネ王妃が、従者のロバートに奪うように命じたものと全く同じだった。
偶然とは思いがたい、奇妙な符号。
(何の意味があるのかしら……?)
「取引にならないな」
渦巻く疑惑に捕らわれるフィオナの隣で、ウィルはあっさりと魔法使いの譲歩を切り捨てた。
「それは残念です。あなたの願いなら、どんな望みでも叶えて差し上げたかったのですが」
魔法使いは人並みに嘆いて見せたが、多くの願いが絶たれる要求と引き替えでは、全然「どんな望みでも」ではない。
この男の、上っ面を滑るような台詞の羅列に、フィオナは違和感を感じたが、それが不快感だと気付いたのは、随分後になってからだった。
何か彼の言葉は、その全てが、隠された本意を黒い布で覆っているような、気持ちの悪さで満ちている。
「……まあ、セシリア夫人の夢幻神殿か、イアルンヴィズの森か――そのあたりに行けば、気まぐれな魔女が、話に乗ることもあるかもしれません。無論、何かしらの代償は求められるでしょうが」
何かのサービスのつもりか、付け足された情報は曖昧模糊としていたが、その場にいる全員が、地名に反応したのは確かだった。
「イアルンヴィスの森……?」
ウィルが眉をひそめ、聞き返す。フィオナは確信した。
やはり、レインだ。
レインならば、この魔法使いと同様、ウィルの足を治すことが出来る。
……だが、レインはどれだけ探しても現れなかった。ならば、もう1つの望みは――
「セシリア夫人の神殿にも、魔女がいるということ……?」
セシリア夫人とは、アルフォンス大帝の実姉だ。
伝承や眉唾も含めれば、歴史を彩る美女は数多いが、アースガルダ大陸史における三大美女と言えば、必ず彼女の名が挙げられる。
三国の王に嫁ぎながら、いずれの夫も、実の弟により滅ぼされた不幸の女性は、二人の子供を産んだが、一人は生まれてすぐに殺され、もう一人も早世したという。
絶望した彼女は、その後失踪し、ニブルヘイム大山脈での目撃情報を最後に、消息が途絶えた――と伝えられている。
美しいまま、永遠の氷の世界に眠った女性。
ニブルヘイム大山脈には、彼女を奉る神殿が存在するらしい。
永雪の雪山に突如、現れては消えるという、伝説の夢幻神殿。
「……夢幻神殿まで、足を伸ばすのは難しいのかな」
「それは難しいですね」
考えるような沈黙の後、そう漏らしたウィルにユーリが答えた。
「幻の神殿です。遭難覚悟で探しに行って、九割遭難して帰ってこない場所ですよ」
「あー、さすがにそれは無理か」
天井を仰ぎ、ウィルは大きく息を吐いた。
「じゃあ仕方がないな。今回は諦めるよ」
そう言った彼の台詞はあっさりしたもので、ここに来る前に見せた胸を裂くような慟哭の影は見えない。
「悪いね、サラバンド。手間を取らせた」
「いいえ。こちらこそ、お会いできて良かったですよ――お二方に」
最後にそう言ったサラバンドが顔を上げ、はっきりとフィオナを見た。
フードの下から覗いた瞳は、目眩を覚えるような鮮やかな翡翠で、それだけでも強烈に印象に残ったが――
何よりそこに映った感情は、フィオナが知っている種類のものではなく、表現の出来ない息苦しさに、耐え切れずに目を逸らした。




