第十二話 交渉(2)
「――入れ」
記憶を遡る作業を中断させた軽いノックに、ジークは短く命じた。
私室の扉が開かれ、顔を覗かせたのは、軍服姿の弟だった。
部下と弟のノックの差にすら気付かなかったのは、それだけ意識が内に向いていたということだ。
おそらくユーリも、彼の小さな間違いには気付いただろうが、何も言う気配はなかった。
「……どうだった」
「どうもこうも。2年前に比べて、かなり蔓延してるね。だいたいこういうのは繋がってるから、ずるずる芋づる式に摘発できたけど、数が多い」
疲れたように言った弟は、大股にジークの私室に入り込むと、兄が座っていた円卓の向かいではなく、離れた布張りのソファに深く沈み込んで、足を組んだ。
昨日、フィオナを襲った男が、ユーリが亡命前に持っていた部隊の一士官であったため、調査には彼があたっていた。
男が持っていた香草は、『クラッシュ』という薬草だ。
ニブルヘイム大山脈に群生する植物で、処方によって薬にも麻薬にもなる。
鎮痛剤や鎮静剤として軍でも正式に用いられているが、士官が持っていたものは軍規で所持を禁じられている、一種の催淫剤だ。
催眠・鎮静効果があり、また処方によっては幻覚作用を催すため、女性に対して用いられることが多い。主目的は言うまでもない。
あの処分された士官は、『使って』みたかったのだろう。
「…………」
普段から無表情の兄の機嫌が、静かにすこぶる悪いことを見て取ったのか、弟は無反応な相手に肩をすくめて、先を進めた。
「面白いものが混じっていたよ。例の士官が持っていたのは、一般的に出回っているヤツだったけど、一部見たことのない配合の薬があった」
言って、ユーリが懐から取り出したのは、士官から没収した香袋と同じようなものに見えた。
「どうも、おいそれと手が出る値段じゃないみたいで? 情けないことに、一部の将校が握ってたんだけど?」
小馬鹿にするような口調は、彼の苛立ちの裏返しだ。
「媚薬――だってサ」
「…………」
魔女の薬、と呼ばれるそれは、名ばかりが有名で、実のところ実態が掴めない幻の秘薬だ。
媚薬と呼ばれるものは、それぞれの時代、それぞれの地域で存在する。
が、魔女の存在自体が半神話化している世界では、無論その配合も効果も、伝え聞くものによってまちまちで、その効果は、強烈な催淫剤とも、相手を意のままに操る薬とも――目を覚ました時に、最初に見た相手を愛するようになる薬、とも言われている。
ここに本物の魔法使いがいる、ということを考えれば、その薬は『本物』ということになるのだろうか。
「本物の魔女の薬ってどんなもんだろうねぇ? 試しに、お姫サマに使ってみる? ……って、冗談だから剣は抜くなよ」
珍しく焦ったように早口に言い足した弟に、ジークは柄にかけた手を離した。
「その、本気で怒った時に、口より先に剣が出る癖、やめてくれないかな」
大げさに嘆いて見せ、両手を挙げる。彼の、こういった道化じみた動作は、国を出てから身につけたものだ。
「お姫サマがこの短気を知ったらどう思うかなぁ?」
「…………」
数日前、ヴェルクソンで特銃隊相手に短気を起こしかけた時に、彼が泥を被ってフォローを入れたことを思い出した。
だが、相手はそれを思い出させることは本意ではなかったらしく、すぐに話題を変えた。
「少し前、イオネスク戦役があったでしょ」
「ああ」
二人がまだ『森の家』にいる時期、その情報をユーリに伝えたのはジークだ。
シュヴァルト帝国によるマルスタ王国への侵略作戦で、結果はシュヴァルト帝国軍の圧勝で、マルスタの北部にあるイオネスク地方を割譲させた。
東方三国を次々と平定したシュヴァルトの、目下の攻略対象はこのマルスタであり、ここを落とせば、マーレ海に繋がる内海、碧海を手に出来るという点で、戦略的価値が大きい。
北マルスタの一部を割譲させただけでは、まだ碧海には届かないが、内陸の大国にとっては、念願の航海路獲得への、まずは大きな一歩と言っていい。
「あの戦役で、目覚ましい戦果を上げたという部隊――どうも、実験的に新薬を処方した隊だったみたいで」
「新薬?」
「クラッシュを処方した新しい滋養強壮剤……と言ったらいいのかな? 気力と精力に溢れ、血が猛り、恐れを忘れ、痛みすら感じず、目の前の敵を狂うように狩っていく――」
「…………」
これまでも、気分を高揚させ、疲労感をなくし、士気を高める類の薬は何度か軍部でも採用されたが、その度に深刻な中毒者の続出や、風紀の悪化が加速され、使用禁止になってきた。
だが、それは――
「死すら恐れぬ、神とその祝福を受けた君主のために命を賭す聖者の集団――彼らは、先の戦役の功労で、聖騎士隊というご大層な命名まで戴いたようだよ」
少し、常軌を逸したものではないか。
それは、調査を進めた弟の方も感じていたらしい。彼は補足した。
「ついでに、マルスタの捕虜にも話を聞いてみたんだけどね。どうもあちらでは、死霊部隊なんて不名誉な渾名を頂戴しているようだよ。手足がちぎれても、全身を槍に突かれても、なお向かってくるその姿は……さながら死霊のようだったと」
「…………」
「あの親父は、本当にこの国を『地の果ての国』にでもするつもりなのかな」
「……仕掛け人は別にいる」
「分かってるよ。けど、全ての責はあの男にある」
弟の言葉はもっともだったが、この場合の根本的な問題とは、離れた追及であるように思えた。
違和感にジークが顔を上げると、ごく自然に目を逸らされた。逸らされたのか、たまたま外れたのか、それすらも微妙な間合いだった。
「ところで、君、昨日、随分大きなこと言っちゃったみたいじゃない。この一日で、すっかり噂になってるよ。あまり彼女を目立たせるのは、得策じゃないと思うけど?」
変えられた話に、痛いところを突かれる。
「……分かっている。ついカッとなった」
「君が?」
ジークの反省の弁に、振り返った男は、本気で驚いているように眼を丸くした。
「まぁ、さすがに死刑とまで言われて、手を出す猛者はいないだろうけどね……あァ、1人いるか」
そう噂をしたのがいけなかったのか、絶妙のタイミングで扉が叩かれた。返事をする間もなく、勝手に扉が開けられる。
「やぁ、ジークフリート。随分と気に入ってるようじゃないか」
唐突で、全く脈絡もないが、扉口から顔を覗かせた兄が、開口一番そんなことを言ってくる。
噂を聞きつけ、いそいそと弟をからかおうと、廊下を歩いてきた姿が目に浮かんだ。
「うわ、その顔久しぶりに見た」
心底嫌そうな顔をした双子の兄に、目撃したユーリが声に出して笑った。
「…………」
「あれ? どうしたのジークフリート」
無言で立ち上がり、アルベルトの横を通り過ぎて退室しようとするジークに、当然ながら声がかかる。
「至急の用事がありますので、お話なら向かいながら聞きましょう」
「えー。なんで、部屋でゆっくり話そうよ」
「時間がありません」
「けちー」
兄が年甲斐もなくふくれるが、無視。
彼とゆっくり無駄話に興じている時間がないのは事実だが、急な用事があるというのは嘘だ。だが、ユーリの方も調子を合わせ、二人で部屋を出た。
仕方がなしに、その後ろを長兄がついてくる。
廊下をズンズンと歩いて行く弟たちの後ろを追いかけながら、嬉しそうに兄が話してくる内容は、予想通り、昨日ジークが勢いで、「手を出したら死刑」宣告をしてしまった少女についてだ。
「聞くところによると稀に見る美少女だと。彼女に会わせてくれないか」
「お断りします」
「いいじゃないか、減るもんじゃなし」
「減ります」
「…………」
隣で、ユーリが笑いを堪えている。実際、ここまで面と向かって、ジークが兄に刃向かうことは珍しい。
「……ケチ」
「ケチで結構です」
「つまらないな。あ、そうだユリウス、じゃあアルテミスに会わせてよ」
「イヤですよ。減りますから」
あっさりと尻馬に乗って断る三男。謎の呼称に突っ込まないのは、賢い処世術だ。
弟たちに無下にされ、御年22才の長男は、子供のように口を尖らせた。
22歳の男がそのような顔をしたところで、何の感慨も呼び起こさないのだが、誰もそれを本人に指摘したことはない。
「まったく、なんなんだ君たちは。しばらく行方をくらましていたと思ったら、随分反抗的になって帰ってきたものだな」
かわいくない、と憤りながら、ぷりぷりと廊下を去っていく。
どうやら、今のアルベルトは機嫌が良かったらしい。
機嫌が悪い時に刃向かえば、こうあっさりは引いてはくれない。
「――久しぶりに弟君が帰って来られて、アルベルト殿下も嬉しいのでしょう」
いつの間にかそこにいた魔法使いが、兄の背を見送った弟達の内心を汲むように、そう声をかけた。
「あんな殿下は久しぶりに見ました」
サラバンドは、足すら見えぬような黒いローブに全身を多い、その上、目深に被ったフードの下の顔の大部分を布で覆い隠していた。
そのような異様な風体で、常に俯いて歩いているような人物を気味悪がる声は、ジーク達が城にいた間は多々聞こえていたが、今では彼という存在自体を、宮廷が受け入れているように、誰もその姿を見咎めることはない。
「ここ数年は、随分と皇帝陛下に似てきていらしたのに」
「それは良くない傾向だねェ」
「…………」
意図の見えない会話に、ユーリは皮肉を、ジークは無言を返した。
「お二人が行方不明になられて以来、それは大層心配されていましたよ」
上っ面のような会話に付き合う義理はなく、ちょうどいいとでも言うように、ユーリが本題を振った。
「そういえばサラバンド、おまえは皇帝陛下の命しか聞かないんだっけ」
「我がシュヴァルト大帝国において、皇帝陛下こそが唯一にして無二の君主でございます」
「そうだねェ」
この皇帝陛下気に入りの魔女の台詞は、彼ら双子の耳には、いつも上滑りするように聞こえる。芯もなければ、真意もない。
だが、不思議とその言葉に、皇帝や将校たちは簡単に捕らわれる。
「じゃあ、その皇帝陛下の息子の頼みを聞くには、何か代償が必要になるワケ?」
「私は皇帝陛下にのみ従う者でございます。皇帝陛下のお望み以外に欲するものなどございません故、殿下の願いに見合う代償を提示するのは、いささか難しいかと」
「見合う代償があれば聞いてくれるんだ?」
揚げ足を取るような台詞に、サラバンドが伏せていた顔を上げた。
顔を覆う布の隙間から、そこだけ鮮やかな翡翠の両眼が覗く。
「おまえにも欲はあるんだろう?」
「はて、何のことやら」
「――代償が、ボクたちどちらかの命だと言ったら?」
その提示に、探るような沈黙が答えた。
「話くらいは聞く気になった?」
「……伺いましょうか」
翡翠をはめ込んだような双眸が妖しく光り、真意を透かし見るように細められた。




