第五話 帰還(1)
双子の皇子の帰還は、ヴェルクソンで遭遇した特銃隊から、すっかり報告が回っていたらしい。
宮殿に足を踏み入れた四人を待っていたのは、幅広の廊下を埋め尽くす、黒隊服の男の花道だった。
『おかえりなさいませ! ジークフリート殿下、ユリウス殿下!』
「………………」
野太い声が唱和する。
寸分狂わぬ角度で揃った軍隊式の敬礼で迎える男衆に、圧倒されて言葉も出ないフィオナの隣で、ユーリが顔を引き攣らせた。
「……ウルサいんだけど」
間違いなくうるさいのだが、誰もがこの場ではその感想を控えていた。
正直な呟きの後、ユーリはガシガシと頭を掻いて嘆いた。
「あーやだやだ。相変わらずむさい男所帯」
確かに彼の言葉通り、見渡す限り、そこには男しかいなかった。
用意された花道を前に、心持ち身体を小さくするフィオナ。何となく、向けられる視線が怖かった。
「あの……ジーク、この宮殿には、女の人はいないの?」
「……この表宮殿は、主に応接や政務のために利用されている。詰めているのは一部の将校だけで、特に女手を必要としていない。奥宮殿の方は、皇帝の居住区だ。必要な女手はこの奥宮殿と、離宮に詰めている」
つまり、ここには女性はいないのだろう。
「女性がいては駄目、というわけではないのね?」
その質問には、回答に少し間があいた。
「……禁止されてはいないが、一部の身分の女性以外は、ほとんどこの表宮殿には立ち寄らない。あまり推奨されてもいない」
何とも微妙な言い回しだ。
「それはどうしてかしら?」
「……女性がいると城内の風紀を乱す――からだそうだ」
「はぁ」
今ひとつ釈然としないまま、フィオナが間の抜けた相槌を打つと、隣を歩いていたジークの視線が降りてきた。
「……お前も十分に気をつけろ」
何をどう気をつければいいのか。
忠告されているのか、心配されているのか判断に迷う言葉だ。
「ユリウス殿下、ジークフリート殿下、お荷物を部屋にお運びします」
「ああ、これはいいよ」
慇懃に二人の手荷物を取り上げた武官から、ユーリは一つだけ袋を取り戻した。小脇に抱えられる程度の、あまり重くはなさそうな袋だ。
「そちらの女性は……」
チラ、と荷物持ちの武官に視線を向けられ、フィオナは顔を逸らした。
「俺たちが運ぶ。手出しはするな」
「はっ」
短く言い放ったジークに、男が敬礼で応える。
ユーリの方はウィルの車椅子を押しながら、すでに花道を歩き出していた。その後を追いながら、フィオナは聞いてみた。
「ユーリ、それは何が入ってるの?」
「んー。お守り?」
「……何の?」
「何だろ。災厄回避かな? 主に女難?」
何を言っているのか、全く意味が分からない。
それ以上深く突っ込むのはやめて、フィオナが息をつくと、ちょうど花道が途切れた辺りで、この場においては異色な、軽い足音が聞こえてきた。
「ジークお兄様、ユリウスお兄様!」
「おっと」
飛び出してきたその人物は、勢いよくユーリの胸に飛び込んだが、ユーリの方は、危なげなくそれを受け止めた。
波打つ灰色の髪を高い位置で二つくくりにしたその少女は、フィオナと同じ年頃に見えた。髪の結び目には、大きなリボンが飾られている。
くりくりとカールした濃銀の髪に縁取られた輪郭は、まだ幼さを残しながらも、女性らしい艶やかさが見え隠れしていた。
「ただいま、アンネリーゼ」
ユーリが、絡みついて離れない少女を引き剥がしながら、名前を呼ぶ。
「……妹だ」
蚊帳の外に近いジークが、手短に説明してくれる。
(そういえば、前にお兄さんと妹がいるって……)
以前、一度だけジークが家族のことを話してくれた時のことを思い出した。
尖った細い顎と、つり目気味の大きなアイスブルーの瞳が猫っぽい少女は、顔はあまり似ていない気がしたが、カールした長い髪は、ユーリたちと同じ濃い銀色だ。
「ねぇユリウス兄様! 色んな国を回られていたのでしょう? お話聞かせて」
ユーリの右腕を取り、少女は冬の湖のような瞳をキラキラと輝かせた。
「今夜は寝かせませんのよ!」
ませた物言いに苦笑しながら、ユーリが妹の頭を撫でる。
「忙しくてね、また今度」
「ええー」
子供っぽくふくれる少女が、兄の腕を解放する気配はない。
「アンネリーゼはいくつになるんだっけ?」
「来月で十五歳ですわ。もう立派なレディですのよ! ユリウスお兄様とも結婚できますわ!」
(出来ないと思う……)
アース教は、親兄弟の結婚を禁じている。
たが口を挟んではいけない気がするので、フィオナは心の中でだけで呟いた。
「レディなら、レディらしい振る舞いを見せて欲しいな」
そう言われ、それまで威勢の良かった少女がひるんだ。翡翠の瞳が下の方にある少女の顔を見下ろし、試すように微笑む。
「男の仕事の邪魔は、レディのすること?」
「う……」
アンネリーゼが反駁を飲み込んだ。だが、それで大人しく引き下がる玉ではないようで、兄の手を繋いだまま一歩下がり、対峙するように見上げる。
「じゃあ……じゃあ、交換条件ですわ」
必死に言葉を巡らせるようにして、アンネリーゼは訴えた。
「大人の恋の駆け引きですのよ」
何か違っているような気がする。
「キスしてくれたら、邪魔しないであげますわ」
「…………」
臆面もなく言い切った少女の提案に、ユーリが眉を下げた。
その、珍しく正直な、呆れたような困ったような顔は、相手が実の妹だけに、いつものような煙に巻き方が出来ないからだろう。
周りに視線を巡らせると、車椅子のウィルは、彼がこの窮地をどう切り抜けるのかを、興味津々というように見ている。
ジークは全く無関心としか思えない無表情で、傍観体勢だ。
「分かった。キスしたら満足してくれるんだ?」
結局、兄の方が折れる。
了承の言葉を引きずり出したことに、少女は目を輝かせて念を押した。
「ちゃんと唇よ! 分かってるわね?!」
「はいはい。じゃあ、目をつぶって」
促され、アンネリーゼは素直に目を閉じた。
少し顎を上向け、唇はわずかに震えて、兄の薄い唇が落ちてくることを期待して待っている。
ユーリが細長い身体を折り、アンネリーゼの頬のあたりに唇を寄せた。
「アンネリーゼ……」
耳元で、擦れた声で囁く。
アンネリーゼの頬が、一気に紅潮した。
「ちゅぅ。」
「…………」
間抜けな効果音付きで、妹の唇を奪ったのは、兄――ではなく、彼が手にした白いぬいぐるみだった。
その感触に違和感を感じ、目を開けたアンネリーゼが、目の前に広がった毛むくじゃらの顔に悲鳴を上げた。
「にいさま!?」
「こんなのに引っかかるようじゃ、まだまだレディとは言えないねぇ」
ケラケラと笑うユーリに、先ほどとは別の意味で顔を真っ赤にして、少女は目の前の白ウサギを睨みつけた。
子供をあやすようにウサギの手をいじりながら、ユーリが笑いかける。
「おみやげ。アンネリーゼの好きなウサギ」
その白ウサギは、四肢と首に可動域があり、座ったり手足を動かしたりすることが出来るもののようで、お人形よろしく服を着ていた。
凝った刺繍の入ったドレスはお姫様のようで、ヒラヒラしていて可愛らしい。
(あ、そうか。これウィルが……)
ウィルは、裁縫や刺繍が得意だ。トロイに入る前に、ユーリがウィルに頼んでいたのはこれだったらしい。
そういえば夜、宿に泊まる度に、ウィルが何か内職をしていたのを思い出す。
「あ、ありがとうございます……」
女性、というよりは、やはり年の離れた妹という扱いの贈り物ではあったが、それはそれで嬉しかったらしい。
おめかしをした白ウサギを受け取り、顔を赤くさせたまま抱きしめる姿は、とても可愛らしかった。
(あ……だからお守りなんだ)
今更ながらに気付く。
つまり、アンネリーゼ対策。
……なんというか、そつがない。
「これくらいの貢ぎ物は、紳士の嗜みってやつだよ」
感想が顔に出ていたのか、目が合って微笑まれる。いつもの、何を考えているのか、よく分からないやつだ。
「さ、今のうちに……」
「ところで、ユリウス兄様」
そそくさと退散しようとしたユーリを引き止めた声は、鋭かった。
その切り替えの早さに感心してしまうが、矛先は心配していたようにフィオナに向いた。
「そちらにいる女性たちは、何者ですの?」
たち、というからには、ウィルも入っているのだろう。
本人には申し訳ないが、今更驚く気にもならず、また誰も訂正しなかった。
「おトモダチ」
「は、はじめまして……」
ユーリの紹介に、名乗って良いのだろうか、と思い、しどろもどろに挨拶をする。
「いい」
だが、止めるように発せられた短いジークの言葉で、彼女と積極的に関わる必要がないのだと理解する。
それ以上は何も言わないよう口を閉ざすが、目が合った瞬間、少女の眦が一気に釣り上がった。
間違いなく、敵認識された瞬間だ。
続いて睨むように目を向けられたウィルは、こちらはそつなく一言も発さずに微笑みで返す。
すると、ぐっ……とひるんだように、アンネリーゼが息を飲んだ。その隙に、
「うわっ?」
ユーリに車椅子を急発進され、ウィルが驚く。
「行くぞ。もういい」
「あ、でも……」
フィオナの方も、やや強引にジークに背を押される。
「兄様!」
背中にかけられる声を振り切り、半ば駆け去るようにして、四人はその場を後にした。




