第四話 旅路(4)
ヴェルクソンの首都で一夜を明かし、さらに1日をかけてシュヴァルト帝国内に入国すると、そこからが長かった。
丸三日をかけて、王都チェリルブロスに辿り着く。
チェリブロスには三つの城壁があり、一番内側が宮殿と貴族の邸宅区。一つ目の城壁を隔て、それを取り囲むように富裕層の住む住宅や公共施設が集中する地区がある。さらに、二つ目と三つ目の城壁に囲まれた一番外側が、平民の居住区であるという。
統一ディーア帝国の時代に一般的だった都市構造を、そのまま残している形だ。
だが、シュヴァルト帝国内で最も住みやすい環境にあると言われているチェリスブロスには、人が溢れ、3つ目の城壁の更に外側にも町が続いていた。
「下街を通ります」
ウィルを前に乗せたサミィを繰り、ユーリが予告する。
間もなく、市門もないまま建物が乱立する区画へと入った。
急に道幅が狭まり、かろうじて馬車が通れる程度の道を、二頭の馬で並んで進む。
全体的に茶色く沈んだ街は、曇天を反映してか、どこかどんよりとした空気が立ちこめていた。
飾り気のない、四角い箱のような建物が隙間なく並んでいる。その箱を造っている暗い茶の煉瓦は、雨風に晒されて黒ずんでいて、もはや黒に近いものもあった。
同じ王都でも、カラフルで明るい色使いが特徴的だったアルファザード王国のファザーンに比べ、示し合わせたように黒い桟がはめ込まれた建物は、どれもシンプルで、分厚い壁に覆われていた。
フィオナは、自分が知っている唯一の外国の王都と比較しながら、顔を上げてその街並みを観察した。
「牢獄のようデショ」
軽い口調のユーリの自虐は、前に座るウィルに投げかけられたものだ。
「牢獄というよりは――城壁かな。街全体が、何かを守るための壁みたいだ」
ウィルの観察眼に、ユーリが目を細めて応えた。
「チェリルブロスの冬は長く厳しい。見た目の華やかさよりも、背中合わせの死から逃れるための厚い壁で、自分たちの住処を守ることを優先した結果ですよ。それでも、このあたりはマシな方です」
2人の会話を小耳に挟みながらも、これより酷い、とかマシ、というのがどういうものなのか、フィオナには想像がつかなかった。
己がこれまで暮らしていた世界とは、全く別世界に飛び込んでしまったようで、目の前の情報を処理するだけで精一杯だ。
「土地自体は腐るほどあるのに、より住みやすい狭い土地に人は集中する。数ある主要都市の中でも、チェリルブロスの人口密度は大陸一でしょう。狭い土地を有効活用するため、庭はなく、建物の作りも至ってシンプルです」
四角い箱が敷き詰められている――という印象は、あながち間違いではなかったらしい。
見れば、建物と建物の間の狭い路地にも、二階や三階に渡り廊下が渡され、建物同士が繋がっていた。
「……冬は極力外に出ず生活できるよう、多くの建物は中で繋がっている。それぞれで生活区画を形成し、市民はその集団単位で生活している」
フィオナの視線の先を見て、背中のジークが、質問する前に答えてくれた。
「異様でしょう? 地上でありながら、地下のモグラみたいな生活をしているんですよ」
そう言ったユーリの言葉には嘲笑が含まれていて、自嘲というよりは、どこか他人事のような印象を持った。
「幸い、今は一番いい季節です。……もっとも、その分暴れたい方が動きやすくなる時期ですが――」
「ユーリ!」
急に、ジークが珍しく声を荒げた。びっくりして、思わず前のめりになる。
「失礼」
怒鳴られた方は短く言い置いて、肩をすくめる。
「…………」
その一瞬、ウィルが表情を硬くするのを、見てしまった。
(今のは……)
ユーリの言葉、ジークとウィルの反応――
長い冬が空け、牙狼王が再び進軍を考えているということだろうか。
トロイで聞いた噂話が頭を過ぎる。
それが、ただの噂でないのならば、次に狼の牙にかかるのは――
フィオナもまた顔を強ばらせ、二頭が異様な圧迫感のある狭い道を進んでいると、急に視界が開けた。
「市門から伸びる中央通りに繋がる広場です。ここから王都の正面門に続くまでの道は、いくらかマシですよ」
ユーリの案内に耳を傾ける。
四角く切り取られた広場の周りは、やはり背の高い箱のような建築がぐるりと並んでいて、塀に囲まれているような印象を受けた。
広場には人の姿も見えるが、それ以上に、黒い隊服の兵士の数が多い。
重苦しい空気の漂う、どんよりとしたその広場から見える光景で、気付いたことがあった。
その広場、そして正面門に続く大通り沿いに建ち並ぶ住居の、全ての戸口に旗が掲げられていた。
やはりフィオナが聞く前に、ウィルがユーリに問う。
「あの黒い旗は?」
「ウチの家は兵隊をちゃんと出しましたよ……っていう印ですヨ。戸籍登録済みの住民は、決められた割り当てに従って、兵を出さなければいけないので。旗が出ていなければ、監査が入ります。例えば、条件的に不利な家庭――男子がいないとか、何かしら理由があって徴兵に応えられない場合は、別途負担金がかけられたり、まあ、そんな感じで市民から搾り取るためにやってます」
ユーリの台詞は軽いが、厳しい徴兵制度と重税を課す帝国の実態を、取り繕うことなく端的に伝えていた。
二頭の銀狼が円を描くように向かい合い、互いの尾に噛みつくかのように牙を剥く力強い紋章が描かれた、漆黒の旗。
その中央に、赤い炎が描かれている。
黒を強さの象徴とした、シュヴァルトの軍旗だった。
※
「わぁ……」
三つの城壁のうち、一番内側の城門をくぐった瞬間、フィオナは小さく声を漏らした。
シュヴァルト帝国王都チェリルブロスの宮殿は、これまで通ってきた街のイメージとは随分と違い、門をくぐった瞬間から真っ直ぐに伸びる広い並木道の先に、洗練された姿でそびえていた。
薄灰色の石造りの巨大な宮殿は、曲線や斜辺を多用したデザインで、フィオナの目からすれば、かなり奇抜なものに映った。
決して華やかではない。むしろ質素ともいってもいい程に装飾は少ないのだが、それでいて、その滑らかで独特のシルエットは、繊細にも大胆にも映り、見る者を圧倒する。
シュヴァルト帝国の王が住まう城――スヴァログ宮殿。
「綺麗……すごく変わった形をしているのね」
思わず漏れたフィオナの呟きに、ユーリが苦笑する。
「サルヴェル建築だヨ。元々は、雪が積もる負荷を軽減するための、この地方独特の工夫だったんだけど、長い年月を経て独自の芸術性を高め、洗練された意匠となって、後世に評価されるに至った。有史以前の先住民たちの知恵の産物をそのままに再現した宮殿――ってトコかな」
「まるで異教徒の神殿だね」
「れっきとしたアース教徒ですヨ」
ウィルの感想通り、その重厚で壮大でありながら、どこか神秘的な美しさのある建築は、かつてアース教がこの大陸に降り立つ前――紀元前に存在したとされる、精霊信仰の異教徒の遺跡を彷彿させる。
建築に興味があるのか、ウィルはしきりに、ユーリにより詳細な質問を投げかけていた。それに如才なく答える、ユーリの知識量はさすがだ。
専門的な話に終始する二人を尻目に、フィオナは、ただその神秘の宮殿に圧倒された。
「……この並木は、聖日祭の次の満月の夜に、一斉に満開になる」
広い並木道を見回していると、こういった説明はユーリ任せのジークが、それだけは短い言葉で教えてくれた。
その不思議な性質には、覚えがあった。
「それって、森の家の近くにも一本だけあるやつ?」
「ああ。名前は……」
「待って。知らなくていいの。ちゃんとあるから」
教えてくれようとしたジークを止めた。
この思い出の花には、リッドと二人でつけた名前がちゃんとある。
それで十分だ。
その並木樹の正体を知ると、途端に周囲が華やいで見えた。
今はもう青々とした葉を繁らせているが、この一本一本、全てがあの樹のように幻想的な花びらを散らすのだとすれば、どれだけ楽園のような光景だろうか。
きっとそれこそが、花の都チェリルブロスの由来なのだろう。
「いいな、見てみたい……」
「…………」
意識せずに、言葉が漏れる。想像力を羽ばたかせるが、きっと本物は想像を絶するほど美しいのだろうと確信できた。
「このまま宮殿に入るのかい? 俺たちの扱いはどうするの?」
ウィルがそう聞いたのは、もはや宮殿を目の前にしようかという時点だった。
「アナタたち二人なら、気に入ったので連れ帰ったと言ったら十分通用するでしょう」
「随分とアバウトだね」
「よくあるコトですよ。『戦利品』ってヤツですね」
「ユーリ」
「ハイハイ。すいませんネ」
ここに来て、フィオナは、ユーリがわざと兄にたしなめられるような口を滑らせているのではないかと思うようになった。
この兄弟の関係も、よく分からない。
「――止まれ」
急にそう言ったジークの指示に、ジェードがぴたりと止まった。兄の指示を聞いてからとは思えないほど同じタイミングで、ユーリがサミィを止める。
「脇に寄ろう。並木の陰に隠れる」
「何かあるの?」
「ま、ちょっと珍しいものが見れますヨ」
ジークの行動にウィルが問うと、ユーリが含みを持って答え、馬を木陰に寄せた。
理由はすぐに分かった。風に乗って、威勢のいい行進曲が聞こえてきたのだ。
行進は、宮殿を周回するように行われているようだった。四人は並木道の陰から、横切っていく大軍を、息を潜めて見送ることにした。
「建国記念日が近いので、観兵式に向けた行進練習でしょう」
「へぇ、興味深いな」
「見つからないようにしてくださいよ」
ウィルが物見高に首を伸ばす。ともすればバランスを崩しそうなその肩を支え、ユーリが苦笑した。
「すごい……」
現れた黒い軍団に、フィオナは感嘆をこぼした。
並木の向こうから姿を見せたのは、まず先頭を征く三人のカラーガードだ。それぞれ旗を掲げ、その後ろを歩兵隊が列をなす。
彼らの歩みは、膝を曲げずに伸ばした脚を高く上げて歩く特殊な歩行方法で、それが一糸乱れぬ動きとなって大軍を行進させていた。
「ボク、アレ嫌いなんですよね。バカみたいでしょ」
ユーリが小馬鹿にしたように呟く。
その威圧的な動作には迫力があり、寸分の狂いもなく揃ったリズムや脚の角度は、軍隊としての統率力の高さや規律正しさを感じさせたが、第三皇子にとっては物笑いの種らしい。
更に、歩兵隊の後ろを騎馬隊が続く。灰色の大きな軍馬が姿を見せ、フィオナは息を飲んだ。
分厚い毛並みに覆われた太い首と脚。さすがにクンツァイトほどではないが、ジェードより一回りは大きい。
それが漆黒の軍服を着た騎手を乗せ、大軍で行軍する迫力は、並大抵のものではなかった。
「あれが雪豪馬か。本物は初めて見た」
「よくご存じで。うちの名産で、帝国軍では軍馬として常用されています。膂力が強く丈夫で、寒さにも耐性がある。見た目にも威圧感がある――戦に適した馬ですよ」
「確かに迫力がある」
「アナタの弟さんの相棒ほどではないですけどね」
感心するウィルに答えたユーリの説明で、フィオナは初めてその馬の存在を知った。
ふと、ジークの相棒のことが気になり、目の前のたてがみを撫でる。
「ジェードは雪豪馬じゃないのね」
「……雪豪馬は身体が大きく丈夫だが、あまり速くない。黒竜馬との最大の差はそこだろう」
機動性を重視したいジークは、駿馬であるジェードを愛用しているらしい。
迫力のある行進が通り過ぎるのを待ち、一行はいよいよ宮殿へと足を踏み入れた。




