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白雪姫と7人の王子様+αⅡ  作者: 夜月猫人
第二章・シュヴァルトの慟哭
32/57

第二話 旅路(2)


 ――夜の貿易都市トロイの裏通りは、日が暮れたというのに賑わっていた。


 だがそれは、昼間の活気とは別の種類の賑わいだ。

 こんな時間なのに人が多く、そのくせ妙に薄暗い裏通りには、酒場や賭場や娼館――そういったものが軒を連ねている。


「……フィオナ、あまり俺たちから離れるな」

「う、うん」


 ほの暗い艶や酒気が漂ってきそうな、その空気に経験はなく、フィオナは緊張の面持ちでウィルの車椅子のハンドルを握りしめ、ジークのすぐ隣を歩いた。


「ねぇユーリ、どうしてこんなところに……」


 先頭を歩くユーリは、店先に立つあでやかな女性たちを物色するように視線を巡らせながら、フィオナの問いに答えた。 


「王妃様の若いツバメなら、こういうところの方が生きやすいと思って。経験も生かせるし」

「ユーリ」

「おっと」


 たしなめるように兄に名を呼ばれ、ひょろりとした背中がおどけるように丸まった。


「あァ、ねぇキミ」


 しばらく歩いていると、唐突にユーリが足早に三人から離れ、店の前に立っていた若い女性に声をかけた。

 完璧な化粧をした綺麗な女性が振り向き、あでやかな営業用のスマイルを作る。


「ヒト探してるんだけど。ロバートって男」

「えぇ~? そんな名前の男、店の客だけでも百人くらいいるわよ」


 さすがに百人はオーバートークだろうが、名前だけでは絞り込みようがないのは確かだろう。

 すると、距離を通りすがりの男女から一気に縮めたユーリの手が、女性の顎にかかった。


 至近距離で目を合わせ、女性が男の美貌に気付いたようにうっとりと微笑んだ。


「……じゃあボクと同じくらいの年齢で、栗色の髪と青い眼の、多分相当な美男子って言えば絞れる?」

「美男子ね……アナタより?」

「さァ、それは保証しかねるな」


 一瞬にして空気が艶めく。その急展開に唖然としていると、隣からジークに肩を掴まれた。


「フィオナ、見るな」

「え?」


 聞き返す前にくるりと後ろを向かされ、しばらく耳をふさがれる。

 状況が分からないままされるがままになっていると、やがてユーリが戻ってきた。


「アタリがついたヨ。この通り沿いのバーで働いているらしい」


 そう言ってひょいひょいと先に行ってしまうユーリの様子には、普段と変わったところはないが、その向こうで、恍惚とした表情で見送る女性は、明らかに先ほどと様子が違っていた。


 見ると、いつもはユーリの奇行も笑って受け流すウィルが、珍しく真剣な顔で呆れ返っている。


「……行くぞ」


 ジークに促され、急き立てられるようにその場を離れた。


 ユーリが躊躇なく踏み込んだのは、一見何の変哲もないバーだ。

 中に入ると、店内は意外と広く、また内装も比較的高級感が漂う、しっとりとした店だった。


 カウンター席とテーブル席に分かれており、L字型のカウンターの奥には、初老のバーテンがひとり立っていた。


「いらっしゃい」


 ちらりとこちらに視線を走らせ、そう迎えてくれる。


「お姫サマ、それ取っていいよ」

「う、うん……」


 ユーリに促され、フィオナはかぶっていた頭巾(ヒジヤブ)を取った。


 店の人間は、カウンターのバーテン以外は、女性ばかりだった。華やかなドレスに身を包んだ女性たちが、テーブルやカウンターに散らばる男性客の横にそれぞれついている。


「へぇ、彼でもこんな場所に遊びに行くんだねェ」


 店内を見回したユーリが、面白そうに呟く。


「お兄さんたち、初めましてね。アラ……でも女連れ?」


 女従業員の一人がそつなく近寄り、ユーリの腕に絡みついた。

 彼の背中に隠れるようにいた少女と、車椅子の麗人を見つけ、意外そうな声を出す。


「今日は遊びにきたワケじゃないんだ。ロバートって、いる?」


 そう聞かれ、女従業員はユーリの腕から離れ、カウンターのバーテンを伺った。どうやら、彼が店主らしい。

 会話の内容が聞こえていたらしいバーテンは、胡散臭そうな顔をユーリに向けたが、そのまま、大きい声で名前を呼んだ。


「ロバート!」

「はい、ただいま」


 若い男の声が店の奥から聞こえ、すぐに声の主が顔を出した。


「また客だ」

「客……?」


 店主の言葉に、眉をひそめた青年が振り返り、フィオナと目が合った瞬間、息を飲んだ。


「フィ……ッ……なぜ、あなたがここに!」


 咄嗟に呼びかけた名前をかろうじて飲み込み、青年が、動転した様子で駆け寄ってくる。


「ロバート……! 良かった……」


 その顔を見て、フィオナは足下が崩れそうなほどの安堵を覚えた。

 素早く察したジークが後ろから支えてくれるのを、フィオナはかろうじて自分の足で立って固持した。


 憔悴し、少し痩せていたが、間違いなくフィオナを助けてくれたロバートだった。


「あなたがこの街で生きていると聞きました。だから、どうしても一度会いたくて……元気そうで良かった」

「もったいないお言葉です。私は、あなたの人生を狂わせてしまった。本当は、今こうやって顔を合わせる資格すら……」


 泣き出したのはロバートの方だった。拳で涙を拭う青年の肩を、ユーリが叩く。


「感動の再会のところ悪いんだけどサ。ボクらもキミに用があるんだよね。ちょっと付き合ってもらえる?」


 ロバートは見覚えのない男の顔を不思議そうに見返したが、従順に頷いた。その後ろから、バーテンの声が飛ぶ。


「ロバート、店を出てもいいが、うちのシステムはちゃんと説明しとけよ」

「………はい」


 躊躇うような間の後、ロバートが強ばった顔で返事をする。


「……なるほどネ」


 分かったように頷き、ユーリがロバートの背を押して店を出た。


「――で、ヴァンはキミを買ったわけだ」


 店を一歩出た途端、ユーリの追及は始まった。


「それは、その……」


 青ざめた顔でフィオナを伺うロバートは、落ち着きなく視線を彷徨わせ、回答をためらった。


「買う……?」


 意味を図りかね、フィオナが問うと、ジークが素早く説明してくれた。


「店の人間の情報は店主のものだ。ヴァンは、その男の持つ情報を買ったということだろう」


 ヴァンは、ロバートの安否をフィオナに知らせるために、お金まで払ってくれたらしい。


「優しいねぇキミ」


 ジークの分かりやすい説明に、ユーリが悪巧みする猫のように笑った。


「ライバル蹴落とすいいチャンスだヨ?」

「…………」

「あ、そこは無視するワケ」


 いつもなら無視されていること自体無視するクセに、わざわざあげつらうあたりが兄をからかっていると分かる。


「ま、いいや。とりあえず、全部吐いてくれる? オタクが知ってるコト」


 さっさと切り替え、ユーリはロバートの肩を叩いた。

 ロバートは青い眼を曇らせ、浮かない顔で頷いた。







 その日取った宿の一室にロバートを呼び込んだ四名は、はっきり言えば微妙な顔で、その事情を聞き終えた。


「悪魔ねェ……」


 壁にもたれ、腕を組んだユーリが軽い声で呟く。


「百二十年前に、コンスタンティン法王が悪魔を封じたという伝説はあるけど、現代でとなると、なかなかすぐに信じられる話ではないよね……」


 こちらはウィルだ。車椅子に座ったまま、判断に迷う、といった表情で首をかしげた。


「…………」


 ジークは何も言わない。いつものように直立した彼は、人形のような無表情で、寝台に腰掛けて語る青年を見つめていた。


「鏡の精霊……」


 だがフィオナだけは、別の思いでその話を聞き、青ざめていた。


 フィオナの継母エクレーネが、輿入れの時に唯一持ってきたという、価値ある大鏡。

 美しいものしか映さない魔法の鏡――そして、エクレーネが『鏡の精霊』だと言った、悪魔のような男――


 聞き覚えのある話が散りばめられていたロバートの語りに、それらの情報をパズルのようにはめ込み、絵を作っていく。


 あれは九日前――聖日祭の翌日、アルファザードの王子が『森の家』に訪れた日のことだ。


 フィオナは、森に住む不思議な少年ルイロットに頼み込み、魔女が住むという小さな家を訪ねた。


 その小さな家に置かれた、不似合いな大鏡のことを、そこに住む『魔女』はなんと語っただろうか。


『この世に二つしかない鏡です』

『二つ……?』

『ええ。ひとつはこれ、母の形見の品で、もうひとつは最近まで、母の姉が持っていたはずなんですけどね』


 鼓動が早鐘を打つ。これ以上早くなったら、息が詰まるというほどに。


(それに――)


 鏡の中で微笑む『魔女』を見たとき、己は、誰に似ている(・・・・・・)と思ったか。


「フィオナ? 顔色が悪いよ」


 椅子に座った姿勢のまま、微動だにしないフィオナの横顔を覗き込み、ウィルが心配そうに声をかけてくる。

 ふるふると首を振り、その心配をやり過ごす。


 今は、言葉に出来るほど、状況も気持ちも、整理できていなかった。


(魔女? お継母様(かあさま)は魔女――?)


 そうだとしたら疑問が過ぎる。恐ろしい回答を付随して。


 なぜ魔女が、王の妃に。


「うっ……」


 急に吐きそうになり、フィオナは口元を押さえて踞った。


「フィオナ?!」


 ウィルの焦る声が聞こえる。


 誰かの手が背中に触れたが、何も考えられなかった。

 考えたくなかった。


 どうしようもなく嫌な気分が渦巻く。己が辿り着いた答が恐ろしくて、そんな想像をしてしまう己が怖くて、吐き気につられて、生理的なのか感情的なのか分からない涙が出た。


 いつかのウィルの分析が蘇る。


『本当に伝説通りの力を持っていれば、彼女たちは不老不死で、どんな怪我も病も治せて、あらゆる呪術に精通している。また呪文一つで炎を生み、風を巻き起こすことも出来る。そんな力を持っているなら、とっくに大陸を支配していそうだけど――魔女というのは、よほど欲がないのかな?』


 ならば、魔女が欲を持ったらどうなる――?


(もしかして、お母様は……お継母様(かあさま)に……)


 絶対に違うと、誰かに言って欲しい。

 だが彼女は、フィオナをも殺そうとした。


 考えようとすればするほど、頭が霞がかっていく。

 不思議な感覚だった。まるで森の侵入者を惑わす魔法の霧のように、フィオナの思考を『そこ』から弾き飛ばす。


 その時初めて、フィオナは、己が母親の顔すらおぼろげであることに気付いた。







 目が覚めたとき、フィオナはベッドに眠っていた。


 記憶はおぼろげながらにあった。ロバートの話を聞いた後、急に気分が悪くなり、正体をなくしたフィオナを、誰かが別の部屋に運んで寝かせてくれたのだ。


 ぼんやりと朝を迎え、フィオナが廊下に出ると、気配を察したらしいジークが斜向かいの部屋から出てきた。


「……体調はどうだ」

「大丈夫」

「まだ具合が悪いようなら、一日宿泊を伸ばすが……」

「ううん、大丈夫。昼までには出ましょう」


 相手の気遣いに、自分でも驚くほど強い口調で反発していた。


 気が急いていた。この場にいたくない気持ちと、早く動き出さなければいけないという気持ちに突き動かされる。


「……そうか」


 だがジークは、驚く様子も気分を害した様子も見せず、ドアの前に立つフイオナを見返した。


「……ねぇジーク。東の魔法使いというのは、男の人かしら」

「そうだ」


 魔法使いというのは、男の魔女を指していう単語なので、その確認自体無意味だったが、ジークは怪訝な顔をせずに答えてくれた。


 シュヴァルトの東の魔法使い。

 アルファザードの西の魔法使い。

 そして、エルドラドの魔女。


 この並びは、偶然なのだろうか。


(魔女が、欲を持ったらどうなる――?)


 その疑問ばかりが、昨夜からぐるぐるとフィオナの脳裏を巡っていた。


「二人はもう下にいる」

「そう……ごめんなさい、ジーク。待っててもらったのね」

「……別に構わない」


 いつもと変わらぬ調子のジークに付き添われて、宿の階段を降りる。

 一階は宿泊客以外も利用できる食堂になっており、ポツポツと客の姿があった。


「フィオナ」


気付いたウィルが声をかけてくれる。


 四人掛けのテーブル席に座り、ユーリとウィルは先に朝食を取っていた。


「おはよう。具合はどう?」

「おはよう……もう大丈夫よ。心配しないで、今日この街を発ちましょう」

「フィオナ……」


 隣に座った少女を、ウィルは心配そうな顔で見つめたが、強い意志を感じてか、それ以上何も言うことはなかった。


「昨日はごめんなさい、急にあんなことになって。ロバートの方は、大丈夫だったかしら。他に何か言ってた?」


 気丈に話しを進めた少女に、席に着いた男性陣は、目を見合わせた。


 何かを打ち合わせるような間の後、ユーリが口を開く。


「……これ以上、王女に心痛をかけるのは嫌だからと、あまり話したがらなかったけど、今、良くない噂が流れてるよ」

「よくない噂……?」


 それは、トロイにここしばらく、まことしやかに流れている噂で、どこまで信憑性があるかは分からないが――と言い置いた上で、ユーリが続けた。


「……シュヴァルトが、白雪姫への求婚を蹴られたことを理由に、エルドラドに仕掛けてくるんじゃないかってね」

「――!」


 息を飲む。気を落ち着かせようと水を一口含み、喉を潤してから聞いた。


「求婚を、蹴ったって……?」

「どうも、白雪姫の嫁ぎ先は、アルファザードかシュヴァルトの二択だったらしいね。今の情勢で、この二国での二択は究極の選択だ――エルドラド国王は、東と西のどちらにつくかを迫られたんだよ」

「…………」


 ウィルの説明に、フィオナは言葉をなくした。己の身に降りかかる結婚話が、そんな大きな選択になっていたなんて知らなかった。


 フィオナは――アルファザードの王子の求婚を、本人を前に断ったのだ。


 あの時、大人しくレナードに従っていれば、まだ取り返しがついたのではないか。

フィオナが嫁ぐことで、エルドラドがアルファザードの後ろ楯を得ていれば――


 なけなしの勇気を振り絞っての選択で、取り返しのつかない過ちを犯してしまったのではないか。その疑念に振り回され、心が乱れる。


 血の気をなくすフィオナの思いをくんだのか、ウィルが重ねてフォローした。


「君がレナードの求婚を断ったのは、何の関係もない。もう、その時には全てが起こってしまっていた。白雪姫は、殺されたことになっていた。アルファザードの後ろ盾を得るはずが、正式な婚姻発表の前に王女が死んだ。残ったのは、シュヴァルトを選ばなかったという事実だけだ。でもそれは、あの時点で、もう確定していたことだ」


 ウィルの言葉は分かる。言ってくれようとしていることも。


「でも……やっぱり……」


 ウィルは、あの時何も言わなかったが、フィオナにレナードとの婚約を奨めた裏には、その思惑もあったのではないかと、今更ながらに思った。


 きっと、あの時点で今の話を聞いていたら、フィオナは自分の希望など考えずに、ただ国の未来の為に、レナードに嫁ぐことを選んだはずだ。


 だがウィルは、あくまでフィオナの、一人の女性としての選択を求めた。

 一つの可能性を提示しつつも、自分の意思で選んだフィオナの選択を尊重してくれた。


 そして今も、それが間違っていないと言ってくれている。


 その優しさに縋りたかったが、気持ちは大きく乱れていて、上手く整理することが出来なかった。


「これ以上、君が駒になる必要はないんだ」


 ウィルが、フィオナの肩を掴んだ。覗き込んでくる紫水晶の瞳が真剣に、目の前の少女を映した――今にも泣きそうな少女を。


「今の君は、白雪姫じゃない。白雪姫は死んだんだ、十五歳の誕生日の夜に。今の君は、なにもない、一人の女性なんだよ」

『今の君は、まだ何も知らない真っ白なキャンパスだ』


 出会った時、そう言ってくれた彼の言葉に何度も救われたことを覚えている。


 今また、彼は変わらぬ言葉を投げかけてくれる。だが――


「選択肢がたくさんあるっていうのは、いいことじゃないですかネ」


 しれっと割り込んだ声に、二人は同時にテーブルの向かいを振り向いた。


 ユーリは、行儀悪く両肘をついてパンをちぎりながら、たいしたことでもなさそうに続けた。


「今のキミは、どんな生き方でも選べる。自分を責めようが、肯定しようが、逃げようが、泣き寝入ろうが、それはキミの勝手」

「ユーリ」


 続きを塞ぐように弟の名を読んだジークは、いつもならその一言で済ますところを、無機質な眼差しで相手を突き刺し、言葉を重ねた。


「……お前の言葉は、人を斬る」

「……重々理解してますヨ」


 それ以上は、誰も何も会話を交わさないまま、重苦しい沈黙を乗せて朝食が再開された。







 出発の準備を終え、馬を預けた場所に戻る途中、フィオナは注意して道行く人を観察した。


 東西の交易の拠点であるトロイは、相変わらず活気に満ち、人で溢れていたが、意識してみれば、道行く人々はどこか不安げな顔をしており、巡回している兵隊たちにも、そこはかとない緊張感がある。


 すれ違い様、二人連れの男の会話が聞こえた。


「しかし、本当なのかねぇ」

「何さ」

「シュヴァルトが、進軍の準備を始めてるって話だよ」

「ああ……」


 相づちを打った男が、嘆くように呟いた。


「この街も、他人事じゃねぇよなぁ」


 切実な市民の声が、不安を駆り立てる。


 エルドラドと国境を接する街トロイ。

 今、この街が徐々に不安に浸食されているというのなら、エルドラドは、祖国はどうなっているのか。


(お父様――!)


 祈るように、フィオナは両手を握りしめた。


 預けていたジェードとサミィを受け取ると、ジークは先にフィオナを愛馬に乗せた。


「……少し急ぐ」


 フィオナが乗った後、淡々とそう告げてジェードにまたがったジークには、焦りのようなものは見えなかった。


「…………」


 だが、ジェードの傍ら、車椅子から彼を見上げるウィルの目は、珍しく鋭く、相手の真意を探るような色を帯びていた。





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