第一話 旅路(1)
「……ところで、お姫サマはドコにいくか分かってるの?」
ユーリがそんなことを聞いたのは、イアルンヴィズの森を抜け、森沿いの町オルフェンを発ってから、随分経ってからのことだった。
おそらく、今回の旅のために調達したのであろう月毛馬――サミィの前に同伴者のウィルを乗せて、美しい栗毛馬――彼の双子の兄、ジークの愛馬ジェードの隣に並ぶ。
「……シュヴァルト帝国」
そのジェードに乗せてもらいながら、フィオナは慎重に答えた。
答えるのに慎重になったのは、まだ直接、本人たちから彼らの素性を聞いたわけではないからだ。
もしや、と思ったことは何度かあって、情報が積み重なっていくうちに、それは徐々に確信に近いものとして、フィオナの胸にあった。
ただ、彼らの事情を知らない以上、踏み込むことにもためらいがあり、聞くに聞けなかったというのが実情だ。
ついにここに至るまで、彼らからその事実を告白されることはなかったが、なし崩し的に双子の帰郷に付き合うことになった以上、行き先にはもう予想がついていた。
行先は、シュヴァルト帝国。
牙狼王と恐れられる帝王が君臨するその国は、東大陸の大半を支配する大帝国だ。
広大な国土を持つが、北側の大部分は、大陸最大の山岳地帯ニブルヘイム大山脈が立ちはだかる、一年を通して豪雪に埋まる極寒の土地である。
収奪と領土拡大を繰り返した結果、複数の民族を抱え込んでいる多民族国家でもあり、人口は西の大国アルファザードの数倍とも言われているが、確かな数字は分からない。
この巨大な国を治めているバルドゥル帝王は、現在、国内では『皇帝』を名乗っているのだという。
アースガルダ大陸において『皇帝』の称号は、真の大陸の支配者を意味し、教皇による戴冠を受けて初めて認められるものだ。
そしてこの『皇帝』の冠は、今から百年程前に、統一ディーア帝国最後の皇帝が崩御して以来、再び頭上に戴いた者はいない。
教皇からの戴冠なく、大陸の覇者『皇帝』を名乗るバルドゥルの外交姿勢は明白で、彼は一代で周辺諸国を平定し、圧倒的な軍事力で東大陸の覇者となった。
そしてバルドゥル王には、その血を濃く受け継ぐ、有能で冷徹な三人の皇子がいるという。
そして多分、おそらく、ほぼ間違いなく、その三兄弟のうち二人が――
「もしかして、まだ言ってなかったの?」
さすがに予想外だったのか、サミィに乗ったウィルが、呆れたように突っ込んだ。
「積極的に隠していたつもりはなかったんですけどね。特に聞かれなかったので」
そのウィルの後ろでサミィの手綱を引きながら、ユーリがしれっと答える。
「全く……」
ウィルが嘆息したので、フィオナも合わせて溜息をついた。
あえて聞かなかったのは、言わないからには、それなりの事情があって隠しているのだろう、という予想と気遣いがあったのだが、どうやら大きく外れたようだ。
……もっとも、「二人はシュヴァルトの王子なの?」と聞いて「YES」と答えられたところで、どう返せばいいのか思い浮かばなかったというのもある。
そんなことで、彼らとの関係が変わってしまうくらいなら、出身など聞かない方がましだ。
先送りの措置だと自覚していても、そんな気持ちが働いていたことは否めない。
「フィオナも、気になることは遠慮せずに聞いた方がいいよ。この二人、放っておいたら、自分からは何もしゃべらないから」
ウィルの忠告はまさにその通りで、フィオナは言葉もなく頷いた。
「……ま、しゃべらせようとしてもしゃべらなかったり、本当のことは言わなかったりするけど」
ウィルが後ろの騎手を目で指して付け足すと、指された双子の弟の方は空とぼけた。
「世の中には、知らない方が幸せなこともありますからねェ」
「それはそうだけど、ここまで来たら知っておくべきことだよ」
彼らの軽い口喧嘩のような会話を聞きながら、そういえば、この二人って独特の間合いがあるような、と気付く。
ウィルは誰とでも仲が良く、皆に信頼されている人物だが、穏やかで大抵のことは受け入れてしまうので、あまり口喧嘩をするようなイメージはない。
あるとしたら、弟であるヴァンの過保護な押しつけに辟易した時と、同じく弟をからかう時くらいだ。
ユーリの方は、リッドやカミュなど、年下の同居人たちとはよくふざけて絡んでいるが、それでも踏み込み過ぎず、一定の距離を保って接している節があった。年長者のヴァンとは剃りが合わないのか、露骨に険悪な雰囲気になることすらある。
それに比べると、ウィルとの距離は近い――と言うよりは、互いに少し、他の人間とは違う接し方をしている、という印象を受けた。
「……俺はジークフリート=アドルフ=エイル=シュヴァルト。そっちが、ユリウス=エマーヌエル=エイル=シュヴァルトだ。国を出た理由は……まあ、追い出されたと言えば正しい」
ウィルの押し込みに、端的に答えたのは兄のジークの方だった。
建国から一度も直系が途絶えていないシュヴァルト王家の、正しい血統を表す名に、フィオナは頷いた。
「うん。何となく気付いてたわ……ありがとう。でも、帰るなんて言わないから」
分かったところで、今更戻ると言い出す理由にはならない。言い切ったフィオナに、ユーリが肩をすくめた。
行き先も告げず、危険な祖国へと旅立った弟を追うこともできない無力感から、森の家を飛び出したウィルを追いかけたフィオナは、そこで、出て行ったはずの双子の兄弟と再会した。
シュヴァルトの魔法使い――隻眼の大将軍の失った片目すら癒してみせたという存在に会い、ウィルの足を治してもらうため、彼ら双子の帰郷に2人でついていくことを決めて、フィオナたちはイアルンヴィズの森を離れた。
家に戻れば、後に残る住人たちに大反対されることは分かっていたので、直接伝えることはせずに、その場で書いた手紙を『ウィルの木』の下に残してきた。
フィオナたちが帰ってこないことに気付けば、リッドは間違いなくあそこを探しにくるので、きっと見つけるはずだ。
「ホント、お姫サマも王子サマも物好きですよ」
「君たちがついてこいって言ったんじゃない」
同じサミィの馬上で、ウィルが反論した。
「本当についてきます? ボクら、シュヴァルトの民ですヨ」
「そんなことを言い出したら、誰も信じられなくなるし、どこにも行けなくなるよ」
「まあ、そうですけどネ」
頑ななウィルに、ユーリが折れたようにまた肩をすくめた。フィオナも、ウィルに同意見だ。
シュヴァルトの民――という理由で彼らを信じないのなら、これまで、彼らと共有し、築いてきたものはなんだったのだろうという話になる。
確かに行く先は危険な国なのかもしれないが、彼らが差し伸べてくれた手そのものを、疑う気にはなれなかった。
こういう形であの森を飛び出した時点で、平穏なんてものは、もうどこにもないのかもしれない。
でも、そう覚悟を決めた割には、フィオナの心は不思議と落ち着いていた。
怖くないわけでも、不安がないわけでもない。
ただ今は、明確な目標がある。
それは『当面の目標』であるかもしれないが、地に足がつかないまま、ずっと先を見ようともがくよりは、まずイメージできる目標に向かって努力する方が、ずっと意味があることのように思えた。
※
アルファザード王国からシュヴァルト帝国へ向かう旅程には、いくつか越えなければいけない国境がある。
ユーリとジークは、まずはフィオナの祖国であるエルドラドを東に渡り、今はシュヴァルト帝国の属国となっているヴェルクソンを通過して、シュヴァルト帝国の中南部から、王都チェリルブロスに向かう予定らしい。
当面の目的地としては、エルドラド王国との国境沿いにある貿易都市トロイだった。
道中、ユーリが思い出したように、前に座るウィルに頼みごとをした。
「そうそう。少しね、アナタに作ってもらいたいものがあるんですけど。材料はこちらで用意するんで、空いた時間にでも」
「いいよ。どうせずっと乗せてもらってるだけだし。俺が出来ることであれば、なんでも」
モノ作りはユーリの得意分野なはずだが、頼みを聞いたウィルは快諾した。
アルファザード王立騎士団の赤い制服が両脇に立つトロイの市門をくぐり、馬を止めると、まずサミィに乗せていた車椅子をジークが降ろし、ユーリのアシストを受けてウィルが下馬した。
「悪いね」
「いえいえ」
手間をかけさせたウィルの謝罪に、気にした様子もなく応えたユーリだが、急に何も言わずにその場を離れ、近くの店に入っていってしまう。
だがジークの方は、彼の行動理由が分かっているようで、ウィルとフィオナの側を離れぬまま、黙って帰りを待っていた。
僅かな時間で待ち人は戻ってきて、フィオナは、ユーリが近くの店で買ってきたらしい紺の布を渡された。
「はい、お姫サマ。コレかぶって」
「これ……」
ヴァンと二人、王都ファザーンに聖日祭のパレードを見に行った時も渡された頭巾だ。スヴィドの成人女性が、風習として頭にかぶる民族衣装の一種である。
「ただでさえ目立つのに、ここはエルドラド王国との国境沿いだ。お姫サマの顔を知っている人間がいないとも限らないデショ?」
「えっ、俺も?」
隣で、無言でジークに頭から布をかぶされたウィルが悲鳴を上げた。
「俺はいいんじゃないかな」
「何言ってるんですか。アナタこそ車椅子で目立つんですから、顔くらい隠して下さいよ」
「う……」
そうズバッと言われると逆らい切れず、ウィルは小さな反抗を諦めて、渋々女性ものの頭巾を着用した。
「とりえず今日はここで泊まって、明日の朝には発ちますよ」
「うん、分かった」
車椅子を引くユーリに促され、ウィルが頷く。
そのまま宿に入ろうとする三人を、フィオナは引き留めた。
「待って!」
前を行く三人が立ち止まり、フィオナを注視する。
「あの、あのね……お願いがあるんだけどっ……」
その視線にしどろもどろになってしまい、フィオナは目線を泳がせた。
トロイに行く、ということが決まって以来、ずっと言い出すタイミングを計っていたのだが、いざとなると、完全に自分の都合なだけに、言い出しにくい。
「なんなりと、お姫サマ」
「言ってごらん、フィオナ」
ためらうフィオナを、ユーリとウィルが促す。
「…………」
顔を上げると、ジークが無言で頷いてくれた。
「あのね、探して欲しい人がいるの!」
息を吸い、思い切って希望を口にする。
「ヴァンが、トロイにロバートがいるって……」
それは、ヴァンが旅立つ直前に教えてくれた情報だ。
その時は、まさかこんなに早くこの街を訪れることになるとは思っていなかったが、それが昨日の話である以上、きっとまだいるはずだった。
聞き慣れない名に、ユーリが首をかしげた。
「ロバート?」
「お継母様の従者だった人で……私を、森に逃がしてくれた恩人なの」
『あァ』
その話を思い出したように、ユーリとウィルが同時に相づちを打つ。
ここにいる3人は全員、ヴァンが出立の折にいなかった面子なため、その時の話をかいつまんでした。
「……それが『心残り』ですか」
話を聞き終えたユーリの呟きに顔を上げると、目が合った青年は、不思議な笑みで誤魔化した。
「ヴァンが、わざわざトロイまで赴いて得た情報なら確かだね。まだ日も経ってないし、きっとこの街で暮らしているだろう。会いたいよね、フィオナ」
「会いたいです……!」
ウィルに促され、フィオナは力強く頷いた。微笑みで応えた車椅子の青年は、顔を上げ傍らに立つ双子を伺った。
「俺も聞きたいこともあるし、是非一度会ってみたいかな。ユーリ、ジークどうかな」
伺いを立てられ、弟の方は判断を投げるように兄を見た。
「……今日一日だけなら構わない。明日の朝には出る」
短く告げられた言葉は、人捜しの協力はするが、予定は変更しない、ということだ。
旅疲れで休みたいだろうに、フィオナのわがままに付き合ってくれるという彼らの親切に感謝する。
「それで十分よ。みんな、ありがとう」
そして、ロバートの捜索会議が始まった。
なにせ時間がないので、しらみつぶしともいかない。効率的な方法を模索したいところだった。
ユーリがぼやくような口調で言った。
「また、石投げたら当たりそうなよくある名前だねェ。特徴は?」
「髪は明るい栗色で、青い眼をしてるわ。年は、ラウと同じくらいで……」
「若いな」
ジークの指摘に頷き、何か手がかりになればと、知っている情報を補足する。
「元は猟師の息子で、お父様の鹿狩りにお供した時に、ついてきたお継母様に気に入られて、城に引き立てられたみたい」
「へェ」
相槌を打ったユーリが興味深そうに眉を上げた。
「なら、割と見つけやすいかもネ」
「ユーリ?」
何か案があるらしい双子の弟に水を向けると、彼は、いつもの読めない笑みで応えた。
「動くなら日が暮れてからがイイ。多分、すぐ見つかるヨ」




