第二十六話 決断(3)
その広間には、1人の男が座っていた。
人払いのされた謁見の間は静かだった。常ならば両脇に宰相と副官を侍らしている男は、今はたったひとり玉座に座り、眠るように目を閉じている。
軍務大臣から国王へ直接お耳に入れたいことがあると――ジェラルドが王の剣と盾たる権限を使い、与えてくれた時間は限られている。
「――お久しぶりです。父上」
「その声は……ヴィンセントか」
声をかけると、王は嬉しげな声で顔を上げた。
その紫水晶の眼が忙しなくままたかれ、悲しげに伏せられる。
「ああ、すまない。少し近くに寄ってくれないか」
この城を離れる前にはすでに、病の後遺症で視力が急激に落ちていた。
ヴァンは心得て、彼の手の届く場所にまで寄った。玉座の前で、膝をつく。
すると、それまで深く沈みこんでいた父王が、乗り出すように身を起して、両手を伸ばした。
その手が、ヴィンセントの顔を引き寄せるよう包み込む。
「おお、確かにヴィンセントだ」
父王は、まだ五十には届かぬ年のはずだが、年よりも老けて見えた。
「少し逞しくなったな。この通り、もうあまり目が見えぬのでな。お前の凛々しい顔がよく見えないのが残念だ」
「……父上のお若い頃によく似ています」
よく周囲から言われる感想を口にすると、王は喜んだように笑った。
「……帰ってきたのはお前だけか?」
「いいえ」
「そうか」
短くそう言い置いて、王は曖昧な笑みを浮かべた。
それでも、そこに安堵の色があることを敏感に読み取り、ヴァンは敵の隙に切り込むような鋭さで決断を迫った。
「ウィリアムは健勝です。足の不自由すら問題にならない程に。聡明さ、思慮深さ、先見の明――何においても、この国を背負うにふさわしい男に成長しています」
「…………」
「この国は変革の時を迎えています。時流を見定め、大局を見極める力が必要です。今この時代の決断が、これからの500年の国の道筋をつけるやもしれない」
ヴァンの訴えを黙して聞いていた王は、深く息を吐き、もうほとんど見えないという眼を見開いた。我が子の覚悟を見定めるように。
息子を映す紫水晶を、ただ真摯に見返す。
「……おまえたちは、いくつになるのだったかな」
「今年で20になります」
「20……そうか、もう20年か……早いものだな」
感慨深げに呟き、王はヴァンから視線を外して、玉座に深く身を沈めた。
「新しい時代か──」
広間のシャンデリアを見上げるように虚空を見つめたまま、吐き出された声には、万感の思いが籠もっていた。
ヴァンは、確かな答えを促した。
「王よ、決断を」
※
翌4月17日、ジェラルド=ウォリス軍務大臣の判断の下、軍部介入権が行使されたことは、瞬く間に宮廷中に広まった。
軍部介入権の発動が認められるのは、王権反逆罪にあたる事例に対し、軍部大臣が判断を仰ぎ、国王の最終決定が下された場合のみだ。
第一王子暗殺未遂事件の首謀者として、フェッセン伯爵現元老院議長が捕縛された他、軍部介入の現場に居合わせたコルタ財務大臣とベアトリス王妃も、贈賄・収賄容疑で一時的に身柄を拘束された。
大規模なクーデターの鎮圧などに主眼を置かれたこの特例が、こんな形で施行されたのは青天の霹靂であり、渦中に立たされた元老院は、蜂の巣をつつくような大騒ぎとなった。
特に、添え物のように摘発された贈賄による税制度の融通は、確かに広義では王権反逆罪にあたると解釈できるが、これまで黙認されてきたものでもあり、多くの議員にとって他人事ではなかった。
今回、賄賂の収受を認めたコルタ財務大臣は、罷免と謹慎処分を受け入れている。
3年前の暗殺未遂事件は、フェッセン伯爵の単独行動であると結論づけられ、それ以上の飛び火をすることはなかった。
王位継承権第1位を保持する人間を狙った暗殺計画は、到底許されるものではなく、国家の第一人者を恣意的に、あるいは暴悪的に操作しようとした意志は、神聖なる王権への明かな反逆であるとされ、フェッセンは投獄の上で爵位剥奪、自治領、財産の没収を言い渡された。
ベアトリス王妃については、当初、フェッセンとコルタの癒着関係の橋渡しを担ったと考えられたが、王妃が金品の受け渡しに直接関与した証拠はなく、冤罪と断じられ、すぐに釈放された。
「結局、おまえの母親が暗殺未遂事件に関与したことは黙殺されたようだな」
「ローゼン侯爵家が関わっているからな。フェッセン伯爵は切り捨てられた。まぁ、予想通りだ」
王都を出てクンツァイトを呼び戻し、北への街道を上る最中、直球で断じたマリーアに、ヴァンもまた他人事のように分析した。
「だがサン島にとっては逆風だ。さすがのあの祖父――ローゼン候も、一度は娘が嫌疑をかけられた手前、肩身は狭いだろう」
「それでサン島にデカい顔をされて、ストレスが上限に達していたフレイア島の議員たちが、今がチャンスと蹴落としにかかっているわけだな」
「元老院は喧々囂々だ」
軍部介入の報を受けた翌日、元老院では緊急集会が開かれた。
論点は、まずはサン島出身の議長であるフェッセンが、フレイア島のディオン侯爵家を後見に持つ、第一王子ウィリアムを狙ったことに対する追求から始まった。
これはマリーアの言う通り、サン島派の台頭に危機感を募らせていたフレイア島派が、舌端火を噴く勢いで、一方的にサン島派を叩く形となった。
当然、話は暗殺未遂事件だけには留まらず、コルタ財務大臣への贈賄容疑も舌戦に乗ったが、こちらは痛み分けとなった。
清廉を自称する一部のフレイア島議員が、この不祥事に飛びつき舌剣を揮うと、その追及を予想していたサン島側が反撃に出る。
王政庁との癒着が強いのは、むしろ保守派を多く抱えるフレイア島側であり、ついには両島とも互いの不正を叩き合い、あげつらえ合うという事態に発展し、議会はまさに喧々諤々、阿鼻叫喚の地獄絵図になった――とは、後にジェラルドからもたらされた報である。
「醜いが、少しは掃除になるか」
呆れた息を吐いたヴァンの言葉に、マリーアがクンツァイトの隣にオブシディアンを並べながら、うんうんと頷いた。
「叩けば埃の出る者同士、叩き合って日干しをすればいいのだ」
言い得て妙な言葉に軽く吹き、見咎めたマリーアに覗き込まれてそっぽ向く。
積み木崩しのようなこの現象は、3年前では起こりえなかったものだ。
今回はジェラルドとヴァンの策略によって軍部介入が実現したが、本来、決定権は王にあり、国王が憂うほどの事態にならなければ、軍部の内政干渉は実現不可能だった。
だがおおよそ、腐敗した組織において、最高権力者の目に実情が映し出されるのは、崩壊の一歩手前と、相場が決まっている。
(ならば、まだ間に合うか?)
ヴァンとジェラルドが箱をこじ開け、無理矢理実態をつまびらかにしたこのタイミングであれば、崩壊を差し止めるだけの時間は残っているだろうか。
「今回、国王の決断が早かったのは、おまえの手回しだろう。たいしたものだ」
マリーアの素直な賞賛に、ヴァンは謙遜した。
「国王は聡明なお方だ。時流が変わりつつあることを、自らも察していらした。その上で、視力を失いつつある今、大局を見極める力に不安を感じてもいらした。若く相応しい指導者に時代を託そうとした――あの方ご自身の英断だ」
数日前からまことしやかに流れていた、ウィリアム王子の生存と帰還の噂は、事件の翌々日――4月18日に、正式な発表がなされた。
今から1ヶ月後に、ウィリアム王子がサン=フレイア王国に帰国するとのこと。
そして、その翌日には、戴冠の儀を執り行うとのこと。
その報は、サン=フレイア王国内に激震を走らせ、聡明なる第一王子の帰還と王位継承の儀を前に、早くも祝賀ムードが広がりつつあった。
「だが大仕事だった。おまえは、おまえの目的を果たした。素直に喜べ」
「まだ終わりではない。俺には、ウィルを無事この国に連れ戻るという義務がある」
同じく祝賀ムードに入っているマリーアにも、ヴァンは慎重な姿勢を崩さなかった。
父王の英断を見届けてから、王都ブリギッドを後にしたヴァンは、このまますぐに、イアルンヴィスの森に待つ兄を連れて、再びこの都に戻る予定だ。
兄がその頭上に王冠を戴く時――その瞬間こそが、ヴァンの積年の夢が形になる時だ。
それまでは、喜ぶわけにはいかなかった。
「ふむ……私がおまえを助けてから、もう2週間が経つわけだが、ウィリアムの方は心配ないのか? その『森の家』に残しているのだろう」
イアルンヴィズの森の家については、そこに共に住む住人たちのことも含め、道中でマリーアには話してある。
……無論、全てを話したわけではない。特に一部の住人たちの素性などは、決して話せるものではなかったし、また必要もなかった。
「その場所は森に守られている。それに、共にいる住人たちも信頼できる者だ」
「森の家の住人たちか……是非とも、一度お目にかかりたいものだな」
「いつか会うこともあるだろう」
「ほう?」
興味深げにマリーアが眉目を開く。
「それより、お前はどうするんだ、マリーア」
「私か? サン=フレイアの観光もしたいところだが、これ以上家をあければ、さすがに親にどやされる。大人しくマルティに戻ることにするさ」
そう言ってから、マリーアは付け足した。
「何かあれば文を出せ。友として協力は惜しまない。いつでもはせ参じよう」
「友、か……」
まるで男のような勇ましい台詞に、頼もしさを感じる。
「さて、帰るぞオブシディアン。おまえも、ヘイムダルの地平線が恋しいだろう」
愛馬に呼びかけ、鞭を入れたマリーアが、あっという間に2馬身を離す。
「このまま港まで競争でもするか、ヴァン!」
すでに先を走りながらの不公平な提案に、ヴァンは苦笑して速度を上げた。
顔に吹きつける風に混じり、磯の香りがした。
「――戻るぞ、クンツァイト。俺たちの森に」
母国の風を感じながら、ヴァンはクンツァイトを駆った。
第一章 完




