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白雪姫と7人の王子様+αⅡ  作者: 夜月猫人
第一章・サン=フレイアの策動 前編
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第二十五話 決断(2)


 3年後、息子は戻ってきた。


 だが、望む形ではなかった。


『ウィリアム王子が生きて、戻ってくる』


 その噂を流布しているのがヴィンセントであると、エドゥアルトから聞いた時、ベアトリスは目の前が真っ暗になった。


 3年を待ち、もしかしたら我が子すら死んだのではないかという不安も抱いた。あるいは、本当に国に戻ることを諦めたか。


 だが幸いにも、ベアトリスには保険ともいうべきもう1人の王子がおり、あと2年で成人する彼を王位に就けるシナリオも考え始めたとき、待ち人は望まぬ形で帰ってきた。


 現実に打ちのめされても、折れることのない信念を抱き、第一王子を守りきって戻ってきたのかと思うと、そのいじらしさに母らしい愛おしさも感じたが、やはり胸の内の大部分を支配するのは、狂おしいほどの嫉妬だった。


(ああ、殺してやりたい)


 不愉快な女と似た顔をした子供。


 母子(おやこ)してベアトリスを愚弄するというのか――彼らは、ベアトリスの大切な男の心を掴んで離さない。


(あの母子(おやこ)――あの息子……)


 男のくせに。


 むしろ女であれば良かった。そうすれば、歯牙にもかけずに済んだ。


 生易しい男女の情であればいくらでも切り刻むことが出来たのに、あの2人の間にあるのは、もっと神聖で、強固な繋がりだ。それくらいは、女であるベアトリスにも分かる。


(殺してやりたい)


 死でしか分かてないというのなら、殺してやりたい。


 屋敷の最奥の扉の前で、男爵が立ち止まった。


 目の前で扉が開く。


 今にも剥き出しそうに研ぎ澄まされた凶悪な牙を、ベアトリスは優美な笑みで隠した。





 ベアトリスが外に残した男の1人は、屋敷の正面の出入り口が見える建物の影で監視を続けながら、この時間が何事もなく過ぎるのを待っていた。


 ――だが。


 コンッ……コンコンコン……


 わずかな音だった。


 出入り口の方で、小石が転がる音が聞こえ、男は身を乗り出してそちらを注視した――その瞬間。


「ぐっ……!?」


 背後に気配もなく寄った相手に頸椎を叩かれ、意識を失う。


 男が倒れた音に気付き、裏手を監視していたもう1名が駆け戻ってきた。


「誰だ!?」


 だが夜の館の陰で、闇に同化した黒衣を見つけるには、わずかな時間のロスがあった。


 気付いた時には目の前に立っていた長身の男を見上げ、咄嗟に腰の剣を抜くが、相手の方が早かった。


「貴様……ぐっ!?」


 逆手に握った短剣の柄でこめかみを殴打され、昏倒する。


「…………」


 静まり返った庭で、立っているのは、頭から爪先までを黒衣に包んだ男――ヴァン1人だった。


 剣をおさめ、ヴァンは屋敷の側壁に回った。


 庭先から枝を伸ばす木を伝い、2階のバルコニーへと足をかける。


 バルコニーのフェンスをまたいだ後、一度、塀の向こうを見回し、片手を伸ばした。


 チカリ――と一瞬、塀の向こうから鏡が反射するような輝きが応え、ヴァンは頷いて屋敷内へと侵入した。


 あたりをつけて廊下を進むと、最奥の部屋の前を、庭先の男達と同じ風体をした、2人の男が見張っていた。


 そこからは気配を殺すことなく、一気に距離を詰める。先に気付いた見張りの男が、何事かを叫んだ。


 ヴァンは近い方の1人に掴みかかって引き倒し、鉄板の入った靴の爪先で脇腹を抉った。悶絶する男の上で、振り向きざま、逆手で握った短剣の柄を振り抜き、背後から襲いかかった男の顔を殴打する。男はもんどりを打って床に転がり、脳震盪を起こしたのか動かなくなった。


 扉の外側で起こった異変に気付き、室内から騒ぐ声が聞こえた。


 2人の見張りを倒した後、ヴァンは直ぐさま扉を狭く開けて、身を滑り込ませた。


 素早く扉を閉め、逃げ道を塞ぐ。広い応接室の中央に、3名の貴人の姿があった。


「何だ!? 貴様は!」

「あ、暗殺者(アサシン)!?」


 2人の男が声を上げる。向かって左手がコルタ財務大臣、テーブルを挟んで向かいがフェッセン伯爵だ。フェッセン伯が座る席の奥に、女性の姿があった――ベアトリス王妃。


 全身を黒い布でおおったヴァンの装束は、ウィリアムを襲った暗殺者と同じ装いであり、実母であるベアトリスですら、見ただけでは判別がつかないはずだった。


「ひっヒィッ……」


 抜き身の短剣を握りしめた暗殺者の登場に、コルタが戦慄したように顔を引き攣らせた。もつれた足で部屋の奥へと逃げようとする老大臣は無視し、ヴァンは迷わずフェッセン伯との距離を詰め、その身体を引き倒した。


「た、助けてくれ!」


 うつぶせに床に倒された四十男は、暗殺者が握った剣の刃先を気にして、しきりに顔を上げようともがいた。


 よく肥えた顔に冷や汗を垂らし、無体な悲鳴を上げる中年男の姿は見るに堪えないものだったが、狼狽する男たちの中にあって、女性であるベアトリスが一番果敢だった。


 侵入者の意識がフェッセンに集中しているのを見て、そっと死角から立ち上がり、壁伝いに手を這わせながら、廊下に繋がる扉の方へと近寄ろうとする。


 だが次の瞬間、女性が手を伸ばした先の壁に、細い銀のナイフが突き刺さった。


「ヒッ……」

「動くな」


 息を飲んで凍りついた女は、投げつけられた厳しい声音に、別の反応を見せた。鳶色の目を見開き、驚愕のうちに黒衣の暗殺者を凝視する。


「その声……あなた……ヴィンセント……?」


 ヴァンは舌打ちした。3年も離れていたとはいえ、やはり母親には分かるものらしい。


 想定の範囲内ではあったが、煩わしいものであるのは違いなかった。


「ヴィンセント! ヴィンセントなのね!」


 壁に張り付いたまま、声だけは感激の再会を装っていたが、決して近づこうとしないのは、息子の凶刃が己に向かうことも、十分考慮に入れているからだろう。


 そのあたりの親子の信頼関係の希薄さが、逆に爽快だった。


「エドゥアルトが言ってたわ! あなたが帰っていると! 良かった、生きていてくれて――」


 訴えかける台詞は涙声に枯れていたが、すぐに分かった――演技だ。


「待っていたのよ、私も、エディも。ねぇ、もう一度やり直しましょう、ヴィンセント。あなたを愛してるのよ――」

「黙れ」


 それは膨れ上がった嫌悪感からの衝動で、予定していたものではなかったが、その分殺気が籠っていた。


 暗器の一投が刃を閃かせ、母のすぐ顔の側を通り過ぎ、壁に突き刺さる。


 放たれた殺気とナイフに、女は声もなく蒼白になった。


 その顔を見た瞬間――己の行動に激しい後悔が襲った。


 ヴァンは、無理やり母親から視線を引き剥がした。


(今、あの『女』を脅す必要があったか)


 憎い母親であるという面を削ぎ落とせば、あそこにいるのは1人のか弱い女だ。


 決して力で敵わない相手を、力でねじ伏せるのは、ヴァンの倫理観が許すところではなかった。今のは、完全な甘えだ。


(殺せ、心を――無駄な感情を排せ)


 近視眼的な怒りに行動を振り回されれば、大局を見失う。


「――ウィリアム王子の暗殺を企てたのはお前か? フェッセン伯爵」


 そのまま感情のない声で、見下ろした相手を貫く。


「正直に答えろ」


 組み敷かれた男は、銀の刃から視線を逸らさぬまま、必死に訴えた。


「違う、私じゃない!」

「……そうか、ならば死ね」


 事務的に刃が落ち、フェッセンの肩を刺す。


「ギャァァァァ!」

「答えなければ、次は腹か? いや、目玉がいいか――」


 痛みにのた打ち回る男の腹に膝を載せ、無駄な動きを封じると、ヴァンは無造作に刺した刃を抜き取った。


 血糊のついた刃を、男の胴体の上を彷徨わせ、顔の前へと移動する。

 右目の上に、切っ先を固定された男の頬が引き攣った。


「……や、やめ……」

「3つ数えるうちに答えろ。3、2、1――」


 青ざめる男の回答を待たず、ヴァンは唐突にカウントを取った。


「ゼロ」

「そこの王妃が、息子を王にするためにやったことだ! 私は頼まれただけだ!」


 振り下ろした刃は、直前でわずかに軌道を逸れ、毛足の長い絨毯に突き刺さっていた。醜い涙を流した伯爵の頬に、一筋の赤い線が入る。


 早口に一息で言い切った男は、呼吸困難に陥ったように激しく息を吸い、喉から呻き声ともつかぬ奇声を発しながら唇を動かした。


 ようやく聞き取れた言葉は、聞き取る価値もないものだった。


「頼む、助けてくれ! 金ならいくらでも……!」


 一瞬にして興味を失い、柄から手を離して立ち上がる。どうやら失禁したらしい男が下半身を濡らし、絨毯に染みを作っていた。


 ヴァンは、自ら顔を覆っていた黒布を剥いだ。現れた貌に、見上げるフェッセンの顔色が、恐怖から驚愕へと移り変わる。


「ヴィンセント殿下……! 本当に……」


 あんぐりと口を開けた男の間抜け面を、ヴァンは冷めた眼差しで見下ろした。


「仮にも国王から爵位を賜った者が、王室に買収を持ちかけるとは、偉くなったものだな」

「…………」

「サン=フレイアの誇りも落ちたものだ」


 ヴァンの分かりやすい皮肉に、呆然自失の体の四十男の姿は滑稽で、彼が元老院現議長である、伯爵の位を受けた人間であるということが、あまりにも恥ずべき事実であるように思えた。


「いつからこうなった」


 それは、伯爵に答えを求めてのものではなかった。


「……もう、ずっと前からか」


 指の先からこぼれおちていく砂粒を為す術もなく見送るような、虚しさが襲った。


「俺は、何も見えていなかったな」


 この国を捨てる決断をした時はまだ、この国の倦みを完全には理解していなかった。『天上の島』の誇りを、まだどこかで信じていた。


 息を吐き、ヴァンは扉の向こうに控える人物に向かって声を投げた。


「聞いたか、将軍」

「――はい、確かに」


 声と共に開いた扉に、そこにいた全員の視線が集中する。


「ウォリス将軍!?」


 ベアトリスの悲鳴に近い驚愕が部屋を貫く。


 エーギルの海を表す青い軍装に身を包んだ老将軍は、室内の人間を一瞥すると、右手を挙げ、事務的に宣言した。


「軍部は、3年前の第一王子暗殺未遂事件を重大なるクーデターと認め、その首謀者たるジョセフ=フェッセン伯爵の身柄を拘束する。また、同時にベンジャミン=コルタ財務大臣、そしてベアトリス王妃にも贈賄の嫌疑を認め、同様の措置を取る」


 サン=フレイア王国が誇る王の剣と盾が国内に刃を向けるのは、王権逆罪――国家たる王権への重大な侵害が認められた場合のみだ。


「本日、大陸歴500年4月16日。軍務大臣ジェラルド=ウォリスの名の下、ただいまより軍部介入権を行使する」


 その言葉を合図に、なだれ込んできた青い軍服の部隊に、応接室はたちまち制圧された。


 フェッセンのついでのように、王権反逆罪という重大な嫌疑をかけられたベンジャミン=コルタとベアトリスは、呆気にとられてその異常事態を見つめていた。


「……軍部の介入だと……!?」


 だがクーデターの首謀者と名指しされたフェッセンは、ヴァンがそれ以上刃を向けてくる気がないことを悟ると、這いずるように傍を離れ、ぶつかった書棚に背を預けるようにして身を起こした。


 彼にとっては、王国軍という正体のはっきりした組織よりも、道理の通らない暗殺者の方がよほど恐ろしかったようで、ヴァンに組み敷かれていた時よりは、幾分威勢を増して噛みついた。


「どういうつもりだ。軍隊が貴族の屋敷に乗り込むなど……内政不干渉の原則を忘れたのか!」

「――王権反逆罪だ」

「嘘だ! 何を根拠に……」


 この期に及んで見苦しく抗うフェッセンに、ヴァンは視線でジェラルドに合図をした。それを受け取り、ジェラルドが扉の向こうに控えていた部下に指示した。


 連れてこられたのは、ヴァンと同じような暗殺者の格好をした男だ。あえてあの時と同じ格好をさせていたのだが、フェッセンの目の前に拘束した男を突き出し、顔を覆っていた黒布を剥いだ。


「見覚えは?」

「…………」

「……まぁ3年も前のことだ、忘れたか」


 ヴァンが捕縛し、内々にジェラルドに引き渡した暗殺者だ。


 彼の自白内容や状況証拠から首謀者を割り出し、これまでジェラルドの監視下で身柄を確保していた。


 そして、全てを白日の下に晒すにふさわしい時を待った。


 3年前のあの時では、駄目だった。


 あの時、同じ行動を取ろうとしても、ヴァンはまだ若かったし、サン島もフレイア島も、まだ緩やかな安寧の中にいて、誰もがその不名誉な事件を表沙汰にするよりも、蓋をして押し隠すことを選んだだろう。


 内部の不満が溜まり、軍部の強権発動を受け入れる下地が出来ている今だからこそ、起こせる計略だった。


「第一王子の暗殺を画策したこと、すなわち正当なる王位継承権の転覆を謀ったその行いは、重大な王権反逆罪にあたります。贈収賄による税法違反も、広義での王権反逆罪にあたることはご存じのはず」


 ジェラルドの声には、静かだが有無を言わせぬ圧力があり、フェッセンは返す言葉を失った――かに見えたが、


「王は――そうだ、国王は認めているのか! こんなことを!」


 気付いたように顔を上げ、反撃を試みる。


 それはフェッセンにとって、最後の砦だったはずだ。国王の許可がなければ、軍部介入は始動できない。


「…………」


 フェッセンの鼻息だけが聞こえるような静寂が落ちた。その計略に陥れられた全員が、耳を澄まして待つような静けさだった。


「――認めているさ」


 重々しく、だがはっきりとそう答えたのはヴァンだった。


 現国王と良く似た面影を宿す、揺るぎない眼差しを向けられたフェッセン伯爵は、今度こそ全てを失ったように萎れた。


「連れて行け」


 指示を出したのはジェラルドだ。


 抵抗する気力を失った3人を、捕縛するのは簡単だった。もとより軍部介入が発動すれば、国王以外の誰も、その動きを止められる者はいない。


 彼らが連行され、部隊が引き揚げた応接室には、ジェラルドとヴァンの2人だけが残った。


「あっけなかったな」


 呟いたヴァンの声が、がらんとした部屋にやけに響いた。


 3年を堪え忍んで挑んだ結果が、終わってみればこんなものかと思ってしまうほどに、その結末はあっけなかった。


「機が熟したからでしょう」


 ジェラルドの言葉は、どこまでもサン=フレイアの男らしい、四角四面なものだった。


「時流さえ見定めれば、物事はやすく進むもの。逆を言えば、時を見誤れば、何事もなす事は出来ません」

「――大将軍、頼んでおいたことだが」

「整えております」

「ならばすぐに向かおう」


 短い受け答えの後、ヴァンは踵を返し大股に部屋を出た。ジェラルドとすれ違い際に、付け加える。


「父上の耳に、お前の独断が俺以外の口から入る前にな」


 顔は見なかったが、大将軍は苦笑したらしい。


「嘘をまことにする奇術が必要ですな」

「奇術師にでも魔法使いにでもなってやるさ」

「全てはあの方のために?」


 その言葉に、ヴァンは肩越しに男を振り返った。やはり背を向けたまま、こちらを振り向いたジェラルドの目は、珍しく試すような色を帯びていた。


「――全ては我が君のために」


 己の左の手の甲に、唇を落とす。


 ヴァンは、未冠の王への忠誠を口にした。



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