第二十三話 変革(4)
マリーアが目をつけたのは、14、5歳の少年の3人連れだった。少年娼やギャングの下っ端という風でもなく、比較的身なりも良い。
ブルジョワの子息連中の非行だろうか、とあたりをつけて見たところで、ヴァンは凍りついた。
酔っぱらいに脈絡はなく、マリーアは言いたいことだけを言い放った。
「少年ー。夜遊びは関心せんが、どうだ知ってるか? さっき向こうで聞いたんだが、どうも第一王子がもうすぐ王都に帰ってくると……っと?」
急に後ろから肩を引かれ、マリーアは疑問符を浮かべながらヴァンを見上げた。
しかしヴァンは、目の前の3人組の1人から目を離さなかった。
3人組の中央に立つ少年は、際立って目立った容姿をしていた。母親によく似た栗色の髪と、我の強そうな顔立ちは、記憶より大分成長してはいるが――
「エドゥアルト!?」
確かに弟――サン=フレイア王国第三王子エドゥアルトだった。
急に話しかけてきた酔っぱらいを、警戒心もあらわに睨む両脇の2名は、友人に扮した同年代の従者なのだろう。マリーアに目を奪われていたエドゥアルトは、その後ろから名を呼んだ青年を見て驚愕した。
「兄様……!?」
「何をしている」
厳しい糾弾の声に、一瞬、エドゥアルトは射竦められたように息を飲んだ。
「こんな場所に来ることを、母上は了解しているのか?」
目を逸らさぬまま、尋ねると、エドゥアルトが押されたように下がった。その後ろ暗さが見える行動に、ヴァンは重ねて叱責した。
「何かあったらどうするつもりだ。もう少し自分の立場を考えて……」
「そんなの、兄様に言われたくないよ!」
「…………」
言い返された声は、押した分の反動のように激しかった。
「3年も行方をくらませて、いきなり現れたと思ったらお説教!? ぼくたちが、どれだけ心配したと思ってるのさ!」
「うん、弟殿下の言うとおりだな。おまえの言えたことではない」
「うるさい」
鋭く黙らされ、マリーアは舌を出して肩をすくめた。
「まぁ、兄弟喧嘩は犬も食わん。勝手にしろ」
早々に戦線離脱するように身を離し、傍観を決め込む女性を、エドゥアルトは侮蔑の目で一瞥した。
「で、兄様は何をしてるの?」
攻勢に出た少年の追求は厳しかった。自身の言葉の激しさに感情がつられるように、声高になっていく。
「城にも帰ってこずに夜遊び? それと、さっきの兄上がどうとかってどういうこと? 兄上はどこにいるの? あいつは、まだ生きてるの!?」
「エドゥアルト!」
質の違う怒声に、ビリリと空気が震える。驚いたらしいマリーアが、おどけたような息を吐いたのが聞こえた。
声に打たれた本人は、ビクッっと身をすくめ、怯えながら兄を睨みつけた。
威勢を殺がれながらも、視線に宿る怒りの感情は、衰えてはいない。
「なんだ……まだそうやって、兄上ばかり庇うんだ。ぼくと母様が、どれだけ兄様のことを必要としてるかも知ろうとしないで……!」
涙の膜の張った目を釣り上げ、見上げてくる姿は、この半年を共に過ごした同じ年頃の少年と被った。
そう思うと、彼自身に罪はないのだという同情と罪悪感が過ぎる。彼をここまで頑なにしたのは、ヴァンを含む周囲の環境だ。
母に従順だった少年が、こんな場所を忍び歩くようになった理由も、そこに存在するのかもしれなかった。
「兄上の戻ってくる場所なんて、もうあの城にはないよ。みんな、兄様が戻ってくるって言ってる。2人とも戻ってこないなら、ぼくが王様になってやる」
「正統な王位継承権はウィリアムにある。誰がなる、などという議論自体が馬鹿らしいと言うことに気付け。お前は毒され過ぎている」
感情的な弟の言葉を、ヴァンは理性的に否定した。
「規律をねじ曲げた前例を作れば、後には混乱しか残らない。 一部の人間が恣意的に王位継承を操作することを認めれば、どうなるか、それは、今の国の腐敗を見れば分かるだろう」
「そんなことを言って、兄様は、ただ兄上を王にしたいだけだろう」
「…………」
だがその言葉は、エドゥアルトには響かなかったらしい。建前だと言う彼の言葉は、あたらずとも遠からずだ。
ヴァンの根底にあるのは、もっと感情的で、精神的で、揺るぎない信念の塊のようなものだ。
「兄様はぼくたちを捨てたんだ。あの人は、ぼくから兄様を奪った!」
エドゥアルトはよく、ウィリアムのことを『あの人』と呼ぶ。名前を呼ぶことすら厭うようなその響きには、拒絶と、嫉妬と憧憬が混沌と渦巻いており、口にする度に少年の理性を奪っていく、呪いのようなものだった。
「兄様は、兄上を取ったんだ。ぼくと、母様を捨てて、あの人を取った。力なんか持たないのに。なにも、兄さんに敵いやしないのに。なんで……」
パタパタと、大粒の涙が、汚い歓楽街の地面に染み込んでいく。
最後の矜持のように声を押し殺して泣く王子の姿に、2人の少年従者が扱いあぐねるように困惑していた。
「エドゥアルト」
だが、同情するには、エドゥアルトの言葉はヴァンの感情を逆撫でし過ぎた。
「それが理解出来ないならば、俺がお前と分かり合うことはない」
「………ッ」
容赦なく閉じられた扉を前に、少年は頬を引き攣らせて踵を返した。
「殿下……っエディ!」
「お待ちください!」
駆け出していく主人を、従者たちが慌てて追いかける。
「子どもだな」
去っていく背中を見送るヴァンに、近づいてきたマリーアが腕を組んでそう評価した。
「上の兄弟2人があの年頃の時分に比べて、随分と幼い印象を受ける」
「……母親の愛情を一心に受けて育ったからな。俺が壁を作っていた分、ずいぶんと甘やかしていた」
「ふむ、なるほどな。だがまぁ、あれくらいが健全と言えば健全なのかもしれん」
発言の意図を探り見下ろすと、濃藍の瞳が面白そうに応えた。
「さすがに王室に連なる者として、あそこまで子供じみている必要はないが、やはりおまえたち2人は抜きん出ていた」
「……無理して大人になる必要があったんだ、特にウィルは。俺は、あいつの背中を追いかけて、背伸びばかりしていた」
「それもあるが、資質だと思うぞ、私は」
「資質?」
「王たる資質だ」
「…………」
そのヴァンの沈黙は予想したものだったのだろう。マリーアは返事を待たずに続けた。
「サン=フレイアの悲劇は、王にふさわしい器を同時に2人も手に入れたことだ。どちらか片方が愚昧であれば、もう少し話は早かっただろうに」
皮肉げに口角を上げ、濃藍の瞳を歪める。次に発せられた台詞は、表情と同様にシニカルだった。
「隣の国では愚鈍と変人の二択を迫られているというのに、贅沢な悩みだがな」
隣の国とは、ここから海を隔てた向かいにあるヴァルク王国のことだろう。現国王の2人の息子は、どちらも評判が悪い。
どちらからともなく、2人は夜の街を歩き出した。マリーアの方は、すっかり酔いも覚めてしまったらしい。
店に入り直す気配もなく、自然に足は宿の方に向かっている。ゆっくりと。
「エドゥアルトの言う通りだ」
その歩調は語るためにあるように思い、ヴァンは口を開いた。
「俺はウィルを選ぶため、それ以外の全てを切り捨てた」
その切り捨てられた側には、マリーアも入っている。
だが、彼女がそのことを責めたことは一度もない。
たった一人を守るために、随分とたくさんの者を裏切ってきた。
「今も、多くの者の善意を利用してここにいる」
カミュとラウはこのアースガルダ大陸の政情には無関係であり、善良な人間だ。
彼らにも事情があり、いつあの『森の家』を離れることになるかは分からないが、それでもヴァンが戻ってくるまでは、ウィルに対して何らかの計らいをしてくれることは間違いなかった。
リッドは、今は自身の境遇を受け入れきれず、あの森に逃げ込んでいるが、精神の成長と共に立場を自覚することになるだろう。現法王の容体が思わしくないと考えられる今、その時は近づいている。
法王は、一国の王である以前に大陸全土のアース教会の指導者であり、その存在は超法規的なものだ。
万が一ヴァンがしくじり、ウィルがひとり祖国に追われる立場になったとしても、法王の権限を持ってして教会が保護すれば、例え一国の城主であったとしても、手出しすることは出来ない。
その場合、リッドはその為だけに、己の立場を受け入れる可能性すらある――とヴァンは踏んでいる。
このあたりの打算は、あのユーリにすら嫌な大人だと軽蔑されたものだ。
無垢な少年の好意すらも利用しようとする。
それでも守りたいものがある、と言い切るその生き方が、万人に許されるとは思っていない。
「――つい先日、レナードに会った」
「ほう?」
それまで静かにヴァンの独白を聞いていたマリーアが顔を上げた。
「アルファザードの王子か。おまえからその名を聞くとはな。いつだ?」
「……3週間ほど前だったか。あの男らしい奇天烈な理由で、わざわざイアルンヴィズの森の奥深くまで分け入って、居場所を突き止めてきた」
「それはそれは、災難だったな」
マリーアの口調には、言葉ほどの労わりはない。
わざわざ白雪姫を奪いに、あの男はヴァンたちが暮らす森の家にまで赴いた。
「あの男に、祖国と家族への裏切りを糾弾されたとき、ほとんど反射的に反発していた」
「…………」
『俺の家族は、ウィルだけだ』
そう言い切った時の、レナードの侮蔑の眼差しを思い出す。
その時、相手の脳裏に過ぎったのが誰の顔かは、すぐに察せられた。
「8年前にレナードが留学に訪れた時、エドゥアルトはまだ7歳だったが、なぜか妙に懐いていた。男兄弟がいなかったらしいレナードも、まんざらでもないように兄貴風を吹かせていたが、それも、同盟国の王室を取り込んでおこうという打算という可能性もあったから、俺は半信半疑で見ていた」
『無能な第三王子が王位を継ぐのであれば、我が国としては好都合だ』
それは去り際、レナード自身が口にしたように、彼の立場では『都合が良い』ことのはずだ。
「それでも、弟を母親もろとも切り捨てた俺に嫌悪を向けたということは――どうやら、実際に情を寄せていたらしい、と、今になって理解した」
「……なるほどな」
その話をしたのは、エドゥアルトに対して、己が良い兄ではなかったことへの自虐に近かったが、相槌を打ったマリーアは、引き合いに出された隣国の王子を思い出すように、目を細めた。
「よくおまえたちから噂に聞いていたレナード王子だが」
噂をしていたのは、一方的にウィルの方だ。
「実際に会ってみると、実に愉快な男だ」
マリーアのレナードに対する評価は、その一言に集約されていた。
「確かに、ウィリアムが好きそうな人種だな」
「ウィルが?」
露骨に不機嫌な声を出したヴァンに、マリーアは苦笑した。
「ああいう己を貫き通すタイプの人間は、裏表があまりない。あっても分かりやすい」
言って、反応を見るように片目で窺われた。
「おまえともよく似ている」
「最悪だ」
おぞましさに顔を歪めるが、その言葉には心当たりがあった。
昔、レナードへの猜疑をウィルに漏らした時、彼が、
「あいつは分かりやすいヤツだよ」
と苦笑したことを思い出す。
ウィルの言葉が正しかったのだと、今更になって思い知る。
少なくともあの時点でのレナードは、率直な好意と敵意をもって、彼らに接していたのだ。
それはもしかしたら、笑顔の仮面の下に敵意の棘を潜ませた有象無象との宮廷生活に厭いていたウィルにとっては、新鮮で得難い相手だったのかもしれない。
だとすると、その役目は自分だけだと思っていたヴァンにとって、レナードは無意識下に敵対する相手であり、故に対抗心を燃やしていたのかもしれない――と、今更ながら幼い頃の自身の深層心理を悟り、ヴァンは嫌な気分になった。
出来れば忘れてしまいたい。
「――何にしろ、話は早く進みそうだ」
「というと?」
強引に話題を変えたヴァンに、マリーアは冷やかすことなくついていった。
「城下に噂を立てて揺さぶるというまどろっこしい手を使っていたが、エドゥアルトに知れた今、すぐに母上のところに情報が行くだろう。俺の存在が知れたのは面倒だが……ウィルが生きて戻ってくると言う話に信憑性が出る分、動きも早くなるはずだ」
城内での動きは、ジェラルドの方が把握している。何かあれば連絡がくる手筈になっていた。
「同時に、この辺りもすぐに捜索の手が入るだろう。飲み歩きはしまいだ」
「明日からは引きこもって、果報を寝て待つか……退屈だな」
マリーアが、心底つまらなそうに嘆息する。
だが彼女が飽きる間もなく、動きはその2日後にあった。
使いが携えてきたジェラルド=ウォリス将軍からの知らせは、明日の夜、コルタ財務大臣とフェッセン伯爵、そしてベアトリス王妃が城下のある場所で談合を予定しているというものだった。
「急だな」
そう感想を述べたのはマリーアの方で、ヴァンは、その動きの早さに確かな手応えを感じていた。
ウィルが城に戻ってくるとなれば、彼の不在の間に、既成事実を積み上げてきたサン島派の優位性が一気に崩れる。
それは、ジェラルドにして狡猾と言わしめるコルタ侯の天秤が、大きく揺らぐ事件でもあるだろう。
この時期の三者の談合は、コルタ財務大臣とのパイプを繋ぎ止める目的と――もう1つ。
「おそらく、フェッセン伯とベアトリス王妃の間で、何らかのやりとりが生じるはずだ」
「…………」
部屋で出立の準備をするヴァンを、マリーアはドア近くの壁に寄りかかり、眺めていた。
いつになく大人しい女性を振り返り、念を押す。
「ここから先は俺の仕事だ」
「分かっている。さすがにこれ以上は手を出すまいよ」
これまでの前科から疑いを持たざるを得ない相手は、ヴァンが刺した釘に苦笑した。
「戻ってこいよ、ヴァン」
いつもと違う出で立ちで戦いに赴こうとするヴァンを、マリーアは、いつも通りの口調で見送った。
「なに、失敗しても逃げ帰ってこい。諦めなければ何度でもチャンスはある。それに……おまえの帰りを待っているやつがいるだろう」
「ああ」
おそらく、彼女が示唆した相手と、その時、ヴァンが思い浮かべた相手は違うのだろう。
夜の都に溶け込み、目的の場所へと向かうヴァンを、半分だけ顔を覗かせた上弦の月が見下ろしていた。
刻々と表情を変えていく月を見て思い出すのは、最後に約束した少女のことだ。
『必ず戻ってくる。そんな遠くには行かない』
『本当に? すぐ帰ってきてくれますか?』
『ああ、すぐに』
その約束を交わした日から、すでに18度目の月が昇っていた。
「すぐに帰る」
ことは出来なかったが、
「必ず戻ってくる」
という約束の方は有効だろうか。
いくらでも嘘をつく覚悟は出来ていたはずのに、未だにそんな未練を残している己に気付き、ヴァンは苦笑した。




