第二十二話 変革(3)
サン島とフレイア島は、エーギル海に兄弟のように浮かぶ、巨大な島だ。
この2島でサン=フレイア王国全体の国土面積の8割を占めており、王都を置くフレイア島が、面積、人口共にサン島を上回る。
フレイア島の西に浮かぶサン島の北部には、大陸有数の鉱山地帯が存在する。
2つの島が別々の国家を形成していた時代に、これらを狙ったフレイア島が西へ侵略し、サン島を植民地化したのが始まりだ。
最終的に一つの国家に併合するまでの、紆余曲折の歴史は、正史にして20巻を越える。そういった歴史背景のもと、現在に至るまで、両島間には細部に渡って格差が生じていた。
議席数の格差、課税の格差、島間住民移動の制限条件――同じ国と諳んじながら、そこには確かな区別がある。
また、慣例的に――これはただの慣例ではあるのだが、代々、国王の正妃にはフレイヤ島出身の貴族女性が迎えられた。
多くの侯爵家を抱えながら、サン島から正妃が輩出されたことは、過去を遡ってもほとんどない。
これは、サン島に対するフレイヤ島の伝統的優位性を物語る一例といえるだろう。
サン=フレイア王国が内包するこれらの問題は、大強国を内側から揺るがすほどのものではなかったが、透明度の高いグラスについた小さな傷のような、見逃しがたい亀裂でもある。
フレイア島ディオン侯とサン島ローゼン侯。
今から20余年前、両島第一の侯爵家から国王が妃を迎えたのは、天上の島が、ようやくその亀裂の修復に乗り出したといえる、第一歩でもあった。
サン島は王室とのパイプを強めるため、王室はサン島の不満を解消するため、ローゼン侯爵家の公女を王の妻に迎え入れることを決定したのだ。
そういった思惑があるだけに、今までの慣例を破ってサン島出身の侯爵令嬢を正妃に迎えてはどうか、という意見もあったが、国王自身の強い意向もあり、ディオン侯の娘が第一王妃の座を射止めた。
ディオン侯爵家の一人娘フローラと、ローゼン侯爵家の長女ベアトリス。
2人の妃は家柄、容姿共に、どちらも遜色なかった。
だが2人を知れば、多くの男は、王がディオン侯爵家の娘フローラを第一の妻に選んだ理由を、自ずと理解するだろう。
ローゼン侯爵家の姫君ベアトリスは賢く美しかったが、気が強く、自立した女性だった。
サン=フレイアの女性にしては、自己主張が強い面があったが、それ自体は、彼女の魅力を損ねるようなものではなかった。
対してフローラ姫は、まさにサン=フレイアの女性像そのままだった。聡明で奥ゆかしい。常に一歩引き、夫を立てる妻だった。また、彼女には包み込むような優しさがあった。
女性としての魅力とは別に、生涯の伴侶として選ぶとすれば、どちらの傍で疲れた心身を癒したいかと問われれば、大半の男はフローラを選ぶだろう。
――その時点で、すでに確執の火種は蒔かれ出していたのかもしれない。
サン島諸侯にとっては、島が誇るローゼン侯爵家の血を汲む王位継承者が、この矛盾をはらんだ悪習を正し、真に平等な王国を再構築する――という、積年の夢と野望を孕んだ政略結婚であったのだが、その出鼻をくじかれた形になる。
ディオン侯爵家は、サン=フレイア王国史を紐解いても、最も多くの王妃を輩出した家系であり、サン島の隠れた野心を別にすれば、フローラ姫は、何一つ文句の付けようのない正妃の器であった。
結局、当代の王の結婚問題は、様々な思惑を絡めながら、結果だけ見れば最も保守的な、サン=フレイアらしい結論に落ち着いたのである。
だが、ひとまず終息を見せたように思われたこの問題は、2人の妃の男子が、同日に――ほぼ同時刻に誕生することによって、静かに再燃することになる。
※※※
一通りの話し合いを終えた後、ジェラルドは裏口からヴァンを送り出した。
別れ際、老将軍は控えめな口調で聞いた。
「本当によろしいのですか?」
「何がだ」
「ベアトリス様のことは……いえ、失礼致しました」
振り返ったヴァンの視線に射貫かれ、ジェラルドはそれ以上は何も言わずに目を伏せた。
その最後の確認が、ヴァンの覚悟を疑ってのものではないことは分かる。
それは師としての――人としての、良心だ。
「俺の方で、第一王子が生きていて、近々戻ってくると噂を流す」
先の言葉には一切触れないヴァンに、心得たようにジェラルドは頷いた。
「宿を教えておく。動きがあればすぐに知らせて欲しい」
「――分かりました」
「……もう一ついいか。お前にしか頼めないことだ」
ジェラルドがヴァンの頼みを承諾し、2人は別れた。
裏門を出ると、マリーアが近づいてきた。目立たぬよう木陰に隠れ、ヴァンが戻ってくるのを待っていたらしい。
彼女が連れ出した門番の姿はなかった。
「あの男はどうした?」
「眠らせた」
不穏な言葉に眉を顰めると、マリーアが不敵な笑みで答える。
「酒を飲んだだけだ。向こうは気分良く寝てしまったがな」
昼間、薬屋で買った代物のことをヴァンは思い出した。
「妙なことはされなかったな?」
「なんだ、そんな心配か。何も問題はなかったぞ。サン=フレイアの男は紳士的だ」
ヴァンの心配に大げさに目を丸くしてから、マリーアは付け足した。
「まぁ、何かあっても張り倒して眠らせていたから、結果は同じだ」
これは、サン=フレイアの女性にはない勇ましさだ。
だが、その勇ましさとは別の部分で、如才なく場をしのいだ女性に、ヴァンは驚嘆した。
「お前にそんな技が使えるとは、驚いた」
「意外に女というのは、利用のしようがあることに気付いた」
5年前には男と同じ服を着て、男の嗜みである剣や乗馬で、何かとヴァンに張り合っていた少女は、あでやかな女性の姿でそんなことを言った。
「男になれないのだから、いつまでも不満がっても仕方あるまい。使えるものは使って、私なりに戦ってみせるさ」
5年前の彼女は、戦場に出ることを望んでいた。
南から度々、国境への侵攻を試みるヴァルク王国。
彼らを追い払い、完全な国境を引いて国の安全を図ることが、マリーアの望みだった。
「女には女の戦い方がある」
今、胸を張ってそう言う彼女は、あの時はまだ14歳で、『女性』ではなかった。
それから女性になった彼女が、何を捨て、選んだのかを、ヴァンは知らない。
だが今の彼女は、随分と誇らしげにヴァンの前に立っていた。
「おまえたちの嫁になるということは、私の目的にとって大きなメリットになる。サン=フレイアの軍事力が背景にあれば、ヴァルクのハイエナ共も、おいそれとスヴィドに手は出せない」
ヴァンより背も低く、肩幅も狭い女性の身体で、だがその眼差しだけは、同じ目線で物事を見つめていた。
「女の私が大きな外国交渉を任されるんだ。これを誇りに思わないわけにはいかない」
その結論に達するまで、彼女は幾多もの不条理に打ちのめされただろう。
剣を取ることを許されず、馬に乗る権利すら奪われる。
国政に口は出せず、ただ家と子を守るという大義名分のために、戦場で戦う男達の背中を見送ることしか出来ない。
女に生まれたことを恨んだこともあったはずだ。
挫折や怒りを乗り越え、彼女は今こうも堂々としている。
マリーアは、挑むようにヴァンを睨め上げて笑った。
「私はおまえも利用するぞ、ヴィンセント。そのために、今こうやって恩を売っているのだから」
「勝手にしろ」
それだけ言って、ヴァンは大股に先を歩き出した。レディを置いていくな、などと苦情も聞こえたが、彼女の方も、あえてヴァンに歩調を合わせる気はないらしい。
「女には女の戦い方がある、か……」
その台詞を口の中で復唱すると、1人の女性の姿が脳裏を過ぎった。
きっと、あの母親も戦っているのだろう。
王宮という戦場で、王の妃という鎧と、ローゼン侯爵の娘という盾を持って。
(剣は……俺か)
我が子を剣として国政に切り込む女戦士は、ヴァンにとって憎むべき相手ではあったが、同時に、その強さにある種の尊敬と畏怖の念を抱かないわけにはいかない。
あるいは、ヴァンの目的に対する、妄執にも近い執念と強固な意志は、彼女の胎内で受け継いだものなのかもしれなかった。
女は強い、などという感想を口にしたら、今ここに兄がいればなんと答えるだろう。
今更だ、と屈託なく笑うだろう。
そういえば、あの少女も、か弱く見えて意外と強い部分があった。
彼の傍らで慎ましく微笑んでいる森の家の少女を思い出し、ヴァンは「すぐに戻る」という約束の「すぐ」はもう期限切れだろうか、と詮無いことを思った。
※
それからヴァンとマリーアは、王都に潜伏しながら情報を集め、ある噂を流すことに専念した。
「どうやら、ウィリアム第一王子は生きているらしい」――と。
「毎日阿呆のように飲み歩いているだけだが、これも立派な仕事だな」
王都ブリギッドの歓楽街を、マリーアが鼻歌交じりに闊歩する。
「阿呆になっているのはお前だけだ」
その傍らで、ヴァンは溜め息混じりに突っ込んだ。
酔いが回って上機嫌のマリーアは、ブンブンと腕を振りながら、軽い足取りでヴァンの前を歩いた。目くらましのつもりか、日によって入れ替えているが、本日は女性の格好だ。
「なんだ、おまえだって飲んでいるだろうが」
「飲むのと飲まれるのは別だ」
耳を捻ろうと伸びてくる腕を取っていなすと、マリーアがむくれた。
「かわいくないぞヴィンセント」
「ヴァンだ」
つれなく答えると、「かわいくなーい」と路肩に向かってもう一度叫んだ。完全に酔っぱらいだ。
だがマリーアの言う通り、ここ数日でやっていることは遊興に近いもので、酒場で店主や客相手に、雑談混じりに情報を聞き出したり、代わりにこちらの意図する情報を吹き込んだりという、地道な工作活動だった。
こういう噂を流布するには、歓楽街という場所はちょうどいい。
「おう、知ってるかー。なんでもさっきの店で聞いた話、ウィリアム殿下がもうすぐ戻ってこられるそうだぞぉ」
飲食店が軒を連ねる賑やかな通りを1本外れた裏路地に、男の集団がたむろっていた。そこを覗きこんで、マリーアが集団に向かって叫ぶ。
それ以上奥には行かないよう、ヴァンはさりげなくマリーアを引き戻した。
酔っ払いの口ほど軽いものはなく、演技でなく酔っ払っているのだから、これほど真に迫ったもはない。
だが、弊害もある。商売女の格好をした若い女が、べろべろに酔っ払いながら声をかけてくるものだから、よからぬことを期待した輩集団が、にやけ面でぞろぞろと近づいてくるのは、自明の理だ。
だが路地裏から顔を出したところで、マリーアを押さえているヴァンに睨まれた集団は、にやけ面を凍りつかせてまた引っ込んでいってしまった。
その威力に、マリーアが感心したように言った。
「相変わらずおまえは顔面凶器だな」
「失礼なことを言うな」
「さすが泣く子も黙るヴィンセント王子……ふがふがっ」
「お前が黙れ! 今日は飲み過ぎだ」
いらないことを口走るマリーアの口を慌ててふさぐ。
「あと、あまり危なそうな連中に声をかけるな。俺が目を離した隙に何かあったらどうする」
いくらマリーアの身体能力が優れているとはいえ、馬も武器もない状態で、複数の男に取り囲まれたら太刀打ちできない。
「分かった分かった」
ヴァンの小言を聞き流し、マリーアは物色するように周囲を見回した。
「ん? あそこの連中はいやに若いな。アレなら良いだろう。おーい、おまえらー」
「こら待てマリーア」
酔っ払っているくせに、足取りだけはしっかりしているマリーアの後を、ヴァンは追いかける羽目になった。




