第十八話 信頼(4)
――どれくらい時間が経ったかは定かでないが、眠り自体は浅いものだった。
倉庫の戸が開く音がして、マリーアの意識は一瞬で覚醒した。
この船には、商品の女性の他は、船員と商人しか乗っておらず、彼らにとって『女』は大事な商品だ。
無体なことをして傷をつける愚か者はいないと踏んでいるが、おそらくは、上の船室では前祝のような酒宴が開かれており、酒にあてられた男が狼藉を働く可能性はあった。その場合は、誰が狙われようとも、マリーアは身体を張って止めるつもりでいた。
警戒して身を起こしたマリーアの目に入ったのは、かなり長身の影だった。
同じ心配をして、壁に張り付いて息をひそめる女性たちの間を、大股に近づいてきた男は、近くで見ると知った顔だった。
「どうした。おまえたちは、船室で酒が飲めるはずだろう」
そうと分かると一気に緊張感が薄れ、マリーアは相手を見上げて声をかけた。相手の男は、これ以上ないしかめ面で答えた。
「不愉快だ」
その一言で、だいたい想像はついた。
「まあ座れ、彼女たちが怯えている」
言われ、ヴァンは少し気が咎めたようだが、すぐに開き直ったように、マリーアの向かいに胡坐をかいた。
「おまえが女の園を好むとも思わんが」
「上の乱痴気騒ぎよりはマシだ」
予想通りの仏頂面に笑いをこらえる。
やはり密輸商人たちは、船室の方で酒盛りをしていらしい。おそらくは酒気に乗じて、彼の嫌いな類の話が飛び交っていたのだろう。
「ならば口直しに、おまえが好む話をしてやろう」
「……何だ?」
含みのある言い回しに、ヴァンが露骨に嫌そうな声を出した。このあたりは、相変わらず分かりやすくて可愛げがある。
マリーアは背後の麻袋を探り、先ほどの破れた部分から、ひとつまみの草を取り出した。それを見たヴァンが呆れた。
「バレたらただでは済まんぞ」
「私のせいではない。最初から破れてたんだ」
しゃあしゃあと答え、マリーアはヴァンの目の前に指を突き出した。
「『クラッシュ』だ」
その言葉に、ヴァンが息を飲んだ。指の間に挟まれた枯れた葉を睨む視線は厳しく、素早くその意味を飲み込んだことが分かる。
「シュヴァルトからも来ているのか」
「面白いだろう?」
「ああ、面白い」
言葉とは裏腹に、その表情は固く、眼差しは真剣そのものだ。
「商魂たくましい人間に対して、規制など無意味だ。海を鉄の壁で囲むわけにもいかない以上、抜け道はいくらでもある」
彼の口から淡々と紡がれる現実に、マリーアはもう一つ事実を重ねた。
「この船はまだ可愛いものだ。もっと恐ろしい物を運んでいるやつらもいる」
「……武器商人か」
察しのいい相手に、マリーアは深く頷いた。
サン=フレイア王国は、表向き、大陸国家に対する武器の輸出は禁じている。
だが、海軍を筆頭にサン=フレイアの軍事力は群を抜いており、その技術――特に、大陸にはまだほとんど広まってない、高性能な銃器類――は、天上の島の後を追う大陸国家にとっては、何をおいても模倣したいものの一つだった。
サン=フレイアの高い技術力を、武器という形で大陸へと輸出する。
それは、大陸国家の戦火に巻き込まれぬよう、鎖国の道を選んだ自国に対する、裏切りにも等しい行為だ。
だが、いくら国内で規制を設けようとも、国境を抜ければ合法も不法もない。
売り手と買い手がいる限り、国境も歴史的障壁も超え、世界は繋がる。それはいくら堰き止めようとも指の間からこぼれていく水のようなもので、誰も抗うことの出来ない時流だ。
「滑稽だな」
ヴァンは、この麻薬を見つけた時のマリーアと、同じ感想を口にした。
「鎖国だ、戦争だ、と騒いでいる裏で、こうやって世界は繋がっている。シュヴァルトとサン=フレイアが牽制し合うことで大陸の均衡が保たれていると言いながら、シュヴァルトは薬を、サン=フレイアは武器を互いに与え合っている」
実に喜劇のような話だが――それは、いずれ悲劇に変貌するかもしれない。その思いを互いに抱きつつも、口にすることはない。する必要がない。
どこまでも冷静に述べるヴァンに、だがマリーアはこみ上げた笑いをこぼした。
「なんだ?」
「いや、昔のおまえなら、こういうのに拒否反応を示していただろうと思ってな」
「それはお前もだろう」
「まあな、それはそうだ」
麻薬に武器の密輸、人身売買。今、当たり前のように話しているそれらが、決して好ましいものではないのは、重々理解している。だが、単純な善悪で断罪したところで、何かが変わるわけでもないのも確かだ。
『悪』は必ずある。目に入るか入らないかだけの違いで、昔の自分たちの目には、ただ映ることのない世界だったというだけの話だ。
「気分がいいものではない。だが、これが現実だ」
「そう、これが現状だ」
現実と言ったヴァンの言葉を、マリーアは現状と言い換えた。
「密輸商船を1つ潰したところで何も変わらない。だが、もっと大きな形で、変えられるものもある」
そう言ったマリーアを映した紫水晶の瞳が、驚きに揺らいだ。
きっと、それは彼が内心で呟いていたのと同じもので、この男と同じ目線で物事を見ている己に、マリーアは自尊心が満たされるのを感じた。
※
――この女は、どこまで己と同じものを見ているのだろう。
そう思い、驚きを隠せず見つめた相手は、なぜか満足げな顔で見返してきた。
不思議な見つめ合いが続いたところで、横合いから小さな笑い声が聞こえた。
「クスクス」
その声に、2人が同時に振り返ると、マリーア達から距離をあけて座る女性のうち、一番近いところにいた少女が、探るようにこちらを見つめていた。
目が合うと、少女は立てた両膝を両手で抱え込んだ姿勢のまま、上目遣いに聞いてきた。
「ねぇ、2人って恋人同士?」
「は?」
今の会話で、恋人同士に見える場面があっただろうか。
「だって、どう考えたって、商人と身売りさせられる女の人って感じじゃないんだもの」
少女のもっともな指摘に、マリーアがヴァンの方に身を寄せて、肘でつついてくる。
「怪しまれたぞ。おまえの演技が下手糞だからだ」
「演技の必要があるなら最初から言え」
ひそひそと囁いてくる相手を横目で睨むと、少女が器用に座った姿勢のままにじり寄ってきた。どうやら、話しかける機会を窺っていたらしい。
「ねぇねぇ、実は駆け落ちとか?」
「いや……」
「じゃあ、身分を隠してこっそり入国しないといけない理由があるの?」
「…………」
当てずっぽうだろうが、妙に鋭い事を言われて貝になる。
「まあ駆け落ちみたいなものだ。なぁ」
「…………」
適当に話を合わせようとするマリーアに肘でつつかれ、しかしヴァンは渋面で黙り込んだ。
「そういうことにしておけ」
かなり強引にねじ込まれるも、口に出して肯定するのははばかられ、ヴァンは黙って頷くにとどめた。
そんな2人のやり取りを、少女が声を殺して笑う。
「いいな……」
無意識に漏れたような呟きが聞こえて、視線を上げると、こちらを見ていた少女と目が合う。
すると、相手の方が慌てて目を逸らした。
「スヴィド人ではないな」
近づいてきた少女の容貌を見て、マリーアはそう判断した。
まだ12、3歳ほどに見える。気の強そうな、器量のいい娘だ。
「うん、生まれはヴァルクだよ」
「随分と明るいな」
答える少女の顔に悲壮感はなく、ヴァンは率直な感想を口にした。
「親に売られたのか?」
その推測は、船室で聞いた商人たちの話を根拠にしたものだ。
人身売買の仲介業者にもいくつか種類があるが、この船に乗る商人たちは女衒にあたるようだった。
多くの場合は、貧困層や無知な少数民族など、社会的弱者の弱みにつけ込み、金銭によって家族や配偶者から若い女性を買って、都会の娼街に売り飛ばす人種だ。
中にはいくつもの国境をまたいで商売を広げている者もおるらしく、今どこにどういった需要があるかといった飯の種を教えてくれる者もいたが、はっきり言って必要のない知識だ。
それでも社会の一面を見るという意味で、まだある程度の価値を見出せたが、そんな話も長くは続かず、後には下品なだけの乱痴気騒ぎが始まり、辟易して出てきた、というわけだ。
まだ年端もいかぬ少女がこのような場所にいるということは、大方そういう事情だろうとの推測だったが、少女は首を横に振った。
「親はいないの。私が小さいときに、戦争に巻き込まれて死んじゃった。それから、ずっとお世話になってた孤児院がなくなって……」
「ヴァルクの戦争孤児か……」
マリーアが痛ましげに眉をひそめる。
「他の子どもたちは?」
「みんなバラバラになっちゃった。どこかに引き取られた子もいるし、逃げ出した子もいるし……私は、知らない男の人たちが迎えに来た。よく分からないけど、多分、院長に売られたのね」
肉親ではないとはいえ身内に売られた――という事実を、やはり彼女はあっけらかんと話す。
「辛くはないのか」
「どうして?」
ヴァンの問いかけに、少女は心底不思議そうに聞き返した。
「だって天上の島に行けるのよ? 行き先がサン=フレイアだって聞いて、私は飛び上がって喜んだわ」
「…………」
意外な言葉だったので、ヴァンは目を丸くした。
「だって天上の島は豊かで、なんでも揃っているんでしょう。上手くすればサン=フレイアの素敵なお金持ちに見染められて、玉の輿も狙えるかも!」
周囲をはばかって声を落としながらも、こぶしを握って力説した少女の目は、希望に燃えていた。
ヴァンは腕を組んだまま天井を仰いだ。
「女とはたくましいものだな」
「まったくだ」
くっくっく、とマリーアが耐えられないように声を殺して笑い続ける。
この薄暗い船倉にあって、彼女のどこまでも前向きな生き方は、頼りないランプの光よりも、周囲を明るく照らす。
「何よ。笑わないでよ。絶対幸せになってやるんだから」
「ああ、すまない。その意気だ。私も見習わせてもらう」
涙目になるまで笑い転げていたマリーアが、頬を膨らませた少女に叱られて謝る。
「幸せというのは、掴もうとする人間が掴むものなのだ。きっとな」
そう言って腕を伸ばし、やや強引に少女を抱き寄せる。驚いた少女は豊かな胸を顔に押し付けられ、じたばたしながら顔を赤くした。
その時、ガタン、と大きな揺れが船底を襲い、周囲がざわめいた。
「もう着いたのか?」
揺れの変化から推察したのか、マリーアがそんなことを口にする。
「早すぎる」
船は順調に進んでいたが、時間的には、まだ航海は中程のはずだ。
ヴァンは腰を浮かし、耳を澄ませたが、ここからでは上の階の様子はうかがえない。
「様子を見てくる。お前達はここを出るな」
そう指示を出し、ヴァンは一人、上甲板へと向かった。




