第十六話 信頼(2)
「――本当に行くのか、ヴァン」
ゲルの裏手での立ち話が続く。男の姿で問いかけたマリーアの声音は、一転して真剣だった。
「……動くなら今だ」
ヴァンの台詞に力強く頷き、彼女が口にした言葉は意外なものだった。
「時流だな」
「分かるか」
「分からないでか」
みくびるな、と彼女は笑う。
時流を見定める力は、為政者に必要とされる能力だ。
だが、全ての為政者が、必ずしもその目を持ち合わせているわけではない。
「法王陛下が、聖日祭の式典を欠席されたという話は聞いているか」
「無論」
ヴァンの問いに、マリーアは短く答えた。
「もはや予断を許さぬ状況なのだろう、というのが国家元首の見解だ」
国家元首とは、つまりは彼女の父なのだが、マリーアは話の内容によって呼び名を使い分けた。
「上の男連中も動揺している。報告が入ってすぐ、異例の緊急部族長会議が開かれたほどだ」
12の部族長――現在は12の自治共和国の首長が、顔をつきあわせて今後の国家の方針を話し合う、重要会議だ。
「どの国も、コンクラーベの時期が現実的に近づいていると考えるだろう。陰に日向に票取り合戦が激しくなる」
マリーアの的確な予想に、ヴァンは頷いた。
イザヴェル皇国の国王と、アース教の教皇は同じ人間だが、厳密にはその存在、役割は区別されており、便宜上、宗教的には教皇、政治的には法王という呼び方がなされることが多い。
王位は長子継承制だが、教皇位は、12名の枢機卿と1名の大枢機卿の全会一致が条件だ。
このコンクラーベ――次期教皇選出のための選挙は、順当なる継承者がいた場合は、儀礼的なものだ。
だが稀な事例として、複数の候補者が擁立された場合、コンクラーベは絶大な権威と大きな意味を持つ。
「昔に比べて、宗教と政の分離が進んだ今、国家としては小国でしかないイザヴェル皇国の外交力は、過去になく弱まっている。その穴埋めとして、婚姻によって大陸国家との同盟関係を強化し、現状維持しているのが現実だ」
国家元首の娘は、『外交官』の顔と声で続けた。
「直系の断絶が現実的な今、血統を遡って人選を行う他ないが、そこに各国の思惑が乗るのは疑いない。これは、形を変えた戦争だ」
戦争――その彼女の言葉は重たかったが、寸分の狂いもなく正しかった。
教皇位候補の選出は、最高機密だ。
一体どういった人選が行われてるかは定かではないが、ヴァンの母国であるサン=フレイアは、長らくイザヴェルに縁戚を出していないので、蚊帳の外だ。
だが――これはヴァンにしか知り得ない情報ではあるのだが――このタイミングでウィルが王位につけば、話は変わってくる。
その思惑の外で、マリーアが真剣な面持ちで前を見据えていた。遙か先の道を見据える顔だった。
「何せ、165年ぶりの教皇選挙による選出だ。統一王朝の崩壊後から数えれば、初めてになる。どの国も、自国の影響の強い血筋を後継者にしたがる――この結果如何で、大陸の未来図が大きく変わる」
――その大きな荒波に飲まれている、無辜の少年が一人いる。
半年前、イアルンヴィズの森に飛び込み、彷徨い歩きながら『森の家』へと辿り着いた子供――本名を、リディオ=フェルナンド=リーヴ=フェリーニ=イザヴェルという。
現教皇と同じ、イザヴェル皇国フェリーニ朝の名を持つこの少年を、ヴァンたちはリッドと呼んでいた。
オルフェンの町で、教皇の式典欠席の話を聞いた後、同居人たちを集めた席でフィオナに説明したことは、彼女以外の全員が、その渦中の人物がリッドであることを知っている。
彼女にあえて話していない理由は、色々あるが――一番は、リッド本人がそれを望んでいないからだ。彼はまだ気持ちの面で、己が現教皇の実子であることを否定している。
それらの全ては、半年前、本人の口から聞いた話でしかなく、公には彼の存在は伏せられていた。
その信憑性を含めて審議中――としている教皇庁内部の混乱は容易に想像がつき、当時まだ14歳の少年が、その場から逃げ出したことには、大いに同情の余地があった。
異大陸人であるカミュが、客観的に述べた感想の通り、その『隠し球』は、敬虔なるアース信徒たちにとっては、聖者コンスタンティンから120年続く確かな血統の存続という、これ以上ない朗報だったが、政治的には、すこぶる衝撃が大きかった。
未公表という措置は、いつでも握りつぶせる状況を継続することで、その衝撃を飲み込む時間を作るという、先送りの手段でしかない。
その最中に、渦中の次期教皇候補が失踪してしまったのだから、かの国の内部では、あらゆる思惑が錯綜しているだろうが、他国の有象無象の陰謀策略までは、ヴァンの関知するところではない。
だが、そのヴァンの耳にも、確かに聞こえてくる音がある。
「時代が変わろうとしている呻きが聞こえる」
そう言って、耳を澄ますように目を閉じたマリーアの表情は、凛々しい。
「おまえもそうだろう? ヴィンセント」
動き出している――その予感を感じている。
そして、そのことに気付いた者たちが、それぞれの場所に還ろうとしている――それぞれの思惑を乗せて。
出会った頃から幾度となく過ぎった彼女への想いを、ヴァンはやはり、改めて実感した。
彼女が男であれば、どれだけ頼もしい友となっただろう、と。
――祖国サン=フレイアは、変革の時を迎えている。
今のままの孤高を貫こうとしても、急速に力をつけている大陸国家に、いずれ足下をすくわれるだけだ。遅かれ早かれ、その時は来る。それは、多くの者が薄々感じながら、それでも直視しようとしない――まだする必要がないと認識している――事実だ。
サン=フレイアは、まったく新しい形で大陸との関係を築いていかなければいけない。
だが、長い歴史の中で培った溝は深く、そこに至るまでの過程には、多くの困難が立ちはだかるだろう。
そんな中で、最も近しい国であるスヴィド共和国との国交は、諸外国がサン=フレイアの外交姿勢を測る、一種の試金石となる。
彼女が男であったなら――そして同時代に、最も近しい国の元首たる立場の人間であれば、どれほど頼もしい隣人であっただろう。
そんなことを、将来妻となるかもしれない女性相手に思うのは、甚だ失礼なことなのかもしれない。
さほど性差を意識する必要のなかった時代なら、無邪気に賞賛の言葉として投げかけることもできたが、それも今となっては、口に出すのも愚かしいほど現実を無視した言葉であり、ヴァンは胸に抱くに留めた。
「さて、ここからは交渉だ」
言いながら、マリーアはヴァンの横を通り過ぎ、クンツァイトと並んで繋がれた、己の愛馬へと近づいた。
「私はおまえに、足がつかないようギャラル海峡を渡る商船を手配しよう。無論、クンツァイトも乗せられるようにする」
その助力は、願ってもないものだった。ヴァン1人が商船に潜り込むことは、さほど難しいことではないが、目立つクンツァイトを船に積載すれば、どうしたって足がつく。
この難題がクリアできない場合、最悪、故郷であるこの平原に放とうとも考えていたくらいだ。
「これほど忠義の馬が、主と離れ離れになるのはかわいそうだからな」
そんなヴァンの考えを見越していたのだろう。クンツァイトのたてがみを撫でつけながら、そう言ったマリーアが『交渉』を口にした。
「その代わり、もちろん私も行く」
何を言い出すのかと思った。
「何を――」
「なんだ? こちらがいい条件を提示してやっているのに、それくらいの要望も飲めないのか?」
「お前に何の利がある」
「手の内を全て見せてやる必要もないだろう」
思わせぶりに、マリーアはそう言うにとどめた。
「まぁ、悪いようにはしない、ということだけは保証しておこう。おまえとしては、味方の1人でもいた方が心強いかと思うが?」
単身、サン=フレイア王国に入国した後のアテは考えている。人手が必要なわけではないが、信頼できる人手ならば、あって損になることはないのは確かだ。
「……分かった。船の件は是非とも頼みたいところだ。だが──今更言うまでもないが、先行きに何の保証も出来ないぞ」
「おまえというやつが、随分と弱気なことを言う」
マリーアが笑った。
「負けられない道を選んだのだろう。ならばもっと自信を持て」
そう言い切り、マリーアは軽やかに馬に飛び乗った。
「……慣れたものだな」
「フフフ……」
ヴァンの指摘に、男装の麗人は馬上で忍び笑った。
スヴィドの女性が馬に乗っていいのは、成人までだ。それがこうも乗り慣れているところを見ると、きっとこうやって、普段から男のふりをして乗り回しているのだろう。
「こんなお転婆娘が家長を務める長女では、元首の苦労がしのばれるな」
クンツァイトにまたがり、ヴァンはため息交じりに呟いた。
スヴィドでは、家長は代々女の長子が継ぎ、政治と狩猟は男が取り仕切る。
家と子は女のもの、政と戦いは男のものということだ。
従来であれば、マリーアは成人と同時に結婚して婿を取り、一族の家長として仕切る立場になるはずだった。
それが、外国との婚約という話が持ち上がっている今は、結婚は保留となったまま、暫定的に家長の立場を任されているらしい。
「なに、いずれ私は家を出る身だ。従妹に一つ下のしっかり者がいるので、そいつに大方任せている。どうせそういう体制になるのだから、初めからそうしておいた方が効率がいい。組織の頭が急に変わるのは、男集よりも女組織の方が面倒なんだ」
便宜上の頭を務めているというマリーアは、どこまでも合理主義な主張を口にした。面倒だから任せているという本音をそれらしく言っているようにも取れるが、理には適っているように聞こえた。
なるほど、外交官だ。
「それよりも、南のコバエがうるさい。蠅叩きを持って走り回るのに大忙しだ」
「それで弟たちを私兵にして領内をパトロールか」
付き合ってやる弟たちも物好きだが、それだけこの姉が強権なのだろう。
ヴァンの突っ込みに、マリーアは苦笑した。
「私に付き合ってくれてるのは、下の3人だけだ。一番上の弟はもう成人しているし、次期元首として色々思うこともあるのだろう。父親によく似てきた。私の行動を苦々しく思っているよ。昔はよく、裸足で取っ組み合いの喧嘩をしたものだというのに」
長男の苦労は分かるような気がした。
そんな会話を交わしながら、マリーアが少し離れた場所にあったゲルの1つに近づく。
「あそこは三男と四男のゲルだ。末っ子がまだ12なので、2人で寝泊まりさせている。向こうのゲルが二男、あっちは従者をまとめてひっつめてある」
マリーアのざっくりした説明を聞いていると、馬蹄に気付いたのか、ゲルの中から2人の少年が顔を出した。
三男と四男だ。
「リヒャルト、ユージン。私は今から、この男と逃避行に走る。親とゲオルクの兄貴は適当にごまかしとけ」
「おいマリーア」
強引かつ無茶苦茶な物言いに、ヴァンは突っ込んだ。
だが、リヒャルト――14歳の三男は、そんな姉の無茶ぶりにも慣れた様子で答えた。
「了解。どんな男だって問い詰められたら、なんて答えたらいい?」
「白馬に乗った金髪碧眼の美男子だとでも言っておけ」
「ハハハ、まるでアルファザードの白薔薇の君だ」
友好国の名物王子の顔を見知っているらしい三男が笑った。
親の目をごまかすための方便だろうが、あの男みたいだと笑われたことに理不尽を感じる。
「いいな、ユージンも」
「…………」
確認され、12歳の末弟が無言のまま頷いた。マリーアと同じ青髪の、少し生意気そうな眼をした少年は、最後にヴァンを睨みつけてきた。
「さて、行くか」
「二男の方はいいのか?」
軽いノリで手を振る三男と、その兄に肩を抱かれる四男に見送られながら聞くと、マリーアは、またそれらしいことを口にした。
「コンラートは、この前成人したばかりだ。本来なら私を止めねばならん立場だが、対応に悩むだろう。このまま勝手に出て行った方が親切だ」
それでも親や長男からの小言は受けねばならないだろう。
同情をしつつ、足を止める理由にはならないので、ヴァンはマリーアを伴い、再び北西へと走った。
「あのユージンという末の弟だが」
「うん?」
「不満そうにしていたが、大丈夫か」
三男に口止めをしていても、四男の方がはたして従うのかという確認だったが、マリーアは杞憂だと笑った。
「あれは、おまえに妬いていたんだ。実際、ユージンは兄弟の中で誰よりも私に忠実だ。心配はない」
そう言ってから、何のスイッチが入ったか、いきなり声を上げて笑った。
「なんなんだ」
「いや、おまえがユージンのことを、そう心配するとはな」
「どういう意味だ」
「あいつ、誰かに似ていると思わないか?」
「誰か?」
「昔のおまえだ! あいつを見ていると、たまに思い出す。おまえも、よくあんな目で私のことを睨んでいたものだ」
「……ッ」
掘り返された過去に心当たりがあり、ヴァンは言葉に詰まった。マリーアの方は軽やかに笑いながら、言い逃げるように愛馬の速度を上げる。
ヴァンも、クンツァイトに鞭を入れて、その後を追った。




