第十四話 再会(4)
眠りに落ちると、また夢を見た。
マリーアと初めて出会った時の夢だ。
――思い返しても、彼女以上に衝撃的な出会いをした女性は、記憶にない。
2人の王子が15歳の年、サン=フレイア王室に1つの話が持ち上がった。
スヴィド共和国国家元首の娘との婚約話だ。
それが他の国の王室の話であれば、さほど珍しい事例でもなく、また特別に問題になることもなかったかもしれない。
だがそれは、サン=フレイア王室にとっては青天の霹靂といっていい事件だった。
サン=フレイア王国は、アース歴以前――暗黒時代と呼ばれる混沌の末期から、500年以上に渡って、大陸不干渉の原則を貫いている。
これは大陸が未曾有の戦乱に荒れ狂い、多くの人命が失われた時代に、当代の王が遺した言葉によるものだ。
『我々は神の海に囲まれた天上の島に住む』
『繁栄はサン=フレイアの中に有り、サン=フレイアの他に無い』
王の遺志に従い、大陸国家への干渉を避けた島国は、エーギル海に守られ、戦火に見舞われることがなかった。
結果、壊されることなく蓄積されたサン=フレイアの技術と文化は、暗黒時代に白紙に近いまでに逆行した大陸文明との、相対的価値を著しく高めることになる。
これが、彼らが100年に及ぶ戦乱の負の遺産を一切負うことなく、現在においても確固たる地位を築いている、大きな理由である。
もっとも、交易に関してはその限りではない。
サン=フレイアは古くから海洋技術に秀で、貿易商人としての顔を持つ。時と場合により制限は設けつつも、西大陸側の主要国との交易路は開かれており、例を挙げれば、グレイス共和国の特産グレイシアス・ガラスは、サン=フレイアでも重宝される高級素材だ。
だが、政事に関しては徹底的な線引きがされており、そもそもが地続きの国々の不毛な争いに巻き込まれないよう、大陸との交渉を絶った島国にとっては、戦時の相互援助が目的となる同盟などは、求めるべくもない。
結果として、王室に国外の貴流を迎えようなどという話が持ち上がることなど、あり得なかったのである――これまでは。
だが近年は、著しい成長を見せる大陸諸国に危機感を抱く声も国内に上がり始め、今こそ門戸を開く時ではないかという機運が、徐々にだが高まりつつあった。
だが元来慎重なサン=フレイアの国質から、まずは交易の拡大や制限的な条約の締結などから……という流れだったはずが、いきなり一足飛びに国外の有力者の娘――スヴィドは共和制だが、国家元首は実質的にマルティ自治共和国首長一族の世襲制であり、立場としては王女に等しい――との婚約という話になったのは、時流を感じた一部の急進国際派が、19年前の特例を前例として持ち出したからに他ならない。
王室に連なる者が、大陸国家の王室に嫁いだ例があるのだから、サン=フレイア王室が国外の貴流を迎え入れるのもおかしいことではない――というのが彼らの論であり、前例踏襲主義である王政庁、元老院の保守派も、「前例がない」という紋切りを封じられ、大いに揺れた。
当然根強い保守派の反対があったはずだが、結果は意外な形で出た。
どういった経緯を辿ったかは定かではないが、ウィリアムとヴィンセントの元に寄こされたのは、スヴィド共和国国家元首の娘が婚約者になる――という決定事項だけだ。
しかも、「どちらかの」という但し書きつきで。
「なんだその、どちらかの。とは!」
その含みのある采配に、不満を爆発させたのは、やはりヴィンセントの方だった。
「俺とヴァン、その時の政情によって都合の良い方に嫁いでもらう……っていう保険だね。慎重で高慢なウチらしい条件提示だよ。国内で日和って、国外には居丈高なんだ」
クスクスと笑うウィリアムの指摘は、15歳という年齢にしては的確過ぎて、ヴィンセントは、己がもっと身近な部分で腹を立てていることに、若干恥じ入った。
だが引っ込みがつかないので、そのまま憤りを口にする。
「相手の女性に対しても失礼だろう。相手が決まらないまま婚約など」
フン、と鼻を鳴らすと、ウィルが軽やかに笑った。
「俺は君のそういう律義なところ、好きだよ」
「……っ」
本人にからかっているつもりはないのだろうが、なぜだか気恥ずかしくなり、ヴィンセントは赤くなって威勢を飲み込んだ。
城の中に引きこもることを嫌うウィリアムが、ヴィンセントを連れて王城の堀の周りを一周するのは、数日に一度の習慣のようなものだった。
サン=フレイア王国は、緯度的にはアースガルダ大陸北部と同等だが、エーギル海を流れる暖流の影響で、1年を通して比較的温暖な気候だ。冬も、標高の高い山々を除き、雪が積もることは滅多にない。
それでも、緩やかな季節の移り変わりはある。堀の周りには、四季折々の緑が植えられていて、鳥や魚、野生動物たちも生息していた。
遠出の出来ないウィリアムが変化に富んだ自然を感じられる、一番身近な場所だった。
ゆっくりと車椅子を押しながら、小一時間ほど堀の周りを巡る散歩は、耳目をはばからず兄弟だけの会話を楽しめる時間でもあった。
「でも、相手のお姫様も、なかなかしっかりしてるみたいだよ。相手がはっきりしないってことで、その条件を飲み込む代わりに、1ヶ月間のサン=フレイアへの留学を申し入れてきた」
「留学……女がか。1人で?」
「一応、お付きの人くらいはいるだろうけど……スヴィドは共和制だし、3年前ほど大がかりなことにはならないんじゃないかな。ご両親は、期間中に1度見学に来られるとかなんとか」
3年前には西大陸の大国の王子が、親善大使をかねて半年間の留学に訪れたが、入国時はそれはもう大変な大名行列で、国内全土から観光客が訪れたほどだ。
「スヴィド側からの戦略的な申し入れなら、やるな、って思うけど、本人のワガママだって言うんだから、面白いよね。曖昧なこと言うなら、顔くらい見せろ! ってことかな」
それがどこまで事実かは分からないが、本当だとしたらかなり破天荒な話だ。
スヴィド共和国の国家元首の娘、マリーアは5人兄弟の長女であり、下に4人の弟がいるのだという。男兄弟ばかりの環境が影響しているのかは定かではないが、話を聞く分には、なかなかに気の強そうな女性だ。
「敵情視察? 俺たちも品定めされるってことかな?」
「なんで楽しそうなんだお前は」
「ヴァンは嫌なの? 年の近い友達が来るなんて楽しみじゃないか。レナード以来だよ」
「だから嫌なんだ」
渋面で答える。
会ったことのない婚約者を友達呼ばわりしている時点で、すでに何か違っているような気もするが、ウィリアムは、今日王都入りするというスヴィドの姫君に興味津々のようだ。
それがまた、なんとなくヴィンセントには気に入らない。
そんな会話を交わしつつ、2人が複数ある城門のうちの1つ――正門とは真反対にある小さな門だ――を通り過ぎようとした時、
「そこの暴れ馬! 止まれ!」
激しい馬の嘶きと馬蹄、そして追いすがるような男の声が届いた。哨戒中の兵士の1人だ。
思わず、2人は立ち止まってそちらに視線を向けた。
「待て、そっちには行くな! おい、誰か衛兵……って、あああっ?!」
追いすがる兵士の声が青ざめる。暴れ馬の進行方向に、2人の王子の姿を見つけたらしい。
当のヴィンセントとウィリアムは、目の前に迫り来る光景に唖然とした。
漆黒のたてがみを振り乱し、大きな馬が暴れ狂いながらこちらへと向かってくるのだ。
しかも、その上には子供らしき小さな人間がしがみついており、今にも振り落とされそうになりながら、馬上で振り回されている。
一瞬、その馬のアメジストの眼が、こちらを向いた気がした。
それが気のせいでなかったことを証明するかのように、暴れ馬が明らかにこちらを標的にして突進してくる。
ヴィンセントは咄嗟に車椅子を引いて兄の盾になろうとしたが、あまりに突拍子のない事態に処理が追いつかず、うまく身体が動かなかった。
「そこの2人! 退け!」
馬上の人間の切迫した声が聞こえた。やはり少年らしい、幼い声だ。
見慣れないものに興奮したのか、暴れ馬の狙いは、明らかに車椅子に乗ったウィリアムにあった。
少年が叫ぶ。
「やめろ! クンツァイト!」
だが漆黒の馬は雄々しい嘶きを上げながら、車椅子の目の前で前足を振り上げ──
――その足を、ウィリアムの目の前に下ろした。
「止まっ……た……?」
呆然とした声は、馬上の少年のものだ。
ぶるんぶるんと大きな鼻を震わせながらも、先ほどの興奮が嘘のように静まった馬は、車椅子の前に佇み、じっとウィリアムを見下ろしていた。
ヴィンセントも、ウィリアムも、馬上の少年も――時が止まったように静まり返った。そして……
「ぷっ……はははっ」
その沈黙を一番に破ったのは、この状況で声を上げて笑い出したウィリアムだった。
そこでようやく金縛りが解けたように、ヴィンセントと少年が動き出す。ヴィンセントは慌てて車椅子を馬から引き離し、少年は馬上から飛び降りて手綱を握り直した。
「貴様! なんてことをしてくれたんだ! 馬共々引っ立ててくれるわ!」
ようやく追いついた兵隊が、少年の首根っこを掴む。かなり激昂している男が、息を切らしながら怒鳴るのを、少年は堪えた様子もなく憮然と聞いていた。
「やめておけ」
そう言ったのはウィリアムだ。少年を引っ立てようとしていた兵士は、すかさず王子に向き直り、直立の姿勢で敬礼した。
「失礼しました! ですが、この者はお2人に危害を……」
「危害は加えられていないし、この子にもそのつもりはなかったはずだ。俺の目の前で止まったこの馬は、とても賢い」
ウィリアムが青毛馬を見上げると、馬の方が首をかしげる動作をして見つめ返した。よく見ると、顔つきは愛らしい。
「それに、彼女は来賓だ。丁重に扱うように」
「………………は?」
沈黙はその場にいる全員のもので、かろうじて声を発した兵士も、意味が分からずに、片手に掴んでいる少年をジロジロと眺め回した。
少年の方は、惚けたようにウィルを見つめていたが、兵士の視線を感じて睨み返し、べっと舌を出した。
問題の人物は、ヴィンセント達と同じ年くらいか、やや幼いように見えた。日に焼けた肌に、スヴィド人特有の青みがかった黒髪と、やはり黒に近い藍色の瞳を持つ、健康そうな少年だ。服装は、スヴィドの男がよく着る、乗馬用の動きやすい民族衣装だった。
「遠いところをわざわざお越し頂いたのに、このような形でのご挨拶になってしまい申し訳ありません」
だが、戸惑う兵士とヴィンセントを尻目に、ウィリアムは丁寧な口調で少年に詫びを入れた。
「ようこそサン=フレイアへ、マリーア姫」
そして、誰もが目を奪われるような天使の微笑みで、『彼女』を歓迎した。
「姫?」
ヴィンセントは目を丸くした。
「マ、マリーア姫……!?」
動揺した兵士が声を上げ、慌てて『彼女』から手を離す。
「いい。許す」
端的な許しの言葉は兵士ではなく、ウィリアムの方を向けて発せられた。
「おまえたちが王子か?」
大きな濃藍の眼差しが、臆することなく2人を映し出す。
兵士もヴィンセント達も心得ており、城外で素性の知れぬ者を前に、2人の身分が明かされるような言動は取っていない。
「……よく分かったな」
少し迷ってから、ヴィンセントの方が肯定した。目の前の人物が本当にマリーア嬢であるならば、ごまかすわけにはいかない。
「城の人間で、同じ年頃の男が2人いれば、なんとなくアタリはつく」
「…………」
あっさりと言われた言葉に、別の意味で驚いて沈黙する。
「……一目で男って分かってもらったのは、久しぶりだな」
ウィリアムも同じ気持ちだったのか、自虐気味に笑った。
だが、マリーアは重ねて断言した。
「何を言っている。お前はどう見ても男だろう」
第一王子であるウィリアムは、母親によく似たもの優しげで繊細な容貌を持ち、線が細かった。
特に、車椅子を使うようになってからは、儚げな印象が先立ち、彼の正体を知らないで見た者は、ほとんど例に違わす少女と間違える。
このエピソードは、マリーアの持つ本質を見抜く観察眼と、先入観に惑わされない冷静沈着な性質を、端的に表したものであったのだが、当時のヴィンセントは、野生児のようだから野生の勘でも働いたのかもしれない――と、当人に聞かれたら甚だ失礼な感想を抱いていた。
むしろヴィンセントからしたら、この野生児が女だということの方が、信じられなかったりしたのだが。
「……だよね。初対面で間違われ過ぎて、俺も変に慣れてきてたのかも」
目の前で胸を張る少女の言葉に、自嘲するようにウィリアムがはにかむ。
「ありがとう。そう言ってもらえて嬉しいよ……っていうのも変かな?」
「へんだ」
「あはは……だね」
やはり言い切られ、笑う。妙な仲間意識とでも言うのだろうか、初対面ながら急速に距離が近づいたような2人の雰囲気に、ヴィンセントは戸惑った。
「それに、暴れ馬に襲われて大笑いするような女など、サン=フレイアにはいないだろう」
フッ、と女性らしからぬ不敵な笑みを浮かべてみせるマリーアに、ウィリアムは対照的に柔らかな微笑で答えた。
「うん。それに、暴れ馬に乗って王城の門に突入する女の子も、たぶんいないだろうね」
「…………」
笑顔で痛いところを突かれ、マリーアは腕を組んだ姿勢のまま、みるみる赤面した。
それは2人の前で初めて見せた、女の子らしい顔だった。




