第十一話 再会(1)
――『覚悟』がなければ、初めから踏み出してはいけない一歩だったのだ。
その日は、5つ下の弟、エドゥアルトの12歳の誕生日だった。
昼夜を通して盛大な祝いの席が設けられ、サン=フレイア王国の王都ブリギッドに在る王城には、国中から王侯貴族が集まり、第三王子の健康な成長を讃えた。
第二王妃であるローゼン侯爵家の娘ベアトリスの第二子の祝いということで、サン島ゆかりの名だたる貴族はもちろん、果ては新興都市貴族までが招かれたその大広間に、2人の上の王子が踏み入れた瞬間、ざわめきが止んだ。
広間の注目を一身に集めたのは、長身の少年に車椅子を押されて入ってきた少年――第一王子ウィリアムだ。
どこか静謐な空気が場に流れ、おのずと人波が割けて、道を作る。
月の光を溶かし込んだような長い銀髪を、肩口で緩く結わえた貴人は、白い面を上げ、たおやかな微笑を浮かべた。
淡く色づく唇が弧を描き、紫水晶の瞳が周囲の視線に応えるように見返すと、どこからともなく切なげなため息が漏れた。
現宰相に奥ゆかしきサン=フレイア女性の理想像といわしめた、第一王妃フローラによく似た優しげな面立ちは、16歳という少年期特有の危うい魅力と重なり、ある種の神性さすら醸し出している。
ウィリアム王子の車椅子を押すのは、同じ年の弟、ヴィンセント王子だ。
兄弟だと言われなければ、誰も気付くことはないだろう。母親が違うとはいえ、儚げで中性的な容貌が目を引く兄とは、随分と印象が違う。
現王の面影を色濃く残した凛々しい面差しと鋭い眼光。おおよそ16歳とは思えぬ発育した身体は、剣を振るう為に生まれてきたかのように鍛え上げられ、貴婦人方に葡萄酒よりも強い酔いを与える。
まさに真反対の魅力を備えた美麗なる2人の王子の姿は、初めて見る者も多いのだろう。一度は静まり返った大広間にざわめきが戻った後も、露骨に好奇の視線が集中した。
その中を慣れたように進む2人の兄弟のうち、弟の方が素早く場内に視線を巡らせた。
「……見ない顔ぶれが多いな」
目の前の兄に聞こえる程度の声で呟く。
「サン島の有力都市貴族かな。最近は、侯爵家との親好も深まっていると聞くし」
答えたウィリアムの声は穏やかで、なんと言うこともない台詞に聞こえたが、その裏には、爵位を持たない都市貴族と、元老院にも影響力の強い侯爵家の癒着に対する警句が混じっていた。
第三王子の祝いの席とはいえ、そこに集まる顔触れの変化は、城内での力関係が徐々に変わってきていることを伝えている。
「――あれで『王子』というのだからな」
社交辞令と美辞麗句がそよ風のように流れるさざめきの中で、その声がぽつりと飛び込んだ。咄嗟に視線を走らせたのは弟の方で、兄の方は顎の位置すら動かさない。
談笑を交わす来賓たちの陰から、チラチラと目を向けてくる男たちは、その装いの張り切りようから、こういった場に招かれることに慣れない新興の都市貴族――大商人たちであると分かる。
「なんでも、貴婦人方も隣に並び立つのを躊躇われるとか」
「無理もない。あれでは、どちらが『華』か分かりゃしない」
素直な感嘆と、どこか軽んじるような冗談が入り交じり、ワインを片手に笑いが起こる。
似たような会話が別の方向からも聞こえ、ヴィンセントが視線で追い払うように当たりをつけて見回すと、慌てていくつもの視線が逸れた。
「ヴァン、あまり威嚇してはいけないよ」
そんな弟の行動を、兄が静かにたしなめた。
「彼らは敵じゃない」
「…………」
だが味方でもないと、ヴィンセントは口には出さなかったが、口に出さなくともウィリアムには伝わる言葉だった。
2ヶ月後には、ウィリアムとヴィンセントは17歳の誕生日を迎える。
男性の成人年であるこの年は、王室にとっては、国王の存命中に王位継承が可能な年齢に達するという点で、意味が大きい。
同じ日に、ほとんど同時刻に生まれた、母親の違う2人の王子。それぞれの母后の背後には、サン島とフレイア島、この国の主体をなす島を代表する侯爵家がついている。
彼らが生まれた瞬間から確かにくすぶっている火種は、もはや隠しようがないほどに煙っており、来たる第一王子と第二王子の成人に合わせて、国王が何らかの意向を示すのではないかという憶測も端々に立っていた。
それに合わせて、城内は緊張したムードが漂い、水面下では派閥争いが過熱している。2ヶ月前にあたる第三王子の誕生祭は、その前哨戦といってもいい。
「兄様!」
すると、母親によく似た栗色の髪の少年が、ヴィンセントの腕に飛びついてきた。
「エドゥアルト」
本日の主役の第三王子は、ヴィンセントを「兄様」と呼び、ウィリアムを「兄上」と呼ぶ。その使い分けには、当人の微妙な心の距離が反映されているようだった。
「ちょっとこっちに来てよ。紹介したい人がいるんだ」
無邪気を装ってヴィンセントの腕を引くが、その視線は、一度も隣にいるウィリアムには向けられない。
エドゥアルトが指した先で会釈をしたのは、数名の紳士だ。その両脇を飾る花のような淑女たちが、熱っぽい眼差しをこちらに注いでいる。
貴婦人方には興味を示さず、ヴィンセントはそつのない笑みを浮かべる男達をとくと観察した。見覚えはない。
年齢はまばらだが、皆それなりに洒脱された身のこなしをしており、表情には自信が溢れていた。ヴィンセントだけをご指名ということは、おそらくはローゼン侯爵家繋がりの都市貴族だろう。
「…………」
車椅子のハンドルを握ったまま、ヴィンセントはしばし逡巡した。
すると、エドゥアルトがウィリアムを一瞥し、拗ねたように言う。
「今日の主役はぼくだよ。少しくらいわがまま言ってもいいじゃない」
言外に、いつも兄上ばかり構って――という子供らしい苦情が申し立てられる。
そう言われると無碍にも出来ず、ヴィンセントはかなり下の位置にある弟の頭に手を乗せてなだめた。
弟が可愛くないわけではないが、こういった端々の言動に、母親の影が見えるのは、やはり複雑な心境にさせられた。言葉は悪いが、入れ知恵というところか。
幼いエドゥアルト自身が、あの紳士たちとヴィンセントを引き合わせたいと、本気で思っているわけがなかった。
エドゥアルトは母に対して従順な息子であり、幼い彼にとっては絶対的な指針だ。そのこと自体は、愚かでも罪でもない。だが、その子供の幼さを利用する側はどうだろう。
今この場に姿を見せない母親が、あえて上の息子と顔を合わせないようにしているのは明白だった。
「だが……」
「いってらっしゃい」
どちらかというと感情的な反発で、固辞しかけたヴィンセントを、ウィリアムが静かだが強い声で促した。
「俺なら、ひとりでも大丈夫」
彼がそう言うのは、この場ではそうした方がいいという判断だ。頷き、ヴィンセントはエドゥアルトに腕を引かれてその場を離れた。
番犬が離れるのを待っていたかのように、ウィリアムの周囲に人が集まる。
「すみませんな」
そちらの方に意識の大半を持っていかれながら、ヴィンセントが近づくと、年長の紳士が、やはりそつのない笑みで会話を始めた。
「彼女たちが、どうしても殿下とお話がしたいと申しまして」
「いやですわ、そんな言い方」
傍らにいた若い婦人たちを示す。おどけた物言いにつられるように、口元を押さえて上品に笑う女性が甘やかな声を出した。
社交辞令と中身のない雑談が続くのを、ワイングラスを片手に何とかやりすごす。
予想通り、彼らはサン島の都市貴族であるらしい。大方、ローゼン侯爵家の流れをくむ王位継承候補と、顔を繋げることが目的だろう。
ついでに、美女をけしかけて気に入られればもうけもの、というところか。
この場には少し不自然なほど若い、そして妙に艶の強い女性が混じっているところも、商人らしい明け透けな感じがして、あまり好ましくはなかった。
紳士たちに相づちを打つヴィンセントの視線は、常にウィリアムを行方を追っており、それに気付いた若い紳士が苦笑した。
「殿下、少しはこちらの華も見て頂かないと。彼女たちも報われません」
「それは失礼。今宵は華が多すぎて、目移りしていたようです」
そっけない口調で応える。こういった社交の場では礼儀のうちとも言える、この上っ面をすくうような会話が、ヴィンセントは苦手だ。相手に合わせてこれくらいの返しは出来るようになったのは、ウィリアムの指導の賜物だ。
当の兄は、車椅子の介助を申し出る人間を、角が立たないように断るのに苦労しているようだった。
彼は一人にすると、いくらでも相手に付け入る口実を与えてしまう。それは彼自身の落ち度ではなく、身障であるという事実が、否応なくとっかかりになるのだ。
ああも次から次へとやってこられては、いくらヴィンセントより遥かに社交力の高いウィリアムといえども、そろそろ限界だろう。
先程の返しで、色仕掛けでは旗色が悪いことを悟ったらしく、相手の勢いが萎む。会話が途切れがちになったところで、これ幸いとヴィンセントはその場を離れた。
去り際、隣で退屈そうに大人たちの話を聞いていた弟の頭を軽く撫でてやる。これで一応、エドゥアルトも母親の「言い付け」は守れたはずだ。
すぐにウィリアムのところに戻るつもりだったが、その途中でも足止めを食らってしまった。
都市貴族程度ならあしらいもできるが、さすがに母方の祖父であるローゼン侯に話しかけられては、足を止めずにはいられない。
侯との挨拶が終わった後も、彼に金魚の糞のようについていた元老院の貴族議員や、その夫人がまとわりつき、なかなか逃れられなかった。
いつの間にやらウィリアムを見失い、大広間の端へと追い詰められていた。
追い詰められていた、というのは、この場合正しい用法なのだろう。
「ヴィンセント殿下はまだ16歳とお聞きしましたけど、もう立派に成人されているようだわ」
気が付けば、一対一で面と向かってしゃべることになっていたその年上の女性は、サン島ゆかりの伯爵家の夫人であるらしい。
胸ぐりの大きく開いた赤いドレスに身を包み、長い髪を高い位置で纏め上げて、華美な宝石の装飾で飾っている。
「……よく言われます」
要は老けて見えるということだろう。
面と向かって言ってくるのはウィリアムくらいだが、自覚は十分にある。
そう答えると女の繊手が伸び、顎から首筋につっ――と手入れされた爪先が滑った。香水の匂いが、一層近づく。
媚びるようにすり寄ってきた貴婦人は、男を誘惑するのに慣れた顔で、紅い唇と艶のある眦に、蠱惑的な笑みを乗せた。
「ねぇ、良ければこの後あたくしと……」
「ヴァン」
「ウィル」
呼びかけられた声に、ヴィンセントは女性から身体ごと視線を逸らして応えた。
ひとりだけ慌てたように振り返った夫人の視線の先には、車椅子で佇む兄王子の姿がある。
「ああすまない、お話の途中に」
明らかに彼女にとって悪いタイミングで声をかけておきながら、柔らかく微笑んだウィリアムに、貴婦人は恥じらうように顔を赤らめた。
「いえ……」
滑るような静けさで、自ら車椅子を進めて近づいてきた相手に、女は羽扇子で顔を隠しながら、心持ち身を引いた。だがヴィンセントの角度からは、扇子の陰からじっと兄を観察する女の表情が見て取れた。
一瞬唇を噛んだ女の目には、明らかな嫉妬の色があった。
「少し人に酔ってしまったようだ。俺は部屋に戻るから、君はもう少しゆっくりしていけばいい」
「いや、俺も戻ろう」
女の思惑に気付いているのかいないのか、見上げてくるウィリアムに、ヴィンセントは慣れた動作で車椅子の後ろに回った。
「ローゼン候への挨拶も終わったし、この場に用はない」
用はない、と切り捨てられた女は言葉を失ったが、動揺を表に出すのはプライドが許さないとでも言うように、口元に扇子をあてて澄ました顔を保っていた。
「……では、ここで失礼します」
「え、えぇ……」
一応、事務的に相手に断りを入れ、車椅子を押す。
ウィリアムが女性に会釈をして、2人は大広間を後にした。




